第6話 用事と妥協

 呉越同舟という言葉がある。


 敵対する者同士が同じ密室に閉塞されてしまった以上、どちらかを淘汰するほかないという言葉である。

 嘘である。


「ギルティ」


 隣の席から、声がする。

 声の主はわかっている。

 幼馴染の藤白ふじしろ彩絵さえだ。


「有罪判決だと言っているの」


 先ほどより強い怒気を込めて、彩絵が呟く。

 聞こえなかったんじゃなくて無視したんだって、どうしてわかんないかな。

 泣き言を言いたいのはこっちだっつうの。


「はぁ」

「あんた今、ため息ついたわけ?」

「そりゃため息の一つもつきたくなるさ」


 もう一つ、長く息を吐く。


「なんで相対誤差が5パーセントも出てんだよ」

「あんたが長さを測り間違えたんじゃないの!?」

「……」


 物理の時間。

 プリントに導き出された9.321m/s^2の文字。

 それが俺たちの導き出した重力加速度だった。


 不自然な斥力でも働いてるんじゃね?



 金曜6限、物理の時間。

 事件が起きた。


「今日は昨年後回しにしていた実験からやるぞー」


 進学校や自称進学校のみなみな様がどうかは知らないが、そもそも進学率の低い高校だと、授業の進度がものすごく遅い。

 3年の授業範囲を3年いっぱいまで掛けたら受験に間に合わんだろうに。


 まあ、そんな学校にいるものだから、基本的に年末あたりは授業がものすごく雑になる。

 例えば物理の時間だと、公式を黒板に羅列して、生徒はそれを転写するだけで授業が終わる。そんなことがまかり通ってしまう。


 もともと予定に入っていた実験の時間も板書の時間に置き換わる。その分どうなるかというと、消滅するか、翌年に持ち越すかの2通りだ。

 そして今回は持ち越しパターンだったらしい。


「班分けは黒板に記しておいたから各自席に着くように」

「は?」


 嫌な予感がする。


 うちの高校の普通科は理系が28人、文系が46人。

 (80人募集の4人定員割れ、2人退学)

 物理実験室に設置された8台のテーブルのうち、1台を省いた7台に、それぞれ4名の名前がある。


 こういうときの席順なんて、だいたい出席番号順か、五十音順だ(文理の人数のせいでクラスが文理混合のため、クラスで別れるかどうかで違いが現れる)。

 そうすると、俺の隣には当然奴が来る。


「台無し」

「おめえの席ねーのか」

「そっちの台じゃないわよ」


 声の主はわかっている。

 幼馴染の藤白ふじしろ彩絵さえだ。


「私は早く帰らないといけないの。居残り再実験とか本気であり得ないから」

「ふぅん」


 別にこいつの用事なんて知らないけれど、早く終わらせようという意見には同意だ。


「藤白さんと火鼠って仲いいよな」

「眼科行け」

「いっそ目を抉り取ってあげましょうか」

「ごめんなさい」


 同じ班の男子がトチ狂ったことを言い出した。

 本気で眼科か、脳外科をお勧めする。

 目を抉ってやろうかとか口走る凶暴な獣と同列にしないでほしい。


「説明しよう。ボルダの振り子とは」

「先生そのくだりはカットで」

「え、あ、はい」


 先生に代わり俺が説明しよう。

 ボルダの振り子による重力加速度測定とは、重力加速度を高精度で導き出せる実験方法だ。


 必要な測定値は重りに使う鉄球の直径、振り子として使う針金の長さ、振り子が往復する時間、振れ幅の角度の4つだ。

 これらの測定値を適切な公式にぶち込めば重力の強さが求まるって話。


 一番めんどくさいのは振り子の往復時間の測定だ。

 これだけで10分は掛かる。

 その間ひたすら振り子に意識を集中しなければいけないなんてやってられない。


 と、いうわけで球の直径やら針金の長さの測定を担当する。最低限仕事はしたし、後は彩絵に任せとけばどうにかしてくれるでしょ。


「測定できたわね。とっとと算出して提出するわよ」

「後で写させて」

「自分でやりなさい」

「ぶー」


 物理の有効数字ってよくわからんのよな。

 有効桁数はともかくとして、計算途中で小数第10位とかまで行くともはや切り捨てちゃってもいいんじゃねって思っちゃうし。


 まあめんどくさいところは済ませてもらったし、これくらいはやるかー。

 ……ん?


 関数電卓片手にポチポチ。

 ん?


「あれ?」


 導き出された重力加速度は、9.321m/s^2。

 相対誤差5パーセント。


「うっそだろ、お前」


 目標の相対誤差は0.5パーセント未満。

 再提出待ったなし。


「やべぇ、ほかの班もぼちぼち測定終わり始めてる」


 この授業、何がめんどくさいって、先生が一人一人の計算を正しいかどうかチェックするところだ。

 それもその場で。


 結果、行列ができる。

 全然はけていかない。


「火鼠」

「俺はちゃんと測定したっての」


 まあ、きちんと測定しても誤差は出るんだけど、それにしても5パーセントはひどい。

 全部同じ方向に測定誤差重なったな。


「逆算して、測定値をごまかすわよ」

「あ、それでいいんだ」

「今日は! 仕方ないの!!」


 彩絵はこういうところまじめだから測定しなおすかと思ったのに。そういうところが反りの合わない部分だと思ってたのに。


「そういうことなら、うちのブレインに任せろ」

「は?」


 チャットツールLinearリニアを開く。

 チャット相手は我が家の妹、卯乃香うのかだ。


『卯乃香ー。以下のパラメータを弄って次の式を9.79759に近似させて』

『合点!』


 先生は赤つけに夢中なのでこっそりやればスマホを開いてもバレない。測定値と計算式を渡す。


『出たよ』

『さんきゅ。マジ感謝』

『えへへー』


「出たらしいぞ」

「え!? 早くない!?」

「『焼きなまし法使ったら一発だよー』ってさ」

「焼きなまし法……? てか誰と連絡とってたの」

「妹」

「妹さん、まさか天才?」

「天才」


 焼きなまし法ってのはどんな問題にも応用できる汎用的な計算方法らしい。いやまあ適用できない問題もあるんだけどね。基本的にの話。


「おし、測定値書き換えるぞ」

「お、おー」


 そんなこんなで、俺たちは無事に一発で先生のチェックを潜り抜け、居残り再実験を免れた。

 卯乃香にマジ感謝。


(ところで、彩絵があんな不正を認めるほど急ぐ用事って何だったんだろうな?)


 っと。

 俺もかえって新曲のイメージ固めないと。


***あとがき***

卯乃香は高校卒業程度認定試験に合格してるので(賢い)18才になるまでの間時間が有り余っているというわけです。

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