第13話 端子と半挿し

 背水の陣という言葉がある。


 背後に水しかない状況に追い込まれてしまったのなら、泳いででもその場を逃げろという言葉である。

 嘘である。


「別に、いいでしょ。私がどんな曲聞いていようが」


 背後の席から、声がする。

 声の主はわかっている。

 幼馴染の藤白ふじしろ彩絵さえだ。


「あんたに何の権利があったら、私の音楽の趣味嗜好に口出しできるわけ?」


 先ほどより強い怒気を込めて、彩絵が呟く。

 痴態をさらした彩絵が、耳を真っ赤に染める。


「口出しじゃなくて……その曲、子午の歌……」


 外れかかったイヤホンジャック。

 漏れ出た楽曲。


「だったら何?」


 彩絵はいよいよ居直った。



 それは昼休みのことだった。

 俺はいつものように仲のいい友人と昼食をとるため、席を移動しようとしていた。


「わり、火鼠ひねずみ。今日部活のみんなと打ち合わせがあるから昼飯は一緒に食えねぇ」

「おー。そうか。そっちを優先してくれ」

「わりぃな」

「いやいや、友達を優先するのは当たり前だろ」

「あれ? 俺と火鼠の仲ってなんなんだ?」


 冗談だ。

 こういう軽口を言えるくらいの関係、すごく心地がいい。


 あいつもあいつで俺の皮肉を軽口だとわかっているので、のらりくらりとかわして、そのまま教室を出ていった。


 さて、一部の人は違うみたいだけど、基本的に高校の昼休みなんて、一緒に過ごす人ってのは限られる。

 他のグループに混ざりに行ってもいいけど、なんか互いに気を使いそうでそれはそれでしんどいんだよな。


(仕方ない。今日はひとりで食べるか)


 昔聞いた曲に「一人でいるのを苦しいと認めてしまったら、きっと私は壊れてしまう」っていう感じの曲があったけど、ボッチが考えてるのはそんな高尚なもんじゃないからな。

 ただ単に周りから「あいつボッチなんだな」って憐憫の情を向けられるのが嫌だなぁってくらいだからな。


 その嫌悪感が薄い人は人付き合いの労力と対価をはかりにかけて孤独を選んだりするんだけど、それが周りからすれば鼻にかかるってだけ。


 何が言いたいかというと、独りなんて寂しくないやいって話。


『彩絵ー! ごめん! うち今日委員会の打ち合わせで昼休み忙しいんだ』

『あ、そうなの? わかった。委員会の方頑張ってね』

『本当にごめんねー!』


 自席に戻り、弁当箱を取り出そうとすると、遠くからそんな話声が聞こえてきた。


「……あんた。なんで今日に限ってここにいるのよ」

「中島は今日部活の用事」

「他に混ざれるグループとかないわけ?」

「そっくりそのまま返すけど」


 はぁ。

 なーんで、よりによってドンピシャなタイミングでかぶせてくるかなぁ、この女は。


「ふん。あんたの声聞いてるとイライラする。もう話しかけないで」

「声かけてきたのはそっちだろ」


 彩絵はカバンから小さなケースを取り出すと、ふたを開けて長いコードを引っ張り出した。イヤホンだ。

 そのイヤホンの先端を、彩絵は自身のスマホに繋げると、髪をかき上げて両耳にはめ込んだ。


 断固として会話したくないという意思が見える。

 まあこちらとしても、わざわざあいつの会話に付き合ったところで、時間を消費してストレスを生産するだけと分かっているからそれならそれで都合がいい。


 ――♪


 は?


 後方から、知ってる曲が流れてきた。


 "There is Justice or Justice"――!


(おいいい! 彩絵! おま、イヤホンジャック半挿し! 音漏れてる!)


 音源の特定は早かった。

 彩絵だ。

 彩絵のスマホから音は漏れている。


 昔から耳だけは良かったんだ。

 確信をもって彩絵のスマホから漏れていると断言できる。


(イヤホン半挿しだって教えてやるか? いやでも声かけるなって言われたしな……)


 幸い、音が漏れていると言っても小さい音量だ。

 校内放送で流れている楽曲もあるし、彩絵の席周辺にいる人たちが黙っていれば彩絵は自身の犯した罪に気づく必要すらない。


(知らぬが仏っていうしな)


 よし、気づかなかったことにしよう。


 ところで、誰の歌ってみたを聞いてるんだろう。

 敵情視察ってわけじゃないけど、俺以外の歌い手だと誰が人気なのかは純粋に興味がある――。


『境界層の夢 極彩色の筆

 透明な僕らは星に願った』


(おま、おまええぇぇぇぇ!!)


 それ原曲おれのこえじゃねえか!!

 さっき『あんたの声聞いてるとイライラする』とか言ってただろ!

 何しれっと俺の歌聞いてんだよ、耳腐ってんのか。


(いや待て、まだリコメンドで目に入った曲をたまたま再生しただけって可能性もある。俺の声だって気づいたらさすがに止めるだろ――)


 ……止まらん。


(え、ちょ、待って。こいつどんな顔でその曲聞いてんの。めっちゃ後ろが気になるんだけど)


 でもなー、露骨に振り向いてなー、噛みつかれるのもしんどいしなー。

 かといってこのまま生殺しにされるのもつらいんだよな。

 うーん。どうにか小手先で解決できないものか。


(とりあえず、イヤホンジャック抜けかけてることだけ伝えておくか)


 スマホを取り出し、彩絵の席から見えるようにひらひらと動かす。それからイヤホンの端子をさすところに指をあてて、ジャスチャーゲームの要領で抜けかけてることを伝える。


「……ぇ、うそ」


 背後で彩絵が呟いた。


「あんた、まさか、聞いてて……っ」


 俺は何も答えずスマホをしまった。


「は、早く言いなさいよ! バカ!!」

「てめぇが話しかけんなって言ったんだろ!」

「さりげなく伝えるとかいろいろあるでしょ!」

「考えたから口に出さずに伝えたんじゃねえか!!」


 そして話は冒頭に戻る。


「別に、いいでしょ。私がどんな曲聞いていようが」


 私は怒ってます。

 言外にそんな意味を乗せて、彩絵が口にする。


「あんたに何の権利があったら、私の音楽の趣味嗜好に口出しできるわけ?」


 先ほどより強い怒気を込めて、彩絵が呟く。

 痴態をさらした彩絵が、耳を真っ赤に染める。


「口出しじゃなくて……その曲、子午の歌……」


 外れかかったイヤホンジャック。

 漏れ出た楽曲。


「だったら何?」


 それ、俺の歌声だっつーの。

 『あんたの声聞いてるとイライラする』って言ってただろ。バカ。

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