第3話 蛭
——ガチャ。
建物の外の武者の鎧だろうか。微かに空気を裂いた金属音にハッと身が強張る。
藤原殿が袖を下ろして膝を摩ると静かに口を開いた。
「いやいや、申し訳がない。楽しくてつい長居をしてしまいました。夜も更けました。我々はそろそろお暇致しましょう」
藤原殿が掠れた声でそう言って頭を下げる。工藤殿は黙ったまま同じように頭を下げた。千寿も慌てて同じように頭を下げる。二人が席を立って部屋を出て行くのに合わせて顔を上げ、琵琶に手を伸ばして立ち上がろうとした。
その時、藍色の袖が動いた。指が触れようとしていた琵琶が横からサッと取り上げられる。体勢を崩した千寿はよろけて藍色の袖の中に飛び込んだ。
「も、申し訳ありません」
慌てて離れようとしたが、がっちりと腕を掴まれていて身体が自由にならない。
「燭暗くして 数行虞氏の涙 夜深くして 四面楚歌の声」
頭上から聴こえてくる声は微かに震えているように感じられた。ますます千寿は動けなくなる。その内に建物の中から二人の気配が消え、小部屋には千寿と中将の君だけが残された。
——どうしよう?琵琶でも弾いた方がいいのだろうか?でも下手に動けない。
高灯台の油が減ってきたのだろう。ジジと音がした。油を注ぎ足そうと千寿が身じろぎしたと同時に愛色の影が動いた。
床に転がった琵琶。同じように転がされた千寿の上に藍色の着物が覆い被さってくる。薫きしめられた香りにむせ返る。顔は見えない。でも外れた烏帽子が床に転がっているのが目の端に映った。首筋に当てられた手から熱が伝わってくる。そう思った瞬間にその手が動き、内襟の中へと忍んで来た。ハッと身を起こそうとしたが、床に縫い止められたかのように動けない。油で綺麗に撫でつけられた黒く美しい髪が眼前に迫る。首筋を生ぬるい何かが這っていく。蛭のようだと思った。
——殺される。
ゾワリと背が震える。
——どうしよう?
でも、出来ることなど何も無かった。琵琶へと手を伸ばしたまま、千寿は闇の世界へと堕ちていった。
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