第5話 奏君は信じ続けてる

 信じてる……ずっと信じ続けてるからね……!

 綾恵さんを信じ続けて四時間。何も起こらぬまま午前最後の授業が終了しようとしていた。くそぉ……なぜだ、なぜ何も起こらない……僕はこんなにも信じ続けてるというのに……。

 答えは簡単だった。何もしていないからだ。信じ続けてるだけだからだ。ていうか信じ続けてるってなに? きみは斜め前の席の綾恵さんの背中をじぃーっと凝視しながらはぁはぁしてただけだよね?

 普通に綾恵さんが体育倉庫に連れ込まれてるのは具体的にどの時間帯なのか舞に聞いとけばよかった。まぁそもそも午前中はあり得ないか。チャラ男先輩はともかく綾恵さんが授業サボってるとこなんて見たことないしな。何のために午前中信じ続けてたんだ。

 まぁ綾恵さんに直接探りを入れるのもありだけど、信じ続けてる手前それはな……そこで明らかなボロを出されてしまったりしたら、ちょっとだけ信じ続けられなくなってしまうかもしれないし。どうせ寝取られ現場を押さえるのであれば完全に信じ続けてる状態でいきなり突き落とされた方がダメージを大きくできるはずなのだ。

 え、あ! 綾恵さんに動きが!? 何だスマホか……。仕込まれてたバイブに我慢できなくなっちゃったわけじゃないのか……。ん? でもそういや綾恵さんが授業中にスマホ弄るなんて珍しいよな――え?

 スマホ画面を見て何故か固まっていた綾恵さんが、どこか気まずそうにそーっとこちらを振り返ってくる。

 あ、綾恵さん?

 当然目が合うが――向こうは僕に観察されていたとは思わなかったのか、体をビクッと震わせ――その後、取り繕うように笑顔を作って小さく手を振ってきた。

 え? え? え?

 急速に血の気が引いていく。

 何で綾恵さんはあんな顔をしていた? スマホを見ていたあの横顔は、何にそんなに怯えていた?

 綾恵さんのことを信じるとか信じないとか――そんな次元の話ではなかったのかもしれない。



「あ、綾恵さん……お昼、どうしよっか。その、お弁当とヨーグルトは……」

「…………! 奏君……あ、そ、そうですね……っ、その……っ」

 授業終了後、僕はためらいながらも綾恵さんの元へ向かった。本来であれば、昼休みになった瞬間に綾恵さんの方から僕に駆け寄ってきてくれていたのではないだろうか。しかし今の彼女はそういう精神状態ではないのだ。何故か? それは、もしかしたら……。

「あの……じ、実は急用が出来てしまって……すみません、奏君……家庭科室の冷蔵庫に入っているので、もしよろしければ私の分も食べて頂ければ……」

「え、でもそんなわけには……」

「大丈夫です、たぶんもう今日は食欲が出ないと思いますので……あはは……残念ですね……奏君との初めてのお食事、楽しみだったのですけれど……」

 綾恵さんの弱々しい微笑みに胸がズキンと痛む。以前までであればその儚さを綾恵さんらしいと感じてしまっていたのかもしれない。でも綾恵さんのことをちゃんと知った今なら、それが正常な姿でないことがわかるのだ。

「それでは私は……」

「待って、綾恵さん! 急用って……何か困ったことがあるなら、」

「来ないで!!」

「…………っ」

 追いかける僕を、綾恵さんは振り返ることもなく制した。

「……ごめんなさい……大丈夫ですので……」

「綾恵さん……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……大好きです、奏君……」

 そう言い残して、綾恵さんは走り去ってしまった。

「あーあ、振られちゃったね、奏。てか当たり前だから。あんた授業中ずっとあの子のこと視姦しすぎだから。キモすぎるから。ただのストーカーだから。あとあんた貧乏ゆすりしすぎ。たまたま目に入ったんだけど、50分中39分40秒もカタカタしてたから。あーゆーのって生まれたころから一緒にいるような人じゃないと一緒に住んでて耐えられないし。キモくて」

「舞……朝言ってた高柳先輩との件、お前が見たっていうのは昼休みじゃなかったか?」

「え? あ、えーと、まぁ、そだったかな。うん、たぶん昼休みだった。たぶん」

 やっぱり……いや、そんなのは大した根拠にはならない。僕の早とちりな可能性の方が高い。でも、それでも。あの綾恵さんの震える背中を見て黙っていられるほど、僕も落ち切ってはいない。

「舞、お前は絶対ついてくんなよ。何があるかわからん」

「え、ちょ……どこ行くの、奏!?」

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