第七章 重当父娘死す

             第七章 重当父娘死す


 年は明けて元禄十年(一六九七年)、家々からようやく松飾りが取れたばかりの一月のことだった。

 淀屋には手代が三十人余りもいる。総支配の牧田仁右衛門は、年頭にあたりその手代たちを大広間に集めて、波乱含みのうちに手仕舞いをした昨年の相場と商いを総括したあとで、実務を取りし切っている店の幹部としての心構えを訓示していた。 

 「ところでいま世間では米、野菜、魚など、何もかもが値上がりしている。またこういう事態に立ち至ると商いの常で、たちまち禁じ手の買置や締売が横行しはじめる。みなも知っての通り、一昨年、網干屋さんが闕所追放の憂き目に遭われたのも、お上から米を買い占めたという嫌疑をかけられたからだった」

 仁右衛門はそこまで話すと一息ついて一同を見まわした。

 江戸期には、買い占めのことを買置といい、売り惜しみを締売と呼んだ。激しい物価騰貴に悩まされた幕府は当然ながらこういう不正を厳しく糾弾した。仁右衛門の話に出た網干屋善右衛門はその罪に問われた商人の一人なのである。

 それでは「闕所追放」とはどういう刑罰だったのか。『国史大辞典』(第五巻、吉川弘文館発行)によればこうなる。

 《江戸時代の闕所は没収刑である。『公事方御定書』によれば、磔・火罪・獄門・死罪・遠島または重追放に処せられた者の場合は、その田畑・家屋敷・家財とも闕所となる。また追放には重・中・軽追放の三級があったが、闕所は付加刑として課せられたのである》(一部抜粋による)

 この言葉の意味は終章まで記憶にとどめておいてほしい。

 さて、仁右衛門が訓示をはじめてからすでに四半刻(三十分)が経っている。しかし彼が一息ついているあいだも、手代たちは誰一人として咳払いすらしなかった。

 「網干屋さんは無実だという人がいる。買置や締売などしていないし、お上がそういう罪科のもとに世間や同業者への見せしめにしたのだと噂する人もいる。だがこの事件はことの真偽が問題なのではない。我らがそこから学ぶべきは、そういう嫌疑をかけられるような弱みや素振りを見せないということだ。またそのためにますます身を慎めということなのだ」

 手代たちは神妙である。まるで石の五百羅漢みたいにずらりと居並んでいる。六人ずつが横並びになった手代の席順には自ずから序列があった。勘七は前から数えて二列目の左端に座っている。つまり三十余名の手代の順位では七番目ということになるだろう。彼は現代風にいうならいわゆる途中入社組である。叩き上げ組とは違って小僧の経験もほとんど無い。それだけに異例の出世だったといえよう。

 「そしてこれからはもっともっと厳しいお上や世間の目が我らへ向けられようとしている。それはこの淀屋がすべての市場を宰領している日の本一の大店だからだ。つまりやろうと思えばどのような不正もできる立場にあるからだ。それだけにお上からは言うまでもないことだが、商いの仲間や世間の人達からも、決して後ろ指を指されたりしないように行動しなければならんのだ」

 身を乗り出して仁右衛門がそう続けたときだった.。

 急に店表の方角からばたばたと騒がしい足音がした。ふだんは店頭に立ってお得意の案内係をしている丁稚の一人が、息せき切って大広間へ飛び込んできたのである。  

だがその丁稚は三十余人の上司が一斉に自分を振り返ったのを見て、一瞬その場に立ちすくんでしまうと、雪だるまが崩れるように畳の上へ膝を落した。

 それでも何とか気を取りなおした丁稚は、最後列に座っていた手代の一人に擦り寄って低い声で何やら耳打ちをした。とたんにその手代が顔色を変えた。そして昂奮に舌をもつらせながら叫んだ。

 「総支配。大切なお話の途中ではありますが、取り急いでお伝えしなければならないことが出来しました」

 「何だ。かまわぬから申せ」

 落ち着き払った声で仁右衛門は答えた。

 「はい。それでは申し上げます。たったいま店先へ倉吉の孫三郎さまからのお使いが到着したそうです。総支配と旦那さまの両方へお伝えしなければならぬ火急の用件があるとか」

 「そうか。してその使いは飛脚か。それとも多田屋の者か」

 「飛脚でも多田屋さんの使用人でもなく、ただ熊吉と名乗っているそうです。孫三郎さまからの書状を携えていますが、これは総支配へ直接手渡すように命じられている、と言っています」

 熊吉というのは千次の手下の一人である。昨年の春、仁右衛門たちが陸路で波瑠を倉吉へ送って行ったとき、熊吉たちは兵庫尼崎の沖合から北前船に乗り込んで、多くの金銀や荷駄とともに海路を辿って橋津の湊へ向かった。千次が帰ったあともそのまま倉吉の地に留まって波瑠の身を守るためである。 

 「よし。その者を旦那さまの部屋へ通すのだ。儂もすぐ行く」

 仁右衛門が素早く指示を飛ばすと大広間には低いざわめきが起きた。

 ただならない雲行きを目の前にして、勘七の顔にも動揺の色が走っている。だが仁右衛門は静かにそれらを制して言った。

 「静まれ。みな静まるのだ。なにも心配はいらぬ」

 その一声には重みがあった。ざわめきは瞬時に静まった。

 「みなの者、よく聞くのだ。最後にもう一度だけ言っておく。決して人から疑いを持たれぬよう、ひたすら身を慎んでくれ。いまはそれがこの淀屋の暖簾を守る最善の道だと儂は思っている。だから年頭にあたってはっきりと申し伝える。もしお前たちの中から悪事に加担する者が出れば、儂はただちにその者を奉行所へ突き出すであろう。絶対に容赦はしない。それがたとえお店のためを思ってやったことであったとしてもだ。分かったな」

 全員が申し合わせたように深々と頷いた。見事な一致である。心を一つにした手代たちの姿には、総支配としての仁右衛門に対する信頼の気持が満ち溢れていた。

 いっぽう当主の重当は奥の間で病の床に臥せっていた。

 骨ばった顔の色はどす黒くて、からだには浮腫みが見える。昨夏の大坂はいつもより蒸し暑くて、夏の終わりにはいきなり寝込んでしまった。しかし暑気あたりなどではない。かかりつけ医師の玄斎があらためて診立てを述べるまでもなく、誰の目にも明らかな肝臓の病だった。玄斎はご禁制の密貿易にまで手を染めて、これまで種々の医薬を求めてきた。だがそんな彼の懸命の努力も空しく、重当はもう葛湯すら飲めないほど重篤だったのである。

 その重当はいま床の上に起きあがっていた。しかし先ほど仁右衛門が手渡した孫三郎からの手紙を握りしめたまま、まるで居眠りでもしているかのようにゆらゆらと頭を揺らせていた。

 「波瑠からは去年の秋の終わりに、少しばかり体調を崩した、という報せがありましたが…」

 何事にも動じない仁右衛門がさすがに声を震わせて言った。

 「…やはりあのとき、玄斎どののお弟子を倉吉へ派遣しておくべきでした。いや、そんなことよりも、せめて千次かもとが、いえこの私自身が、いましばらくのあいだ倉吉の地に残るべきでした。そうしておればこのような結果には…」

 するとしわがれ声を搾り出すようにして重当が応じた。

 「お前らしくないぞ、仁右衛門。あいつは実の父親から捨てられたうえ、早々と二人の母親まで亡くした。離婚まで果たしたというのに、惚れた男とは一緒になれんかった。思えばこれまでもずいぶん重たい荷物を背負うてきたんや。このうえさらに重荷を背負わせるなど、どだい無理な相談やったんや。地獄の入り口まで追い詰められたり、長々と塗炭の苦しみを味あわされたりせんうちに死んだんが、せめてもの救いと言えるやないか」

 「しかし波瑠は何者かに毒を盛られたのですぞ」

 仁右衛門はそう叫ぶと噛み切ってしまうような勢いで下唇を噛みしめた。そして敷居ぎわに這いつくばっている使いの熊吉と、勘七からの急報によって駈けつけてきたばかりの千次のほうを振り返った。

 「熊吉。あの彦六が波瑠付きの医師を抱き込んでいたことに、お前たちは誰一人気がつかなかったのか」

 いきなり名指しで問い詰められて熊吉はびくりと肩を動かせた。

 そして恐る恐る頭をもち上げると、仁右衛門ではなく千次の様子をそっと窺った。千次はこけた頬を醜く歪めたまま熊吉を睨みつけている。これがもしこのような場でなかったら、気の短い千次はとっくに自分の脛の一つも思い切り蹴飛ばしていたに違いない、と熊吉は考えた。そう思うと逆に少し気が楽になった。

 「彦六のやつがかかりつけ医者を抱き込んでいたですと? いえ、そんなことは絶対にありまへん。その医者には何度もしつこく問い質しましたが、ちゃんとしかるべき薬を処方したと言い張っています。地元の人間の誰もが頼りにしている男ですし、あっしもあいつが嘘をついているとは到底思えまへんのや。第一、波瑠さまが飲まされはった毒薬は石見銀山ですぜ。あいつがほんまに彦六の仲間やったら、そんなありふれた毒を使うたりしまへんやろ」

 「それなら薬はどこかですり替えられたというのか…」

 「そうとしか思えまへん。そいつを見抜けんかったのはあっしらのドジです。その点は深くお詫びいたしやす」

 「それでいま彦六はどうしているのだ」

 「それがその……。天神川のお屋敷が上を下への大騒ぎになって、やつからちょっと目を離した隙に逃げられてしまいました。あっしらが慌てて仲之町にある一膳飯屋の二階へ踏み込んだときは、すでにもぬけのからでして。恐らく結果を見届けてから、雲を霞と大坂へ舞い戻ったものと思われます」

 かろうじてそう報告すると熊吉は小さくなった。すると千次がとうとう堪え切れなくなって熊吉を怒鳴りつけた。

 「馬鹿野郎。せめても彦六のやつを捕まえたうえ日本海へでも叩き込んでくるのがお前の役目だろう。それをおめおめと逃がしやがって。これじゃあ波瑠さまが浮かばれねえや」

 「面目ない。何もかも兄いが仰る通りで。しかし波瑠さまの仇はこの熊吉が大坂で絶対に取ってみせます」

 「だからお前は馬鹿野郎だと言うんだ。伯耆の国ん中ならいざ知らず、この大坂で彦六や作蔵を殺ってみろ。同心の鶴田錦吾が黙っちゃいない。それに旦那さまやお頭にだってえらい災厄が降りかかるんだ。そんな簡単なことも分からねえのか」

 千次はこめかみに蚯蚓のような青筋を立てると、右の拳を振り上げて悔しがった。その剣幕の激しさに熊吉は亀のように首をすくめてまた板敷きに這いつくばった。

 「そうか、おまさだ。下女のおまさがやつらの手下だったのだ」

 思案にふけっていた仁右衛門がいきなりそう言うと、

 「えっ、何ですって。波瑠さま付きになったあの下女のおまさが。するってえと春雪さまもあの女狐が…」

 千次は狼のように両眼を光らせて唸った。二人の声を耳にして板敷きから顔を上げた熊吉のほうは、まるで脳裏に浮かんだおまさの姿へ飛びかかろうとしているかのように、早くもその場で腰を浮かせている。そして大声で叫んだ。  

 「おまさなら橋津の生まれやから彦六のようには逃げられまへん。あっしはいますぐにでも倉吉へ取って返しておまさのやつを問い詰めてみます。いや絶対に生かしちゃおかねえ」 

 熊吉は激昂の極みにあったけれど誰一人として制止しなかった。

 それをよいことに熊吉はたちまち部屋を飛び出して行った。

 「儂より早く死ぬやつがあるか…」

 孫三郎からの手紙にもう一度目を通しながら、雑候場に並んでいる干物のように干からびた重当がぽつりとつぶやいた。

 見ると膝の上に広げた巻紙へぽとぽとと落ちるものがあった。それはたちまち大きな染みとなって広がり、青黒く墨の跡をにじませた。

 淀屋重当は泣いていたのだ。

 二人の妻と五人の子を亡くしたときですらただ唇を噛みしめるだけだった重当が、僅か一年前に父娘の名乗りをあげたばかりの波瑠の死に遭遇して、人目もはばからずに泣いているのだった。まさしく死魚のように光を失ってとろりとした目の奥底には大量の涙が堪っている。その涙は波瑠が客死した倉吉の地にほど近い東郷湖の水のように濃い緑色をしていた。


 「よくやったな、彦六。錦吾さまもお喜びだ」

 作蔵はそう言って大仰に彦六を労うと、床の間を背にして座っている鶴田錦吾のほうを振り返った。

 鶴田錦吾はだらしなく脇息に凭れかかって、真昼間だというのにしきりと酒を口に運んでいる。訪れたときからいかにも不機嫌そうな様子だったことが作蔵の気にかかっていた。だが作蔵は構わずに目線で主人を促した。 

 「彦六とやら、慣れぬ土地での働き、ご苦労だったな。儂からも誉めて遣わそう。まあ、一杯やらぬか」

 鶴田錦吾は大儀そうにそう言うと、自分の盃を差し出した。

 作蔵はとりあえずほっとして頷いたあと、にじり寄ってその盃を受け取った。そして主人に代わって彦六に持たせた盃へなみなみと酒を注いでやった。

 「ではお言葉に甘えて遠慮無くいただきやす」

 彦六はそう言うなり、いかにも遊び人らしく一息に盃を呷った。だが錦吾は冷ややかな目つきでそんな彦六を見つめている。その口から飛び出した次の言葉はまことに辛辣きわまるものだった。

 「だがな彦六。事件のほとぼりもまだ冷めきらぬうちに、早々と大坂へ舞い戻ってくるとはどういう了見だ」

 そう強い言葉で詰られた彦六は、とたんに酒を喉に詰まらせて咳き込んだ。作蔵も吃驚して手にしていた徳利を取り落としそうになった。そしてその場を何とか取り繕おうと急いで言い添えた。

 「いや、彦六は持ち金が寂しくなったのでちょっと大坂へ立ち寄っただけです。堂島新地あたりで一晩ほど遊ばせたら、明朝にでも江戸へ発たせるつもりでおります」

 ところが作蔵の弁明を聞いた当の彦六は大慌てで異見を述べた。

 「えっ何やて、作蔵はん、そんな殺生な。なんちゅうても一年ぶりの大坂でっせ。そら倉吉ではええ目をさせてもらいました。仲之町の若後家や東郷と三朝の湯女も捨てたもんやなかった。そやけどな、わいにはやっぱり上方の女のほうが合うてまんねん。作蔵はん、このさいやからはっきり言うときますけどな。わいは当分この大坂を離れるつもりなんかおまへんで」

 「何を阿呆なこと言うてるねん。江戸が厭ならどこでもええ。ともかく頼んだ働きを終えたらしばらく上方から姿を消すというのが、俺とお前の約束やったはずや」

 「そんなこと言うたかてそら殺生というものや。わいにも前から深い馴染みの女郎がおることやし…」

 それでも彦六はまだぶつぶつと文句を言っている。

 大坂は与力町にある鶴田錦吾の屋敷だった。錦吾は妹の紀代たちが一家心中を遂げてからは全く身寄りもなくなって、父が遺してくれたその家でずっと一人暮しを続けていたのである。

 この日、鶴田錦吾は非番だった。それで出入の酒屋が味噌と酒を届けにきたのを幸い、その小僧に使い走りを頼み込んで、二ヶ月ばかり前に知り合った町娘を自宅へ呼ぶことにしたのだ。道頓堀の竹本座の前で初めて会ったときから、野に咲く竜胆のように可憐なもとというその町娘に、錦吾は強く惹かれていた。もとは唐物屋の娘だということだったが、おきゃんなところや尻軽なところがまったく無い。時間をかけて話すうち、かつて江戸にいたころは武家屋敷へ奉公をしていたことがあると知って、なるほどと納得した。

 さらにもとという娘は江戸育ちではあるが大変な芝居好きで、唐物屋の父が居を移したのを機に生まれ故郷である大坂へ立ち戻り、いまや人気絶頂にある近松門左衛門へ師事して、女だてらに人形浄瑠璃の台本作家を目指している、ということだった。もとのそういう一風変わったところまでがまた錦吾の気に入っている。錦吾は三十歳を過ぎたいまも女を知らなかった。遅まきの初恋なのである。そういう経緯があったから今の今まで、家まで来てくれたそのもとと二人きりで楽しいひとときを過ごしながら、旨い酒を飲んでいたのだ。そこへいきなり作蔵が顔を見せたばかりか、会いたくもなかった彦六を連れ帰ってきたのである。機嫌のよかろうはずがない。

 「ときに作蔵。この彦六を屋敷へ連れ入るところを、誰かに見られたりはしなかっただろうな」

 昼間からの酒にかなり酩酊して怪しげな呂律になっている錦吾が、さらに追い討ちをかけるようにそう言った。

 「それはもう。裏口からそっと連れ込みましたから」

 「しかしもとさんには見られてしまった」

 「へい、それにはあっしも大変驚きました。まさか客人がおいでになっているとは思わなかったもので」

 「それがお前らしくないと言うのだ」

 「確かに迂闊なことで、彦六を連れ入る前に確かめるべきでした」

 「倉吉では大きな手柄を立てたんだという嬉しい気持は分かる。だが手を汚してきたばありのその張本人を、こともあろうに役人の家へ引き入れるとはな。きつい言い方になるがお前も耄碌したと言わねばなるまい」

 「……」

 重ねての錦吾の叱言は少々やつあたり気味だった。作蔵はがっくりと肩を落として押し黙ってしまった。

 だが鶴田錦吾の苛立ちは別のところにあった。春雪に続いて波瑠までも殺めてしまった作蔵のやりかたに、強い遣り切れなさを感じていたのである。生まれて初めてもとという女を愛したことが、その思いをさらに強くしていた。だから錦吾は次の言葉も感情のおもむくままに吐き捨てるように言った。

 「もうよい。彦六へ手渡す礼金なら仏壇に用意してある。紀代たちへの報告を済ませたらそれを持ってすぐ立ち去ってくれ」

 「へい、そう致します。おい彦六、行くぞ」

 作蔵はそう応えると弾かれたように立ち上がった。すると余りにもぞんざいな扱いに腹を立てた彦六のほうも、

 「はい、はい、分かりましたよ。礼金さえもろうたらこんなところに用なんかあらへん。なんやねん、こちとらは遠国まで出かけて命がけの仕事をしてきたってぇのに、そっちは真っ昼間から女を家へ引っ張り込んでの酒盛りかよ。これじゃあ川口屋はんも墓の下で泣いたはるで」

 と精一杯の憎まれ口を叩いて汚い尻をからげた。

 主人に対する度を過ぎた暴言に狼狽した作蔵はきつい目で窘めると、彦六の胸ぐらを指先で突つくようにして廊下へ押し出した。そしてさきほどいみじくも錦吾から指摘されたように、自分はなぜこんなやつをお屋敷にまで連れ込んでしまったのかと、いまさらながら後悔の臍を噛むのだった。

 「錦吾さま、お客さまはもうお帰りですか」

 二人の姿が消えると、もとはそう言って部屋へ入ってきた。

 もとはすぐに台所へさがって三人の様子を窺っていたのである。自らもこの家の客の一人ではあったけれど親族ではないし許嫁でもない。ただ女手がないことを理由に、湯茶の接待や酒席の世話などに出しゃばるのはまずいと思ったし、出来ることなら作蔵や彦六とは長く顔を合わせたくなかったのだ。

 「あいつらは客なんかじゃありません。私が使っている下っ引きです」

 錦吾はもとのにこやかな顔を見るなり、慌てて脇息から身を起こしてから、しゃんと背筋を伸ばしてそう答えた。

 「ただ声高に何か言い争っておられたご様子ですが」

 「それは私の意に反して馬鹿なことをしでかしてきたからです。だから思いきり叱りつけてやりました。気にしないでください」

 「遊び人風の方はいま旅から帰られたばかりのようでしたね」

 「ええ、まあ…」

 そう指摘されて錦吾は何となく言葉を濁した。そして手を伸ばして徳利を引き寄せるとまた手酌で酒を呑んだ。

 もとは酒を温めたり、肴をつくって運んでくれるけれども、酌のほうは一度もしてくれなかった。錦吾としてはそれが少しばかり不満だったが、酒屋の小僧を使いにやっただけですぐに家まで来てくれたもとの気持には、心の底から満足していた。一人だけ使っている下女は母親が危篤に陥ったとやらで、小正月を過ぎた頃から紀州へ里帰りしている。だからいまこの屋根の下にいるのは二人きりなのだ。生娘と思われるもとが男に酌をすることなどを本能的に警戒するのはやむをえないことだった。

 「ごめんなさいね。向こうで少しはらはらしていたもので、他聞をはばかるお役目のことまで詮索してしまって」

 口ごもった錦吾へもとは美しい睫毛を伏せてそう詫びた。

 「いえ、役目がら話せないことは幾つかあっても、それ以外であなたに隠し事をするつもりはありませんよ。実をいうと、あの遊び人風の男は彦六というのですが、やつは伯州の倉吉からいま立ち帰ったばかりなんです。一年ばかりのあいだ向こうに留まって、私が命じた大切な仕事をしてくれていました」

 「そうなのですか。ではその彦六さんとやらは倉吉で大切なお仕事を終えられてのお帰りだったのですね」

 そう言ったもとの目がそっと伏せた睫毛の下で鈍い光を放っていた。しかし真っ昼間からの酒でしたたかに酔っていて、なおかつ自分だけが幸せな気分にひたっている錦吾は気づかない。

 「まあ終えるには終えたのですが、ちょっと向こうでやり過ぎたものだからそれで叱りつけていたのです」

 「むつかしいのですね。お役人さまのお仕事というものは」

 もとは哀しげにそう応えると、白い腕を伸ばして外障子を引いた。

 するとたちまち部屋の中へ冬の冷気がなだれこんできた。一尺ばかり引かれた障子の隙間からは広めの庭園が見える。御影石でできた手水鉢のそばで赤い寒椿が咲いていた。母のゆうが大好きな花である。旅の宿で愛する男にたった一度だけ抱かれたとき、旅籠の庭にその花が咲いていたのよ、とゆうは娘のもとが初潮を迎えた夜に教えてくれた。また、お前はそのときに授かったんだよ、とも女の恥じらいを見せながらも言い添えた。すでに自分自身が二十歳を過ぎたいま、母のゆうが言ったその、愛する男、が誰なのか、もとには持ち前の鋭い勘でほぼ推測がつきはじめている。

 「ところで浄瑠璃の台本書きのほうは進んでいますか」

 鶴田錦吾は煙草盆を引き寄せながら訊ねた。せっかくまた二人きりになれたのである。酒はもうやめようと思った。

 「とんでもありません。女のわたしにお芝居の台本などそう簡単に書けるものではありませんわ。いまはまだ近松さまのお手伝いをさせていただいているだけです」

 もとはまた腕を伸ばして外障子をそっと閉めながら言った。しかし瞼の裏にはまだ寒椿の残像が赤く滲んでいる。

 「ほう、どんなお手伝いですか」

 「近松さまがこれからお書きになろうとしているお話のネタを集めることですわ。お役に立てるかどうかは分かりませんが」

 「それはとても興味深い。たとえばどのような?」

 「そうですね、近松さまはいろいろなことに興味をお示しになりますが、たとえて申せば淀屋さんのことでしょうか」

 「なに、淀屋ですと。近松どのはいったい淀屋の何を書こうというのです」

 錦吾は刻み煙草に火を点けるのも忘れて身を乗り出した。

 「日の本一番の豪商が、つまり淀屋さんとおぼしきお店が、お上の手によってある日いきなり取り潰されてしまうというお話ですわ。じつに理不尽なことですし、あり得ないようなお話ですよね。ただこれはあくまでお芝居の内容を面白くするための筋書きとして近松さまがお考えになったことですし、それをそのまま露骨に世間へ発表したりすれば、それこそ手鎖くらいの罪では済みませんからね。最終的にどのように扱われるのかは存じませんが」 

 「それは確かにそうですが…」

 「近松さまはまだこのお話をお終いまでは書き上げておられませんし、このさきその台本が舞台にかけられるのかどうかも、わたしなどには分かりかねますが、題目のほうはとっくに決まっているのですよ。それはね『淀鯉出世滝徳』(よどごいしゅっせのたきのぼり)というんです。あっ、いけない。錦吾さまは奉行所のお役人だったってことをすっかり忘れていた。どうしましょう」

 もとはそう言うと着物の両袖で慌てて口を覆った。

 いかにも邪気の無い仕草に見えた。錦吾はそんなもとを愛しげに見つめると、朱に染まった顔に苦笑を浮かべつつ言った。

 「いま聞いた芝居の内容と題目は小屋にかかる日までこれからもずっと忘れずに覚えておきますよ。しかしもとさん、どうか安心してください。このことは決して誰にも洩らしたりはしませんから」

 もとはまだ子どもの頃に江戸へ下ったので大坂では面が割れていなかった。だから敵の目が彼女のほうへ向けられないうちに、あえて千次とゆうの手もとを離れて、近松門左衛門の家に身を寄せていたのである。またその近松門左衛門は、永年の恩人でもあった淀屋重当の頼みを引きうけて、問答無用にも近いかたちで公儀による淀屋の取り潰しが起きるであろうことを匂わせる筋立ての浄瑠璃芝居を書き上げ、それを先行して世間へ発表することで多くの人々の関心を引きつけ、逆に公儀の横暴が通せなくなるように先手を打とうとしていたのだ。ただ、実際にこの『淀鯉出世滝徳』が上梓され舞台にかけられるのは、これよりずっと後の十年も後のことになる。しかもそ

のとき、公儀を真っ向から指弾すべき近松門左衛門の筆鋒はかなり鈍っていた。当代随一の人気作家といえども、あからさまに体制を批判し尽くすことには、やはり怖気や恐怖心が生まれたのだろう。

 だからそれを依頼した淀屋重当はこの浄瑠璃芝居を観ることが出来なかった。近松門左衛門としては断腸の思いだったろう。男同志で誓った固い約束が結局果たせなかったからだ。 

 そしていまもとに向かって「その芝居の題目はずっと忘れずに覚えておきますよ」と告げた同心の鶴田錦吾もまた、ついにこの芝居を観ることはなかったのである。


 「母さま…今日は…幾日になりますか…」

 切れ切れではあったが意外にしっかりした声で重当が訊ねた。

 「おう。重当が目をひらきましたぞ」

 ずっと枕辺に座って看病にあたっていた母の妙恵がそう叫ぶと、嫡子の広当と牧田仁右衛門は急いで床の傍へにじり寄った。

 「しっかりせい、重当。今日は一月の晦日じゃ。分かるか」

 妙恵はそう語りかけながら急いで銀の盥を手もとに引き寄せた。

 妙恵はすでに八十歳を越える高齢ではあったがいまなお矍鑠としている。盥の水で湿らせた手拭いをいそいそと絞り終えると、重当の乾き切った唇をやさしく湿してやった。今日もたびたび往診してくれて容体を診てくれたかかりつけ医師の玄斎はさきほど帰ったばかりである。だから枕辺に残っているのは母の妙恵と継嗣である広当、それに総支配の仁右衛門の三人だけだった。 

 今やたった一人の後継ぎとなった広当は十四歳の誕生日を迎えたばかりだった。その広当はいったい誰に似たものか、父の重当も母のもとも小柄だったというのに、ひどく大柄な体躯を金糸銀糸で刺繍した座布団の上で窮屈そうに折り曲げている。

 「分かりますとも、母さま。早や一月も晦日ならば波瑠の葬儀はすでに終わってしまったのですね…」

 唇の乾きがとれて重当の言葉はさらに明瞭になった。

 「そうとも。仁右衛門が急ぎ倉吉におもむいて、すべて恙無く終えてくれました。おまえが気に病むことはありませぬぞ」

 「してその仁右衛門は…」

 「旦那さま。私ならすでに戻っておりますぞ。ほらここに」

 仁右衛門はそう言って力のこもった声をかけると、さらに膝を進めて重当の虚ろな視線の真上に覆い被さった。

 「おう、おう、仁右衛門か。確かにお前は仁右衛門じゃ。やはり儂の臨終に間に合うてくれたんやな。嬉しいぞ。儂はなあ、もうこの世ではお前に会えぬものと半ば諦めていたんや」

 こけた頬に真実嬉しそうな笑みを浮かべて重当は言った。

 「何を言われますやら。春には治るだろう、というのが玄斎どのの診立てです。どうかお気を強く持たれませ」

 「もういい。二人のあいだでそんな嘘は通じぬわ。それよりも波瑠のことなどを詳しく聞かせてくれ」

 「はい。私が宿駅馬を乗り継いで倉吉へ着きましたのは、波瑠が死んでから五日後のことですが、真冬のことでもあり、遺体はまだそのままにしてくれておりました。波瑠は倉吉まで送った一年前より少し痩せてはおりましたけれど、思いがけなく安らかな死に顔でございました。毒を飲まされたのですからきっと苦しかったはずなのに、孫三郎の話ではいまわの際に、できれば父のために孫の一人くらいは遺したかった、とひとこと言い置いたそうにございます」

 「そうか。お前のために孫をとな・・」

 「いや、波瑠が父のためにと言ったのは旦那さまのことです」

 「また見え透いた嘘を言う。お前は商人になってからちと人が悪くなった。これも儂が撒いた害毒の一つかのう」

 重当の思わぬ突っ込みに会って仁右衛門は思わず苦笑した。だがほんらいが生真面目な仁右衛門はすぐさま表情を引き締めると、手に持っていた紫の袱紗から波瑠の位牌を取り出して話を続けた。

 「遺体は旦那さまのご指示に従って、あくまでも牧田家の娘として倉吉にある菩提寺の大蓮寺に葬ってまいりました。これがその波瑠の位牌でございます」

 やや頭を持ち上げた重当は目を細めると波瑠の位牌に焦点を合わせた。次にはそれを我が手に取ろうとしてもがいた。だが枯れ木のようになった腕は、もはや布団の重みすら撥ね退けられない。

 「梅顔春理女か。波瑠らしいええ戒名や」

 代わりに妙恵が捧げ持ってくれた位牌を食い入るように見つめながら重当はつぶやいた。仁右衛門は布団からわずかにはみ出た重当の左手を自らの両手で包み込みながらさらに言い添えた。

 「いまさら申し上げても詮ないことになりますが、あのとき旦那さまがお考えになった通り、倉吉はやはり孫三郎一人に任せておくべきでした。私のわがままと勝手な考えのためにむざむざと波瑠を、いえ岡本家にとって何より大事なお嬢様を死に追いやりましたこと、幾重にもお詫びいたします」

 「何を言うてるのや、仁右衛門。波瑠はどこまでもお前の娘や。そやから儂なんぞに謝ってくれる必要なんかない」

 「ことここに至ってもお気遣いをいただき有難うございます」

 「ただ出来うれば儂も波瑠の墓へ参ってやりたかった」

 「いつか私がきっとお連れしますとも。それを励みに養生なさってください。波瑠も倉吉で心待ちにしておりましょうから」

 「思えば儂とお前は二人で一人やった。言うてみればまさしく日と影みたいな関係やった。しかし生まれてきた日が違うように、どうやら死ぬ日も違うようや。こればかりはどうにもならん」

 「……」

 「お前がいてくれたおかげで好き放題に生きてきた命や。この命、いまさら惜しいなどとは思わぬが、欲を言えばせめて広当が成人するまでは生き長らえていたかった。仁右衛門よ。あらためて広当を頼む。淀屋の行く末を頼んだぞ…」

 そう言った重当の骨ばった指に力がこもるのを、仁右衛門は手のひら全体で感じ取っていた。そして重当のすっかり浮腫んで人相までが変わってしまった茶褐色の顔面に、ほんの一瞬だけ無念の表情が浮かんで、たちまち消え去るのを見てとった。

 「確かに私たちは年をとり過ぎました。とはいえ旦那さまと私はたった二つしか歳は違わないのですよ。どうかそんな気の弱いことを仰らないでください」

 「この期に及んでまで、もうそんな慰めはいらんよ。儂はこれまで存分に生きてきた。夭折した二人の妻や幼いうちに死んだ子どもたちにくらべれば恵まれ過ぎていたくらいの命や」

 一瞬でも無念さを顔に出してしまった自分を愧じるように、重当はその目を仁右衛門から天井へ逸らせてそう言った。

 すると母の妙恵が大きく頷いてみせた。そして孫でもある波瑠の位牌を胸に抱きながら我が子を諭して言った。

 「よう言いやったな重当。確かにわたしとお前とは肉親の死を見過ぎてきました。だからこのうえに見とうはなかろう。だが考えてもみい。わたしはまだお前まで看取らねばならぬのですよ。夫ばかりでなく子や孫の死まで看取らねばならぬような長寿などめでたくもない。むしろ生きながらの地獄なのだから」

 「生きながらの地獄…」

 そうつぶやいた重当の脳裏を、えん(日円)、もと(素月)、春雪、波瑠、そして名前もつけぬうちに死んでいった四人の子どもたちの顔が次々に過っていった。

 妙恵は構わずに話を続けた。

「そうです。親は我が子よりも先に逝くのが順序というもの。それが逆しまになるのを見なければならぬのはこの世の地獄です。わたしたち母子は不幸にもそんな地獄をいっぱい見てきました。しかしお前には春雪と波瑠を亡くしてもなお広当がいる。一人でも我が子を遺して死ねるお前はまだ幸せ者といえるのです」

 気丈な母親からそう諭されて、重当は揃って枕辺に寄っていた広当を見あげた。

 広当は母のもと(素月)譲りの情の細やかさと、父の重当譲りの聡明さを兼ね備えていた。また早世した兄弟姉妹たちの精気を一人占めしたのではないかと思えるほど壮健で、かつ堂々たる体躯の持ち主だった。しかしそんな広当にもたった一つの欠点があった。感情の起伏が激しくて、ひどく癇症なことである。わずか六歳で母のもとと死別したことが心に暗い影を落としていたのだろう。またそれを不憫に思った祖母の妙恵が、いわゆる猫可愛がりをしたために、広当のその性癖はいっそう強まる結果となったのである。

 嫡子に恵まれなかった二代岡本言当の、いわゆる家つき娘として育った妙恵は、淀屋の係累の中では最高の長寿をまっとうして、父の言当、婿養子で夫の箇斎、子の重当と、淀屋の三代を店奥から支えてきたしっかり者である。そんな妙恵が犯してしまった、孫の広当の養育、というただ一つの失敗。それが淀屋の未来を占う鍵になろうとは、むろんいまは誰一人として知らない。

 「広当や。もう少しこちらへ来なさい。そして儂がいまからお前に言うことは大事な遺言やからよく聞きなさい」

 そう声をかけた重当の顔はすっかり穏やかになっていた。

 「はい、父さま」

 「人は独りきりでは何もできん。そやから儂はこれまで仁右衛門を大いに頼りにしてきた。お前も今日からはそうしなはれ。そして仁右衛門の亡きあとは手代の勘七を頼るのや。分かったな」

 「はい、分かりました」

 広当はそう言うとまぶしそうに仁右衛門の顔を見あげた。

 「二つ目の遺言は、遊蕩や豪奢を避けて自分の身を慎め、ということや。公儀の目を欺くためということもあって、儂自身はしばしばその禁を破ってきたが、お前は絶対に父親の真似などしてはならん。公儀の政り事のありようは刻々に変化している。これからの時代はそんなことをすれば公儀の思う壷になるだけやからな。つまり今後はあえて龍の髭に触れるようなことはするなということや」

 「きっとそのように心がけます」

 重当はそこでいったん息を継ぐと愛しそうに広当を見つめた。

 年始を迎えるにあたって妙恵が自ら新たに仕立てた広当の着物はいまにもはちきれんばかりだった。若い生命力がその中に満ち溢れているのがひと目で分かる。また母のもとによく似た顔立ちは歌舞伎役者にしたいほど整っているし、胸もとや指先から立ちのぼっている色気に至っては、十四歳の男子にしてまるで年増女のようでさえあった。それがまた父としての重当には嬉しくもあり、これから死に行く身としては心配の種なのだった。

 「三つ目はな、お前の弟の春雪や姉の波瑠がその跡を継ぐ予定になっていた倉吉の店のことや。二人ながらに死んでしもうたいまとなっては、倉吉の多田屋は仁右衛門と孫三郎に、つまり牧田の家にすべてまかせることとした。そしてお前がやがて成人したあかつきには、多田屋を淀屋の分家として世間さまへ披露しておくれ。つまり牧田家は淀屋岡本家の一族に連なるのや」

 「はい」

 しかしそのとき、二人のやりとりをそれまで黙って聞いていた仁右衛門が、いきなり腕組みを解いて異議を唱えようとした。すると重当はまるで予期していたようにその動きを制した。

 「まあ待て。仁右衛門のほうにも言い分は多々あろう。そんなことは儂にだって十分に分かっている。だがこれはお前とずっと一身同体やった儂のせめてもの感謝の気持なんや。快く受けてくれ」

 そこまで言われると仁右衛門は黙らざるをえなかった。

 「さてこれが儂からの最後の遺言になるが、広当よ、岡本家にはな、遠く平安の御世から受け継がれている家訓がある。それは、もともと皇室御料地の荘官として長く続いてきた岡本家は、つねに朝廷を敬い、天帝を推戴し奉っている、と言うことや。とはいえ公儀の御用を承っている身であるいまの淀屋としてはそれをあからさまに表に出すわけにはいかんが、いつか幕府が滅びて天帝へ政り事が奉還される日も訪れよう。そのときこそ岡本家は身代のすべてを擲って先祖が授かった数々の朝恩に報いねばならんのや。またその日まで淀屋は絶対に潰れてはならんのや。分かったな」

 「よく分かりました、父さま。広当はいまお聞きした四つのご遺言を、この肝に銘じて必ずや守っていくことをお約束します。ここに同席している祖母さまと仁右衛門がその証人です」

 広当はぶ厚い胸を張ってそう言った。

 「ところで広当よ。仁右衛門には今後も総支配として店の采配を揮ってもらうが、さっきも言うたように彼はもう淀屋の雇い人やない。今後はお前の親代わりであり、後見人であり、岡本家に連なる大事な一族なんや。そやから呼び捨てはいかん。これからは総支配のことを、仁右衛門どの、と呼びなはれ」

 「なるほど父さまの仰る通りです。これからはそう致します」

 「それからもう一つ。お前は情に脆くて、堪え性がなく、すぐかっとなる質や。こんな大店を背負っていかなければならない当主がそんなことでは長くは立ち行かん。今後はなにごとにも冷静に対処して、いっときの激情に流されんようにな」

 「はい…」

 父から続けさまにきつい注意を受けたので、広当はそれまでぐっと反らせていた厚い胸を吐いた吐息とともに凋ませた。

 「もうよい。父からの遺言は終わった。お前は祖母さまを連れて奥へ退がりなはれ。あとは仁右衛門と話がしたい」

 重当はそう告げると、網膜に焼き付けるようにまた我が子を凝っと見つめた。そして最後の大仕事をどうにか終えることができた自分に満足してゆっくりと目を閉じた。それを確かめた広当は、さすがに独力ではすぐ立ち上がれなくなっている妙恵へ手を差し伸べて父の枕辺から助け起すと、からだ全体を大きな腕の内に抱え込むようにして部屋を出ていった。

 二人きりになると色々な音が聞こえはじめた。

 広い庭園では鹿威の竹筒が乾いた音を立てている。曽根崎の森から飛来してくる梟がくぐもった鳴き声を響かせている。また部屋の中では燭台の上で灯明の芯がじりじりと焼ける音がする。そしてついには、この部屋からは遠くて聞こえようはずもない水琴窟の水音までが、耳の奥底で鮮やかに木霊しているように感じられるのだった。その水琴窟は、もう六年ほど前のことになるのだが、急に思い立った重当と仁右衛門がお抱え庭師の助言を受けながら、茶室の横に広がる植え込みの中へ力を合わせて作り上げたものだった。

 「静かだな、仁右衛門」

 「はい」

 とりあえずそう応じはしたけれど、重当はこの静寂のことではなく心の中のことを言っているのだ、と仁右衛門は思った。

 「これまで儂は日のあたるところを歩いてきたが、お前は儂の影法師になって損な役割ばっかりを演じてきた。ほんまに済まんことをしたと思うてる。堪忍してや」

 「いまさら何を言われます。旦那さま、私はいまもこう思うのです。もしあのとき京の貴船で旦那さまにお会いしていなければ、こういうご時世ではきっと武士としての仕官の望みも叶わず、おそらく一介の素浪人として市井の片隅に朽ち果てていただろうと。ですからお礼を申し上げたいのはむしろ私のほうなのです」

 「そんなふうに言うてもろうたら少しは儂の心も晴れる。そやけどな、儂は自分が死んでからもなお、子の広当の後見までお前に押し付けんといかんのや。何よりもそれがつらい」

 「それは私からのせめてものご恩返しの一つです。広当さまは淀屋の五代目として私の命の続くかぎりきっとお守りいたします。いえ、私が死んだあとも勘七と孫三郎が支えてくれましょう」

 「なにごとも後の事は頼む」

 「どうかご安心ください」

 「ところで仁右衛門よ。話は変わるが、お前もかつて儂と波瑠がやったように早く父娘の名乗りをあげることだな」

 「えっ…」

 「べつにそれほど驚くことではあるまい。儂とお前は光背をともにした阿弥陀仏やといつも言うてるやないか。そういう儂がゆうさんやもとさんのことを知らんとでも思っていたのか」

 「いや、あの。これは恐れ入りました」

 「なあ仁右衛門よ。もしも堅物で下戸で知られるお前が、その上にただの石仏みたいな男やったら、儂もこないに惚れ込んだりはせんかったやろう。そやからちょっとも恥じ入ることなんかあらへんのやで…」

 二人の最期の語らいはそれからいつ果てるともなく続いた。

 そして重当はこの日を境にして昏睡状態に陥った。

 だが淀屋を名実ともに日の本一の商家にのし上げ、智謀のかぎりを尽くして公儀の横暴を阻んできたその激しい魂魄は、続く閏二月を挟んだ四ヶ月の間もなおこの世にとどまって、驚異的な命の灯を燃やし続けたのである。

 そして重当は四月の晦日になってついに力尽きた。

 淀屋岡本三郎右衛門个庵重当の享年は六十三歳、法名は「清味軒直室个庵居士」と伝えられる。

 その遺体は淀屋の菩提寺である大坂谷町の大仙寺に葬られた。


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