推し

 
 まず三話、読ませていただきました。
 長くはなりますがご了承ください。

 感想を先に申し上げると、旧きを感ずる良質な物語、星は空に在りける、である。
 以下、私の感じた話でありますので、面倒であれば読み飛ばしてください。


 まず、先に謝意を表したい。よくぞこのような零細の突飛な企画にこのような作品を持ち込んでいただいた。
 まず、読んだ。まずは序、からである。所謂人の身体で言うつむじの話だ。大方、このあたりの書き口でその作者の方向性、あるいは、作品に対する考えなどが見え隠れする。読み手にしても作品との相性を見る、重要な岐点と言えるだろう。
 プロローグに当たるこれらは先触れとして書いておく都合上、内容の委細が伝わらぬ場合が多い。私もそういった書き出しになりがちだが、今から物語に追従するであろう読者、いわゆる予備知識のない人々が、勝手都合の分からぬじゃじゃ馬の手綱を引いて連れられる様に似て、結局は乗り合いあわず、ウマ合わず、その時点で読むことをやめる、というのが多い部分ともいえる。ともあれ読み手を濾す効果は否めない。

 上記を踏まえたうえで感想を言わせてもらおう。
 
 序章、、、、、、これ、作ったの……??検索で元ネタを調べたがちょっと出てこなかった。
 本気で驚きすぎてため息が出た。よくできた文章過ぎる。言葉の使い方が本気でうまい。感想書かせてもらうに際して、私はできるだけ持ち得る知識と語句をもって評価してきた次第だが、語彙力を失ったのはこれが初めてである。やべえ。

 そうでなくとも、序章を過ぎた後の話だって衰えること知らず、言葉をかみしめるたびに深い味わいのある文言ときた。描写のレベルがダントツ過ぎる。古語の使いが巧み。だから余計綺麗に見える。

 読み手濾しにかけられた結果、私は残った。残された。人間、感嘆受けると本当にため息しかつけぬらしい。好み過ぎる。断るがこれは社交辞令や反応欲しさによる上っ面の褒めではない。私の方寸からのものである。
 正直私は、こういう話を求めていた。というかこういった文面を表せる人を求めていた。かなり感激してる。まじで。

 以下、一話ごとの感想とさせていただく。


 一話、伝
 すでに完成されている。竹取の翁が稚児を竹から寄せた時、際立った光を竹に見えたとある。かくもあったろう。一番最初で心臓を打ち抜かれた感じである。掴みをとられたというべきか。
 話中に登場した女姓の説明。いや光ってる。熟れきる前の水気の満ちた匂い。とか、体臭とは別に香木でも炊いたような、とか。司馬遼太郎先生とかすきだろうか? だとするなら話が合う。
 このあたりの独特なワードセンスが心地いい。特に人の特徴として香りを質したり、みずみずしさを出して若さを表現したりする文は抽象的に、だがコンパクトに読み手に妖艶さを伝えることにたけていると見える。率直に言うとマジで好き。
 妖の語り。これも時代の齟齬がない見事な造りであると思う。特に大勢を成して現る悪鬼の群を、所謂書き手の存在を思わせぬ美しい魅せ方でかいてきたと思った。
 なんせ昨今の作品の悪漢らは根本的に根が腐っている。腐ったせいで、口が悪くなる。悪いせいで、セリフはどこか俗っぽさが際立ち、際立った俗っぽさが、裏の製作者が「悪いことを言わせている」感がにじみでてしまい、結果世界観を阻害されてしまう、という流れを私は何度も経験している。
 しかしこの一連の中に俗っぽさは感じない。おろか、淡白に、妖共の、恐怖で底腹を振るいあがらせるような暗い声が耳朶に届くようだった。
 その騒がしさから一転、嘘のような凪節の襲来。ケダモノどもの哄笑の消える様が私にも感じられた気がした。
 「魔と逢うた」とは、私のセリフにもしてほしい。オープニングでここまで引き込まれたのはこれが初めてかもしれない。
 
 
 二話、起こるもの
 死力を尽くすようなセミの合唱というワードがまた、いい。熱波を感じる。鬱蒼とした森の、点々とした木漏れ日すらうかがい知れる。
 父への、少女の信頼が描かれている。之は相当厚いものだろう。剣に通ずるものの手には、幾戦の血を吸った事実がある。しかしそれを抑えて余りある、寡黙な父の愛情を知る少女は美しくも思えた。
 見えゆるは、苔むした大社。汗が引いていく、という表現が、夏場を舞台にしているであろうから殊更に光る。夏の照り、陽に蒸され沸き上がった塩が、たちどころに引いていく。先にあるおぞ気というものが、いかほどに突出したものかが伝わるものである。父の手はやさしかった。いいなあこの落ち着き方。
 ここにきて父と子の対比が来る、無骨な父は、だが己の子に適性ありという事実を、少なからず持て囃さず悲哀をもって見ている。戦場を駆けた武辺者が、子にして特大の愛情を持っていることの表しだろう。
 対し子は、そんな父の思惑をも知らず。幼いばかりの心をもってして、家族の安泰を望んで引き受けるといった。まだ七つ。事の重大さなど知る由もない。
 少ないやり取りの中で、お互いがいかに大事な相手だったかがつぶさに表されているのだ。ここまで鮮明なものも類を見ない。
 

 三話、継がれるもの
 娘、星子が正式な巫女となった描写がある。幼い女童の必死に務める姿が脳裏に浮かぶ。父への尊敬の念、あるいは、家族たちの安寧を願う彼女の神楽は一入奇麗な舞だったろう。
 武の道は舞に通ず。という言葉はいい。正鵠を射た表しだろう。空手や中国大陸の武術にも見えるが、ともかく戦においての足手先の流れ、徒手空拳における、武器所持者の対処法、それらを空相手に熟す今の型を想えば、頷かんばかりである。
 結界を村そのもので作り、その上で彼女は結界の枢要の一部となった。大事の話ではあるが、故に星子は己の勤めの大事さにより一層向き合う実に健気な子である。が、それでもやはり七つの子。己のいる特別たる立ち位置には、甘い悦楽が生じていた。そしてほころびとは、甘い悦楽の内にあい育つものだろう。慢心が心底で芽を伸ばし始めたその時節、兆風が来る。父が、帰ってこない。
 緑の名残が朽ちきって、すらりと落ちる。水面に波紋をよんだ、秋口の水面にはたった独りの少女が映っていた。



 統括したい。
 すげえ。之に限る。めちゃくちゃ心に刺さった。古語の類の話が好きだったのもあるが、如何せん描写の綺麗さと合間合間の厳粛たる風景の見せ方。いやもって感服しきりまくっていた。
 クリフハンガーもいい仕事をしている。とりあえず三話まで読むところを自然に次話まで進もうとしていた。若干、心が痛い。父は無事か。武辺は生きてこその誉ぞ。
 ところどころで思ったことをかきすぎた余り、統括によってまとめてここが良かった、というのを出すのがすこし難しい。触れすぎて、今更ここが良いというのもちょっとくどさが生じるだろう。しかしこういった、ちょっとカロリーの高めな古語、あるいは文芸こそ私は流行ってほしいと願うばかりである。

 
 さて、感想は、旧きを感ずる良質な物語、星は空に在りける、である。
 まだ物語を統べてみて通したわけではない。無いが、実にマナーが悪いことを言うと、もしこれが魑魅魍魎の行軍、いわゆる百鬼夜行を暗示されたとするならば、星にまつわる少女は、如何な結末を迎えるだろうか。
 太陽は明るすぎ、空亡は光を呑む。少女の行く末やいかに。


 大変、大変勉強をさせていただきました。
 応援させていただきます。

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