第2話 辿り着いた場所

読者モデルとしてそこそこ人気がある野木恵一。

男受け抜群のゆるふわ系代表女子永田美代。

大学でも有名カップルである二人の周りは色々と華やかだった。

全く接点がないはずの美代に突然声をかけられたのは半年ほど前の事。

「初めまして、小川さん、だよね?」

それは絶対関わらないように細心の注意を払っていた私にとって絶望の瞬間だった。

どうやら私は野木君が特に可愛がっている大学の後輩に好意をもたれてしまったようで、その仲介役に買ってでたのが美代だったという悲劇。

もちろん名前を言われても全くわからない相手に好意を持たれるなんて意味が分からないし、美代や彼女の取り巻き連中によって当の本人と引き合わされても彼に対して嫌悪感しか生まれなかった。野木君に良い顔をしたいのかなんなのかわからないがどうしても私とくっつけたかったようで、悲しい事に私はその日から大学中に張り巡らされた美代のネットワークにより彼女の息のかかった連中に囲われる日々を送る事になった。いつのまにか私自身も周りから美代の取り巻きの一人として認識されるようになっていく。そしてその一方で私は知れば知るほどその後輩、林下裕の事が嫌いになり、拒否反応でどうにかなりそうだった。今流行り風のイケメンだが有名人の息子だがなんだか知らないけれどただのクズ。生理的に無理なタイプ。いくら私が付き合あう事はないと説明してもそれでもどうにかしてくっつけようとしてくる美代に疲れて私はとある策を打つ。

ここまできたら彼女達との関係を拗らせる事は絶対に得策ではないことなんてわかっていた。あくまで良好な関係を築きつつ美代、野木君の顔もつぶさない方法。

まずは取り巻きの中から林下に好意を抱いている女を見つけ、用意する。もちろん可愛い子。

これには苦労はしなかった、顔も良くて(そもそも私にしてみたらイケメンというのも疑問なのだが)金も持っている林下に好意を抱く女は少なくない。

次にその用意した女と親玉の美代を呼び出し嘘の相談に乗ってもらう。

ずっと片思いしている人がいるからやっぱり林下と付き合えないという事。林下に惹かれている自分もいるがやはり諦めきれないということ、その事をずっと黙っていて申し訳なかったという事。そして場が盛り上がってきたところで良い感じに涙を流しつつその女に告げる。

「私、気が付いちゃった未来ちゃんも林下くんが好きな事…だから…余計に」

とどめにごめんなさい、と何度も繰り返しながら涙を流しておけばいい。

私が行動を起こすのはここまで、あとは美代に任せておけばいい。

呼び出しから数日後、林下と用意しておいた女が無事付き合った事を聞かされる。予想通り美代がすぐに場を儲け二人をくっつけたらしい。作戦は無事成功したようだ。

未来は美代と同系統で女の子らしく、背は小さいがその割に意外と胸があって明るく笑顔が可愛いと大学でも人気がある。もちろん林下もそんな未来を見てあんなにしつこく私と付き合いたいとかほざいていたくせにあっという間に未来に乗り換えた。まぁ林下の女好き、女癖の悪さなんてすぐに分かったし、私に対しての好意もなんとなく持っただけで、他の丁度いい女が見つかればすぐに私の事なんてどうでもよくなるだろうと確信していたけれど。

こうして林下は最初の予定とは大きく変わったが美代のおかげで可愛い可愛い彼女が出来たという事でめでたしめでたし。と、いきたいところだったがこれで全てが終わった訳ではない。美代の取り巻きの一人となってしまった私と美代の関係は続いていくのだから。




このままでは私の大学生活が終わってしまう。なんとか関係が悪化しないように少しずつ様々な策をめぐらせ距離をとり、なんとか以前よりも関わる事が少なくなってきたと喜んだのも束の間。それは先日の事だった。

一人食堂で過ごしていると普段は現れない時間のはずなのに美代に声をかけられる。

徹底的にリサーチして美代と会わないように過ごしていたというのにどうしてここに美代が現れたのか。ものすごく嫌な予感がする。

「ねぇ、夕日ちゃん、今度の土曜日空いてない?」

予感的中。ついにきたか。私は瞬時に全てを理解した。

「土曜日?」

「うん、恵一君達がね、学外で公演をしてるんだけど、一緒に行かないかなって」

「へぇ、今、学外でやってるんだ、すごいね」

「でしょ?それにほら夕日ちゃん今まで恵一君達の舞台観に行けなかったじゃない?

 せっかく解禁になったんだしどうかなぁって」

「確かに。解禁…だね」

野木君が演劇サークルを立ち上げたのは林下騒動のすぐあと。

メンバーは野木君が集めた他大学生も含めた顔だけがいい男達。

内容がカスカスで棒読み集団でもイケメンというだけで女子人気はすぐにでたし、

無駄に金やコネを持っている学生が多いのでたまにこうして大学内のアトリエ公演だけではなく学外の劇場でも公演をしている。しかしそれでも見栄を張って無駄に広い劇場でやるもんだからチケットがはけきらずこうして美代も劇場を埋めるために取り巻きを誘っては足しげく通っている。

もちろん私も本来ならばその席埋めに動員されるところだが幸運なことに林下がいる事を理由に回避していたのだ。林下の彼女となった未来は美代に負けず劣らず焼きもちやきの面倒くさいタイプだったので私が彼らの公演を見に行くことを由としなかったのだ。

しかし最近になって林下は女性問題でこのサークルから脱退してしまった。やっぱりクズだとかそういう事はどうでもいいがこれは私にとって大問題だった。

これでは正々堂々と断る事が出来ないからだ。

そして今回早速お誘いがやって来たという事なのだが、さてどうしたものか。

「ね、いこうよ~私も何回か行ったんだけどいつもより何倍も面白いんだよ!

 夕日ちゃんにもぜひ観て欲しんだよ~」

「でも美代、何回も観てるんだったら私に付き合ってもらうのは悪いよ」

「いいのいいの!土曜日は元々行こうって思ってたし、誰かいないかな~って思ってたらね、春香ちゃんが夕日ちゃんはどうかって言ってくれたの」

「え?春香?」

「そうそう、本当は春香ちゃん誘ったんだけどその日は予定があるんだって、その時にじゃあ誰を誘おうかなって悩んでたら、一度観劇した人よりもまだ観てない人に観てもらった方がファンが増えていいんじゃないって言ってくれてね!夕日ちゃんがバイト変わって土曜日空いてるはずだからどうかなって教えてくれたんだ」

春香お前、私を売ったな。

美代の取り巻きは基本的に扱いが簡単な女が多いが春香は別だ。

普段はバカなふりして本当はものすごく頭の回転が速く腹黒い。だから注意していたのに。

まさか聞かれていたなんて…。

確かに丁度バイト仲間からシフトを交替して欲しいと電話がかかって来た時に運悪く春香が近くにいて、念のためその場を離れて話したというのに。こっそり私の後をついてきて盗み聞いていたのか。あの女そこまでするか。いや、嘆いても仕方がない。私の甘さが招いたミスだ。

「へぇ…そうだったんだね~」

「ね、どうかな?だめかな?」

何度でも言う。野木君達は顔だけがいい集団だ。ほとんどが大根役者で致命的に芝居がつまらない。だからこそ彼らは顔目当ての熱狂的なファンしかついておらず、こういう外部公演だとチケットがはけきらないのだ。イケメン大好きな取り巻き達でさえ一度は綺麗な顔を拝むという意味で観劇したとしても、美代のように何度も同じくだらない芝居を観るというのは苦痛でしかないため、いかにして美代の機嫌をそこねずに上手く回避するかでお互い水面下の戦いをしているほど。

そして今回から私もめでたくその戦いの仲間入りをしたようである。

いや、本当に行きたくない。なんでお金出してまでそんな苦行を受けなきゃいけない?

しかも美代と一緒にだなんてどんな罰ゲームだよ。

そりゃどんな手を使ってでも回避したいし春香の行動も、ものすごく理解できる。

さて、ここからどうするべきか。

断ることもまだできる、あのあとすぐに予定を入れたと言えば簡単だ。

だがもし断ったとしても、次がある。何度でも何度でも誘いは続くだろうし

もし連続で断るとなるとと美代の場合面倒な事になってきそうだ。

だったらここでとりあえず一回観て実績を作っておいた方が今後の事を考えると楽かもしれない。

本当に行きたくないが仕方がない、なんとか乗り切るか。

「ありがとう、じゃあ私、行ってもいいかな?」




何が近くで公演しているだ、お前にとって近いって電車で小一時間乗り継いで向かうって場所の事なのか。

期待を裏切らない野木君に私はむしろ感心しつつ劇場へ向かう。

今まであまり利用しない路線。各駅停車でしか止まらない初めて降りる駅。

一体私はどうしてこんな場所にいるんだろう。

いや考えてもむなしくなるだけだ。さっさと劇場へ向かおう。

確か駅から近いはずだ。いつもより足が重く感じるが駅をあとにした。

それからほどなくして私は美代から送られきた詳細を見つつ私はなんとか迷う事なく劇場についた、のだが思わず辿り着いた場所を見て小さく呟く。

「ここで、あってる、よね…?」

寂れた飲食店が何軒か並びその真ん中に突然存在する地下につながる無骨な階段。

もし私が、ここが劇場だと知らなければまずこの階段を降りようとは思わないだろう。

傍に手書きの看板が小さく立ってはいるが階段には薄暗い灯りがついているだけ。

先ほどまで野木君達が公演していた劇場や想像していた場所と違い過ぎて降りるまで少し躊躇してしまった。

しかし開演時間も迫っていたこともありとりあえず降りてみるとさらにロビーの狭さに驚く。まぁあの飲食店の並びに突然収まっていると考えるとこんなものかもしれないが…。

他の観劇客はもう席についているのだろうか、ロビーはとても静かだった。

私はちょっと帰りたくなってきた気持ちを抑えつつ受付をすませに向かう、

狭い空間に簡素なテーブルが一台並びそこで同じTシャツを着た女性と男性が立っている。恐らくあれが受付なのだろう。

しかしまた私はここでもさらなる衝撃を受ける。

女性の方は私と同い年くらいだろうか。恐らく薄化粧をしているだけなのに肌が信じられないほどきめ細やかで凛とした透き通った目に薄く整った唇にはっきりとした鼻。栗色の髪は染めているのにも関わらず天使の輪が浮かんでいる。大学で可愛いと言われている美代たちとは比べるのが申し訳ないほどの本当の美少女がそこにはいた。そして恐ろしいのはその彼女の横にいるのは彼女と並んでもなんの謙遜もなく、イケメンなんて言葉で一括りにするのが申し訳ないほどの美男子が立っているのだ。少しつりあがった三白眼気味の目はどこか光がともってないようにも悪く言えば死んだ目をしていて鼻と口のバランスの位置がとてつもなく綺麗だった。

こんな美しい二人が受付をしているだなんて。なんだかこっちが緊張する。

私の緊張はつゆしらず美男美女はにこやかに丁寧に手際よく対応してくれる。

「どうぞ会場内は薄暗くなっていますのでお気をつけて席までお進みください」

と最後に笑顔で送り出されると自分の中の汚い部分が浄化されていくようだった。

私は目も合わせられず簡単にお礼を済ませ逃げるようにロビーを後にする。

会場内は二人が言っていたように薄暗く、観劇客もまばらで静かなものだった。

先ほどまでいた劇場は女子ばかりでかしましいものだったのでそのギャップに戸惑う。

この静けさと、席がパイプ椅子だという事もきっとロビーでの事が無ければ驚いていただろうがもうそこまで気にもかけなかった。

席に辿り着きやっと一息をつく。

なんだか予想外の事が多すぎて少し疲れてしまった。

それに今までに体験したことがない独特の雰囲気に心がざわざわとうるさい。

あぁ私、なんでここにいるんだろう。なんだか改めて実感してしまう。

ふと、あのバカップルにまんまとはめられた時を思い出しイラっとしてしまうが、あのままバカ女と無駄に値段が高いインスタ映えを狙った美味しくない店でご飯を食べるよりはこちらの方が何億倍ましだと思い気持ちを落ち着かせる。

それにしても、あんな美しい二人が受付をしているはずなら美代が絶対に先に話すと思うんだけど…まぁ野木君とのデートの事でそれどころじゃなかったのかもしれないし、受付は固定じゃないのかもしれない。

私はここまでにあった出来事を振り返りつつ椅子の上置いてあったこの公演のパンフレットと中に挟まれたチラシを眺め開演を待つことにした。

先ほどの野木君達の公演。

周りの観劇客のすすり声と隣で観ていた美代が泣くタイミングでそれっぽく泣いてタオルで顔を覆う。

実際のところお涙頂戴の盛り上がるシーンとして創られていたのだろうが、それ以前に棒立ちと変に台詞を強調する出演者が気になって何も感じなかったけれど。

美代も他の観劇客もあんなので泣けるな。と感心するほどだ。

さらに驚きなのが、今作が今までで一番評判もよくて美代や周りの観劇客もいつもよりすごいと興奮していた事。あれで、最高傑作なのか。今までが逆に気になるじゃないか。

間もなく開演だというのに全く気持ちが盛り上がらないのは、生の舞台というものを芸術鑑賞会など除いて見た経験がなくて、初めて見たのがあんなスカスカでくだらないものだったからだろう。

さすがにあそこまでひどいとは思いたくはないが…この舞台に対してもそこまで期待を持てない。ひどかったとしても野木君達の無駄に高いチケットよりもうんと安い値段だし、美代から逃げられた、という事で良しとしよう。




開演五分前。野木君達が公演を行った劇場のステージよりも二回りほど小さなステージに灯りが点る。

これはさっき美代が説明してくれたいわゆる前説が始まるのだろう。

袖から現れたのは親しみやすい笑顔でどこか品のある女性だった。親戚の叔母ぐらいのご年齢だろうか。

彼女が現れると劇場内が急に暖かく感じる。あんなに静かで少なく感じた観劇客の拍手が予想以上に大きく感じる。私もつられて拍手をして彼女を迎え入れる。

そして雰囲気にのまれ、なんだかステージの真ん中で深々と頭を下げる彼女から目が離せなくなっていた。

「皆様、本日はご来場いただき真にありがとうございます。開演に先立ちまして、いくつかお願い事がございます」

声を聞き、その音圧に圧倒される。

例えこの劇場が小さいからという訳ではない。

マイクを使わず地声でここまで明瞭に一言もこぼすことなくきちんと意味として伝わってくる。

ただ劇場内は飲食禁止、携帯電話の電源はお切りください、といった映画館でもよく聞くおなじみのフレーズを言っているだけなのに何故だか見入ってしまう。彼女が話す独自の間のとりかたも心地がよく、丁度いいアドリブにくすっとする。

野木君達の舞台の前説担当は、活舌が悪いのはもちろんだが噛みまくった挙句、客席からカワイーだの頑張って~だの飛び交い本人もそれに無駄に応え、ただのファンとの交流時間でしかなく始まる前からシラケてしまった。

前説だけでここまで違うだなんて。心を奪われハッと気が付いた時には締めの挨拶になっていた。

「それでは、まもなく開演です。今日も飛ばしすぎて、腰をやっちゃわないように頑張ります!本日前説担当は東山美早子でした!」

あっという間だった。前回はあんなに長く感じたのに。

彼女が舞台からはける事を惜しむように拍手が続く。私もまだまだ彼女を観ていたかった。

東山、美早子さん。あれだけ舞台というものに期待していなかったのに。たったこれだけで胸がドキドキ高揚しているのがわかる。

彼女が舞台から去った後もステージ上に熱が残っているように感じ、狭く感じたステージが大きく見える。

気が付くと早く幕があくことを望んでいる自分がいた。

久しぶりだ、こんな気持ち、忘れていた懐かしい気持ち。

なんて言えばいいのだろう、この気持ちはなんだ。

…あぁ、そうだ。ワクワク。これはワクワクしているんだ、私。

いつしか自分の感情をコントロール出来ようになったことを良いことに全て計算をしながら、面倒ごとに巻き込まれないように生きてきた私が今、素直に心の底からワクワクしている。どうして?いつもの、自分じゃないみたい。

大袈裟だけあの階段を下って辿り着いたこの劇場は自分では予想できなかった事ばかりで、もしかして違う世界に来てしまったんじゃないかと思ってしまう。

そしてあっという間に開演時間。

幕が静かに上がっていく。

そしてこの幕はこの公演の始まりだけではなく、私の時を超えた約束の物語の始まりだったという事を知る事になるのはもう少し後の事である。

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