第15話 始
その時、二人の乗る予定の電車の発車のベルが鳴った。
「あっ、行ってまう!」
みやこちゃんが駆け出す。衡さんが手を上げた。
「じゃあ、また」
樹里は微笑んで会釈を返した。
車両に乗り込む二人の背を見送ってから、樹里も自分の電車に乗り込む。4号車の扉の横に立ち、すっかり暮れた外の、ポツポツと灯された街の明かりをぼんやりと眺める。
——不思議な一日だったなぁ。なんだか長い夢でも見てたみたい。
「じゃあ、また」
そう言って手を上げた衡さんの顔を思い出し、そっと俯く。また、なんてあるんだろうか。何気ない社交辞令だとわかってる。そして、それでいいと思った。もしかしたら、偶然どこかでまた会えるかも知れない。そんな夢を、期待を残して貰えたのだから。それだけで今日は素敵な一日だった。
——でも。
遠く連なる黒い山並みを目で辿りながら、少しだけ寂しく思う。
——でも、あと少し。そう、ほんのちょっとだけ勇気を出して衡さんの連絡先を教えて貰えば良かった。妹の友達としてなら断られなかっただろうに。
連絡先を貰ったからと、電話する勇気があるわけではない。でも、僅かでも繋がりが残ってる。そう思えたら、それだけで樹里の地味で平凡な毎日に少しは光が射したかもしれないのに。でも、過ぎてしまったこと。意気地なしの自分が悪いのだ。溢れ落ちそうになる涙を堪えながら、滲んでボヤける明るいネオンの光を睨むように見つめて、樹里はそっとくちびるを噛み締めた。
その時、電車が駅について扉が開く。快速との待ち合わせがあるようで、人がどっと動く気配がしたので、樹里は一旦ホームへ降りた。乗客の入れ替わりを少し離れた所から見守り、また乗り込もうとした時、突然手を引かれた。
「樹里ちゃん、見つけた!」
——え?
衡さんが息を切らして立っていた。
「衡さん?どうして?」
「樹里ちゃんは人混みが苦手で、いつも各駅って聞いたから、快速で追い越して探してた」
「でも、みやこちゃんは?」
「忘れ物したからって先に帰した」
「えっ、忘れ物?大丈夫ですか?ケータイとかお財布?すぐに戻りましょう」
衡さんの手を引いてホームの階段を上ろうとしたら、衡さんは口を横に大きく結んで首を横に振った。
「違うよ、物じゃない。『じゃあ、また』の約束を詰めておくのを忘れた。だって樹里ちゃん、俺のケータイ番号にいつまで経っても気付いてくれずに、そのまんまにされそうだから」
「ケータイ番号?」
何のことかと首を傾げたら、衡さんは樹里のバッグを指差した。
「さっきあげた写真、ちゃんと見た?」
「いえ。うっかり落としたら大変なので、家に着いて落ち着いてから見ようと大事にしまってあります」
「じゃあ、家に着いたらすぐに写真の裏を見て俺のケータイ鳴らして。それで無事に家に着いたのが分かるから。本当は送って行きたいけど、それは次にするよ」
「え、次?」
「樹里ちゃん。俺は君のことがもっと知りたい。初めましてから始めさせて下さい」
「初めましてから?」
「そう。中条衡(ちゅうじょうまもる)は、千住樹里(ちずみじゅり)が気になっている。好きだ。だから付き合って欲しい。次は普通にデートしよう。何処に行きたい?」
「え、どこって」
「ユニバ*1とかは?」
「ユニバ?」
問い返したら衡さんは、ああと首を頷かせた。
「引っ越してきたんだったっけ。USJのこと。ってことは行ったことも無さそうだね」
樹里はおずおずと頷いた。
「ごめんなさい。私、速いのとか高いのとか苦手なんです。出来れば違う所がいいのですが」
そう答えてから、ハッとする。せっかく誘ってくれたのに断ってしまった。さっき自分の意気地なしに泣いたクセにまた同じことをしようとしてる。樹里は息を吸い込み。顎をしっかり上げると、衡さんの目を真っ直ぐ見た。
「いえ、ユニパーで大丈夫です。怖いのも速いのも、衡さんと一緒なら、きっと平気なので!」
衡さんの目が見開かれた。でも、直後にまた笑い倒される。
「ゆ、ユニパー?それ、ひらパー*2のこと?それとも合体した新しいテーマパーク?」
人目も気にせず笑い転げる衡さん。樹里は真っ赤になりながら衡さんの手を引いてホームのベンチに向かった。ベンチに腰掛けても衡さんはまだ笑っている。笑い上戸なんだなと思う。でも、とてもいい声。明るくてあったかくて優しい。胸をくすぐるやわらかな振動。そして知る。ああ、これが彼の波動なんだ。
ややして笑いを収めた衡さんが樹里に向き直った。
「ごめんごめん。樹里ちゃんてほんま面白いな、ユニバはいいよ。定番なのと吊り橋効果を狙っただけだから」
「吊り橋効果?」
問い返したら、衡さんはいや、と言って、じゃあどこががいいかな、と考え始めた。
——どうしよう。悩ませてしまった。何かないだろうか。そう、ちょっと地味でも、衡さんが楽しく過ごせるようなどこか、何か。
——あ、そうだ。
舞台のスポットを浴びながら、愉し気に笛を吹いていた衡さんの姿を思い出す。
「あの。私、衡さんの笛をもう一度聴きたいです」
衡さんが顔を上げる。
「笛?そう。じゃあ、うちに来る?」
サラッとすごいことを言われて樹里は仰天する。
「え、衡さんのおうち?」
ひっくり返った樹里の声に、衡さんはニヤッと笑うと続けた。
「まぁ、みやこもいるけどね」
からかわれてる気がする、でも、それもまた嬉しくて胸が高鳴る。
「ああ、そうか。みやこもいるからダメだな。やっぱ公園にしよう」
ホッ。
「公園も茂みとか、人の来ない所もあるしね」
「え」
硬直した樹里を前に、衡さんはまた笑い始めた。これは完全にからかわれてる。でもすごく楽しそうに笑ってくれている。色気のある少しハスキーな笑い声に胸が破裂しそうに高鳴った。
——好きになってもいいですか?
そう聞けぬ間に、樹里は恋に落ちていた。
——了。
脚注
*1)ユニバ
ユニバはユニバーサルスタジオジャパンのこと。近畿圏では、通常はユニバと呼ばれてます。他地域ではUSJの筈。
*2)ひらパー
ひらパーは大阪府枚方市にあるひらかたパークの通称。岡田准一さんがひらパー兄さんとしてカッコよく面白く広告してます。
ローカルネタ失礼しました。また関西弁につきましては、京都と大阪と神戸とその他もろもろそれぞれ言葉もイントネーションも微妙に違い、また地域によっては、ほんの数年でも進化していくようなので、雰囲気だけ感じていただけたら幸いです。
あなたの波を感じさせて——中将様とちじゅの夢恋物語 山の川さと子 @yamanoryu
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