元最強の矜持

 脂ぎった身体に組み敷かれる。

 問答無用でブーツを脱がされたかと思えば、その男は俺の、俺の――


「や……やめろおおおお……!」


 俺のブーツに、鼻先を突っ込んだ。


「凄い……これが美少年の香り……! クンクンクン……すーはーすーはーくんくんくんくん……!」


「返せっ、俺の靴を返せよっ……!」


 手を伸ばし靴を取り返そうとするが、大人の男のリーチには叶わず易々と押し退けられてしまう。


「この、ヘンタイ! 返せっつの! うわっ、舐めるなよ!?」


 靴など諦めて、さっさとこの場を離れるべきだろう。

 靴は買い直せばいいのだ。


 しかし、


「今夜は、牛皮のステーキで決まりでござるな……」


「まさか食べようとしてる!?」


 この男に靴を渡したまま去るのは嫌だ。


 なんとしてでも取り返そうと揉め合っていると『あっちから声が聞こえたぞ!』と更なる絶望を告げる声が耳に届いた。


 ……まずい。


 このままでは、丸裸にされてカワイイ服を着せられてしまう。

 甘いもんをたらふく食べさせられてしまう。

 お膝抱っこも、ほっぺたスリスリも絶対にイヤだ。お兄ちゃんだなんて、ぜってー呼ばねぇ。


「くっ……」


 俺は、無残にも紐を緩められ、口を拡げられてしまったブーツを見やった。

 アイツはもう……俺の足で、無邪気に砂を蹴っていた靴じゃない。


「ごめんな……っ」


 自身の不甲斐なさに打ちのめされながら、俺は踵を返す。


 しかしその時「逃げるのか?」と心が問いかけてきた。

 俺は頭に浮かぶいくつもの言い訳を口にする。

 仕方がないんだ、俺は非力過ぎてアイツを助けられない……そも、取り戻したってあの靴履きたくねぇよ……


 しかし、勇者だった頃のプライドがそれを許さないのだ。


 負けると分かっていても、引いてはならない時がある。

 それが、今なんじゃないか。

 男ならば立ち向かえ。

 そして取り戻せ。これは尊厳をかけた戦いだ……!


 俺は覚悟を決めると、再び男に向き直った。


「はぁあっ、クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハァァァァァアー! なんていい匂いでござるか……くんくん……美少年から分泌されたフローラルな香りが……肺いっぱいに漲って……んんんはぁっ!」


 やっぱりムリだ。靴は買い直そう。

 俺は脱兎の如く、その場から逃げ出した。


* * *


 なんとか街から脱出した俺は、街道をひた走り、運良く見つけた打ち捨てられた荷馬車に身体を滑り込ませた。


「さすがに、ここまでは……追いかけてこない、か……?」


 跳ねた呼吸が落ち着くのを待つ。


「……あの男どもがおかしくなった原因が俺のスキルだとしたら……最悪だな」


 その最悪を仮定するに、まず考えるべきことは3つだ。


 1つ、何がきっかけで発動するのか。

 2つ、魅惑効果がかかる対象はなんなのか。

 3つ、持続時間、それから、範囲。……解除方法があるなら、それも知っておきたい。


 前世では永続スキルなるものはなかった。だからといって、今世にもない、とは言い切れないが可能性は低いはずだ。


「とりあえず、一晩様子を見てみるか」


 ここで一夜を明かしてから街へ戻ろう。

 預けている馬は取り戻したいし。


 体力がないだけでなく、固有スキルが魅惑系とは不運極まれりだ。

 これでますます旅がしづらくなった……


 俺は長い溜息をつくと、荷馬車に背を預ける。

 と、薄暗いほろの内装が意外と新しいことに気付いた。

 山賊か何かに襲われたのは、最近のことなのかもしれない。


「……移動するか」


 いらぬ疑いをかけられても面倒だ。

 俺はホロを持ち上げ外へ出ようとして――


「……!!」


 こちらを覗き込んでいたのだろう、見知らぬ少年と目が合った。


 次の瞬間、ブゥンッと空気が重い音を立て、手のひらより二回り大きな影が眼前に迫る。

 咄嗟に飛び退ろうとするも、イメージが身体についていかない。加えて、場所も悪かった。


「ぅぐっ……ッ」


 荷馬車のでっぱりに頭を思いきり打ち、俺の意識はブラックアウトした。

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