吟遊詩人、ホランド・グリーン

* * *


 その夜は、アウロラのベッドの半分を借りた。

 背が小さいお陰で、ふたりでもかなり余裕で横になれた。


 静寂に虫やフクロウの声が響く。風で窓が揺れる。

 月明かりが、断続的に窓越しに差し込む。


 頭の中はイーシャのことでいっぱいだった。

 天井を見上げながら、まだ不安に思う時期じゃない、と自分に言い聞かせる。

 妖精の森に辿り着き、そこで彼と再会できなかったらまた考えればいいのだ。


「……妖精王はいると思います」


 ふと、アウロラが口を開いた。

 ゴロリと彼の方を向けば、アウロラは天井へと向けていた視線をチラリと俺に向けて続けた。


「おばあちゃんは伝説と言っていましたが、ホランドの詩〈うた〉にはしっかりと妖精王の記述があるんです」


「ホランド?」


「2000年前、魔王を打ち倒した勇者たちの伝説を書き残した吟遊詩人です。今、読まれている勇者列伝のほとんどがホランドの詩を下敷きにしています」


 アウロラは胸の上で組んだ手を外すと、身体ごとこちらを向いた。


「彼は勇者達と旅を共にした勇敢な吟遊詩人で……記述にはかなり信憑性があると思います」


 口数が少なくなった俺を励ましてくれたのだと気付く。

 俺はこそばゆい気持ちを覚えて、微笑んだ。


「詳しいんだな」


「……そうですね。たくさん読みましたから」


 アウロラは照れたように視線を落とす。


「ホランドの歌が好きなんです。こんな仲間たちと冒険ができたら、どんなに楽しいだろうと……夢を見られるから」


「夢?」


「ええ、夢です。いつか……冒険してみたいと思ってます」


「それって今じゃダメなのか?」


 目を瞬かせる俺に、彼は苦笑した。


「僕はまだ子供ですよ。それに祖母をひとりにはできません」


「そうか。優しいんだな」


「……そんなこともないです」


 再び仰向けに寝転がったアウロラは、頭の位置を直すようにする。

 俺は彼の横顔を見つめてから、口を開いた。


「……なぁ。アウロラは夜光石って知ってるか?」


「? ええ、太陽の光を吸収する石ですよね」


「そう、それ」


 頷いてから、俺も彼と同じように天井に目線を戻した。


 夜光石――

 陽光を中に蓄える石だ。割ると、蓄えた光の分、中が淡く発光する。

 鉱山など、灯りが必要だが火が使えない場所で重宝するものだ。


「俺はさ、やりたいって気持ちはその夜光石と似てると思うんだよ。時間をおいたら、その時感じたワクワクした気持ちも、ゆっくり、でも確実に消えてくだろ?」


 俺は前世の記憶に想いを馳せる。


「俺たちはさ、たくさんの夜光石に囲まれて、真っ暗な道に立ってる。

 石があるって気付かない人もいるし、あると知ってても砕かない人もいる。砕いて光を灯しても、歩き出さない人もいる……

 動かなければ安全だって、たくさんの人が思ってる。そして、夜光石はいつだって傍に転がってるって知ってる」


 日々の生活や、他人の意見に飲まれて、自分の望みを見失う人をたくさん見てきた。


「光があれば、どこへだっていけるのに……行かない奴が大勢いる。そういうの目の当たりにすると、俺なんかはもったいないなって思うんだ」


 今世の俺も――『レオン』もそうだ。

 普通よりも身体が弱いのだから仕方ない、と、自分の望みから目を逸らし、母親の命じるままベッドにいた。


 きっと前世を思い出さなければ、俺はまだベッドの上にいただろうし、やりたいことを見つけても、それに挑戦できていたかどうかも怪しい。


「準備は必要だけど、条件が100%満たされる事なんてあり得ない。

見切り発車だって、意外とうまく言ったりする。助けてくれって言ったら、協力してくれる人もいるしさ。失敗したって、またチャレンジできるなら、それもいい経験でしかない」


 ふと、アウロラの方を見やると、目が合った。

 俺はバツの悪さを覚えて、慌てて付け加えた。


「あー……別に今すぐ旅に出ろって話じゃなくてさ、最後の一歩を踏み出す準備は、いつだってできるだろ?って話……」


 声がだんだんと小さくなっていく。


「いつかって言葉を……なんだか、お前には使って欲しくないなって思ったんだ」


 呟いてから、俺は唇を引き結ぶ。

 偉そうなことを言ってしまった。


 猛烈に恥ずかしくなる。

 今世の自分の姿が、アウロラと重なった気がして口を滑らせたわけだが、彼はレオン〈俺〉とは違う。

 アウロラにとっての当たり前を、俺はドヤ顔で言ってしまったかもしれない。


「……なんか、ごめん。ウザいこと言った」


「そんなことありません」


 沈黙が落ちる。


「そ、そうだ! さっき言ってた妖精王の記述ってさ、どんな内容なのか教えてくれないか?」


 俺は気まずさに耐えきれず、無理やり話を変えた。

 アウロラがゴロリとこちらを向く。


「ホランドの作品には、全篇通して出てきますよ。見ますか?」


 勢いよく2度頷くと、彼はクスリと笑ってベッドを降りた。


「どうぞ」


「あ、ありがとう」


 皮張りの立派な本だった。

 何度も読んだのだろう、表紙の所々が禿げている。


 中を開くと、『勇敢なる吟遊詩人と、勇者とその仲間たち』と煌びやかな表題が目に飛び込んできた。……なかなかに自己愛の強い著者らしい。


 そして、


「こ、これは……」


 サブタイトルに目を通した俺は、口の端をヒクつかせた。


『仰天! 華麗なる吟遊詩人と島食いの死闘!』

『超難関! 才色兼備たる吟遊詩人と氷の魔女の試練!』

……などなど。


 なんとなく予想はしていたが、事実とはかなり掛け離れた話ばかりだったからだ。


 島を飲み込むほどのデカい魔物なんていなかったし――家ごと住人を食べたヤツはいたが――氷の国の魔女たちに協力を仰ぎに行った話もかなり脚色されている。


 どれもこれも、微妙に知っているからむず痒い。

 特に魔女の話は当事者なこともあって今すぐ訂正したい気持ちに駆られた。


 そう、あれは……魔王討伐のため、氷に閉ざされた国まで魔女たちの協力を仰ぐべく旅をした時のこと。


 物語では、冷酷な魔女たちに厳しい試練を与えられた勇者たちが、持ち前の正義と勇気で彼女たちを下した、とあるがそんなことはなかった。

 魔女たちは初めからとても親しくしてくれた。……吟遊詩人が女王の怒りを買うまでは、だが。

 そいつのやらかしのせいで、俺たちは裁判にかけられ死刑宣告を受けた。イーシャが必死に頭を下げて、やっと場を納めることができたのだ。


 この話は勇者たちの中でもかなり笑い話にされたから後世に残っていても納得はできたが……随分と小綺麗にまとめたものである。


 俺は憮然としてページを繰る。

 それから表題の下の著者名を改めて見て、ん、とくちびるを引き結んだ。


 ホランド・グリーン 著


「ホランドって……まさか、オーランドか!?」


 思わず、裏返った声が出た。


 ホラ吹きのオーランド・グリーンーー前世で共に冒険した吟遊詩人の名前だ。

 ホラばかり詩うから、賢者のフロルなんかはホランドと呼んでいた。


「くっ、くくっ、く……マジかよ……」


 思いも寄らない昔の仲間との再会に、笑いが込み上げてくる。


『僕が死んだら、誰が君たちの伝説を後世に伝えるというんだい!?』


 耳に鮮やかに蘇る、しょうも無い口癖。

 オーランド・グリーンという男は、魔王との最終決戦の前日にどの服で出陣するか真剣に悩むようなヤツだった。

 颯爽と先陣を切り、口上を述べて、後は全て俺たちに丸投げするような……腕力はないが、逃げ足だけは誰にも負けない、小事を大事にする天才、罠という罠を全て引き当てる天才だった。


『いやぁ、今回の冒険も大変だったなぁ』と詩う彼に、「お前のせいでな!」と何度ツッこんだことか。


「アイツ、夢叶えてるじゃないか」


 彼は稀代の吟遊詩人になることを夢見て田舎から出てきたが、2000年後も言葉が残っているのを鑑みるに大成功と言ってもいいだろう。……真実はほとんど伝えていないようだが。


「レオン……?」


 キョトンとするアウロラに、俺は笑いを噛み潰しながら言った。


「アウロラ。コイツの話の9割はウソだぞ。この氷の女王の話だって、揉めることになったのはホランドのせいなんだ。ヤツが清廉潔白な女王に夜這いしたせいでーー」


 言葉の途中で、はたとする。

 アウロラの訝しむ表情に気付いたのだ。俺は口の端をヒクつかせた。


「え、ええと」


 言葉を探しつつ本を閉じる。

 束の間の気まずい静寂の後、


「……も、妄想力がたくましいんだよ、俺」


 無理やり笑って、頭をかいた。

 アウロラがますます不審げにする。


 変なヤツだと思われたに違いない。

 これ以上、どう取り繕えばいいだろう。というか、取り繕う必要がそもそもあるのか?

 いや、しかし、これ以上、アウロラを混乱させるのは本意ではない……


「あなたは……面白い人ですね」


 アウロラは俺の手から取り上げた本を棚に戻した。

 それからベッドに戻ると、こちらを向き、俺の目を覗き込むようにする。


「……明日、出立してしまうんですか?」


「え? ああ、うん。その予定だけど」


「そうですか」


 鼻から短く息を吐き、アウロラは仰向けになった。

 ややあってから、規則正しい寝息が聞こえてくる。


 俺はホッとするような、何故か物寂しいような気持ちになった。先程読んだ本の背表紙に視線を投げ、次いで無理やり目を閉じる。


 その夜は、久々に前世の夢を見た。

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