卑怯者
「何処に行ったでござるか……美少年……美少年の生足……頬ずりしたい、舐めたい……踏まれたい……」
息継ぎするみたいに俺の靴の匂いを嗅ぎながら、男が森の中を歩き回っている。
木の影に隠れた俺は両手で口を塞ぎ、ただただ男が去るのを待っていた。
魔物よりもよっぽど怖い……
男が豹変したのは、俺のスキルで確定だった。
『ベッドイン・トリガー』
下級妖精がはためかせていた旗の文字を思い出す。恐ろしいスキル名を付けられたものである。
しばらくすると、男が歩みを止めた。
すわ気配を察知されたかと背中を冷や汗が流れたが、
「私は何故こんなところに……?」
どうやら、正気に戻ったらしい。
俺は肺が空っぽになるほどの溜息を付く。
スキルの持続時間は10分から15分というところだろうか。
何度も首を傾げながら男が去っていく。
その気配が完全に消えたのを確認してから、俺は自身の口から手を外した。
……きっかけの目処はついたように思う。
たぶんイーシャの……と、考えて慌てて頭を振った。
まだスキルの効果範囲は不明だ。
再び正気を失った男が戻ってくる可能性も考えて、発動条件については一度脇に置くことにした。
と、草陰から出ようとした時だ。
「人の気配がしたってのは、この辺りか?」
少し離れたところから、野太い声がして、俺は再び手で口を覆うと、木の根の辺りにしゃがみ込んだ。
……なんだか今日は逃げて、隠れて、ばかりだ。さすがに気が滅入ってくる。
「店の奴が追ってきたのかもな」
男たちの足音が近づいてきた。
人数は2人。ガチャガチャと重く響く金属音が聞こえた。武装している。
「さっさと捌いてズラかるか」と、ひとりが言った。
「そうだな。特に人間は足が付きやすいし。移動した方がいいだろう」
もう1人が頷く。
「なぁ、あのガキ、いくらになると思う?かなりの上玉だ」
「どうだかな。男だし」
「バカが。ガキに男も女もあるかよ。むしろ男のが頑丈だってんで、好事家はめっきり男児を買ってく行くって聞いたぞ」
「マジかよ。頑丈って何する気だ?」
「そりゃあ、お前ーー」
物騒な話をしながら、男たちの気配が遠ざかる。
俺は今度こそ草むらの影から出た。
彼らは、たぶん、街道で転がった馬車を襲ったならず者だろう。
そして、話に出てきたガキとは……さっき出会った少年に違いない。
「……俺には関係ない」
俺は思わず呟いていた。
前世ならば、迷わず助けに行っただろうが今の俺に出来ることなど何もない。
捕まって、あの少年と共に売り飛ばされるのが関の山だ。
俺は苦々しい気持ちで来た道を戻る。
考えるな。他人だ。
胸の内で、言い聞かせる。
俺は、イーシャと恋をするために、こうして転生した。他人にかまけて身を危険に晒し、本来の目的を見失うわけにはいかない。
しかし、足は俺の意思を無視して立ち止まる。
「……」
あの少年を見捨てたとしても、誰も俺を責めたりはしないだろう。
相手は屈強なならず者。何人いるかもわからない。
一方、俺は子供で、戦う術も力もない。一体どうしろというんだ。
「……クソ」
それでも。
果たして、ここで少年を見捨てるような男に、イーシャと恋をする資格があるだろうか?
こんな自分をイーシャは好きになってくれるのか?
弱い者がみんな卑怯なわけではない。
卑怯な奴が、卑怯なのだ。
俺は握りしめた拳を太腿に押し付けると、口の中に溜まった唾液を飲み込む。
「俺は……卑怯な男にはなりたくない」
どれほど弱くとも、イーシャに胸を張れる男でありたい。
男たちの気配が消えた森に向き直る。
次いで、細心の注意を払いつつその後を追った。
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