出会い
「しんでしまうとは、なさけない」
「しんぞうマッサージはいかが?」
「たたけばなおる」
薄暗くぼんやりした意識に、下級妖精たちの無邪気な会話が響く。
「……叩いたらダメですよ。頭を打ってる」
それに愛らしくも抑揚の乏しい声が応えた。
誰か傍にいる……意識が覚醒する途中で、口の中に何かが流し込まれた。
甘くて、ねっとりとした、覚えのない味。
しかし、口の中に残る微かな薬草味はよく知っている。ポーションだ。
体温が上昇し、頭の鈍痛だけでなく、裸足で走ったせいで傷だらけになっていた足裏や筋肉痛、それから疲労までが瞬く間に消えていく。
俺は瞼を持ち上げた。
すぐ横に、気を失う直前に目が合った少年が座っている。
ポンッと下級妖精たちが姿を消した。
ポーションの空瓶の蓋をもたもたと閉めていた少年は、それをポケットに入れると、目覚めた俺に気付いてホッと息を吐き出した。
「……良かった」
呟いて、彼は小さく口の端を持ち上げた。
年の頃は、たぶん俺と同じか、ひとつかふたつ下だろう。
後ろで緩く結った腰まで伸びた漆黒の髪、澄んだ瞳は晴れた空よりも青く、ふっくらした頬は健康的だ。
長い睫毛はくるりとカールをしていて、鼻梁は高く細く真っ直ぐで、瑞々しい唇は赤く、口紅を差しているよう。
まだ幼さの方が勝るが、超絶美を約束された顔形である。
「さっきは……ごめんなさい。早とちりをしました。魔物かと思ったんです」
そう言って、彼は小さく頭を下げた。
「あ、あぁ……うん。それは別にいい、けど」
横転した馬車に何かが忍んでいるとすれば、それは野生の獣か、魔物だと思うのは仕方がない。しかし……
身体を起こそうとすれば、少年が支えてくれる。
俺はその親切に甘えながら、彼を観察した。
腰に細く素朴な杖を穿いているから魔法使いなのだろうと思う。しかし彼の手は剣士のようにまめだらけだったし、その腕は華奢な印象とは裏腹に筋肉質だ。
彼は一体どうして、横転した馬車になど近付いたのだろう?
「……あなたは、あんな場所で何をしていたんですか?」
問いかける前に、こちらが質問された。
「追われててさ」と、言葉少なく俺は肩を竦めてから、
「お前は? あの馬車に何の用があったんだ?」と、続けた。
「僕は、調べていました」
「調べてた?」
「はい。祖母に買い物を頼まれていて……お店に行ったら、まだ仕入れの荷が届いていないと言われたんです。
最近、魔物に荷物が襲われるという話をよく耳にしていたので、途中まで様子を見に来たら……」
「横転した荷馬車を見つけた、と」
彼はコクリと頷くと、立ち上がる。それから馬車に向かい、真剣な様子で荷馬車の状態を確認し始めた。
俺も彼の隣に並ぶと同じようにする。
荷馬車のホロは無惨にも切り裂かれ、中の荷は欠片ひとつ残っていない。
近くには大人の拳大の足跡があり、それは点々と街道脇の森へと続いていた。
「やっぱり……魔物に襲われたようですね」
少年が言う。
俺はホロの切り口を見やってから首を振った。
「たぶん、違う」
「違う?……どうしてそう思うんですか?」
「切り口のこの辺り、見てみ」
示すと、少年はホロに顔を近づけて目を眇めた。小首を傾げて、俺に続きを促す。
俺は微かに鈍色に染まった部分を指さした。
「一見、獣か何かの鉤爪で切り裂かれたみたいな感じになってるけど……ここ、切れ目が鈍色になってるだろ。錆びたナイフか何かで切ったんだと思う」
「でも、森に向かって足跡もあります」
少年が移動して、地面に座り込む。
指さされたのは直径20センチほどの、獣の足跡だ。対してその歩幅は1メートルない。
俺は再び首を振った。
「足跡の大きさに対して、歩幅が狭過ぎる。こう、何かを押しつけて跡を付けたんだ。そもそも荷物を丸ごと持っていくなんて、獣も魔物もしないだろ? 御者が食い殺されてるわけでもないし、100パーセント人間の仕業だよ」
言うと、少年は大きな目を瞬かせた。
「なるほど……」
静かな子だが、意外と顔に感情が出るようだ。
しかし、その変化も一瞬で、彼はすぐに難しい顔をすると俯いた。
「つまり……魔物や獣でないのなら、話が通じるってことですよね」
「うん?」
まあ、物理的に会話は可能だろうが、話が通じるかは別問題だ。
相手は仕入れの荷馬車を襲い、荷を全てを強奪している。運んでいた御者だってどうなったかわからないし……
「教えてくれてありがとうございました。荷物、返して貰ってきます」
彼は頭を下げると、踵を返す。
「えっ!? い、いや、返して貰うって……っ」
伸ばした手が、虚しく宙をかいた。
いつの間にか現れたのか、下級妖精が羽を震わせて彼の後を追っていく。
俺はポカンとして森に消えた少年を見送ってから、手を下ろした。
彼には「話を通す」自信があるのかもしれない。
前世の記憶にある魔術師たちは、とにかく一癖も二癖もある輩ばかりだったから。
「……ま、いっか」
彼のことは気になるが、今はひとまず自分のことだ。
俺は横転した荷馬車に腰掛けて思案を巡らせた。
話は戻るが……街でのことが、もしも俺のスキルのせいならば、性急に発動条件を知らねばならない。
今回はなんとか逃げ仰せることができたが、次も無事でいられるかは神のみぞ知る、だ。
所構わず発動してしまっては、うかつに町へも入れないし、町へ入れないとなれば、食事も寝床も苦労するだろう。
俺は男たちに追いかけられる少し前の出来事を思い出してみた。
町に入った時は、何の問題もなかった。
それから軽食を食べ、物珍しさにワクワクしながら町をブラつき、イーシャに似合いそうな首飾りを見つけ……
ポケットから、購入した銀細工の髪飾りを手に取る。
イーシャはたぶん「こんなものは不要だ」と言って突っ返してくるだろう。
けれど、俺が少し傷付いた顔をして引き下がろうとすると、渋々、髪に飾ってくれるだろう。
「何だかんだ言って、優しいんだよなぁ……」
そんな妄想が飛躍して、「土下座したら押し倒せるんじゃないか?」と思い至り、じゃあ再会したらどう土下座して頼み込もうか、などと考えを巡らせて……
ふと、蹄の音がした。
思索を打ち切って、顔を持ち上げた俺は、
「げ……っ」と呻く。
「少年! やっと追いついた!」
でっぱった腹を揺らして馬を駆けて来たのは、街で俺の靴を弄んだ男ではないか。
「先ほどは失礼した。何故だか、君の……」
困ったように眉根をハの字にして、馬から下りる。
次の瞬間、彼の目の色が変わった。
俺は荷馬車から飛び降りると、一目散に森へ向かって走り出す。
……嫌な予感は的中した。
「び、びびび、美少年のなまっ、なまなま生足っ……! 舐めさせて欲しいでござる!せめて踏んではくれまいくぁああああ!」
両手を広げて、突進してくる男。
「だぁああっ、クソ! 俺のスキルで確定じゃねぇか!!」
再び、死に物狂いの逃走劇が始まった。
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