第10話 再

やがて時が過ぎ、千寿が生まれ育った手越の辺りは静岡と呼ばれ、都と帝は、京から遥か東の東京へと移された。そして幾星霜。



「ちーじゅ、こっち!」


呼ばれて目を上げれば、人混みの向こうでクラスメイトのみやこちゃんが大きく手を振っていた。ホッとして駆け寄る。

「ごめんね、遅くなって。迷っちゃったの」

「ううん。駅で待ち合わせすれば良かったんやけど」

「お兄さんと一緒に来たんだものね。沢山の人がこっちに向かってたから大体分かったんだけど、人がいっぱいで待ち合わせの門がよくわからなくて」

「ちじゅは人混み苦手やもんなぁ。とにかく中に入ろ。あそこで受付済ませて来て」


頷いて門のすぐ脇に置かれた白い長テーブルの前に立つ人の列に並ぶ。


「ここにお名前を書いてください。こちらがパンフです。中にアンケートが入ってますので、気に入った演し物に投票してください」


長テーブルの向こう側に座っている男子学生に促されて、千住(ちずみ)樹理(じゅり)と名前を記入する。


「さて、どこから回る?見たい研究室とかサークルとかあるん?」

みやこちゃんが聞くけれど、ここは樹理の成績では到底手の届かぬ雲の上の学校。樹理は首を横に振った。

「お兄さんが出るっていう演奏会まで、その辺をブラブラして来るね」


それにしても人が多い。大学の学園祭ってこんなに賑やかなのかと驚く。


「アイラブユーさよなら!」

叫ぶ男の人の声に足が止まる。振り返ればテーブルの前にカップルが並んでいて、その男性の方が大きなアルミのボウルのような物に向かって声を張り上げていた。


——何だろう?


そのアルミのボウルにはラップがかけられ、その上に白い砂が乗せられていて、遠くからだと白い砂が宙に浮いてるように見える。


「あ、本当。私のとは全然違う柄になったわ。不思議〜」

「これは声の波を模様にする装置です。人によって、またかける言葉によって模様が変わるんですよ。例えばこんな風に」

そう言って、男子学生はパネルを何枚か頭上に掲げた。黒い背景に白い模様が浮き出た写真。

「わぁ」

思わず声を上げてしまう。


その内の一枚は、宇宙の星々の写真みたいに綺麗だった。

一回百円で、もし気に入った模様が出たら二百円でプリントしてお渡し出来ますよ」


樹理はフラフラと引き寄せられていく。一回百円でプリント二百円。写真一枚に三百円は微妙だけど、そこらの怪しいドリンクを買うよりはいいかもしれない。小銭入れを出して百円玉を摘む。

「おおきに。ほな、どうぞ」

返事してボウルに向かうけど、そこで止まる。どうやれば模様が出るの?

戸惑った樹理に気付いた学生が腰を浮かして横の説明書きを指差す。

「このボウルの砂に向かって言葉をかければいいんですよ」

「え、言葉?」

「ええ。言葉なら何でも。吹き飛ばさないように、でも少し大き目の声でお願いします」

吹き飛ばさないように大きくって言われてもどうすればいいんだろう?さっきの人はかなり大きな声だったけど。

「あ、悪口とかだとあまり綺麗な模様が出ないので、綺麗な言葉をお薦めしてます」

——へぇ。

説明書に目を戻せば、かける言葉の例が並べられていた。その一番上に『アイラブユーさよなら』があった。それで納得する。とりあえず一番上のものを口にするのが無難なのだろう。樹理は一度胸を押さえると息を細く吐き切り、鼻から深く吸い込んだ。

「アイラブユーさよなら」


 でも口にしてから気付く。アイラブユーはわかるけど、さよならって綺麗な言葉だろうか?でも既に声をかけてしまった。


「お、綺麗な声ですね。はっきり模様が出ましたよ。どうしますか?プリントしますか?」

言われて目を落とす。そこには、白い砂地に円が幾つか同心円状に並んでいて、有名なお寺の石庭のようだった。綺麗は綺麗だけど、さっき見たパネルの宇宙みたいな美しさはない。どこかうら寂しい感じ。でも樹理は頷いて百円玉二枚を摘み出した。

「お願いします」

差し出された掌の上に置く。その時、ピリッと電気が走った、気がした。


「欲しくないなら素直にそう言えばいいのに」

——え?

驚いて顔を上げたら、男子学生と目が合った。スッと横長で、目頭が黒くハッキリとした強そうな印象の目が、一瞬ふわりと細められたように感じる。

——笑われた?


 でも彼はサッと目線を下げて隣にいる別の学生から紙切れを受け取ると樹里に差し出した。

「おおきに。これ、プリントの引換券の番号です。あそこのテントで引き換えてください」

事務的に言われ、目を瞬かせつつ引換券を受け取る。


——要らないって思ったの、顔に出たんだろうか。悪いことしちゃった。


 樹理は軽く落ち込みつつ、テントの前へと移動した。プリントは欲しかった。ただ、あの模様を見たら何だか悲しくなってしまったのだ。でも言い訳する訳にもいかない。樹里は引換券の番号が呼ばれるまでぼんやりと待ち、プリントを受け取った後は、あまり人の居なそうな所を選んでフラフラと彷徨っていた。すると角を曲がった辺りで不思議な音が聴こえてきた。笛の音だろうか?でもフルートとは違う、もっと掠れたような震える音色。樹里はその音に吸い寄せられるように細道を入っていこうとした。でも腕を引っ張られる。


「ちじゅってば、こんな所にいた!何しとるん。始まってまうやん!」


みやこちゃんだった。

——ああ、みやこちゃんのお兄さんの演奏会。

「ごめん。不思議な音が聞こえて」

「不思議な音?どこから?」

問われたけど、もうあの音は消えていた。

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