身の毛のよだつ怪奇話。彼を襲う『それ』は一体……
- ★★★ Excellent!!!
作品、読ませていただきました。
長くはなりますがご了承ください。
感想から述べさせていただくと、身の毛のよだつ怪奇話。彼を襲う『それ』は一体……、である。
以降、私の感じた話になりますのでご了承ください。
題名が簡潔なところがまたとない恐怖を書き上げていく作品である。この最初の触れ込みはすでに前篇を読ませていただいたうえで書いているのだが、まあとにかく、確かに、ふえる。とにかく、ふえる。何が、とは言わない。何もかもである。
逆に言えばこの作品は経った三つの日本語、「ふえる」だけで表せるこれもなんとも稀有なものか。
内部はタグにもある通り、ちょいとばかしグロテスクなシーンもある。蟲が嫌いな方などは布でもかみつけながら見てみよう。あまりのおぞましさに咬筋力が鍛えられること間違いなしだ。
現代を舞台にした、それもどことなく親身になれる登場人物と、それを取り巻くあり得てほしくない話がこの物語のすべてである。
爾今《じこん》、一話ごとの噛み割った話をさせていただこう。
ふえていく。おぞけが、さむけが。らんかいをわるむしのねが、うちのうちから。
第一話 ふえる(前編)
設定は現代の日本。主人公は五十代後半の男性である。会社員勤めの彼の背中は何とも哀愁を感じるものがある。
会社疲れも何のその。尻に敷いてくる嫁御前《よめごぜ》とそれによく似た娘にケツをつつかれて草むしりをやっているようだった。
いつの時代も嫁は強い。人の好いおじさんは両社に臀部《でんぶ》を向けて雑務をこなしている。
炎天下の中このおじさんは夏場スタイルの衣装をバカにされたことに立腹しながらもちゃんと使命を全うしていた。多分このまじめさは管理職クラスのおじさんではないかと思われる。そのくせ脳内は冷えたシュワシュワ黄金水のことばかりだ。贅肉は愛嬌でできているらしい。
そんなお父さんだったけれど、奇妙な体験をし始めた。
発端は娘さん。彼女の「蚊取り線香」の下りから始まる。蚊対策を講じ始めた彼女に、おじさん必殺技のTV産のうんちくを披露し始めた瞬間である。振り返るとそこにあったはずの彼女がいない。声色の感じ方からして、それこそさっきまでいたはずの娘の姿が忽然と消えていた。おじさんは小首をかしげた。
加えて、そこにはまた不自然な光景があった。言わずもがな雑草抜きのために彼はガタついた腰を”く”の字に曲げて作業をしているというのに、背後じゃ草が生えているのだった。
草野生命力は確かにすごい。それこそ土嚢の汚染が認められん限りはどんな土地にすらも生えてくる。水と日さえあれば割とどこにでも快活に増えていくのが雑草及びぺんぺん草の類の、種の強さといえる。
だがしかしこれはあまりにも早すぎる。おじさん曰く、確かに子草は抜かなかったといった。にしても点でなく面でぬいてった手前、荒らされた地表に草がすでに生え始めるとはちょっと考えられないものである。
「これが雑草魂か?」 多分違う。
おじさんはこの現象を熱中症のせいにしようとした。私でもそうするかもしれん。
おじさんは草むしりを再開した。
ちょっとすると次は嫁御前の声がする。
曰く娘殿と買い物に行くそうだ。おじさんにクーラーは13時以降につけろとくぎを刺す。光熱費の高さも添えて生活感マックスである。
涼をとるには水風呂にでも入ってろというのがなんなくこのおじさんのこの家庭内の扱いがうかがい知れるようだ。強く生きろお父さん。
さて、おじさんが小言に小言で交える剣劇をするさなか、振り返るとこれまた姿を消した。おろか局衆《つぼねしゅう》の人気が全くない。さながら、ハナからいなかったようにである。
……なにかが、おかしい。さすがの鈍感オヤジでもこの違和感は感じずにはいられなかった。
夏特有のBGMも、夏特有の妨害もなかった。ただただ熱い。暑く同時に、胸騒ぎが生じた。……おかしいだろう。伽藍洞《がらんどう》の我が家の奥。誰の気配も感じえぬ、その奥のほうから聞こえるのである。
……いなかったはずの、奥方の声が。
第二話 ふえる 後編
ついにこの声はおじさんをだまそうとする声でなくなったようだ。さっきまでは部屋のほうから聞こえるもんだから、実際に妻子がそう呼び掛けているものと彼は騙されて得しまっていた。だけれどおじさんはついにこの声、が「肉声でない」ことに気がついた。左右に首を振れど見慣れた姿はない。そうだけれど、声だけはもはや隠す気もみせず臆面もなくちょうど蝉時雨のように四方八方から轟いてくる。
これは、熱中症なんかじゃあない。おじさんもそう察したことだろう。
彼の不運はまだ続く。
唐突に痛みを覚えた。痛みの出現部位は右の手。中指であるらしい。軍手という保護具をつけていても、その皮膚は裂傷を負ったようだ。それもただの裂傷ではない。したたり、水滴を生むほどの出血量。並ならないことだけは確かである。
軍手を外すとその切り口から水鉄砲のごとく血液が噴出する。やはりただ事じゃない。
助けを呼ぶおじさんだがやはり屋内に人の気配はない。おろかおじさんは失血と、流血の凝視、加えてこの暑さで具合に異常をきたした。襲うは痙攣と倦怠感。愈々《いよいよ》おじさんの命も危ぶまれるほどの発作が出ている。
次なるときは、足のほうにも痛みを感じた。これもただの痛みではない。
蟲どもが、足の肉を食らう痛みだった。
皮膚を突き破る痛み、傷口に毒液が混じる痛み、硬質を伴った昆虫どものかぎ爪に掻かれる痛み。なにより彼を襲うのは心根を侵すおぞけの類だろう。蟲の大群が体を食らうなど、何と形容できるか。きっと生涯を戦場にささげた歴戦の老騎士をもってしてもこれに肩を並ばせる表現はできないに違いない。
彼の体躯を補い食らうはもはや蟲ばかりではなかった。先だってから目立っていた雑草の繁殖。これらが、ついには彼の体に巻き付き、在ろうことか文字の通り歯牙をもって掛けてくる。
ついにはこの葉っぱどもは自前の咽喉をもって言葉を発した。おそらくは、一話に見られた母や娘の声もこれら化け物のものだったのだろう。
ついに彼は黒い波に全身を侵されつくした。蟲の多種が彼の体を、内外問わずに食い散らす。その様はさながら波打ち際に上げられた、息絶えた魚が蟲にたかられるに似た光景だろう。彼は恐怖がために、抵抗という抵抗が全くの無力と化していた。
やがて彼の耳にまたも娘の声が聞こえた。助けを呼ぼうにももう咽喉は正常に機能していないことだろう。食らいつく虫は、筋肉や贅肉はおろか、内臓にまですら達している。そうまであっては、もはや彼の体内から蟲のコロニーを絶滅するのは難しい話である。
「虫除けしないんだから、自業自得よ」
娘の、だが娘ではない何かがそう言い放つ。
言い放ち、彼に対して一つの弾丸として放たれた、ように思える。
雑草の茂った、だらしのない家がある。
その庭の中心で、ひとつ、よく樹液を垂らす木があった。
生臭く、そしてよく湿っている。
今日も今日とて、真夏よろしく熱く、蝉のうるさい昼下がり。
人の気配の乾ききった、とても静かな家があった。
統括したい。
おじさああああああん! どうして……どうして。
途中まで結構話的には現実にもみられるちょっと不衛生だが家族のことはしっかり思っている風のおじさんがメインだったからかなり親近感があった。ビール好きであったり甲子園の中継を肴に麦酒を腹にこしらえるのなんざ親しみ以外沸かないものだろう、湧くとするならぞんざいな扱いに対する哀愁くらいなものである。
途中のかぞくのこえはするのに忽然といないシーンは私的にはだいぶ考察をさせていただいた。所詮は考察の域でしかないので、このシーンはどういった解釈が正解なのかは作者様の一存にゆだねられるが、私としては熱中症による幻覚幻聴、あるいは実際にその家に棲んでいたよくないものの力かと思われる。
私は後者が有力と思った。とすると後半の怒涛のグロテスクラッシュにおいておじさんがああまで延命できた面に対しての説明はあまりつかない。
この場合は前者の熱中症による重大な資格聴覚異常であるかと考えたが、となるとけがを負うシーンなどで実際に血液を噴出させていた当たり、感覚マヒによるものにしては現実味を帯びすぎているものだと思った。
このあたりの明暗を不透明にすることで、読者への解釈をゆだねる、という技法においては良い味をしていると思った。素直に、グロさだけに終わる作品ではない、というのが全編を通して私の思った感想である。
さて、私の感想は、身の毛のよだつ怪奇話。彼を襲う『それ』は一体……、である。
おぢさんにはね。しあわせになってほしかったんだ。そう思わせる人だった、間違いなく。それだけど、そうなる運命なら仕方がなかった。五十数年生きていたけど、五十数年前からこうなることと決まっていたんだよ。五十数年間、この家に食わす贅肉を肥やしていたんだ。きっとね。
衝撃といえば衝撃である。心痛まで生む。だがしかしオカルト、あるいはホラー小説の神髄とはこういうところだろう。時に理不尽で、時に説き辛く、そしてどこまでも恐怖に一途。そうでやっと、人の恐怖をあおれるわけである。
唯一の救いは、ホラー小説には恐怖をあおらせるために、最後の最後でどのような結末だったかを書かないという点が多々ある。
私はこの感想においては躊躇なくおじさんが死んだものという方向で感想をまとめたものの、この作品の最後は、蝉の音をかれが耳にしたところで終わっている。つまるところ、死ぬとも死なぬともわからぬ終わり方なのだ。
生きていると思えば、それは生きている。観測とはそういうものである。だから私は、このおじさんが実は熱中症で苦しんだけれど一命をとりとめた、という後日談を思うところで、この物語の終幕と考えたい。
大変、面白く読ませていただきました。
応援させていただきます。