第八章 羽根蟻の群れ
第八章 羽根蟻の群れ
淀屋重当と娘の波瑠が死んでからまた五年の歳月が流れた。
その年の暮れには赤穂浪士による吉良邸への討ち入り事件が起きる元禄十五年(一七〇二年)のことである。
幕府の中枢は相変わらず柳沢保明が権力を奮っていた。彼は老中格からさらに老中上座へ累進したばかりか、将軍綱吉から松平の称号をもらいうけて徳川の一族に列するという栄達を果たしている。
いっぽう庶民の生活はますます苦しくなっていた。
たびかさなる貨幣の改鋳は諸物価の騰貴をもたらしただけでない。金貨・銀貨・銭の三種が流通していた当時の貨幣経済を混乱の極へと陥れていたのである。というのも、当時の金貨(小判)は計数貨幣なのに対して、銀貨(丁銀)はいわゆる秤量貨幣だったからだ。つまり計数貨幣である小判は、たとえ金の含有量を減らしてもそのまま一両として通じるが、秤量貨幣である丁銀は銀の含有量を減らすとそのぶん価値が下がってしまうのである。それを等しく改鋳してしまったのだから混乱が起きるのは自明の理だった。そのために純度の高い慶長小判ばかりか、銀の含有量が多い古い丁銀までもが手元に蓄えられるようになった。言いかえれば小判の価値がそれだけ低落してしまったわけである。
言うまでもなく当時は、上方では銀貨、江戸では金貨、が主に流通していた。また上方が町人による商工業中心の町であったのに対して、参勤交代による滞在者を含めると人口の半分を武士が占めていた江戸は、とりわけ生産とは縁のない消費中心の町だった。だから両者の経済力の勝負は最初からついていたともいえるのだが、貨幣の改鋳がその差をさらに広げてしまうことになる。
それはまた町人(庶民ではない)と武士の関係までも歪ませることになった。町人は概して豊かになったけれど武士はいよいよ窮迫した。いわゆる町人主導の「金権社会」になってしまったわけで、矜り高い武士にはそれが我慢ならない。その結果として、江戸は大坂を憎み、武士は町人を憎悪することになってしまう。まして金にものを言わせて横柄な振る舞いをする町人たちや、ことさらに豪奢を見せびらかす大商人たちが、幕府の面々や武士階級の目の仇にされたのは自然のなりゆきである。
淀屋を取り巻く情勢も大きく変わりつつあった。
重当が亡くなるとすぐに幕府は動いた。それまで淀屋の門先で開かれていた米市がいきなり堂島へ移転されたのである。「公共の米市を一商家の門前でやるべきではない」という幕府側の大義名分には、淀屋といえども従わざるを得なかった。それでもなお淀屋は米取引の主導権を握り続けるのだが、この大きな方針転換は明らかに重当
から広当への代替わりをきっかけとして、豪商淀屋の勢威を殺ごうとした幕府の策動だったと言えるだろう。
そのうえ淀屋は重当が死んでから身内にも問題を抱えるようになっていた。それは五代目を継いだ若い広当である。
「お店の主人たるもの、丁稚手代の苦労や商いの実務を知らなくては一人前とは言えまへん。どうかこの子を店先に出してみっちり仕込んでやってくだされ」
重当の死の直後に、祖母の妙恵は牧田仁右衛門へそう頼んだ。
それで仁右衛門はしばしば広当を店先まで連れ出して、相場の仕組みや日々の取引のアヤを肌で感じるように仕向けてきた。広当は確かに利発な子だった。まるで高野豆腐が水を吸うように、商いの「いろは」をすぐ身につけた。そして一年も経たないうちに「今年の米の作柄はどんな情報をもとにして予想するのや」とか「淀屋の商いのうちで俵物が占める割合はいかほどか」などと質問するようになって、後見人である仁右衛門と手代の勘七を喜ばせた。
ところがそんな喜びも束の間だった。
広当は間もなくその二人を無視するように、古参の手代たちへ頭ごなしの命令を発するようになったのである。自らの実力を過信するあまり商いの現実を甘く見たということもあるが、若くとも自分は淀屋の当主なのだ、という変な気負いが彼をそうさせてしまったのだろう。
たとえば仁右衛門との間にはこんなやりとりがあった。
「広当さま。利子の返済がやや滞っているお大名への新たな貸付けは今後やめるように、と手代たちに申し渡されたそうですな」
「ええ確かにそう命じましたよ。元金はともかく、利子すら取れんようでは商いになりまへんやろ。そういう相手には新たな貸付けは控えて、まず元利の取り立てを厳しゅうするのが金貸しの常道やと私は思います。そうですやろ、仁右衛門…どの」
「いいえ、それは違いますぞ。淀屋はそこいらの金貸しではありません。何千人というご家来衆を抱える大名家の台所を預かっている蔵元なのです。そしてまたそれら大名家の元締めである幕府から、種々のご朱印や権益をもらっている御用商人でもあるのです。ですからお武家の矜持を傷つけぬよう上手く立ち回り、そのぶんしっかり儲けさせていただくのが我ら町人蔵元の大名付き合いというもので、少しぐらい金利が嵩んだり返済が滞ったからといって、木で鼻をくくるような取り立てや、貸付けの停止はすべきではありません。それでなくとも鴻池あたりが虎視眈々と我らの後釜を狙っているのです。いやすでに黙視しがたいほどの大名家が鴻池へ鞍替えしているというのが現実です。そんなときに自らの手で火に油を注ぐような真似をしてはなりません」
「ちょっと待ってください。あなたは、少しぐらいの元利が嵩んでも、と言わはるが、これまで積もりに積もった貸し金の残高は決して少くはありませんぞ」
「もちろん承知しています。しかしたとえば金利というものは元金が、つまり貸し付け先が安泰なればこそ取れるのです。ほんとうに窮迫している者からむりやり取り立てれば、それこそ、窮鼠猫を噛む、という事態も起こりえますし、大名家の多くを完全に破綻させてしまう事態にも繋がりかねません。またもしそのようなことになれば、淀屋は何千万両という貸し金をいっときに失うことになりましょう。そういう取り返しのつかない事態を招くことに比べれば、嵩んだ金利など大した額ではないと申し上げているのです」
「何やて。大名家が破綻する? 貸し金を全部失ってしまう?」
「そうです。大名家といえども改易や減封移封という不測の事態で破滅や窮地に立つことがありますし、そうでなくともすでに絶望的な財政破綻に陥っているところが幾つもあるのです。また見かたをかえて言うなら、無礼討ちが今なおまかり通っておりますように、お武家の側にはつねに伝家の宝刀があるのだということを、いまや恐いもの無しといえるほど金力を蓄えた私たち町人は忘れがちです。しかし命を奪われる斬り捨て御免ではないにしても、お武家による刀を使わない無礼討ちは商いの世界にも起こりうるのです。ですから、たかが借銀ごときのことで下司と卑しむ町人から追い詰められたりすれば、矜り高いお武家がたは必ずやその伝家の宝刀を抜き放ちましょう。つまりそうなったとき、淀屋はいきなり身に覚えの無い因縁をつけられて、問答無用でご朱印や蔵元の地位を剥奪されてしまうのです。いえ、もしかすると先年の網干屋さんのように、いきなり闕所追放ということになるかも知れません」
「そんな理不尽な…」
「そう、仰る通り理不尽です。ですが常安さまに始まる淀屋はそういう危うい均衡の上に、弥次郎兵衛のように乗っかって生き延びてこられたのです。いまさらそこから飛び降りるわけにはまいりません。それは広当さまもお分かりになりますよね」
「うん。それは分かる」
「とはいえいまの淀屋は、一つや二つの大名に貸し金を踏み倒されようとも、びくともいたしません。その点はどうぞご安心なさってください。ただつまらないことで幕府の機嫌を損ねて、ご朱印や権益を取り上げられたり、昔の棄捐令や徳政令といった類いの伝家の宝刀を抜かれるようなことがあれば、何千万両どころか十数億両の貸金を失うこととなり、いかに淀屋といえどもひとたまりもありません。亡くなられた旦那さまは、そういう事態になるのを未然に防ごうと、これまで骨身を削ってこられたのですよ。またそれこそが淀屋の当主たる者の大切な役割なのです」
「……」
さらに、勘七とのあいだにはこんな論争があった。
「相場は恐い生き物やと誰もが言うてるけど、私にはどうもそうは思えんのやな」
「なぜでございますか」
「およそ恐い生き物というのは、いきなりこの手を噛まれたり、肉を削がれたりする野犬や野獣のように、人の思いのままにはならへんからそう言うんやろ。そやけど相場は違う。うちの店が、いや私がその気にさえなれば、相場は思いのままに動く。号令ひとつで尻尾も振れば、牙も剥く。自由自在に操れるやないか。そやから私に言わしたら、相場は虎は虎でも鞭ひとつで何でも言うことをきく見世物小屋の虎みたいなもんや」
「そんな…。淀屋の当主ともあろうお方が何ということを仰います。もし外部の誰か一人でもそんなお考えを耳にすれば、広当さまのみならず淀屋全体の信用がたちどころに潰えてしまいますよ」
「そんなことは分かってる。もちろんここだけの話やけどな」
「いいえ、広当さま。そういったお考えは今日を限りにすっぱりとお捨てになってください。たとえ口に出されなくとも、雇い人や出入りの商人は当主の言動にとても敏感です。まして人並み外れて勘と読みが鋭い相場師や仲買人などは、広当さまの胸の奥底まですぐに嗅ぎ分けてしまいます。そうなればあっという間に悪い噂が世間に広がるでしょう」
「いったいどういう噂や」
「淀屋は相場を自在に操作して利食っているとか、買置や締売をおこなって諸物を高値に誘導しているという、根も葉もない噂です。そんな噂が世間に広がれば大変です。それでなくともご公儀は、米市場を堂島へ移すなどの嫌がらせをしてきたり、おりあらば他人の不正まで淀屋のせいにしようと鵜の目鷹の目なのです。どうか何事も慎重になさってくださいますよう」
「……」
もちろん仁右衛門と勘七に他意などない。ただただ淀屋の行く末と重当の遺言を思って、若い広当の誤った考えを諌めたまでである。だが広当はそう取らなかった。耳の痛い忠告や自尊心をくじく諫言がたび重なるうちに、広当は次第に苛立ちはじめただけでなく、だんだん二人を遠ざけるようになっていったのである。
分家の縁戚たちはともかく、広当の近しい肉親といえばいまや九十歳をこえた祖母の妙恵だけである。その妙恵はついにこの春先から伏せりがちになり、恍惚の兆しさえ見えはじめていた。そうなると父重当の遺言を持ち出すまでもなく、広当が頼れるのは仁右衛門と勘七だけだ。だからこそたびたびの忠告や諫言にもぐっと我慢してき
たのである。しかしその二人は、一日も早く父に追いつこう、と頑張っている自分の気持を理解してくれない。やることなすことに難癖をつけて異見を述べ立てる。これでは自分をいつまでたっても一人前の商人として認めてくれないのではないか、と十九歳になった広当は勝手に思い込んでしまったのだ。
不満のはけ口がない広当はだんだん鬱屈していった。
鬱屈はやがて胸にくすぶる熾火となって身を焦がしはじめて、母のもと(素月)や父の重当がともに恐れていた広当の癇症に火をつけることになってしまう。広当は些細なことで小僧や丁稚を怒鳴りちらしたり、大切な得意客を店先に待たせたままぷいと奥へ引っ込んで、係の者を慌てさせるようになった。また総支配の仁右衛門とは異なった指示を出して、手代たちをしばしば当惑させた。
そうなると店の雰囲気はがらりと変わってしまう。
下の者は上司の顔色や機嫌を窺うようになり、何事に対しても疑心暗鬼になって、たちまち商いの実務が滞りはじめた。また売買の土壇場で判断を誤る者があらわれたり、先物買いで勝手な独走をする者が出て、大きな損害を生むようになった。つまり先代重当との間に強い信頼関係があった頃とは違って、店内の仕置ひとつにも総支配の仁右衛門という重しがきかなくなってきたのである。
こうして広当はいよいよ自分を追い詰めていくことになる。
そんなとき、広当の虚ろな心の中へ巧みに入り込んだのが、斎藤町家淀屋の安左右衛門だった。
先述したように淀屋岡本家にはいくつかの分家がある。中でも斎藤町家というのは初代常安の娘として生まれたきいが、入り婿をとって継いだ常安橋家の流れをくむ名門だった。いまは常隆という当主がいて、嫡男である常光の他にも、ともという娘がいた。安左右衛門はそのともに迎えた婿養子で、当主の常隆はおそらくこの娘夫婦を斉藤町家淀屋の分家(淀屋橋本家から見れば分々家)にするつもりでいたのだろう。
しかしこの安左右衛門が実は大変な男だったのである。
安左右衛門は東町奉行の松平忠固が飼っている公儀の犬のうちの一匹だったのだ。彼はもともとがならず者である。それがどういうわけか名門の斎藤町家淀屋から見込まれた。とはいえ所詮は将来の分々家の入り婿になったに過ぎない。身のほど知らずの彼はやがてそれでは満足できなくなってしまう。だから東町奉行の松平忠固から、淀屋本家を取り潰すのに力を貸せば残る身代はすべてお前にくれてやろう、と吹き
込まれて、すっかりその気になってしまったのである。
その松平忠固は病をえてすでに奉行職を辞していたのだが、後任となった太田和泉守好寛が、引き続き安左右衛門の背後から糸を引いていた。若い広当がだんだん店内で孤立し、雇い人の綱紀がゆるみ始めたいまを好機到来と読んだ太田好寛は、柳沢保明の指示を仰ぎながら、ただちに淀屋追い落としへ向けての行動を開始していた。
まず広当を籠絡するように安左右衛門へ命じたのである。
分々家の入り婿とはいえいまや安左右衛門は淀屋の縁戚の一人である。しかもいまの広当は親兄弟をほとんど失った孤独な存在で、後見人である仁右衛門との仲もうまくいっていない。彼はやすやすと広当へ近づくことができた。そして手始めに芸能好きな広当へ能舞の稽古を勧めてご機嫌を取り結んだ。師匠として紹介した富川という男はむろんならず者だった頃からの仲間の一人である。
「いやあ、これは驚きましたな。わてもこれまでぎょうさんの人に能舞を教えてきましたけど、たった五回の手ほどきで『猩々』を舞えるようになった弟子など記憶におまへん。広当はん、ほんまはどっかで能を習うてはったんと違いますか」
いつもの稽古が終わると、富川は大仰に目を丸くして広当を褒め称えた。しかし顔は笑っていても目は笑っていない。
「いいえ。幼い頃に父が舞っているのを見たことがあるくらいです」
すると静かに師匠の前に座った広当は、満更でもないという表情で答えた。蹴鞠や連歌などは習ったけれど能舞は初めてなのだ。
「へぇ。そやったらその芸筋の良さは生まれつきやいうことになりますな。もし世の中、広当はんみたいな人ばっかしやったら、わてらの商売はあがったりになりますわ。なあ、そうですやろ安左右衛門はん」
富川はなおもそう言って広当を持ち上げると、ずっと広当に付き添っている安左右衛門へ向かってそっと目配せをした。
広当の母もと(素月)は、かつて揚巻太夫と呼ばれた新町きっての遊女である。その血を引いているだけに広当の芸筋には確かに人並み以上のものがあった。
「ほんまでんな。手前なんぞは無粋者ですさかい、芸事の良し悪しなど分かりまへん。そやけど、昨日と今日の出来栄えの違いくらいは何とのう分かりますわ」
丸々と太った身体に大汗をかいた安左右衛門がすかさずそれに応じた。
半刻あまり稽古を続けていた広当が息すら乱していないというのに、ただその横で見物していただけの安左衛門のほうが手拭いを絞るほどの大汗をかいているのだ。とにかく安左右衛門という男はおかしな男だったが、見る人によってはそれが愛敬と映ることだってある。
「これはどっかでお披露目せなあきまへんな」
そう返した富川の口調はどこか芝居の科白のようだった。
「そらお師匠はんとしては大勢の人に自慢しとうもなりますやろな」
安左右衛門はことさら富川を揶揄するように言った。だがそれもこれもかねてからの計算のうちに入っている。
「かなわんな、図星ですわ。わてもこんな弟子を持って鼻が高うおます。そうや、いっそ新町あたりはどないですやろ。あそこやったら目の肥えた芸妓なんかもぎょうさんいてますさかい」
富川がさらにそう言い添えると、
「新町でっか。なるほどそら名案や。手前にも馴染みの小天神くらいはいてますし、広当はんに恥をかかすようなことはおまへん。ただ淀屋の若旦那をお連れするのに小天神だけちゅうのはちょっと寂しおすな。何とかなりまへんやろか」
と安左右衛門はたちまちその提案を受け入れた。
「それやったら何んも心配はいりまへんわ。わての弟子の中に新町の置屋の亭主がおりますのや。そいつに無理を言うて太夫の都合をつけさしますさかい、広当はんに恥をかかしたりはしまへん」
「ほなら決まりでんな。そや。お披露目をするとなったら見物客かて多勢おらんと格好がつきまへん。このさい能の好きな与兵衛はんや、彦六とか、近藤はんなんかも呼びまひょやないか」
二人はわいわいと勝手なことを話し合っている。
しかし骨董屋である与兵衛はともかくとしても、噺家を自称する彦六と浪人の近藤軍太夫は、鶴田錦吾や作蔵につながっている危険人物である。とくに彦六は倉吉の地で広当の姉の波瑠を毒殺した疑いがある男なのだ。もしその憎い彦六がまた江戸から大坂へ舞い戻っていると知れば、あれいらい血眼になって彼を探している千次や熊吉が黙ってはいないだろう。
だが広当はそんな事情をまったく知らない。
知らないと言えば、同じように淀屋を付け狙っていながら、鶴田錦吾と安左右衛門の間にもまるで接点がなく、お互いにその存在すら知らなかった。だから二人はいまもなお彦六と近藤軍太夫が奉行所に雇われている公儀の犬であり、二股間諜だということに気づいていない。それぞれが勝手に彦六と近藤軍太夫を自分たちの仲間だと信じ切っていた。つまりそれこそが松平忠固が仕組んで、太田好寛へと引き継がれた巧妙な罠だったのである。
いっぽうそれ以上に何も知らない広当のほうは、能面の鼻筋をいじりながら恥ずかしいほどの胸の高まりを覚えていた。広当はすでに十九歳になる。だがまだ茶屋遊びというものを知らなかった。厳しく遊蕩を禁じた父の遺言もあったし、堅物で真面目一徹の仁右衛門と勘七が後見人では、その目を盗んで悪所通いをするというわけにもいかない。また大店の秘蔵っ子として深窓で育てられてきた広当には、示し合わせて悪所へ繰り込むような友もいなかったのだ。
大坂新町というのは、周囲を堀割りと板塀で囲んで他の町と区別し、東西に設けられた大門で人の出入りを制限した七ヶ町の総称である。いわゆる幕府が公認している傾城町のひとつで、とくに町人が力をつけていたこの時期は商談や接待の場として重宝され、江戸の吉原や京の島原に劣らないほどの殷賑を極めていた。現在の地名では大阪市西区新町一丁目から二丁目にあたる。
広当は下腹部のあたりが急に熱くなり、顔が火照ってきた。そんなからだの変化を覚られまいとして、安左右衛門と富川のやりとりに早々と自から断を下した。ただその声は擦れていた。
「行きましょう、新町へ。花代ならぜんぶ私が払います」
その日から広当の新町通いは始まった。
「茨木屋の吾妻太夫にござります…」
新町は九軒町にある桔梗屋へあがった広当は、禿たちの甲高い声とともに現れた遊女の一人を見て、まさしく一目惚れをしてしまったのである。その遊女、吾妻太夫はまるで絵草紙から抜け出たような美しさで、男どもの魂を丸ごとつかんでしまうような気品と色香に満ちていた。幾重にもぶ厚い衣装を着けているのに、白く輝いている裸身が透けて見えるようだった。古来、人の言う衣通姫(そとおしひめ)とはこういう女性のことなのだろう、と広当は思った。
切れ長な目に広めの額である。頬はふっくらとなめらかで、小ぶりの口唇はやや開きかげんだ。膝の上にたおやかなからだを預けられると、甘酸っぱい女の体臭が襟足からゆらめき立ち、男の性を駆り立てる匂い袋の香りが身八口から漂い出た。着物の裾から覗いている裸足の細い足首が目にまぶしい。そればかりか、はきはきと話す声は小さな鈴を転がすように心地よかった。
そのうえ吾妻太夫はまだ「初会」の場だというのにあれこれと優しく酒食や身の回りの世話をやいてくれ、「裏を返した」翌る日にさっそく床入りをすると、身も心も蕩かすような性の秘技でたちまち広当を虜にしてしまったのだ。おそらく広当は吾妻太夫の中に母の面影を見ていたのだろう。
あるとき交合を終えたあとで、広当の胸に顔を埋めたその吾妻太夫は問わず語りに自らの身の上ばなしを語った。
「妾が生まれました家は若狭国の水呑み百姓でしたが、毎日がそれはそれはひもじい生活の連続で、ほどなく村にあらわれた女衒の一人に手をひかれて、犬猫同然にこの新町へ売られてきましたのが七歳のときでござりました。それからはずっと茨木屋へお世話になり、しばらく下働きを重ねたあと九歳で禿に仕立てられ、行儀作法や音曲の稽古など厳しい遊女教育の毎日でござりました。そして初めて廓へあがりましたのは、ようやく十四歳になったばかりのころ。もちろん新町へきていらい故郷の若狭へ帰ったことは一度としてなく、二年前に相次いで亡くなったという二親の死に目にも会えませんでした。若狭での暮らしが貧乏の苦界なら、新町は女の性の苦界です。抗うすべもなく苦界から苦界へと流されてきた妾には、これまで何一つ楽しいことなどござりませんでした」
それはいつも添い寝をしてくれた母のもと(素月)が、幼い広当に物語ってくれた自分の身の上話と少しも変わるところがなかった。そのとき広当は母の暖かで弾力のある乳房をまさぐりながら、巨大なびいどろの水槽の中で凝っと動かずにいる金魚たちを見つめていたことをはっきりと覚えている。金魚はやたら尾鰭の長いのや、四天
王寺の仁王さんみたいに目玉が飛び出したのや、天神祭りの渡御船のように派手なびらびら飾りを腹につけたのがいた。まだ幼かった広当の目には、自分と同じように金魚たちが息をひそめて母の話に耳を傾けているように見えたのだが、実際にはただのんびりと午睡を楽しんでいただけだったのかもしれない。
「広当や。今日は母さまからおまえに一つだけ頼みごとがあります。聞いてくれますか」
そのとき母はなぜか兎のように赤い目をして言った。
「生まれつきひ弱な妾はおそらくお前が成人した姿を見ることはありますまい。だからいまのうちに言っておきます。お前は芯が強くて身体も壮健ですが、ややもすると抑えがきかなくなる質です。だがいつまでもそういう質のままでは、とりわけ冷静さが求められる商人など勤まりません。ですからこれから先は、父さまや仁右衛門どのの言いつけをよく守って、何ごとにも穏やかな心で取り組むよう心がけなさい。分かりましたね」
母はその言葉の通り一年後に死んだ。広当はいま、そのときと同じように吾妻大夫の乳房をまさぐっている。そして必ずしも母の忠告を守っているとは言えない自分に心のどこかで怯えていた。
「遊女というものはその位をきわめて太夫になり、貴顕の方々から引く手あまたのご贔屓をいただきましても、決して幸せではござりません。それよりもこうして、吾妻いのち、と思っていただける殿御お一人があれば、遊女は、妾は、吾妻は、何より幸せなのでござります」
吾妻大夫はそう言うと、また夜具の中で細い足をからませた。
今宵は二度目となるめくるめく世界に引き込まれながら、広当は瞼の裏で母の顔と父の顔、そして仁右衛門と勘七の顔を思い泛べていた。また交合の快感で滾り立っている脳味噌の中では、四人から受けた忠告や諫言の数々が沸騰する湯のようにぐるぐると渦を巻いていた。だがそういった怯えの意識すらも初めて知る性の愉楽のうちにたちまち消え去っていった。
思い通りの展開に安左右衛門たちはほくそえんだ。
彼らはここを先途と若い広当を煽りに煽って、破天荒などんちゃん騒ぎを繰り返した。新町を取り囲んでいる掘割りに湛えられた水くらいの酒を飲み干し、遊女を「総揚げ」して世間の人たちから顰蹙を買うこともたびたびあった。果たして何万貫の銀が費消されたのか、資料が残っていないので詳らかではないが、広当は蕩児として名をはせた父の重当ですら呆れ返るほどの現銀を注ぎ込んで、遊蕩のかぎりを尽くしたのである。
そればかりではない。安左右衛門が連れてきた取り巻き連中が何やかやと理由をつけて広当から金を引き出した。たとえば骨董屋の与兵衛などは、
「広当さま。最近、手前どもに、藤原定家卿がお書きになったという珍しい色紙が手に入りましてね。さる京のお公家はんが手もと不如意ということで手放しはったんを、幸運にも手に入れましたんやけど、早くもその噂を聞きつけた鴻池はんが、是非とも譲ってくれ、と矢の催促ですねん。そやけど手前としてはこないに親しゅうしてもろてる広当はんへお譲りしとうおますのや」
と告げて、怪しげな小倉色紙を莫大な金額で売りつけたことがある。まして茶器や古陶器や掛け軸の類いに至っては、真贋や価値などそっちのけで勝手に持ち込んだから、その数は数え上げるときりがない。また噺家を自称している彦六は、
「わてらみたいなしがない噺家には芸を披露する場がおまへんのや。そら、米沢彦八はんとか露の五郎兵衛はんくらい有名になりはったら、生玉(神社)はんの社頭で興行しはっても、ぎょうさんな客が集まりますけどな。駆け出しもんの噺家は定打の小屋がないことには、芸も磨けまへんし世すぎもでけしまへん。えっ。彦六というからには米沢彦八の弟子やろですてか? いやまあそれはともかくとして、そういう事情ですさかい、小屋が開けるように理解ある篤志家に助けて欲しおすねん」
と得意の口八丁を生かして、広当から何度も大枚の金を引き出している。そのくせお座敷なんかでたまに披露する肝腎の小話などは幇間よりも下手くそで、米沢彦八や露の五郎兵衛などこの時期に登場した上方落語の始祖たちにつながる男とは到底思えない。言うまでもなく定打小屋などいつまでたっても出来あがらなかった。
浪人の近藤軍太夫や能の師匠の富川にしても、またその他大勢の仲間たちにしたところが、まあ似たようなものである。与兵衛や彦六ほどにはあざとくはなかったが、何やかやと理由をつけては広当に無心をし続けた。そのさまはちょうど淀屋という巨大な屋台骨に取りついた羽根蟻の群れのようだった。
いっぽう広当が留守がちになった淀屋では、立て続けに不祥事が発生していた。
鶴田錦吾と作蔵が仕掛けて嘉助が引き起こした事件を最後に、ここ十年ばかりは起こらなかった現銀の拐帯逃亡が、またぞろ続発しはじめていたのである。
「仁右衛門どの。これはいったいどういうことです」
ひさびさに新町から帰ってきた広当はそのことを知ると、こめかみに青筋を立てて総支配の牧田仁右衛門を詰った。
「まったく弁解の余地もありません。お留守中の僅か十日ばかりのあいだに、このような失態を二度も引き起こしました責任のすべてはこの私にございます」
白くなった髷の先端を畳に擦りつけて、仁右衛門はひたすら広当に詫びた。そういう姿は長らく仕えた先代の重当に対してすら一度も見せたことがないほどの屈辱的なものだった。
「すぐに奉行所へ届けたのでしょうな」
「いえ、それは…」
「なにを馬鹿な。こんな大金を二度も持ち逃げされながら、どうして真っ先に被害を届け出ないのです」
感情を昂ぶらせた広当は店先まで聞こえるほどの大声をあげた。
手代の勘七は廊下に膝まずいて、はらはらしながらそんな二人を見守っている。だが広当の火の出るような詰問にもかかわらず、仁右衛門はしばらく黙したままそれに応えようとしなかった。返答に窮しているわけではないはずである。憤激の頂点にある広当の激情がおさまるのを凝っと待っているのだろう、と勘七は推測した。
やがて仁右衛門はおもむろに口をひらいた。
「お言葉を返すようですが、誰もが目を剥くような大金だけになおさら奉行所への届け出は憚られるのです。淀屋の金はいわばお大名からの預かり金でもあります。そんな大切な金を二度も続けて安々と雇い人に持ち去られたなどと届け出れば、お店の管理や指導の不行き届きを自ら認めることになりましょう」
すると狙い通りに広当はやや冷静さを取り戻して言った。
「ではいったいどう対処すると言うのです。このまま何も手を打たないで放っておこうとでも言うのですか」
「いえ、そうは申しておりません。私の手の者にただちに探索させ、不心得者は必ず捕らえます。それまでこの私にいましばらくのご猶予をくださいますよう」
仁右衛門はまた髷の先を畳につけて広当にそう懇願した。
伏せたまなじりには悔し涙が光っている。若い広当から口汚く叱責されたからではない。重当から総支配として店の仕切りを任されていらい四十年にもなるが、こともあろうに全幅の信頼を寄せてきた雇い人からまたしても裏切られたという事実そのものが、仁右衛門には口惜しくてならなかったのである。
「こたびのことは不心得者だけによる仕業ではない。以前のようにきっと誰かが裏で糸を引いているに違いない」
仁右衛門は別室にさがったあと、勘七を前にしてそうつぶやいた。
「やはり鶴田錦吾や作蔵の仕業でしょうか」
「いや、今回は違うように思う」
ずっと二人の動きを見張らせているもとからの報告に、そういう妙な動きを感じさせるものは何も無かった、と思い返しながら、仁右衛門はきっぱりと言い切った。
それよりもっと気になるのは千次とゆうの二人から寄せられた情報だ。
二人は代わる代わる奉行所や奉行の役宅に張りついていた。その東西の奉行たちに近ごろ不穏な動きが感じられるというのだ。とりわけ東町奉行である太田好寛の動きがこのところあわただしい。江戸の柳沢保明との書簡のやりとりが頻繁になっているうえに、なぜか鴻池善右衛門との会談までが密になっている、という気になる知らせが続々と入っていたのである。
そこへもってきての広当の乱行である。
熊吉による最近の調べによると、親戚筋の安左右衛門はともかくとしても、広当はあの憎んでも余りある彦六や近藤軍太夫とも交遊を重ねている、というではないか。波瑠は倉吉の地で疑いようもなく毒殺された。ただその下手人なり仕掛け人が彦六だという確たる証拠はない。だから仁右衛門としては、そういう悪人との交遊はただちにやめてほしい、と広当へ進言することもできないでいるのだ。そればかりか倉吉での失態を自分の手で取り戻したい熊吉にしてみれば、ようやくにして彦六を見つけ出したのだから、このままいつまでも手を出さずに放っては置かないだろう。仁右衛門としては熊吉の暴走を未然に食い止めるためにも、新たにもとまでをならず者たちの周辺に配さねばならなかった。さっき広当に対して、不心得者は必ず捕らえます、と大見得を切ってみたものの、実はもうそういう探索をさせる手勢などほとんど残っていなかったのである。
「妙だな、作蔵。そうは思わぬか」
鶴田錦吾は竹箸の先にうどんをからませながら首を傾げた。
「へい。確かにおかしなことが最近目につきます。以前なら商いにまつわる揉め事など下っ端役人に処理させていた奉行所が、最近は取るに足りないような事件にまで、与力の旦那がたを動員して真剣に取り組んでいるんですから」
作蔵はそう答えると早くも食べ終えたうどんのだし汁を啜った。
「それも、これまでならわざと目を瞑ってきた淀屋に関わることばかりだ。淀屋の内情なら儂がいちばんよく知っている。それを知っていながらなぜ奉行は儂に探索方を命じないのだ」
「近ごろは、これまでなら会えば冗談の一つも交わしていた下っ引き仲間までが、あっしを避けておりますようで」
「まあ、我らはこれまで勝手気ままな動きをしてきたからな。無理はないとも言えようが、それにしてもどうも得心がいかぬ」
鶴田錦吾は歯切れの悪い口調でそう言った。
錦吾は一間ほど離れた席でつつましくうどんを食べている若い女のほうをちらと偸み見た。若い女は芝居見物の帰りらしく、美しい衣装で着飾っている。商家の女将と思しき母親が一緒だった。
「まさかとは思いますが、今ごろになって嘉助の事件とか春雪や波瑠殺しのウラを取っているんじゃないでしょうね」
作蔵はそう言うと唐辛子より自分の言葉のほうにむせた。
「嘉助は前もって指示しておいた通り日向の国まで遠く逃げのびている。長患いをしていた母親を亡くしてしまったおまさは、あの事件の直後に東郷湖へ身を投げて死んでしまった。心配するな。ウラなど取れるわけがない。ただ…」
「そうなんです。あのとき江戸へ追いやったというのに、いつの間にか大坂へ舞い戻っている彦六の野郎が気になるんです」
「あいつはお前に何度も忠告したように、口軽なうえに尻軽な男ときている。確かに始末が悪いな」
「へい。やつはその尻軽さでいま安左右衛門に近づいています」
「そのようだな。たかが淀屋の分々家の入り婿に過ぎないというのに、安左右衛門め、いまでは本家当主の後見人気取りだ。羽振りもずいぶんよくなった。彦六のやつ、いったい何を狙って安左右衛門などに近づいていやがるのだ」
錦吾はまた若い女のほうを見やりながらそう言った。
べつにその女に興味があるわけではない。錦吾はその女にもとの面影を見ていたのだ。もとはあれいらい頻繁に与力町の屋敷を覗いてくれるようになっていた。時には部屋や庭の掃除をしたり、夕飯や酒の肴をつくってくれることもある。だが知り合ってからすでに五年が過ぎ去り、二年前には勇を鼓して結婚を申し込んだけれど、もとは困惑して言を左右にするばかりだった。
「それともう一つ気になることが…」
作蔵がそう言いかけると、錦吾がすぐそのあとを引き取った。
「そうよ、拐帯逃亡事件だ。あの憎い重当が死んでしまったいま、このからくりを知っているのは儂とお前と仁右衛門だけのはず。だからこそ十年のあいだこの種の事件は起きなかった。それがなぜいまになって立て続けに起こるのだ。いったい今度は誰がやらせているのだ」
「少なくとも仁右衛門ではありません」
「儂もそう思う。奉行所の目がそれほど厳しくなかった十年前ならばともかく、いまは危険極まりないからな」
「もちろんあっしでもありませんよ」
作蔵は汚い歯を剥き出してそう言うと、錦吾をからかうような目つきになって自分も商家の若い娘のほうをを偸み見た。
「そうか。そいつは残念だったな。もしお前の指図だったなら褒めてやるつもりでいたんだが」
そう答えると、錦吾はすいと大刀を取り上げて立ちあがった。
「ちょっと待っておくんなさいよ」
錦吾が啜っていたどんぶり茶碗の中には、まだ半分以上のうどんが食べ残されている。それですっかり安心して寛いでいた作蔵はそう言って椅子を蹴ると、慌てふためいて錦吾の後を追った。
「おそらく二つの動きの根は一つだ。その根の在り処によっては我々の身も危ないだろう。作蔵、これは何としてもことの仔細を調べあげるのだ。必要ならどんな汚い手を使ってもよいぞ」
うどん屋を出ると、錦吾は掘割りの向こうを厳しい目で見つめながら作蔵に強く命じた。その視線の先には新町の東の大門があり、堀と板塀に囲まれた制外の町割りがあった。
「たぶんいまも広当は桔梗屋へ吾妻太夫とともに入り浸っていることだろう。いい気なものだ。自分の店が危機に瀕しているというのにな。儂には仁右衛門という男が急に哀れに思えてきた」
鶴田錦吾はそうひとり言をつぶやくと、手に持った大刀をおもむろに腰にさした。そして掘割りの向こうから吾妻太夫ではなく、なぜかもとの声が自分を呼んでいるような気がして、また後ろを振り返った。
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