第2話 俺と妹

 進級初日のホームルームが終わり、少し早めの放課となった。何気なしにSNSを開き、DMを確認する。


 大量の未読DM。

 だけど、中身はいつもきまって同じだ。


『もう、歌ってみた動画は投稿しないんですか?』


 その文面を見てSNSを再び閉じた。

 窓の外では桜が散っていた。


 1年前のことだ。

 正確に言えば、11ヶ月前のこと。

 俺はネットに歌声を3年間に渡りさらしていた。


 どうして11ヶ月にも及んで投稿をさぼっているかというと、筆舌しがたい悲喜こもごもの複雑な事情があるんだけど、一言で言ってしまえばそうだな。


 ――上げる理由がなくなった。


 それに尽きた。



「あれ? お兄ちゃんもう帰ったんだ?」

「おー。初日だからな」


 家に帰って手洗いうがいを済ませ、リビングにたどり着くと妹の卯乃香うのかがテレビをつけていた。

 とはいえ、そこに映っているのはニュース番組やお笑い番組なんかじゃない。

 世界的動画投稿サイトだ。


 流れている動画を見て、ちょっともにょる。


「まーたその曲流してたのか」

「うん。私好きだよ」


 流れていた曲の名前は”ケルビムクローバー”。

 応援したい人がいるけど、どうすれば励ませるかわからない。だから自分の頑張る姿を届けます。

 端的に言えば、そんな感じの歌だ。


 俺も好きだ。


 ただし、そこに流れているのが自分の歌声でなければという前提が加わるが。


「なぁ、本人の前で歌ってみた動画を再生するのは極刑以外の何モノでもないと思うんだ」

「人気者はつらいねー」

「そう思うなら閉じてくれる?」

「やだ」


 やだかぁ。

 じゃあ仕方ないか。

 自室に戻るとしよう。


「ねえ、お兄ちゃん」


 リビングと廊下を仕切る扉に手を当てるのとほとんど同じタイミングで、卯乃香が声をかけてきた。

 卯乃香の方を確認すると、妹はテレビではなく俺の方を見つめていた。


「もう、歌ってみた動画は上げないの?」


 妹がふいに見せた、真剣な表情。

 曖昧に返すのは失礼に思えた。

 かといって、事実を並べればいつも正しいかというとそうでもないのが歯がゆいところ。

 困った先に、俺の指先は頬をかいていた。


(なんと答えたものやら)


 卯乃香は病弱な妹だった。

 地元は田舎で、他県の大病院に入院しなければならず、何週間かに一度しかお見舞いに行けなかった。


 だけど、お見舞いに行った日は、いつも元気な姿を見せてくれたんだ。

 その日も「またすぐに来るから」と妹と笑顔で別れて、両親とともに病室を後にした。


 病院の入り口まで引き返したところで、ふと、病室に、ハンカチ忘れてきたと気づいた。

 両親に待っててと告げて、一人、ハンカチを取りに病室に戻る。

 そこに、泣きはらした状態の妹がそこにいた。


『入院中、寂しいよな。俺に何かできることは無いか?』


 そう問いかけると卯乃香はこう答えた。


『えへへ、だったらお兄ちゃんの歌が聞きたいな』


 どうにかして、その思いは成就させてやりたかった。

 とはいえ病院。

 歌唱は他の患者に迷惑がかかる。


 だから、メッセージツールのLinearリニアを使って声を届けた。

 送ったのは4分13秒の曲。

 それが”ケルビムクローバー”だった。


 送った瞬間に、既読が付いた。

 だけど返信が来たのはそれから、およそ30分が過ぎたころだった。


 たしか、短く「良かった」とか「ありがとう」とか、そんなことが書いてあったと思う。

 もう、おぼろげになってしまった記憶だけど、その中に一つだけくっきりとした思い出が残っている。


『ねぇ、お兄ちゃんの歌声、インターネットに上げてみない?』

『え、やだよ』


 この時、たしか俺は「何て恐ろしいことを口にするんだ」とか思っていたはずだ。

 それくらい、歌声をさらすことに抵抗があった。


 きっかけは、続く一言だった。


『私ね、お兄ちゃんの歌で、いっぱい元気もらえたんだ。多分さ、世界には私みたいに病気で悩んでる人がいっぱいいてね、お兄ちゃんの歌は、そういう人たちの心の支えになると思うの』


 卯乃香は言う。無垢なる乙女は言葉を紡ぐ。

 それを正しいものと信じて疑わない。


『だから、ね? それでも、ダメ?』


 それが、火鼠ひねずみ和馬かずまが歌い手子午しごとして歌ってみた動画を投稿したいきさつだった。


「わかんないんだ」


 もう動画を投稿しないのか。

 そう問いかける妹に、俺は答えを求める。


「お前が入院していた時は、お前を元気づけるのに必死だった。歌を届ける相手が明確だった」


 俺の歌に励まされた人がいるってのは事実だと思う。時たま感想欄をのぞくと、そんなコメントが散見できた。


「でも、画面の向こうのリスナーってなると、とたん像がぼやけて、自分は誰に対して歌ってるのか分かんなくなって」


 無理なんだ。

 その弱音だけは、どうにか飲み込んだ。

 それを吐き出してしまえば、戻れない気がした。


「良かった」

「え?」

「歌が嫌いになったわけじゃなかったんだね」


 卯乃香が肩の力を抜いて吐息をこぼした。


「なんで嫌いになるんだよ」

「あはは。そうだよね。お兄ちゃんだもんね。歌い疲れたら休憩に音楽聞くようなお兄ちゃんだもんねっ」

「なんかすごく馬鹿にされた気がする」

「ううん。そんなことないよ」


 ねえ、お兄ちゃん。

 卯乃香がくりりとした目をこちらに向けて呟く。


「私さ、曲作ったんだ」

「そうなの? すごいじゃん」

「うん。それでね、私、この曲をもっとたくさんの人に届けたいの」


 だからさ、と。

 卯乃香が椅子から身を乗り出す。


「お兄ちゃん、歌ってよ。私のために」


 ああ、凄いな、卯乃香は。

 きちんと夢があって、それに向かって進んでいる。


 その手助けに、ほんの少しでもなれるんだったら。


「よし。兄ちゃんに任せとけ!」

「本当っ!? ありがとお兄ちゃん! 大好き!」


 もう一度、あの場所に戻ってみようかな。

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