第13話 一生忘れられないトラウマ
「――――」
踊り跳ねるような声音に振り替えると、綾恵さんの顔がゼロ距離で笑っていた。てかキスされた。
「――あ、綾恵、さん……?」
「いぇーい♪ あなたのお父さんなんて好きでも何でもありませーん♪ 元いじめられっ子なので助けてもらったことはありますが、そんなの教師として当たり前の仕事でーす♪ 尊敬なんてしてませーん♪ ごほっ、ごほっ」
鼻息荒く
「で、でも、綾恵さんは父さんに近づくために僕なんかに告白を……」
「逆でーす♪ 奏君に近づくために、奏君のお父さんが勤めてる小学校に転入したんでーす♪」
「え……は……?」
「だいたい、先生に近づきたいっていうなら、白ギャルさんの友達にでもなればいいじゃないですか。奏君に近づくために白ギャルさんの友達になろうとなんてしたら滅茶苦茶に妨害されて逆効果ですけど♪」
ダメだ。綾恵さんが意気揚々と綴っていく言葉を、脳がなかなか処理しきれない。
「あ、『それなら僕と同じ小学校に転入した方が早かったんじゃ……』って思ったでしょー!? ぶっぶー、違いまーす♪ もともと私は奏君と同じ小学校に通っていたんでーす♪ もうっ、ホントに全く私のことなんて眼中になかったんですねっ! ひどいですっ、ぷんぷん♪ まぁ、ぽちゃで地味子で不登校気味だったので仕方ないですけれどね♪ 同じクラスになったこともないですしっ。えーんっ」
「嘘だろ……綾恵さんが……?」
「そうなんですっ! えへんっ! 初めは親近感を抱いていたんです、地味で根暗で何も出来ない奏少年に。もちろんそんな子は男女問わず他にもいましたから、奏君だけが特別だったわけじゃありませんでした。でも。小学三年生の春でしたね。あのマラソン大会は。運動がとても苦手なはずの奏君が毎日毎日あんなに練習して、倒れる寸前まで頑張っているのを見て、きゅんっとしちゃったんですっ♪ きゃっ♪ 私あの時、マラソン大会委員だったんですよ? 学校休んでるうちに勝手に押し付けられちゃってて……とても嫌な気持ちだったんですけれど、奏君の勇姿に救われたんですっ。奏君、本番でゴールしたとき失神寸前だったじゃないですか。あのとき救護したの私なんですよ? そしたら奏君、気を失いそうになりながらも『見ててくれた……? 大好きだよ』って言ってくれたんですよね……もーーっ、奏君もずっと私と同じ気持ちだったんだって、きゅんきゅんきゅんっ! ってしちゃいましたっ♪ それ以来、私の心と体は奏君一筋なんですっ! きゃっ♪」
「え……じゃあ、あのときの……! で、でもあれは……っ」
「うふふっ、知ってますよ。あの陽菜とかいうビッチに言ったつもりだったんですよね。あの日以来、奏君をストーキングし続けていましたから、一か月後には気付いてましたよ。でもその一か月間は自分と奏君は清いお付き合いをしているものだと思い込んでいたんですけれどね……あー、本当にショックだったなぁー。あれが寝取られっていうんですよねー。あんなので興奮しちゃう人がいるなんて信じられませんっ! うふふっ♪ あ、ちなみにあの陽菜とかいうビッチ、死んだみたいですよ♪」
「え……? え……? 何、で……」
「あ、『それで、何で転校なんか』って聞きたいんですよね♪ だってあのままじゃ、どうやったって奏君のお嫁さんにはなれなかったじゃないですかー。奏君は私のことを認識すらしていなくて、私はぽちゃ芋子で、しかも奏君の隣にいっつも『邪魔者』がいるせいで、近づくことすら出来ないんですもんっ。でもその邪魔者さんのおかげで奏君に彼女が出来ることもあり得ないって分かったんでー、ここは数年身を潜めてしっかり準備をしようと考えたわけです♪ 自分を磨くと同時に奏君の情報収集にも努めようと! 奏君に近づくよりも奏君の身内に近づく方が簡単に奏君の情報を集められたというわけですね♪ 本人の周辺をうろついていると邪魔者さんに目をつけられて奏君との仲を妨害されてしまいますから。でも隠れて隠れて準備を続け、全てが整ったところで奇襲を仕掛けたので、邪魔者さんも完全に私には無警戒だったでしょう? まぁ奏君にもいきなりの告白になってしまい驚かせてしまいましたが、それでも充分勝算を持って挑んていたんですよ♪ だって今の私、可愛いですから♪ 奏君の好みにもぴったりハマっていますもんねっ♪」
「…………っ」
言葉が、出てこない……。陽菜ちゃんが亡くなっていたということが霞んでしまう程の衝撃的な事実の連続。まさか綾恵さんが、そんなストーカーみたいに僕に付きまとっていただなんて……!
「でも、寝取られなんていう性癖を持っていたことは完全に予想外でした。私としたことが本当に抜かりました……でも、だって! そんな性癖があるなんて、そんな変態さんが実在するなんて、思うわけないじゃないですかっ! 大好きな人を取られちゃうのはあんなに辛いことなのに……っ。でも私は諦めませんっ! 奏君のお嫁さんになるために八年間も頑張ってきたんですからっ!」
「……だから、これを……?」
再度、アルバムに目を落とす。
見開きに広がる幼い自分の姿。笑っている僕、悲しそうな僕、走っている僕、歩いている僕、立っている僕、座っている僕、結局地味ーに何もせずボーっとしている僕の写真が一番多い。僕の姿だけが切り抜かれているので背景は分かりづらいが、明らかに家の中での僕を捉えているものもたくさんある。町中での僕も、スイミングスクールでの僕も……これは、家族旅行のときの僕じゃないかな……。こっちは……たぶん、母さんの葬式での僕だ……。
「仕方ないじゃないですかっ。小学生時代の思い出なんて奏君のストーキングだけなんですから! 他の写真は全部塗り潰しましたっ♪ あっ、中学時代のもありますよー♪ 先生との繋がりが途切れてしまった分、数は少なくなってしまいましたけど、隠し撮りはありますので。特に塾のは結構撮れましたね。あれが入ってるの、うちのビルなんですよ♪」
屈託なく笑う彼女の姿に、ゾクっとさせられてしまう。心臓が早鐘を打つ。脳が緊急事態を伝えている。足が震えてくる。
「あ、ちなみに切り抜いた邪魔者さん――ロリ白ギャルさんの部分はちゃんと釘をぶっ刺してぐちゃぐちゃにした後、心を込めて燃やしていますよ♪ あのメス、いっつもいつも奏君の隣に写り込んできてクソ邪魔なんですもん♪」
「なっ……」
「うふふっ♪ 奏君、すっかり騙されちゃってましたね♪ 一から百まで計画通りです♪ 思わせぶりな態度で奏君のお父さんのことを好きだと思い込ませたのも、粗い疑似NTRをして疑念を抱かせたのも、全部敢えてですよ♪ 催眠アプリも遠隔バイブも言わば犠牲バントみたいなものだったんです♪ 野球知りませんけれど♪ あ、もちろんこうやって奏君を部屋に連れ込んだのもシナリオ通りですよ♪ 実際に風邪までひいた甲斐がありました♪ ごほっ、ごほっ」
「…………っ、うぅ……っ、綾恵さん……っ」
鳥肌が止まらない。体の震えが収まらない。
綾恵さんはずっと僕のストーカーだった。信じられない。こんなことがあり得るのだろうか。でも、現実なのだ。今このとき、目の前で、彼女は心から幸せそうに微笑んでいるのだから。
衝撃の事実に僕はついに膝から崩れ落ち――
「うあああああぁぁぁ……っ! よがっだ……っ、綾恵さん、僕のこと好きでいてくれた……っ! うぐうぅぅっ……!」
安堵感から、大号泣してしまっていた。
よかった、本当によかった。大好きな綾恵さんが僕のことを大好きでいてくれている。こんな幸せがあっていいのだろうか?
「あらあら♪ 泣いちゃいまちたか♪ 不安だったねー。つらかったねー。でも本当はちゅきちゅき大ちゅきですよ♪ んー、まっ」
綾恵さんが僕を優しく抱きしめて、キスをしてくれる。
「うっ……、うっ……! ひどいよ、綾恵さん……僕は君が寝取られてしまったと思って……っ!」
「よしよし♪ いい子いい子♪ そんなに悲しかったですか?」
「がなじがっだよぉぉぉぉっ! ごべんっ、ごべんねっ、あやえざんっ、寝取られろなんて言って……っ! 本当に寝取られてみて、やっと君の大切さに気づいたんだ……っ! うぅぅぅっ……! 大好きだよぉぉぉぉっ!」
「あらあら♪ じゃあ、もう、私から離れられなくなっちゃいましたね♪」
「離ざないっ……! 一生離ざないがらなっ綾恵ぇぇぇぇっ! 二度と僕以外の男に近づくなっ! 触れるなっ! 喋るなっ! 肌を見せるなっ! 綾恵の匂いを嗅がせるなっ! 綾恵の心も体も僕だけのものだからなぁぁぁっ! 今すぐ僕の赤ちゃん孕めっ!!」
「赤ちゃんって……もうっ。奏君は本当にえっちなんですからっ♪ ……じゃ、じゃあ、その……ベ、ベッド……行きましょうか……?」
「行く! めちゃくちゃに抱いてやるぞ綾恵ぇぇぇぇ!」
「もうっ、初めてなんだから、もっとしっとりロマンチックにしてくださいっ! うふふ♪ ……奏君、大好きです。綾恵を、あなただけのものにしてください……」
「綾恵……っ!」
僕たちは、生まれたままの姿で愛し合った。何度もキスをして、互いの体温を感じ合って。ぎこちなくも相手を思いやった愛撫を交わして。この人と一つになりたいという気持ちを最高潮まで高め合った。
最後まで、僕のおちんちんが勃つことはなかった。
うーん、ちんぽ……。
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