第12話 俺達の始まり
まさかの返答に俺は困惑していた。
そして小川夕日…もといメロニア=リックと名乗る同じ前世を共有しているはずの人物もまた,
同じように困惑しているようだ。いやむしろ俺よりもひどく困惑、動揺している。
俺の記憶が正しいならば、この目の前にいる人物が嘘をついているという事で間違いない。
だが、一体何の目的でそんな嘘をつくのだろうか。そして、フゥーシェ様に近づいた理由は?
俺が次の手を考えている間にも絶えず向けられる疑惑の目。
その目はいつも見ていた小川夕日とはまるで別人のように思える、これがメロニア=リックなる人物なのだろうか。
どちらにしてもこのまま睨まれていても何も始まらない。
俺は少し視点を変えて相手の出方を探る事にした。
「いいよ」
「え?」
「今、お前は俺に対して色々聞きたい事だらけだろ?」
「それは…」
「だから、なんでも答える。もちろん嘘偽りなく、だ。気になる事全部ぶつければいい。まずはそこからだろ?」
俺の提案に小川夕日は顔をしかめたが、少し思案すると静かに頷いた。
「じゃあ…聞かせてもらうけど…いつから?」
「何が?」
「いつから私の前世が怜吾君と同じかもしれないって思ってたの?」
「…章さん…いや今はフゥーシェ様と呼んだ方がいいか…。まぁ、とにかくお前がフゥーシェ様にスカウトされた日」
「そんな、どうして…」
「お前がフゥーシェ様に対してその名前を出したんだろ?それで不思議に思ったフゥーシェ様が俺や劇団の皆にその名前を聞いて回ってたんだよ」
「そうだったんだ…」
「そもそも俺は、お前が最初に観劇に来た時の様子から警戒はしてた。色々厄介だからな、の劇団は。お前ももう分かってきただろ」
「まぁそれは、なんとなく」
「あと、これは俺の推測に過ぎないが、お前が記憶を思い出したのはその時だろ?体調が悪いとかで騒ぎになった時」
「え?どうしてそれを…」
「俺が記憶を取り戻した時と似てたからな。それに今までお前を観察してきて恐らく記憶が戻ってそんなに日が経っていないって事が分かったからな。時期的な予測も含めてそうだろうな、という見当はすぐにつく」
「その言い方だと怜吾君は私よりも前に記憶が戻ったって事?」
「俺の記憶が戻ったのは高三の春。今から二年ほど前」
「そんな前から!?」
「そう。そして俺が記憶を取り戻した時と似てたってさっき言っただろ?俺も和澄さん、つまりにエリットン様に初めて会った時に記憶が戻ったんだ。しかもお前と同じく初めてちゃんとした演劇…舞台を見た後でな」
「…そう、だったんだ」
「だから俺は記憶が戻って精々一、二ヶ月のお前と違って前世と今世の記憶の融和っていうのかな?前世との混濁も落ち着いて、前世は前世、今世は今世って区別もついてきたと思う」
前世は前世、今世は今世。その言葉は小川夕日に少なからず刺さったようだで複雑そうな顔をしている。
「他には?もうないのか?」
小川夕日は気持ちを切り替えようとしたのか小さくため息をつくと再度俺を見据えた。
「今までに私のような人物に会った事はあった?」
「いや、お前が初めてだ。ちなみに言っておくとエリットン様とフゥーシェ様以外には前世で共に生きた人間にも会ってはいない」
「なるほど…そういえば御二人は貴方と一緒にいて記憶がお戻りになったりとかそういう事は無かったの?」
「実際はどうなのかなんて本人しか分からないが、俺から見る限りだと全くないな。エリットン様とフゥーシェ様ではなく和澄さんと章さんとして二人は生きてる」
「和澄さんと章さんとして…」
小川夕日はまたそこで少し考え込んでしまった。まぁいいだろう。彼女が落ち着くまで少し待ってその間に俺の中でも整理させてもらう。
様子を見る限りだと、本当に小川夕日は記憶が戻ったばかりで何も知らないように思えた。
ただ突然記憶が戻って自分の主であったフゥーシェ様に惹かれるままこの劇団に入ったという事だろうか。それともこれは全て演技なのだろうか。
「どうして?」
黙っていた小川夕日が静かに尋ねた。
「あの時、エリットン様にお会いして混乱してしまっていた私を助けてくれたよね?…どうして?それに、どうして私に色々話してくれるの?貴方は私を知らないと言った。明らかにお互いの中でかみ合ってもいないのに、そんな曖昧で危険かもしれない私にこんなにも…」
小川夕日の目にはうっすらと涙の膜が出来上がっていた。
今、彼女の中で色んな感情が入り混じっているのだろう。その目は真剣だった。
「…俺は、生まれた時からホーリー家騎士団所属リラス=マァベとしてエリットン=ロイ様の右腕として生きていたんだ。いつだってあの方の近くにいた。だからこそあの方に向けられるあらゆる目を見て来た」
「目?」
「エリットン様はフゥーシェ様の剣として誰よりも強く、優しく、正しかった。
あの方は本当に素晴らしい方だった。人としても騎士としても。誰からも必要とされ、皆があの方に憧れた。でもだからこそ同時にあの方には敵も多かった。羨望、妬み、嫉み、僻み。あの方の血のにじむような努力や計り知れないほどの心労や悲しみもわからないようなクソ共があの方の地位を奪い取り失脚させようとした。俺はそんな好意にも悪意にも過度なほどにさらされ続けたあの方の傍で色んな目を見て来た。…だから、わかるんだよ」
「わかる?」
「お前、エリットン様に会った時に、戸惑いや動揺が酷い中でもあの方に会えた喜びと心からの敬意を向けていたんだよ」
「え?」
「俺は、確かにもうリラス=マァベでもないし、記憶が戻ってたったの二年だ。だけど、それだけは、あの方に向けられる人の感情だけは絶対に」
「怜吾君…」
「だから、あの時助けて様子を見ようと思った。
というか、お前がフゥーシェ様…章さんに心酔している様子だったから一旦フゥーシェ様の傍に置いて泳がせておいて、エリットン様と出会ったときの状況で判断をしようと計画してたんだよ。少しでもお前がエリットン様に良くない目を向けていたら俺は今世の人生を失ってもいいからどんな手でも使ってでもお前を消そうと思っていた。だからこそ、お前とエリットン様を合わせるタイミングは俺が決めようと動いていたし、もちろん会わせる前に危険だと少しでも判断すればその場で消すつもりだったんだけど」
俺から殺意を感じたのだろう。小川夕日は無意識に俺からさらに距離をとった。
「でも計画は俺の脇の甘さで台無し。急な展開でどうなるかと思ったけど、結果としてお前について判断が出来た。だからそこで決めたんだよ。そういう事なら、もうこそこそするんじゃなくて直接聞いてやろうって」
「…聞く?」
「そう。お前は誰だ。何が目的だってな」
「…私は…」
「まぁ、けどその結果はまさかの、お互いがお互いを分からないっていう結末ってわけだ」
「そういう事…だったんだ…」
そこまで俺の話を聞いた小川夕日は深く息を吐き出すと頑なに動かなかった入り口からやっと俺の傍に来て腰を下ろした。
「今度は、怜吾君が聞いてきていいよ。怜吾君だって私に聞きたい事あるでしょ?」
どうやら小川夕日は少し心を許したようだった。顔の表情も幾分か柔らかくなっている。
「じゃあ、お言葉に甘えて。…あのさ、改めて聞くけどお前は本当にあのリック家の娘なのか?」
「嘘じゃない。本当に私はメロニア=リック。そしてフゥーシェ様の一番近くにいた侍女。その命が尽きるまで私はフゥーシェ様の傍にいた」
その目は信じられないほどまっすぐでこれが嘘だというのであればこの小川夕日が稀代の詐欺師だと言ってもいいだろう。
「じゃあもう一つ。お前の目的は?なんでこの劇団に入った?」
「それは…フゥーシェ様との願いが…約束が…」
「願い?約束?」
「…ごめんなさい。これは私とフゥーシェ様との二人だけの想いなの。だから、ここでは言えない。でも信じて欲しい。確かに私はその前世の出来事に引っ張られてこの劇団に入ったけど、今は本当にお芝居と向き合ってる。ただこの劇団で頑張っていきたいって思いしかない。…そしてそれが願いと約束につながるの」
いつのまにか彼女の目からは大粒の涙が溢れていた。
「…まぁ、いいだろう。今はそのメロニア=リックではなく小川夕日として一人の劇団員であると、そういう事でいいんだな?他に他意はないと」
その言葉に彼女は何度も頷く。
「…ただ、小川夕日として章さんと…皆と、芝居がしたい」
そういうと彼女はその場で項垂れて声を上げて泣いた。
やはり、小川夕日はただ俺と同じく記憶を取り戻しただけで危険人物ではないという線が濃厚になって来る。
だがしかし、そう完全に言い切れない大きな理由がある。
彼女が落ち着くのを待って俺は話を続けた。
「さっきも言ったけど俺はエリットン様の右腕としていつも傍にいた。だから必然的にフゥーシェ様のお傍にもいた事になる。しかしお前の事が本当に分からない。命が尽きるまでフゥーシェ様の傍にいたというお前が。そしてそれはお前も同じだろ?」
「エリットン様はいつもお傍でフゥーシェ様の事を守ってくださっていた。だから、もしエリットン様の右腕だというリラス=マァベという人物がいたら絶対に覚えているはず」
「…俺はこの二年間で前世の記憶が完璧ではないという事は分かっている。曖昧で不確かな事も多い。…だけど、そこまで近い関係だった人物を完全に覚えていないというのは今までなかった」
「じゃあやっぱり私か怜吾君が嘘をついているという事になるよね?」
「でも、それは違うとお互い否定している」
「どういう事なんだろう…本当に忘れているだけ…?」
そこで一旦会話が途切れる。
やはり、ここが大きな問題なのだ。何故俺達はお互いが分からないのだろう。
だが、冷静に考えてみると一つの疑問が生まれてくる。
「…言われてみれば専属のフゥーシェ様の侍女…いたはずだよな?」
同時に小川夕日も自分に問いかけるように呟く。
「…エリットン様の右腕…か…そんな方が…」
そういうと小川夕日はそのまま黙って何か思案しているようだったが次の瞬間。
「あぁっ!!??」
そう叫ぶと突然頭を抱えて呻き出したのだ。身体は震え、顔色が一気に青く染まる。
これは、まさか。
「いっ…いた…い」
「おい、大丈夫か!?…って!!?」
すると呼応するかのように俺の頭にも激痛が走る。
頭が真っ白で何も考えられなくなる。身体が一気に冷えていくのがわかりその場にうずくまった。
これは、俺達が前世の記憶が戻った時に起こったものそのもの。一体俺達の身体に何が起こったというのか。
ややあって、記憶が戻った時同様に痛みはすぐに治まってくれ為、なんとか俺達は落ち着きを取り戻していく。しかし突然の出来事と今起こった事が理解できず、お互いに呆然としたままだった。
「…なぁ、あのさ」
「…うん」
俺はぐったりしている彼女を支えつつ近くに置いてあった水を渡しながらなんとか言葉にした。
「お前の事は、わからない」
「…私も」
「だけど、何か、大切な何かを思い出せないでいるみたいだ」
「…私も、同じ。この記憶には何か大きな穴がある。それが今一瞬見えたけど、すぐに見えなくなった」
「一緒か…」
「みたいだね…」
そう。今走った衝撃で何かぼんやりとした大切だと思える何かを思いだしたような気がした。そしてそこには小川夕日が確かにいたような気がした。それがメロニア=リックなのだろうか。しかし、痛みが治まってみるとその大切な何かは結局分からないままで、やはりメロニア=リックという人物が分からないままだった。
ただ、その痛みでわかった事がある。
現時点では小川夕日が危険人物ではないという事だ。
上手く言葉にも出来ないほど笑ってしまうような曖昧な事で決めてしまうのはどうかと思うが、恐らく、彼女は大丈夫だろう。
だとしたら、俺がすることは何もない。
もちろん、小川夕日と出会う事によってこの二年間何もなかった俺の記憶が少し動いたように、これからも引き続き警戒はしていく方がいいだろう。
「とりあえずは、保留だな。動きがあればお互いに共有していく」
「うん」
「…それ以外はとりあえずただの劇団の仲間って事で」
「こんなに曖昧なのに仲間として認めてくれるの?」
「…お前もこの劇団で俺が本当にエリットン様やフゥーシェ様にとって危険な人物なのかどうかって事を見ていけばいい」
「うん。…わかった」
「それから、前世の記憶を持った時期が早い先輩から一つ忠告しておく」
「忠告?」
「記憶を待ったまま、エリットン様とフゥーシェ様の近くで生きていくと決めたのなら、何度も言うが前世は前世、今世は今世という言葉を決して忘れるな。あの二人は今、別の人間として前を向いて今世を生きているんだ。それを俺達が邪魔してはいけない」
「別の、人間…」
「そう。お前も、もう少ししたら混濁が薄れてくると思うがそれまではどうしても同一人物として考えてしまう。だけどそれは違う。エリットン様とフゥーシェ様はもういない。
そしてお前だってメロニア=リックではなく小川夕日として生きているという事を忘れるな。そう、お前が小川夕日として劇団でやっていくと決めた事を、な。それが無理なら悪い事は言わない、抜け出せなくなる前に劇団を辞めろ。エリットン様とフゥーシェ様の為にも、お前の為にも」
俺の忠告を受け止めた小川夕日…いや、夕日はそう言うと俺をまっすぐに見据えた。
それはメロニア=リックではなくいつも見ている夕日の目だった。
「大丈夫…私はもう決めたのだから」
「そうか…」
その時、俺達は初めて心から笑いあったような気がした。
だが決意を新たにした夕日に早速俺は酷な事を伝えなければならなかった。
でも、この劇団でやっていくと決めたのならどうしてもこれは受け入れなければならないのだ。
「じゃあその決心したというお前への最初で最大の試練だ」
「え?…試練?」
「今世ではエリットン様とフゥーシェ様は結ばれていない。大切な仲間の一人。という関係だ」
「え、嘘…」
「そしてエリットン様、つまり和澄さんの今世での恋人はお前もよく知っている人物だ」
「知ってるって・・・まさか?」
「そう。その人物は聖、俺達の劇団の仲間、前島聖だよ」
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