第4話 元凶さん

「は……? なに……どゆこと……? 奏、あんた何で蜂巣さんと……」

 綾恵さんと共に教室に入ると、クラス中の視線が僕たちに集まってきた。ていうか登校中にもだいぶジロジロ見られてたんだろうけど会話に夢中であまり気にならなかった。しかし今はそういうわけにもいかない。めんどくさい奴がいるからだ。

「落ち着け、まい。そんな怖い顔をするな。綾恵さんが怖がってるだろ」

「きゃっ、奏君、助けてっ。金髪白ギャルが怖いですっ」

「なななななな何してんの!? 何してんの!? 何でそんなにくっついてんの、あんたら!? おかしいじゃん、そんなんじゃまるで付き合ってるみたいじゃん!」

 制服を着崩しまくった派手め女子――鈴木舞がミディアムヘアを振り乱す勢いで詰め寄ってきた。めんどくさい。

「何でって……私と奏君は結婚を前提にお付き合いすることになりましたので。きゃっ♪」

「その前提知らなかった」

 僕の腕にぎゅうっとしがみつきながら綾恵さんが宣言すると、クラス中が一瞬静まり返り――突沸した。

「うわぁ、マジかよ……蜂巣さん……好きだったのに……」「てかあいつ誰?」「すげー! 大金星じゃん!」「不釣り合いすぎだよね」「あー俺もあの巨乳揉みしだきてー」「てかあいつ誰?」

 驚愕・困惑・好奇心、いろいろな感情がそこには渦巻いているだろうが、一番色濃く湧き出しているのは、嫉妬だろう。綾恵さんに恋心を抱いていた多くの男子は僕に好きな人を寝取られたことになる。そして、その中の数人はその気持ちを諦めてはいないはずだ。むしろあんな陰キャでも付き合うことが出来たのだから意外と綾恵さんってチョロいんじゃね、とやる気に火をつけられた奴も多いだろう。いいじゃないか。やれるもんならやってみろよ! マジでやってみろよ、なぁ! 頼むから! そして二人ぐらい僕のことを知らない奴がいるらしい。くそぉ。

 ただ。とりあえず今はそんな諸々を相手にしている場合ではなく。

「――は……? は……は…………は…………? ……はぁ!? あっっっりえないんだけどっっっ!!」

 数十秒は口をパクパクとさせ続けていた舞がついに爆発し、僕の胸ぐらに掴みかかってきた。ちっこい癖に腕力があって加減も知らないから必要以上に苦しい。

「奏、あんたどんな非合法な手を使ったの! あんた生まれてから十七年間、わたし以外の同世代の女となんてまともに会話したこともないでしょ!? 小さい頃から女友達の一人すら作れなかったでしょ!? そんな根暗オタクがこんな可愛い子と付き合えるわけないじゃない!」

「うん。僕もそう思う」

「ちょっと金髪さん! 私の大ちゅき彼ピ丸に失礼なこと言わないでください!」

「蜂巣さんってそんなキャラだったっけ!? 金髪さんじゃないし! とにかく今用があんのはあんただから! こっち来い、奏!」

「あーごめん、綾恵さん。行ってくるね。従わないとこいつめんどくさいから。綾恵さんは男子たちに囲まれてじっくりねっとり質問攻めにあうといいよ……」

「嫌です♪ 私を囲んでいいのは奏君だけです♪」

「あーーもう意味わかんない会話すんな! 行くよ、奏!」



 舞に腕を引かれて連れてこられたのは、屋上へと続く階段の踊り場だった。薄暗く、そうそう人目にもつかない場所だ。とはいえ個室のように遮蔽物があるわけでもなく、イケないことをする場合にはそれ相応のスリルも感じられるだろう。恋人が間男に連れ込まれるには最適のスポットだと言える。

「なに別のこと考えてんの? 大事な話なんだけどバカ」

「パンツ見えてる。気をつけなよ舞」

「~~~~っ! ばかっ! ドスケベっ! 犯罪者っ!」

 顔を真っ赤にしてポカポカと叩いてくる舞。いや座ってる僕の前で仁王立ちしてたら自然とそうなるだろ。スカート短いんだもん。

「はぁ……ほんっと呆れる。時と場所を考えなさいよね。ところかまわず発情するんだから。どうせあの子ともヤることしか考えてないんでしょ」

 僕の隣に腰を下ろしながら舞がため息をつく。

「そんなわけないだろ。彼女は僕の大切な人なんだ」

 本当にそんなわけない。ヤること以外しか考えてない。ヤるとしても経験豊富ちんぽの良さを刻み付けられた綾恵さんとじゃなきゃ嫌だ。処女のふりをする綾恵さんに内心がっかりされなければならない。お粗末ちんぽとお粗末へこへこを綾恵さんと間男に馬鹿にされるのが僕の使命なのだ……!

「あーあーはいはい、あほバカまぬけ。童貞が告られて舞い上がっちゃったってわけか。いやさぁ、奏。ほんとはこんなこと言いたくなかったんだけどさ……いやでも、うーん、知らないほが幸せなのかな……でも結局奏が傷つくことになるわけだし……」

「いやそんなに言いたいならさっさと言いなよ。何で舞はいつもそう勿体ぶるんだ……」

「じゃあゆーけどさ……あの子、蜂巣綾恵さん……三年のチャラ男とヤリまくってるらしいよ?」

「え」

 あ、綾恵さんが筋骨隆々のカリ高ズル剥けチャラ男と……? い、いや……っ!

「そ、そんなわけないだろ! あの清純極まりない綾恵さんが……!」

「はぁ……ほんと童貞過ぎだよね、奏って。あーゆー清楚っぽい子ほどヤリまくってんの。ガバユルなの。あんたまた騙されたんだって」

「綾恵さんはそんな人じゃない! 彼女は僕のことを本気で愛してくれていて……っ」

「…………っ、いやてか実際見たし。あの子がチャラいのに体育倉庫連れ込まれてんの。めっちゃアンアン聞こえてきたし」

「――そ、そんな……! う、うぅ……」

「泣いたって浮気されてた事実は変わんないから。浮気でもないけどね。バカにされてただけ」

 くそぉ……体育倉庫なんて……もう確定じゃないか……! ひどい、酷すぎるよ、綾恵さん! 初めは寝取られなんて馬鹿なこと言ってた僕も、君のことを知るうちに心から好きになってしまっていたんだよ……? 君のことを一生守っていきたいって……それなのに君は他の男の肉棒に夢中だったなんて……っ。ううぅ……嫌だよ、もう聞きたくないよ、こんなこと……!

「それで舞、そのチャラ男先輩は具体的には誰なんだい。うぅ……」

「え? あ、えーと…………い、いやっ、名前とかいちいち知らないから! まぁ何かあれ、ツーブロックの……」

「うぅ……身長は? 日焼け具合は?」

「は? えー……百八十……五? くらいで、結構黒めの……」

「サーフィンが趣味の高柳先輩だね! うっ……酷すぎるよ……! 先輩とヤリまくった後のピロートークで『げへへ、見事に騙されてたな、あの陰キャオタク君。やっぱ童貞はチョロいぜ』『もう。私だって笑い堪えるの大変だったんですからねっ』『ぎゃははは! いいじゃねーか。これであとは軽く素股でもしてやりゃあ既成事実完成なんだからよ。俺様が中出ししまくって仕込んでやっから、あいつのガキってことにしてやれよ』『あはっ♪ ひどーいっ、相変わらず悪い人なんだから♪ でもこれで本当にセフレから彼女にしてくれるんですよね……?』『ぎゃはは! それはお前のここ次第だな』『ちょっと、あんっ、や、だめっ、まだイったばかりで……っ』なんて風に僕をネタにして三回戦目に突入していただなんて……っ!」

「そこまで言ってないんだけど!? 何でそう自分から傷つきに行くのあんたは!? はぁ……でもまぁ、近いことはやってんでしょ。ほんと最悪だよね、ヤリマンもヤリチンも。初めて同士で付き合って結婚して生涯添い遂げるのが普通じゃんね。でもあんただって悪いんだよ。昔っから節操なくいろんな女好きになって、その度に他の男に取られるんだからさぁ。処女じゃなきゃ嫌なくせに隠れビッチにすーぐ騙されて。私がいなかったらあんた何十回飛び降りてたの?」

「そうだね……本当に昔から舞には助けられてるよ……」

 初めては幼稚園の時だった。大好きだった先生が園長先生とちゅーしていたことを舞に知らされて人生初の失恋を経験した。二度目は小一の夏。僕にラブレターをくれたミヨちゃんが実はケンジくんと結婚の約束をしていることを舞から聞かされて泣いた。お次は小三の春。必死の努力でマラソン大会の選手に選ばれた僕にお守りをくれた陽菜ちゃん。もしも十位以内に入ったら付き合ってくれると言っていた彼女が、僕が失神寸前で走っている最中に五年生の克也くんとずっとイチャイチャしていたと舞が教えてくれた。ちなみに克也君は高学年の部で一位だった。

 こんなことが小学校でも中学校でも高校でも、何なら塾やスイミングスクールでも何度も何度もあって、その度に救い出してくれたのが舞だった。誰よりも早く浮気情報をキャッチして僕に伝えてくれた。心に致命傷を負わずに済んできたのは舞のおかげだ。彼女たちの沼に嵌まり切る前にさっさと失恋することができたのだから。

 が、しかし。僕は別の沼にハマってしまった。はい、寝取られです。寝取られである。

 小学生の僕はその概念を知らなくても、舞から残酷な現実を聞かされて、打ちひしがれると同時に下腹部に鈍い痛みを感じていたのである。その痛みを快感だと気付いてしまうまでに時間は要さなかった。由紀ちゃんと田口君が抱き合ってモゾモゾしている夢を見たあの夜、僕は精通を迎えた。以来、寝取られと寝取られ妄想以外で僕が性的に興奮を覚えたことはただの一度もなかった。

 でも、今回だけはいつもとは違う。彼女は他の女の子とは違うのだ。

「ぐぅ……うぐっ……くっ……っ、綾恵さん……綾恵さん……っ」

「はぁ……いいかげん諦めなって。あのさ、奏。そんなもんなんだって、最近の女子高生なんて。私以外の女子高生は全員パパ活してるんだから。あんたが夢見てるような女の子なんて現実には存在しないの。まぁ、あんたの場合はほら、例外的にさ、たまたまさ、たまたまだよ? 生まれたときから一緒にいて、生まれて初めてお嫁さんになってあげるって言ってくれた可愛い女の子が、彼氏も作らずにずっと世話焼いてくれてるんだからさ、ね? だからさ、」

「綾恵さん……っ、僕はまだ……信じてるから……!」

「は――はぁ? あんた何で今回に限ってそんな……」

 何でって、綾恵さんのことをこれまでの誰よりも愛しているからに決まってるだろ! そうだ、一瞬でも彼女を疑ってしまった僕がバカだった! 見ただろう、綾恵さんのあの澄んだ瞳を! あんな女の子が僕に嘘をつくわけがない! 綾恵さんは僕を好きだと言ってくれた! 自分を卑下するなと言ってくれたんだ! 綾恵さんの言葉で僕は生まれて初めて自分に自信を持つことができたんじゃないか! それなのに人から聞いた噂話なんかに惑わされてどうする!? 自分自信の目で見たものこそを信じるべきだろ! 例えば綾恵さんの瞳の輝きがより映えるように敢えて薄暗い体育倉庫にいる綾恵さんを覗いたりすれば、僕は綾恵さんとの絆を再確認できるはずなのだ!

 待っててね、マイハニー! 体育倉庫で一緒にヨーグルトを食べようね。僕も自家製のヨーグルトを準備しておくからね!

 僕は信じる恋人の元へ駆け出した。ひゃっほい!

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