第2話 少年たちの旅

伝説

 日がとっぷりと暮れる頃、やっと辿り付いたアウロラの家は、ココラドから半日ほど歩いた小高い岡の上にあった。


 初め、アウロラは徒歩、俺は馬に揺られて進んでいたが……俺が途中でへばり、アウロラが2人乗りで馬を走らせてくれたのだ。


 彼が祖母と暮らすという家は、小さな二階建ての古びたものだった。

 家屋の前には畑が広がり、隣の小屋には馬と牛が一頭ずついて、俺たちの気配を察した馬がひと声鳴いて、出迎えてくれた。


「ただいま、おばあちゃん」


 アウロラが扉を開けると、「遅かったじゃないか」と、二階から鋭いしゃがれ声が飛んでくる。


 ブーツの音を響かせて、階段を下りてきたのは齢60くらいだろう、背の高い老婆だった。


 顔中の皺は深く、後ろでまとめている髪はウェーブがかっていて、真っ白だ。

 しかし姿勢は真っ直ぐで、身のこなしには隙が無い。


「……ん? 誰か連れて来たのかい?」


 俺に気付いて、彼女は細い眉を吊り上げる。

 向けられたキツい眼光に、自然と背筋が伸びた。


「こ、こんばんは」


 引き攣った笑みと共に頭を下げたのと、


「今日、レオン――彼のこと、泊めてもいいですか?」


 アウロラが問いかけたのは同時だった。


 老婆は驚いたように目を見開くと、アウロラを見つめ返した。


「泊める? 友達かい?」


「友達……というわけではありませんが、とてもお世話になったんです」


 足先から頭のてっぺんまでじろりと見やると、彼女は鼻から短く息を吐いた。


「……立ち話もなんだし、入りな」


 顎をくい、と持ち上げて言う。


「あ、ありがとうございます」


「もてなしたりは、しないよ」


 俺が頭を上げた時には、もう彼女は踵を返していた。


「アウロラ。その子の足の手当てが終わったら、川で水浴びしておいで。悪いが風呂なんて小洒落たものはうちにはなくてね。夕食はそれからだ」


「わかりました」


 ひらりと手を振り、彼女は再び2階へと消える。

 と、アウロラが俺を振り返った。


「こちらです」と手を引かれて案内されたのは、本棚に囲まれた小さな部屋だった。

 彼の自室だろう。

 窓から差し込む月の光が、質素なベッドを暗闇に浮かび上がらせている。


 アウロラはデスクのランプに明かりを灯した。


「座っていてください」


 ベッドを示し、部屋を出ていく。

 戻ってきた彼は、見覚えのある小瓶を手にしていた。ポーションだ。


「どうぞ」


 礼を言って、俺はポーションを飲んだ。

 しばらくせず足裏の痛みが引いていく。


「靴はこれを使ってください。貰ったんですが、僕には少し大きくて」


「何から何までありがとな」


 差し出された靴に足を通した。

 牛革のロングブーツはいい感じに履き古されていて、しっくりと足に馴染む。

 靴紐を締め終わるのを待ってから、アウロラは小首を傾げた。


「どうです?」


「ピッタシだ。助かる」


「良かった」


 小さく口の端を持ち上げると、彼はすぐに無表情に戻った。


「それじゃあ、川に行きましょう」


 俺は荷物から着替えを取ると、自分よりも一回り小さな影を追う。

 ほうほうと暗闇にフクロウの声が響いていた。


* * *


 水浴びを済ませると、俺たちはアウロラの祖母――彼女はメルティーナ・リッチと名乗った――に呼ばれて、夕食の席に着いた。


 もてなしたりはしないと言いながら、食卓は華やかだ。

 脂の乗った羊肉、色とりどりの野菜の入ったスープ、パンは3種類もあってバターの香りが鼻孔をくすぐる。

 ついでに食卓に上ろうと奮闘する下級妖精たちの姿もいくつか見られた。


「……へぇ。身なりのいいあんたみたいな坊ちゃんが、従者も連れずにひとりで旅を。気楽なもんだね」


 昼間の野盗とのことをアウロラが話し終えると、自然と話題は俺のことに移った。


「それで、何処を目指しているんだい? 自分探しの旅ってわけじゃないんだろう」


 興味深そうに問いながら、メルティーナがパンを千切る。

 俺は頬張っていた肉を飲み込むと口を開いた。


「妖精の森に行くつもりです」と、俺は応える。


「妖精の森?」


「はい。妖精王に会いに」


「会ってどうするつもりだい?」


「愛の告白をします」


 大真面目に告げれば、メルティーナはポカンとした。


「は……」


 手から落ちそうになったパンを慌てて掴み、口に放る。次いで声を上げて笑った。


「はっはっはっ! こいつは予想外だ! まさか、伝説と恋をしたいとは恐れ入ったよ。妄想力逞しいというかなんというか……まだ、ドラゴンの嫁を捕まえる方が現実味がある……!」


 二言目には「俺の方が強い」と戦闘になるドラゴン族とロマンチックな関係を保つのは至難の業だ。

 事実、前世では1年で別れた。


 ……ではなくて。


「伝説?」


 首を傾げる俺に、メルティーナは頷いた。


「だってそうだろう? 妖精王を見た者なんてどこにもいないんだ」


 言葉に、食事を続けようとしていた手が止まる。


 妖精王は森にいて、人々が希えば姿を現してくれた。……少なくとも2000年前は、そうだった。


 その辺りを飛び回る下級妖精と同じく、妖精王も人の生活に寄り添う、親しみ深い存在だった。魔王に滅ぼされかけた世界を救う手助けまでしてくれたのだ。それが……


「私だって100年は生きてるが、妖精なんて、こいつらしか見たことがないね」


 言って、メルティーナがパンを1つ、下級妖精に投げる。


 それを嬉しそうにキャッチした二人に、彼女は声を掛けた。


「お前たちの王の話を教えておくれよ」


「それは、おこたえできかねますなぁ」


「きぎょうひみつゆえ」


 一生懸命に難しい顔をしながら、パンにかじりつく。


「この調子さ」


 と、メルティーナは肩を竦めた。


「時折、中級、上級の妖精を見かけたなんて話を聞くこともあるが、奴らは天よりも高いプライドの持ち主だからね。そもそも人間とは会話なんてしやしないし……」


 2000年も経てば、世界は変わる。

 しかし、イーシャが変わるとは考えたこともなかった。


 メルティーナが「伝説」と考えているのならば、少なくとも1000年前には妖精王と人々の繋がりは絶えていたのかもしれない。


 一体、何故。

 自分がいなくなった後、彼の身に何が起こったというのだろう?


「それとも、お前にとって妖精王は伝説じゃないのかい?」


 思案する俺に、メルティーナが問いを重ねる。

 俺は苦笑いを浮かべた。


「……ロマンの話です」


「ロマン、大いに結構じゃないか!」


 ニヤリと笑って、彼女は俺の皿に肉のブロックを3つ置いた。


「さ、食べな、食べな。そんな細っこくちゃ、森に着くまでに干からびちまう」


 俺は食事を再開しつつ、下級妖精たちを見やる。

 視線に気付いたのだろう彼らは、慌てた様子でパンを限界まで口に詰め込むと、ポンッと音を立てて姿を消した。

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