第11話 君

「ほら、走って!早よ早よ!」

 急かされて建物の中に駆け込む。階段を駆け下り、閉まりかけていた扉の内側へと飛び込んだ。みやこちゃんは慣れた様子で奥へ進み、机に備えつけられている椅子を倒して腰掛けると樹里を手招きする。


「良かった、セーフ!はい、ちじゅはここに座り」


講堂だろうか。階段状にずらっと並んだ机。そこにパラパラと人が腰掛けている。前には舞台。その上には椅子が三つ並んでいて、仄紅いライトが当たっていた。

少しして、客席の天井の電気が暗くなり、舞台の上に自然に目が向く。

——ファーン

不思議な音がして、舞台の袖から数人が楽器を手に出て来た。華やかな衣装。中華街で見るような感じの。

——あ。これ、さっきの不思議な音。

舞台前に練習していたのが聴こえたのだろう。樹里はみやこちゃんにそっと尋ねた。

「お兄さんって中華街の雑技団とかのバンドマンなの?」

「はぁ?」

みやこちゃんは呆れた顔で樹里を見返すと、パコンと軽く樹里の頭を叩いた。

「これは雅楽よ、雅楽。確かに起源は中国か朝鮮だったかもしれないけど、古代から続く日本の伝統音楽じゃない。中学でも習った筈よ。歴史や音楽の教科書に載ってたでしょ」

「え、そうだっけ?」

みやこちゃんはハァと溜息をついた。

「ホント、ちじゅったら興味ないことはまるで頭に入れないんだから」

「ごめんなさい」

樹理は縮こまった。転勤族でまだ関西弁に慣れない上に、いつもボーっとして本ばかり読んでる樹理はクラスでは浮いた存在で、みやこちゃんが話しかけてくれなかったら、寂しい高校生活を送っていたかもしれない。こんな学園祭にも来ることはなかっただろう。比べてみやこちゃんは美人で明るくて頭も良く、育ちの良いお嬢さんって感じで友達も沢山。どうして樹理なんかと仲良くしてくれるのか不思議に思っていつか尋ねたことがある。

「何で話しかけたかって?どんな子かなって思ったのよ。だって、すっごい地味なのに声だけアナウンサーみたいに綺麗なんだもん」

声だけ。ガックリした樹里に、みやこちゃんは明るく笑った。

「もっとその声を聴きたいと思ったの」

——声を聴きたい?

どこかでそんな言葉を聞いたことがあったような気がするけど、どこでだっけ?でも、よくわからない。

声を聴きたいと言われても何を喋っていいのかよくわからなくて困ったけれど、みやこちゃんの明るい笑顔を見られただけで得した気分になれた。それからずっと学校では一緒に過ごした。声をと求められつつ、みやこちゃんが喋り倒すのを黙って聞いているばかりだったけど、樹里にはそれが却って有り難かった。

「今度うちのお兄の学校で学園祭があるから一緒に行こうよ。イケメンも結構いるらしいの」

イケメンなんて腰が引けるばかりで、正直気乗りしなかったけれど、大学の学園祭に女子一人では行きにくいのだろう。そう察して付添うことにした。そしてここに居る。


舞台の上では、パイプ椅子に腰掛けた男子学生三人がそれぞれ楽器を手に目配せをし合っている。一人は黒くて短い縦笛のようなもの、もう一人は太鼓のようなもの、そして三人目は横笛を手にしていた。一人が左手に吊るした太鼓を右手の棒のようなもので打ち出した。続いて縦笛がメロディらしきものを奏で始める。

緩やかで不思議な音が講堂を満たす。樹里は素直にその不思議な音の波に身を委ねた。


——よくわかんないけれど、掠れた音が心地よくて子守唄みたい。


 寒い屋外からあったかい地下に入り、椅子に座って気が抜けた樹里は、演奏者や隣に座ってるみやこちゃんに悪いとは思いつつ、ついウトウトとしてしまった。


 その時、ピィーと突然甲高い音が鳴り響いた。と同時に横笛を手にしていた学生が立ち上がる。樹里はビクッと目を覚ました。



「ドサッ!」


鈍くて大きな音に驚いて目を落とせば、樹里のバッグが膝から滑り落ちていた。


——しまった。寝ぼけて足を踏み外してバッグを床に落としてしまった。


 慌ててバッグを拾い上げて周りを見回す。楽は続いている。でも、どこか違和感を覚えて自分の隣を見上げたら、そこには横笛を口に当てた男子学生が樹里を見下ろして突っ立っていた。講堂の中はクスクスと笑い声が響いている。

——やだ。眠ってたのバレてた。


彼は笛から口を離して声を上げた。

「雅楽は眠気を誘えれば成功。上手く奏でられている証拠だという説もあります。気持ち良く眠っていただきありがとうございました」

ペコリと頭を下げられ、樹里は更に恐縮する。彼は涼しい顔で続けた。

「かく言う私たちも、演奏しながら寝落ちすることがあります。特にあそこ、拍子を取る鼓などは、単調な曲ではよく何小節もぶっ飛ばしたり、また無駄に終わらなかったり、気付いたら椅子から落ちていたこともあるくらいです」

朗々とした声にドッと客席が湧き、舞台上の太鼓を手にした人が頭をかいた。


「雅楽と言えば伝統芸能で敷居が高いとか、難しくてわからないとか言われますが、私たちはアマチュアのサークルとして単純に雅楽の音色が好きで、一人でも多くの人に馴染んで貰えたら、と耳コピで勝手に楽譜を起こしてこんな曲を演奏することもあります。次は皆さんもお馴染みの曲ですから、是非一緒に歌ってください。そう、特にさっき眠ってしまった貴女とか」


 言って、樹里に軽やかにウインクして見せる。硬直した樹里に、彼はニヤッと笑うと

「ではゆきましょう」

 片手を上げて、舞台の仲間たちに合図を送った。横笛を口にあてがう。



そうして、タタタ、タタタ、タタタと軽い鼓の前奏で始まったのは、日本人なら多分誰でも知っている名作アニメのエンディングテーマの『君を乗せて』だった。

それは樹里も大好きな歌。小学生の合唱コンクールでも歌った。笛の音が滑らかに主旋律を奏でる。映画のエンディングロールの映像が目に浮かんで、樹里は小さく口の中で口ずさんだ。隣の席のみやこちゃんはしっかり声を出して歌っている。気付けば、他の座席からも歌声が聞こえてきた。講堂の中を満たす不思議な一体感。

音楽って不思議だ。全然知らない同士でも音楽を通じてなら繋がることが出来る。樹里の胸はドキドキと熱く高鳴ってきた。


——あ、ダメ。このままじゃ泣いちゃいそう。

 樹里は、スウと深く息を吸い込むと思い切って声を上げた。映画のシーンが目に浮かぶ。黒い空に浮かぶ輝くターコイズブルーの巨木、その向こうの青い地球。


いつかきっと——


そう、いつかきっと逢える


君に。


どこからか聴こえる声。


——君?


そう、君に。


 曲は何回か繰り返されて、繰り返されるごとに歌う人が増えていく。皆、この曲が好きなんだなと感じる。それにこの笛の音。優しくてあったかくて、どこか懐かしい。グルグルと廻る地球の姿が浮かんで、樹里は音の波の中をたゆたった。


 やがて笛の音が止み、合唱も終わった。聞こえてくる拍手の音。

——ああ、終わってしまった。


その時、

「ちじゅ」


呼ばれて顔を上げる。横笛を手にしていた男子学生がまだそこにいて、樹里を見下ろしていた。

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