第11話 疑いの先に
小川夕日は明らかに身構えて緊張しこちらを警戒していた。
「そんなところで突っ立ってないで座れば?」
俺が促しても彼女は入り口から入ってこようとしない。
無理もない。俺が逆の立場でも同じようにするだろう。
なら、これ以上言っても無駄な事がわかる。俺は一人だけ椅子に腰を掛けた。
小川夕日は黙ったまま俺に懐疑心を含んだ目を向けている。
それもそうだ、いくら親しくなったとはいえ出会って一ケ月そこそこの男にいきなり自分の家に誘われたと思ったら、誰かが知っているはずもない名前を告げられたんだから。
「まぁいいや、ややこしい前置きはもういらないだろ。だから、単刀直入に聞く。…お前、何者だ?」
小川夕日が[劇団集団きなりいろ]に入団してから約一カ月、俺はあらゆる手段を使って彼女の事を調べ上げた。
しかしこれと言って目ぼしい情報は何も見つからなった。裏で誰かが糸を引いているかとも思ったがどうやらその線は今のところなさそうである。
分かった事は彼女が複雑な家庭環境で育った事と今まではどんな場面でも上手く空気を読み当たり障りなく生きてきた事。それから本人が言うように今まで芝居、演劇に対して興味がなかったという事。
小川夕日の情報を少しでも得るために、本来ならば近寄りたくもない小川夕日と同じ大学に通う野木達のお遊び集団と接触もしてみたが「あの小川さんがまさか演劇にハマるなんて思ってもいなかったな~なんか俺がきっかけ作ったみたいで嬉しいよ」などとほざくだけで結局骨折り損とくたびれ儲けに終わった。
今まで得に目標もなくその場のノリに合わせて生きて来た女子大生が、舞台を観て自分もお芝居がしたいとその舞台を創った劇団に飛び込んだ。
本来ならもうそういうことで済ませてしまってもいいのだろう。
しかし、小川はただの女子大生ではない、恐らく何らかの形で俺と同じ前世の記憶や情報を持った人間なのだ。
彼女は章さんがフゥーシェ様であった事を知っていた。そして今までの反応を見る限り恐らくフゥーシェ様に対し何か特別な思いを抱いている事には間違いない。
今では真剣に芝居に取り組んでいるように思えるが、恐らくこの[劇団集団きなりいろ]に入団したのもフゥーシェ様がいたからで何らかの目的があり入ってきた可能性が高い。
だからこそ、俺は出来る限り小川夕日と共に過ごし小川夕日の正体とその本意を探っていた。
大きな動きもないまま一カ月があっという間に過ぎ、いっそのことこのまま何もない方がいいのかもしれないと思い始めていた今日、突然予期せぬ事態が起こった。
それは和澄さん、いや、エリットン様が突然稽古場に来ると言うのだ。
小川夕日へこの劇団の訳アリ事情を話をした際、そのまま劇団と璃緒さん、そして和澄さんの関係について話す流れになりかけたが、この話に関して言えば入団するかしないかの判断においては必要ないと言えば必要がない話であったため、一度に色々話しても混乱するだけだと、時期を見てまた今度話そうということで終わっていた。
そして、普段は中々の頻度で稽古場に訪れる璃緒さんと和澄さんだが、彼らの出演舞台の公演時期と被っていた事もあり二人が稽古場に来ることは無く、この日まで小川夕日と顔合わせる事は無かった。
これは俺にとって好都合で、ただでさえ小川夕日という人物がよくわかっていない中で、フゥーシェ様のお傍に彼女を置いておくことさえ危ないかもしれないというのに、これにさらにエリットン様の存在を知られてしまう事は決して得策ではない。
しかし、今はよくてもこの劇団に所属したという事はいずれか小川夕日は和澄さんと出会う事に絶対になる。だからこそ、それまでに少しでも小川夕日の事を調べ、こちらで会わせてもいいと判断した上でしかるべきタイミングを見て計画的に会わせようとしていた。
ところが、今日稽古場に来てみると璃緒さんと和澄さんが後で稽古場に顔を出すというのだ。
まさかの展開である。そもそもこうならないためにも俺は小川夕日が入団してから、和澄さんに「有名人が突然きたら新入団員が緊張するから」だとか適当な理由をつけて、稽古場に来るときは必ず事前に連絡して欲しいとお願いしていた。
きっと優しくて気遣いの塊の和澄さんなら律儀に俺のお願いを必ず聞いてくれるだろう、そう思っていたのに。
俺は慌てて確認をとるため和澄さんへ自分から連絡してみると、どうやら送ったはずのLINEが電波の関係で送れていなかったというのだ。しかも連絡をくれていたのは和澄ではなく変なところで適当な璃緒さんだというのだ。これは全く当てにはしていなかったが、一応の保険の為にも璃緒さんにも同様なお願いしていた俺のミスだ。
まさかの事態に俺一カ月は焦った。これではせっかくの計画が台無しである。
確かにこの一ケ月、小川夕日の事を調べ実際に接して来たが小川夕日から敵意は感じられなかった。としても、まだたったの一ケ月だ、本性を隠し様子を伺っているだけかもしれない。
そんな状況で会わせても本当に大丈夫だろうか?
どうにかして二人が稽古場に来ないように仕向けるか、または小川夕日を今日は帰らせるか、俺は色々思案した。
しかし考えに考えた結果、俺の出した答えは、小川夕日と和澄さんを会わせてみる事だった。
正直なところ少し手詰まり感も感じており、これから先今までと同じように小川夕日の調査を進めたとしても何か大きく動く事は難しいように感じていた。だからこそ、危険が伴うが和澄さんと会わせた時にどういう反応になるのか見る事で何か大きな情報が得られるかもしれない。
それにもし、何か悪い方向に進んだとしたなら俺が責任を持って彼女を潰せばいい。
全てを失ってしまったとしても必ず章さんと和澄さんは俺が守って見せる。
改めてそう決心した俺は、緊張しながらその時を待った。
いつもと様子がおかしいと周多さんにツッコまれてしまったが、そこは俺が和澄さんをとにかく慕って尊敬している事は劇団の皆知っていた為、急に会える事になった事による緊張だという風にごまかすことが出来た。その後始まった稽古も大きなトラブルもなくいつも通りに進んだ。
そして章さんが言っていた時間、約30分後稽古場の扉が開く。
ついに、小川夕日と和澄さんが出会うのだ。
俺は些細な情報も逃さないよう、小川夕日に可能な限り近づき注視する。
すると和澄さんを目にした彼女の口から言葉が零れた。
「嘘…」
顔は一気に真っ青になり、全身小刻みに震えている。
明らかにおかしい。決して暑くもないのに異常な汗までかき始めるだなんて、これは…もう決まりだろう。
小川夕日が俳優としての和澄さんを知らないという事は調査済みであり、小川夕日が和澄さんのファンだから嬉し過ぎてこうなってしまっただとか、もちろん初対面で緊張してだとかそういうレベルの動揺ではない。
やはりこいつは、俺と同じくあの前世でのことを知っている。
そうこうしてる間にも会話は進み、いつものように璃緒さんと和澄さんはあっという間にまるで劇団員のようにその場にすぐに溶け込んでいく。
小川夕日は状況が理解できないのだろう、状態はより悪化しており輪の外でただ立ち尽くしていた。普通ではない様子に大丈夫かと聖と心配をされてしまっても、動揺からなのか小川夕日は上手く対応できていない。
そのせいで余計に全員の目が彼女に集まる。
小川夕日、今お前は何を考えている?
俺はそう心の中で小川夕日に問いかけながら次の行動を待っていた。
ところが次の瞬間、小川夕日がほんのわずかだが和澄さんに視線を向けたのだ、そしてその視線が俺にとって今までで一番大きな情報だったのだ。
その視線、和澄さんへ向けた目、それは俺が痛いほどよく知るものだったのだ。
そして俺は少し考えた後、一つの大博打に打って出る事を決めた。
「落ち着け、夕日、推しでもあり因縁の相手でもある白尾璃緒に会ったからと言って慌て過ぎだ」
「やっぱり、答えないか」
お前は何者だ、という問いに小川夕日はただ黙ったままだった。
それもそうか、俺の正体や目的もわからないのにペラペラと自分の事なんて話すわけもないか。
俺は小川夕日に視線を向けながら先程の稽古の事を思い返した。
俺の嘘により小川夕日はその場を何とか切り抜け、そのまま章さんが劇団と璃緒さんと和澄さんの関係について話そうとした時、璃緒さんと和澄さんのもとへ仕事の電話が入ってしまった。璃緒さんの希望もあって、また二人がゆっくりと話に参加できる出来る時に改めて説明をする事となり、璃緒さんと和澄さんはその後すぐに稽古場を後にした。
二人が稽古場からいなくなった事もあってか少しずつ小川夕日の状態も落ち着いていき、その後の稽古にも支障は特になかった。
だが、小川夕日にとって問題はここからだろう。どうしてあの時、俺が嘘をついて小川夕日を庇うような真似をしたのかきっと知りたいはずだ。
だからこそ、こちらからわざわざその機会を設ける事にした。いつものように皆が稽古終わりで談笑している際に、俺はトイレに行くふりをしてこっそりと小川夕日へメッセージを送る。
【嘘の礼に、フゥーシェ様とエリットン様の話を聞かせろ、解散後俺の家に来い】
自分の家までの地図も一緒に送ると、俺は何食わぬ顔で皆の元へ戻った。
ちらりと小川夕日に睨まれたような気がしたが俺は気にしなかった。
解散までの間お互い何もなかったようにいつも通り過ごしたがきっと心の中はぐちゃぐちゃっだっただろう。
稽古場から俺が家に戻りほどなくして小川夕日が現れた。
いつも会っているはずの小川夕日がその時はまるで違う人間のように感じた。
そして、今に至るのだが…このまま黙っていられても埒が明かない。だから、また俺から動く。
「まぁなんだ、あれだ…それじゃあこちらからご挨拶するよ。俺は…ホーリー家騎士団所属リラス=マァベ。フゥーシェ=ホーリー様の剣として…そしてエリットン=ロイ様の右腕として生きていた」
俺は小川夕日から視線を逸らさずに嘘偽りなく自分の正体を告げた。
俺の正体は明かした。この名前を聞いてお前は何を思う?お前はどう応える?
ところが小川夕日から返ってきた応えは俺の予想外のモノだった。
「…嘘」
「え?」
小川夕日は淡々とでも顔は信じられないという顔をしていた。
「そんなの、嘘」
「は?」
「貴方なんか、リラス=マァベという人物なんか、知らない…」
「一体何を…?俺は確かにリラス=マァベだった」
「いや、そんな人物存在するはずない!だって、この私が…騎士団の方々で知らない人がいるなんて…ありえないもの」
「あのな、お前、何言ってんだよ、俺が存在しないってどういうことだよ、そもそも…そこまで言い切るお前は一体誰なんだ」
「私は…私は…。フゥーシェ=ホーリー様の一番お近くで仕えていた従者メロニア…メロニア=リック。代々ホーリ家にお仕えしてきたリック家の娘」
その名前を聞いてさらに衝撃を受ける。確かに代々ホーリ家にはリック家一族が仕えていた。でも、娘なんて、メロニア=リックという人物なんてフゥーシェ様のお傍にはいなかったはずだ。一体これはどういうことなのだろうか。
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