第17話 奏

「あ、そ、そういえば今日の服もめっちゃ似合ってて可愛いね、綾恵さん!」

「えへへ、本当ですか? 実はアトラクションとか回るのに、こういうのはどうなのかなとも思ったのですが……」

 デート開始から三十分。夏の日差しに照らされながら目的地に入場する頃になって、やっと僕は彼女の服装を褒めることができた。いつも会った瞬間に言おうと思いながら、なかなか言い出せないんだよなぁ、ほんとヘタレだ。

 普段は意外とアクティブめの私服姿も多い綾恵さんだが、今日はオフショルダーの白いワンピースをシンプルかつ上品に着こなしている。ショート丈であっても煽情的なところはまるでなく、むしろ綾恵さんの透き通るような印象を上手く際立たせている(童貞評)。

「どうしてもこのネックレスに一番合うコーデにしたかったんです。服も靴もバッグも、ネックレスを基準にして選んだんですから♪」

 首元で輝くクローバーを摘まんで微笑む綾恵さん。可憐すぎる。そのネックレスも喜んでるよ。世界一幸せな四葉のクローバーだよ。

「じゃあ、さっそく回りましょう♪ 私、くっつける系のやつがいいですっ!」

「くっつける系のやつって何? よくわからないけど僕もそれがいい」

 まぁアトラクションなんかに頼らなくても、既に君は僕の腕にギュッとしがみついてきているのだけど。

 

 バスに十数分揺られて来たここファミリーランドは、地元限定でそこそこ人気の遊園地である。名前の通りファミリー層向け感が強く、大人のデートには不向きなのかもしれないが、高校生カップルが背伸びせず遊びに来るにはちょうどいいスポットだと言える(童貞評)。

 そんなデートスポットで、僕と綾恵さんは宣言通りめちゃくちゃイチャイチャしていた。ジェットコースターでぎゅぅっと抱き合ったり、メリーゴーランドでぎゅぅっと抱き合ったり、お化け屋敷でぎゅぅっと抱き合ったり、レストランでぎゅぅっとくっつきながらあーんと食べさせ合ったり、ぎゅぅっと抱き合ってちゅーってしながらプリクラを撮ったり。ていうか普通にアトラクションとか関係なくそこら辺でもぎゅぅっとしたりちゅーっとしたりしていた。子供にはけっこう指差された。

 それもこれも全部、綾恵さん主導である。僕はされるがままといった感じだ。

 正直めっちゃ助かる。昨夜、必死でデートプランを立ててみたものの、どうせ今日もいつも通り、まともにエスコートなんてできやしないのだ。キスもいつもは「ちゅー」と言って求めてくるパターンが多いが、今日は綾恵さんの方から能動的に唇を合わせにきてくれる。勇気を絞り出さずに綾恵さんとキスできるとかここは楽園か。

 とにかく、今日の綾恵さんはいつもの五割増しで積極的だと言える。たまにキョロキョロと落ち着かない感じなのも、普段と違う自分を出すのに緊張しているからなのだろう。可愛い。


「あーもー、楽し過ぎてあっという間に夕方ですねっ。最後にやっぱり観覧車には乗りたいところです! あ、でもその前にちょっとお花を摘みに……」

 綾恵さんがお花を摘み終わるのを、ベンチに座って待つ。

 でも、急にどうしたのかな、綾恵さん。もしかして昨日舞がしつこく突っかかってきたから、焦りというか嫉妬で積極的に……? なんて愛らしいんだ! 僕の彼女っピ愛らしい!

 こんなことなら舞がデートについてくるのも逆にアリなのかもな。まぁ、今はおじいちゃんちで軟禁されてるけど、

「奏! 見て見て! 浮気の証拠つかんだ! やっぱりあのメス猫浮気してるって! だからこの後はわたしと回ろ?」

「ひぃっ!? 何でお前いるんだよ!? 軟禁は!?」

「…………? 何でって、こっ、恋人だからに決まってんじゃんっ! 言わせないでよ、こんなこと! でも懐かしー。ここ小さい頃よく来たよねー。お父さんお母さんもいたけど、実質二人っきりでデートしてたようなもんだよね。あ、これもらうね」

 いつの間にか舞がいた。しれっと僕の隣に座っていた。Tシャツ、ショートパンツ姿で何故か汗だくだった。勝手に僕のウーロン茶をゴクゴクと飲み干していた。くそぉ、父さんの無能め。

「そんなことより見てよ、奏! これをあさればいくらでも浮気の証拠なんて出てくるんだから! どうせおっさんとの金額交渉で埋め尽くされてるんだから!」

 舞が板チョコ柄の薄い直方体を差し出してくる。いや板チョコ柄の薄い直方体って板チョコじゃん。こんな真夏の晴天下で板チョコなんて食べたくないよ。ていうか、

「これ綾恵さんのスマホじゃねーか! 何で舞が……」

「すってきた。指紋も奪ってきた。暴いてやる、泥棒猫の素顔を……! えーと、ラインライン、援交ラインはどっこかなー、って何これ!?」

 スマホケースの内側に貼ってあった先ほどのキスプリクラを、舞が必死に剥がそうとし始める。

「お前な……普通にやってること犯罪じゃないか……。そもそも綾恵さんのラインなんて――」

 ふと、画面に釘付けになってしまう。舞が開いていたラインのトーク一覧。最上段にピン留めされているのはもちろん僕の名前だ。しかし、

「何だ、このアイコン……」

 奏という漢字一文字の隣にあるのは、逆立ちをするパンダの写真だった。

 僕のアイコンは舞に隠し撮りされていた自分の横顔のはずなのだが……

「え」

 僕の写真は、あった。いや、僕の写真も、あった。パンダの頭の下で、僕がボーっとしている。「奏」の下に「奏」がいた。

「――――」

 心臓が、暴れ出す。僕は震える指で、パンダのアイコンをタップした。ごめん、綾恵さん。でも、いいよね? だって「奏」は僕なんだから。僕と綾恵さんの会話を僕が見て何が悪いの?

「…………ん……?」

 何だ、これは……。

 並んでいる文字列を目で追うが、脳はなかなか追いついてくれない。それほどまでに、「奏」と綾恵さんの――僕の知らないその会話は、意味不明だった。

『いぇーい♪ 明日、奏君とファミリーランドでデートすることになっちゃいましたー♪ 楽しみー♪』

『そんな・・・やめてくれ、綾恵・・・行かないでくれ・・・』

『嫌でーす♪ 奏くんは私と奏君のイチャラブちゅっちゅを覗き見して、ちっちゃいおちんちんおシコシコしててくださーい♪』

『ひどすぎるよ・・・! 綾恵は僕の彼女なのに、何でそんな奴と・・・!』

『えー? 奏くんがやれって言ったんじゃないですかー♪ 今さら後悔しても遅いですよー♪ 私の処女、奏君に捧げちゃいまーす♪』

『やめてくれやめてくれやめてくれやめてくれやめてくれ』

『喜んでるくせに♪』

 ――何なんだ……何なんだ一体……。まるで僕と綾恵さんの会話みたいだ。綾恵さんを寝取らせようとする、以前の僕のようだ。

 でも僕はこんなトークを知らない。していない。当たり前だ、綾恵さんとファミリーランドでデートしているのは僕なんだから。それを綾恵さんが僕宛に伝えてくるわけがない。でも、綾恵さんは紛れもなく僕の彼女だ。じゃあやっぱりこの「奏」は僕で……そんなわけないだろ。いやいや、そもそも「奏」は僕の名前なのだから

「何……やってるんですか……?」

「――――綾恵さん……!」

 背中が、ゾクリとした。僕の彼女が立ち尽くしている。目を見開いて、無表情で僕を見下ろしている。

「それ、私のスマートフォンですよね……?」

「やーい! メス猫さん、ざんねーん! おっさんとの援交バレちゃいましたー! 奏は今からわたしとデートでーす!」

「いた! 舞ちゃんいたぞ!! こっちだ、親父、おふくろ! 引っ捕らえるぞ! 舞ちゃん、君どうやってあの座敷牢から抜け出したんだ!? ていうかここまで十キロ走ってきたのか!?」

「やめろ離せ近親相姦オヤジ! わたしはこれから奏と奏の赤ちゃんと三人で幸せ家族プリクラを撮るんだ! はーなーせ! 離せって! ああああああ助けてーっ、奏ー! 助けて警備員さーん! 変態オヤジと変態ジジィと変態ババァに拉致されるぅー!!」

「綾恵さん……これは、その……ごめん、スマホ見ちゃって……その、ラインなんだけど……」

 恐る恐る、僕は話を切り出す。一瞬周りが騒がしかった気がするが、そんなことに意識を割いている場合じゃない。何かいつの間にか舞も消えているし、今は綾恵さんにこの意味不明なライントークの真相を問い詰めることに集中するだけだ。

 と言っても、どうやって聞き出すべきかが全然わからない。怖い。本当のことを知ってしまうのが、怖い。いや、そもそも綾恵さんだってこんなこと聞かれても困るんじゃないのか? 何を聞かれてるのかも理解できないんじゃないか? そうだ、これは僕の勘違いなのかもしれない。見間違えなのかもしれない。だって、僕が二人いて、それぞれ違うやり取りをしているなんて全く――

「見ちゃったんですね」

「――――」

 瞬きもせずに僕を見つめるその目の静かな迫力に、僕の体は硬直させられてしまう。怒っているようにも悲しんでいるようにも見える、暗く暗く美しい、人形のような瞳だった。

「――――ぁ――――ぁ……その、ごめ」

「あはっ♪ 怒ってなんかいないですよ♪ ほら、観覧車、行きましょう?」

 綾恵さんは、口だけで笑ってみせた。

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