第二章 影ありてこそ

           第二章 影ありてこそ

 「仁右衛門よ、お前が儂のところへ来たのはいつだったかな」

 淀屋重当は、まだ開削されたばかりで更地ばかりが目立っている堂島新地を歩きながらそう声をかけた。

 牧田仁右衛門はその傍で絵図面を覗き込んでいた。絵図面はときおり中洲を過っていく強い川風を受けて、水鳥の羽音のように性急な音を立てている。仁右衛門は風下に大きな背を向けてその川風をさえぎると、絵図面をゆっくりと折り畳んで懐中へ仕舞い込んだ。そして老いたりとはいえ未だ確かな視力で、西国諸藩の蔵屋敷が立ち並ぶ中之島ごしに淀屋のある方向を眺めながら応えた。

 「旦那さまと初めてお会いしましたのは、参議の中御門資煕さまが洛北の貴船でお開きになった恒例の連歌の会でした。私が二十五歳、旦那さまが二十七歳のときです」

 「うむ、そうだったな。そのときのことは覚えている。お前は永井(信濃守)尚政さまと一緒だった」

 「そうです。そのときすでに武士を捨てるつもりだった私は、つねづね商人になるなら淀屋重当という主のもとで働きたいと考えていました。それで永井さまに何度もお頼みして、旦那さまにお会いできる場を拵えてもらったのです」

 永井尚政は松平定綱のあとをうけて伏見に淀城を築き、山城国淀藩十万石を領した幕府の重臣だった。また尚政は父の尚勝とともに文化人としても名が高く、当時の上方の上流社会には欠かせない存在でもあった。その永井尚政に連れられてきた牧田仁右衛門という男の体躯は、小柄な重当よりも二回りは大きく見え、武芸で鍛えた肩や腿の筋肉ははち切れんばかりである。また将棋の駒のように角ばった顔立ちはつねに怒っているようで、鋭い目つき、太い眉、大きな鼻梁などは四天王寺の山門でぐっと睨みをきかしている阿吽像にそっくりだった。はっきり言ってそのどれを取ってみても商人向きの風貌とは言えない。だが重当の見かたは違った。彼は仁右衛門に常人には無い志操の堅固さと豪胆さを感じたのである。

 「あのとき儂は一目見ただけでお前に惚れ込んでしもうた」

 「恐れ入ります」

 「いろいろ話すうち、驚いたことにお前は米津田盛さまのお屋敷に世話になっているというではないか。そしてはからずもあの頃の儂には、米津家の息女えんとの縁談が進んでいた」

 「米津家へ世話になっていたとはいえただの食客です。武士としての私の未来は閉ざされていました」

 「そのうえお前の許嫁やったれんさんはえんの双子の妹やというやないか。米津さまからそう打ち明けられたときはほんまに吃驚したで。惚れ込んだ男が儂の店へ来てくれるだけやない。ほんまもんの義兄弟になってしもうたんやからな」

 米津出羽守田盛はのちに大坂城番を勤めた大名である。永井尚政の娘はその正室だった。つまり田盛と尚政は娘婿と岳父の関係ということになる。ただ田盛の息女であるえんはこの正室の子ではなかった。いわゆるお国腹で生まれた末娘だったのだが、何かと世話好きだった尚政は政略的な魂胆もあって、実の孫でもないえんを重当のもとへ嫁がせようと頻りに奔走していたのである。また前述のようにそのえんには双子の妹のれんがいて、しかも米津家の食客だった浪人の仁右衛門とはすでに恋仲だったのだ。

 こうして寛文元年(一六六一年)、淀屋岡本重当は米津田盛の娘えんとの祝言を挙げる。いまや困窮の極みにあった宮家はもちろんのこと、将軍家ですら及ばないほどの絢爛豪華な婚礼は、大坂の町を一斉に沸き立たせた。その模様は当時の絵草紙にも描かれたほどで、明け透けな浪速っ子は口々にこう囃し立てたものだ。

 「さすがに淀屋はんのやらはることは気宇壮大でんな」

 「相手はどうやら世間体をはばからはったんか、家老の養女に出してから嫁がさはったけど、淀屋の嫁御寮はんは正真正銘のお大名の娘や。ほんまに大したもんやで」

 「いや、ほんまでんな。なんや胸がすーっとしますわ」

 「とはいえお大名が借金の質みたいに娘を差し出すようになっては、お武家の世もお終いというとこやな」

 「まあそれはともかく、これまでさんざ放蕩を重ねてきはった重当はんも、とうとう年貢の納めどきちゅうことでんな。胸を痛めてはった妙恵はんもこれで一安心やろ」

 「何も新町に通うて途方もない金銀を蕩尽するだけが能やないで。この手の祝い事と周りへの大盤振る舞いなら、大坂の町も大いに潤うわけやし、みんなが大歓迎というもんや」

 「これで重当はんは金のなる木と子のなる木の両方を揃えはったというわけや。実におめでたいことやおまへんか。もう淀屋の屋台骨はびくともしまへんで」   

 身分的には最下位に置かれた商人が大名家から嫁をもらったことで、淀屋重当は士農工商という理不尽な身分制度に大きな風穴を空けて見せたのだ。商人のみならず士分以外の者にとって痛快なことこのうえない。ただ重当をはじめとする世間の人たちが少々はしゃぎ過ぎたきらいがあったために、この婚礼が矜り高い武士の神経を逆撫でしてしまったことも確かである。

 いっぽう重当とえんの婚礼に先立って、仁右衛門とれんの婚儀も執り行われた。こちらは対照的にごく質素だったのは致し方ない。

 その後、えんは波瑠をれんは都留を同時に生んだが、どちらの妻もついに男子を生さなかった。そして十八年後の延宝七年(一六七九年)、えんとれんはまだ三十二歳という若さだというのに、相次いで亡くなってしまう。奇妙な運命に振り回されただけではない。双子とはいえ実に不思議な一生だったと言えるだろう。

 後継ぎが得られなかったことに苛立ちをみせた重当は、まだえんの喪が明けきらないうちに新町から馴染みの揚巻太夫を落籍いて後妻に迎える。これがもと(素月)である。

 幸いもとのほうは多産だった。嬰児のまま亡くした子も多かったが、重当が待ち望んでいた男子を二人も生んだ。だがそのもともまた、わが子の成長を見守ることなく早世してしまうのである。

 「あれから早や三十年の歳月が経ったのか。儂はその間にどれだけの葬式を出してきたんや」

 「まことにご不幸続きでございました。ただ日円(えん)さまは波瑠を遺されましたし、素月(もと)さまは広当さまと春雪さまを遺されました。あだや疎かな三十年ではございません。どことなく禍々しい気配のあった茅渟の海(大坂湾)の風向きも、これで少しは変わるものと思われます」

 仁右衛門は白髪が目立つようになった頭を手のひらで撫でつけながらそう言った。彼より二歳年長だったはいえ、重当の方はすでに髪の毛そのものが少なくなってしまっている。

 堂島新地は堂島川と蜆川(別名曽根崎川)の間に開削された中洲である。当時はその南にある中之島と対をなしていた。しかしその後、明治の終わりに蜆川が埋め立てられたため、北側の土地と陸続きになってしまう。また多くの恋物語の舞台にされて有名になった蜆川は、埋め立てられたあとがそのまま現在の曽根崎新地本通りとなった。現代では大阪で一番の高級歓楽街として夜ごと賑わっているが、なおもその上で男女の恋の駆け引きがなされているのは、歴史の皮肉だと言えるだろう。

 閑話休題、堂島新地は貞亨年間に河村瑞軒がその一部を拓いたあと、淀屋の資金協力によってようやく全体が完成し、元禄期には十五町の町割りが実施されていたのである。とはいえまだ更地のほうが多くて、あちらこちらに痩せた夏草が生い茂っており、ひび割れた表土が剥き出しになっている。そのために海から吹きつける熱風がときおり激しく砂塵を巻き上げるのだった。

 淀屋が宰領している北浜の米市はいまや全国の米価を決める場になっていた。すると当然のことながら、諸藩は争って淀屋へ蔵米の売買を委託するようになる。そのために淀屋は中之島の米蔵だけでは足りなくなってしまい、この堂島にも新たな米蔵を建てようと計画しているのだった。それは後世になってその数の多さから「いろは蔵」と呼ばれるようになる。

 「何やて仁右衛門、茅渟の海の風向きが変わったてか?あほぬかせ。そんな心にも無い気休めは言わんこっちゃ」

 重当は苦笑しながらそう反論した。

 「まあ用心は引き続き必要ですがね」

 仁右衛門は困ったようにそう言って頭を掻いた。

 「確かに公儀はここしばらく鳴りを潜めてる。そやけど、例の鶴田錦吾とかいう同心を勝手気ままに泳がして、あわよくば漁夫の利をえようとしてるやないか」

 「まだ若い小役人なのにやつはなかなかあなどれない男です。こたびもこちらの手の内を読まれてしまいました」

 「ああ、嘉助の拐帯逃亡のことか」

 「はい。この件はこれまでのように奉行所へは届けず、いま千次たちに調べさせています。いずれ居所も分かりましょう」

 「あの程度の金子くらい、別に目くじら立てんでもええ。まあ金子はどうでもええが、嘉助だけは捕らえて密かに始末するのや。でないと儂の腹の虫がおさまりまへん」

 捕らえて密かに始末するのや、という主人の言葉に仁右衛門は衝撃を受けたが、そこはうまく取り繕った。仁右衛門はこれまで淀屋を守るために何度かその手を汚してきた。だが人に暴力を加えたり、殺めたことは一度として無い。また重当からそんな指示を受けたことも無かったからである。

 そういう思いはおくびにも出さず仁右衛門は言った。

 「可愛さ余って憎さ百倍…というやつですな」

 「まあそういうことや。じつは嘉助はな、儂がむかし雑喉場へ顔を出したときに拾うてやった捨て子なんや。そのときあいつは屑物置き場の片隅にマグロの頭と一緒に捨てられとった。儂はつい憐れに思うて家へ連れ帰り、下女の一人に預けて育てさせた。長じても格別の商才もないところを目をかけてやったというのに、あいつはその恩をこんなかたちで返しよった」

 「いまの若い者に恩だ義理だと言っても通じはしませんよ。どれほど世話になった相手でも、気に入らないことが一つでも生まれれば、とたんにそっぽを向いてしまうのですから」

 仁右衛門はそう応えながらも「とはいえ勘七だけは別ですがね」という言葉を付け加えておかなかったことを悔やんだ。

 「そんなやつは淀屋にはいらん」

 重当の怒りはなかなか収まりそうもない。仁右衛門は着物の裾にからみついた砂ぼこりをはたき落とすふりをして、しばらくの間を置いてから、さりげなく話題を変えた。

 「それにしてもあの鶴田という同心、なぜここまでしつこく食い下がってくるのでしょう。理由が分からないだけに無気味です」

 「そのうち千次が真相を掴んでくるだろう。心配するな」

 すると重当が怒りの表情をやや緩めてそう慰めた。

 「はい」

 仁右衛門はそれを素直に受け入れるふりをした。

 本心を明かすなら仁右衛門は何も心配などしていない。それに鶴田錦吾が例の川口屋事件を根にもって淀屋をつけ狙っていることも、とっくに調べがついている。だがあのとき川口屋清兵衛が逆恨みをしたような米相場のからくりは、神かけて無いと言えるだけに、重当に余計な心配をかけたくなかっただけなのだ。

 仁右衛門の思惑通りに、少しの間を置いたことで重当の憤懣は収まったようである。そしていつもの穏やかな声に戻って言った。

 「儂はこれまでに四人の子と二人の妻を亡くしたあと、ようやくにして広当と春雪という男子をえた。いや、お前の娘の都瑠と取り替えた波瑠も儂の娘やったな。だがこの三人にしたところが、儂よりも長生きするとはかぎっていない。ことわざにも、禍福はあざなえる縄のごとし、と言うやないか。そやから淀屋の行く末はまだまだ安泰とは言われへんのや」

 「仰る通り確かに油断は禁物です。豊太閤はんの天下は泡沫の夢に終わってしまいましたが、同じ大坂で商いの天下を取った淀屋は未来永劫であらねばなりませんからね」

 「未来永劫か。儂はほんまに重たい荷物を背負わされたもんや」

 重当はそう言うと淀屋のある方角を見やった。だがその目は薄膜を張ったように曇っていて、しばらく何も見えなかった。

 このとき淀屋重当は五十代の半ばで、牧田仁右衛門より二歳年長である。だが下戸で堅物の仁右衛門に比べると、長らく放蕩無頼の生活を送ってきた重当には、年令差以上の深刻な老いが忍び寄っていた。むろん当主としての心労もある。

 「思えば岡本家は皇室御料地の被官として千年の家系を誇ってきた家柄や。今から百年前のことになる。不幸にも戦乱の渦に巻き込まれてその御料地を追われることになったが、曽祖父の常安は自らの知恵と才覚で家系断絶の危機を乗り越えたばかりか、新たに淀屋という商家の礎を築いてくれた。そんな誇りある家系を儂の代で絶えさせることは絶対にできんのや」

 そう言うと重当は眇めになって、もう一度淀屋の方角を見やった。

 すると重当の混濁した瞳の中に、蔵屋敷の屋根に羽根を休めている水鳥たちの姿や、蒼穹にくっきりと浮かんだ白い雲が、ようやく焦点を結びはじめてきた。

 仁右衛門が言った。

 「ところで知足院の隆光さまから送られてきた書簡によりますと、江戸ではこのごろ頓に諸物価が高騰して、それが急速に諸国へ波及しつつあるとのことでございます」

 「うむ。淀屋には江戸にも枝店があるのやから、そんなことはとっくの昔に分かっている。儂が知りたいのはその事態に対して、幕府がどんな施策を打とうとしているのかということや」

 「呉服など諸色の売買や価格に細かな制限を加えています。また万事に倹約を勧めて、ことさら奢侈を禁じておりますとか」

 「それとても先年、浅草の商人の石川六兵衛が、妻女がやった豪奢な振る舞いを理由に闕所追放の処分を受けていらい、何度も触れ出されていることで、とりたてて目新しいことやない。あの坊主、真言の教義や人をたぶらかす術には明るいが、政治向きとなるととんと暗いようじゃな」

 「まあ、そうきついことを仰いますな。隆光さまにあまり多くを望んでは我らのほうが墓穴を掘ってしまいます」

 仁右衛門は柔らかな言い方でそう窘めると、重当とは反対の梅田橋の方角に目をやった。

 「なるほど、そうやったな」

 あっさり納得した重当は、仁右衛門につられるように自分も髪の毛の薄い頭を梅田橋の方向へめぐらせた。

 梅田橋の辺りは人の行き来で賑わっている。当時、蜆川の上に新しく架けられたこの橋は、中之島と福島・尼崎方面を結ぶ近道となったおかげで、多くの市民から重宝されるようになっていた。またこの橋は、のちに近松門左衛門作の『曽根崎心中』が大当たりをとって、死に場所と決めた曽根崎の森へと向かう道行きの場で、主人公のお初・徳兵衛の二人が《鵲の橋》と見立てたことから一躍有名になるのだが、前述したように蜆川そのものが埋め立てられてしまったために、現在は目にすることができない。

 「旦那さまよくご覧下さい。あの人の流れのように時代も刻々に流れています。つまり旧くなってしまった布石は、新しい布石に代えなければならないということでしょう」

 「そうやな。これまで打ってきた手のすべてが、いまも役立っているわけやないからな」

 「それどころか敵に読まれてしまった布石は逆にこちらの命取りとなりかねません。十分に気をつけませんと」

 「このたびは鶴田錦吾のような一匹狼が相手で助かったというわけか。もし幕閣の誰かにでも覚られたら、再び戦乱を招きかねないような布石がその中には含まれているからな」

 「しっ。それは二人だけの秘密です。こんな人気のない場所とはいえ滅多に口外されることではありませんぞ」

 仁右衛門はそう言うと、用心深く周囲を見まわした。

 だが周囲にはやはり人影の一つもなく、一匹の野良犬がだらりと舌を下げて川下へ歩み去るのみだった。ただこのときは人煙も疎らだったけれども、この堂島新地へはこの六年後に北浜の米市が移設され、淀屋の「いろは蔵」や諸藩の蔵屋敷が所狭しと軒を連ねることになる。さらにこの新開地には茶屋株が許されたこともあって、新町に拮抗する花街としても大いに賑わいはじめるのである。

 先年の浚渫によって清らかさを取り戻した蜆川も同様である。いまはその名の通り蜆取りの侘びしい田舟がときおり行き交うだけだが、ほどなく護岸沿いには数多くの茶屋が建ち並んで、華やかな舟遊びの図が繰り広げられることになる。

 「ただしその布石の中でも伯耆倉吉における計画にだけには勘七を参画させています。これは私の独断で恐縮なのですが」

 仁右衛門は重当の反応を窺うように言葉を継いだ。

 「仁右衛門よ。いつも言うてることやが、お前のやることに独断などというものは一つもないし、儂に異論があろうはずもない。遠慮や恐縮などせんと自分が思った通りにやってくれ」

 すると目やにを着物の袖で拭いながら重当は応えた。

 「有難うございます。旦那さまにはご無理を申し上げて、早々と手代に取り立てていただきましたが、勘七は矢張りなかなか才覚のある男です。また商いに対する考え方が他の者とは異なっています」

 「ほう、勘七がな。どう違うのだ」

 「さよう…」仁右衛門はちょっと首を傾げてから「…ときに旦那さまは近ごろ世間で評判の三井や住友をどう思われますか」といきなり話をはぐらかすようなことを言った。

 「……」

 逆に質問を返されてしまったので、重当は戸惑いを隠せない。

 「ご存知のように三井や住友は淀屋のように公儀からえた独占的な権益を持っておりません。こまごまとした両替や呉服の取り引き、また鉱山の採掘や銅鉱の精錬を日々地道に行っているだけです。それだけにそういう商いから生まれてくる利潤は極めて薄く、大きな財をなすためにはこつこつと働き、それこそ爪に灯を点す思いで始

末して貯め続けなければなりません。また店でお互いに凌ぎを削って競い合っている使用人たちには、とらえた商機を決して逃さない才覚が必要なのです」

 「始末と才覚か。最近よう耳にする言葉やな」

 「いま一つ算用という教えもございますがね。そしてさらに驚くべきなのは、昨日や今日に奉公を始めたばかりの小僧にいたるまで、その教えが徹底されているということです」

 「なるほどな。公儀からもらった権益で座して利を貪り、のみならず奢侈遊蕩に耽っている儂などにはじつに耳の痛い話やな。それに質素倹約の教えなどもいまの時流に適っている」

 「いまの話がもし皮肉に聞こえましたのならお許しください。私はただ、勘七の考えかたがこの三井や住友の商法に通じている、ということを言いたかっただけなのですから」

 「なに。勘七が…」

 そう言って重当は目を剥いた。てっきりはぐらかされたと思っていた話には意外な落しどころがあったのだ。

 「そうです。これまでの淀屋は干鰯の運上や米市場など三市場の宰領、それに年貢米を扱う蔵元の商いや大名貸しによって巨万の富を築いてきました。ですがどれもこれも公儀からご朱印を取り上げられたり、いきなり多くの大名が取り潰しに遭ってしまえば、泡沫のように消え去るものばかりです。私は淀屋にお世話になってからずっとそのことばかりを考えてきました」

 「淀屋が抱えているそういう脆弱さは儂にもよう分かってる。そやから儂はあちこちの新田の開発にかかわったり、この堂島の開削にも加わってきたんやないか」

 「確かに旦那さまは幾つかの新しい事業にこれまで挑んでこられました。ですが失礼ながらそういう類いものでは、この淀屋を根本から生まれ代わらせることは出来ません」

 そう言うと仁右衛門は悲しそうな表情でまた周囲を見回した。

 今しも中天を過ぎようとしている太陽が、開削されたばかりの新開地の土砂をじりじりと焦がしていた。母なる淀川の蛇行のままに流され来て、たまたまこの堂島という中洲に堆積した土砂は、こうして厳しい晴雨に曝される続けることを望んでいるのか、それとも重い建物の下に組み敷かれたり、荷車の轍に踏みしだかれることを欲しているのか。それは淀屋を待ち受けている未来と同様に人知の及ぶところではないのだということに思い至ると、仁右衛門の心はようやく少し軽くなった。

 「私が旦那さまの多大なるご支援とご理解をえて、二十年も前から密かに伯耆倉吉で新しい事業を興しておりますのは、公儀からもらった権益などとはまったく関わりのない新しい商いの芽を、彼の地で育てようと思い立ったためです。幸い現地で孫三郎という利発な養子をえて、計画そのものは順調に運んでおりますが、それにしてもまだまだ人材が足りません」

 「勘七を仲間に加えた理由はそこにあるのだな」

 「そうです。養子の孫三郎は、生まれつき利発な子ではありますが、もともと無学なままに育った田舎者に過ぎません。その頭脳を柔らかくしてやるには結構な時間がかかりました。しかし勘七にはその必要すらなく、商いの明日を見通す確かな目を持っております。私にとってこの差は貴重なのです」

 仁右衛門は陽炎の彼方に動く初めての人影を認めながら言った。

 重当とは異なりついに男子に恵まれなかった仁右衛門は、すでに伯耆倉吉生まれの孫三郎という男を養子に迎えており、事情の明るい現地で淀屋とはまったく関わりのない事業を任せていた。実をいうと仁右衛門も倉吉の生まれなのだった。それも当時は「冷や飯食らい」と揶揄された貧乏藩士の三男坊だったのである。

 陽炎の彼方に現れた初めての人影は中之島から田蓑橋を渡ってきた大工の一団だった。何やら大声で怒鳴り合いながら弥左衛門丁の方角へ歩いて行く。その一団からぽつんと取り残された格好の若い大工の一人が、人なつこい赤とんぼとしきりに戯れているのが眺められた。だがやがてその姿も熱気に噎せ返っている砂洲の向こうへ、ゆらゆらと揺らめきながら消えていった。

 「先ほども申し上げたように世の中は激しく動いています。淀屋だけがこのままでよいわけがありません」

 「それは儂にも痛いほど分かっている。そやけどな、仁右衛門よ。このばかでかくなった淀屋をいったいどう変えていったらええのか、儂にはそこが分からへんのや」

 「何を言われます。他の者ならいざ知らず、私にそんな嘘は通じませんぞ。旦那さまはとっくにご存知のはずです。その答えは鴻池ではなく住友にあり、また倉吉にあるということを」

 「済まん。つい捨て鉢な言い方になってしもうた。そやけどもう時間が無い。儂もそうやがお前にもな」

 そう言って重当は素直に謝った。

 富豪の家に生まれついた重当は聡明ではあったけれどわがまま一杯に育っている。母の妙恵はしっかり者だったものの我が子に対しては甘く、父の箇斎などは彼がまだ幼い時に早世してしまったために厳しく教育されたことが無かったのである。だがそんな重当も仁右衛門にだけは素直になれるのだった。

 「何もかも自分でなさろうと思われるからいけないのです。確かに私たち二人にはあまり時間は残されておりませんが、いまの旦那さまには広当さまと春雪さまという立派な後継ぎがいらっしゃるではありませんか」

 「そうか、そうやったな。いまの儂には広当と春雪がおったんや。まだまだ二人とも子どもやけど、そのぶんあいつらには時間もあるということになるわけやな」

 「そうですとも。旦那さまに足りない時間は二人のお子様がたがたっぷりとお持ちなのです。そしてそのお子様がたには、私ではなく勘七という信頼に足る男がついております」

 「するとお前に足りない時間は孫三郎が補うというわけか」

 「はい、その通りです。とは申せ勘七と孫三郎は二人ながらまだまだ未熟者ですが、ゆくゆくはお子様がたを立派に補佐できますよう、私が責任を持って育てるつもりでおります」

 「仁右衛門よ。振り返ってみたら儂はこれまで日のあたる場所ばかりを歩んできた。世間の目くらましのためとはいえ遊蕩の限りも重ねてきた。それなのに儂の影法師に徹してきたお前には、はっきり言って割りの合わんしんどい仕事ばかりを押し付けてきた。そのうえに儂は死んでからあとまでもまだお前に苦労をかけようとしてるんやなあ。心から済まんと思うてるで」

 そう言うと重当はまた頭を下げた。

 だがこれは先ほどとは違って、仁右衛門へ素直に謝罪と感謝の言葉を述べたというよりも、年老いたことで気弱になってしまっている証拠なのだ。仁右衛門はそう思うとひどく寂しくなった。

 「何を言われます。万が一のときは影法師である私がすべての罪をかぶってお縄を受け、旦那さまには無傷のまま生き延びていただく。それが二人して最初に取り決めた約束事ではありませんか。ですからもしもこの先に危急のときがくれば、儂は放蕩にかまけておって店の仕置については何ひとつ知らない、全ては総支配である仁右衛門が勝手に取り仕切ったことだ、とあくまで言い張っていただき、淀屋岡本家を守り抜くためにどこまでも罪を逃れていただかねばなりません」

 「父の箇斎の頃はそれほどでも無かったのだ。ところが儂の代になったとたん、公儀は猜疑と警戒の目を向けるようになった」

 「箇斎さまがどうこうと申すわけではありませんが、公儀が旦那さまを大変な切れ者だと見たからですよ」

 「いやいや、それはお前の買い被りというもんでな。その証拠に儂はすぐさま恐れをなして新町へ逃げ込んだ。たった一人では公儀と戦う勇気も知恵も無かったからな」

 「私はそんなときに旦那さまとお会いしたのですね」

 「そうや。お前をひと目見たとき、儂を助けてくれるのはこの男に違いない、とひらめいた。ほんまに嬉しかったで。探してた最高の軍師にやっと巡り会えたんやからな。まあたとえて言うならそのときの儂は、三国志に書いてある劉備玄徳はんの心境やった。なぜならお前は儂にとっての諸葛孔明なんやからな」

 「恐れ入ります」

 「そのときお前は儂に言うた。敵を欺き、油断させるためにも遊蕩はこのまま続けたほうがよい、万が一のときは自分がすべての罪を被りますから、とな。そやから儂はその助言に従うた。まあ正直いうてそのほうが楽やったからでもある。そして儂が相も変わらず新町で酒と女に狂ったふりをして、それこそ万貫の銀を費消しているあいだに、お前はあちこち綻びかけていた淀屋の屋台骨と暖簾を、儂の影法師になってこっそり繕うてくれたんや」

 そう言うと重当はゆっくり歩きはじめた。

 二人は肩を並べて蜆川沿いの片辻を南に折れると、堂島新地を一気に横切った。田蓑橋の袂まで来ると中之島が間近かに迫ってくる。

 満ち潮に持ち上げられた堂島川の川波が、石組みの護岸をひたひたと洗っているのが眺められた。堂島川には米や俵物を満載した小舟が忙しく行き交っている。船着場の階段をかけ上がったところに並んでいる蔵の前の路上では、薄汚れた褌に鉢巻姿の舟子たちが濁声を交わしながら忙しく立ち働いていた。

 元禄期の大坂は、河村瑞軒や成安(安井)道頓らによって何度も河川の改修や堀の掘削が行われたおかげで、貨物や旅客の運搬にはもっぱら舟運が利用されるようになっていた。縦横に走っている掘割りによって碁盤の目に区画された大坂は、もし空から見ることが出来たなら、大小の浮島で成り立つ町のように見えただろう。

 だから北前船や檜垣廻船が茅渟の海(大坂湾)に到着すると、貨物は漕ぎ寄ってきた小舟へ海の上で細かく荷分けされて、一度も陸揚げされることなくそのまま淀川を遡上り、三十石船や二十石船となって京の都へ至るか、荷駄舟となって大坂市域の隅々にまで運ばれたのである。江戸期の大坂が三郷に住まいする三十万人の生活のみならず、天下の台所を潤すほどの物資の集散力を持ち得たのは、このような水利と舟運の発達に負うところが大であった。

 二人は堂島川のほとりに立ち止まって、飽くことなく船着場の様子を眺めた。そして、ともに悩み、ともに戦ってきた日々のことを思い浮かべていた。

 やがて重当は言った。

 「仁右衛門よ。淀屋が儂の代で潰れることなく、どうにか広当の代まで持ちこたえられそうなのは、何もかもお前という男がいてくれたおかげや。感謝してるで」

 「何を言われます。食い詰め浪人だった私を一人前の商人に育てて下さったばかりか、総支配として厚遇していただいたご恩は、この仁右衛門、生涯忘れるものではありません」

 「いやいや。ほんまのことをいうたらな。儂はお前という男をただ利用してきただけなのかもしれんのや。そやけどそれも仕方が無かったんや。どうか許してくれ」

 「とんでもない。許すも許さぬもありません…」

 「もうそのことはええ。まあ儂の前に伸びてるこの影を見てみなさい。人には必ず自分の影がついて回る。いや、影が無うなったら人でも物でも無うなってしまう。しかしお前は武士を捨てようと決めたあのとき、儂のために自分の影までを捨ててくれた。牧田仁右衛門という武士は、そのとき生きながらにして死を択んで、淀屋重当の影に重なってくれたんや。辛かったやろな」

 「…」

 「儂はできることならばあと十年は生きたいと思うてる。しかしそれが望み過ぎやということもよう知ってる。それに儂の跡を継ぐべき広当はまだ七歳になったばかりの子どもに過ぎん。これもまた儂や金の力をもってしてもどうにもならんことや。そやからな、仁右衛門。天帝に対し捧げ奉った淀屋の使命も含めて、今後も店の采配は何ごとであろうともお前に任せる。三国志の『出師の表』に書かれてる劉備玄徳はんやないけど、もし広当や春雪に淀屋の当主としての才なしとみれば、仁右衛門よ、お前がとって代わってくれ。いや孫三郎でも勘七でもかまわんぞ」

 「何を愚かなことを申されます…。淀屋の当主に余人をあてるなど、私には毛の先ほども考えられません」

 「もちろん儂かて残された短い時間を使って広当や春雪を教育するつもりでいる。しかし後妻の素月(もと)が死んでからというもの、儂は二人の教育や指導を母さま任せにしてきた。このさきその咎を受けそうな気がするのや」

 「妙恵さまは淀屋の三代を店奥から支えてこられたお方です。お孫様がたを立派に育てておられますよ。心配などいりません」

 「それならよいのだがな。しかし儂はいまになってしみじみ思うのや。儂はわが身に余るよき影法師をえた。まさに、影ありてこそ、影ありてこそ、の人生やったとな」

 重当はそう言うと何かが吹っ切れたように勢いよく歩きはじめた。

 二人は田蓑橋の手前で東へ折れると、渡辺橋をそのままやり過してから、大工町南詰に架かる難波小橋を渡った。それほどの道のりではないのに、一気に中之島を横切って淀屋橋を過ぎる頃には、二人とも全身汗まみれの状態になっていた。

 


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