第17話 群青

 イリソスは坑道をいに這い、どう動いたか、光の気配を前方に見出した。石のように硬く重い体で必死にあがくと、きらめきが目を射る。それにくらみながら苦痛も感じず、彼はひと方向を目指していた。

 覚えのある坑口の形が彼の視界に入る。内から臨む穴は光輝こうきあふれんばかりにたたえていた。


「あぁ……」


 日差しの中に彷徨さまよい出るとイリソスは感嘆に枯れた喉を震わす。

 眼下遠くには目映まばゆい海が広がり、幾千、幾万の小波さざなみ立つうしおが光を弾いていた。空は雄大に青く、闇から逃れて見る光景の鮮やかさに彼は見入る。


「君には、ラウレイオンが、グラウコピスが……地上がこんな風に見えたのかな。闇に潜っていた君の晴れやかさは……演技だけじゃない」


 山肌を鱗のように覆う緑樹はつややかにたくましい命をみなぎららせ、赤茶の台地に根を張っていた。松の落とす木陰は大地を憩わせ、息吹を安らがせる。そのさま青竜ドラコン微睡まどろみを思わせた。

 やがて陽光に煌めいていた青海せいかいは深みを増し、くらさを湛えて群青ぐんじょうに染まる。そこへ入日が差し込み、葡萄酒ワインに似た海原うなばらが満ちて行った。そして、水は再びあいへと色を移し始め、優しく闇へと飲み込まれようとしている。

 東の空から広がる暗がりに糠星ぬかぼしが瞬き、この日が終わろうとする中、イリソスは天空の底の移り変わるさまを心に焼き付けた。その間にも彼の老いは進み、体は干乾ひからびて行く。



――君は嘘つきだ。

――君の願いも、祈りにも似た戦いも僕は知らなかった。

――君はずるい。

――君はいつも称賛を凌ぐ嘲りの近く。

――でも、君はいつも遠くだけを見ていた。

――僕がもう呪いのさだめを見つけていたことを君は知らない。

――どうして君は僕を見つけたのだろう。

――もし僕が女神の民でなかったら君は僕を選んだろうか。

――僕を捕えて君は僕に縛られたのか。

――ここが天空の底と教えない君はどこへ行けただろう。

――宝に身を飾ることの許される女神の似姿に生まれながら。

――赴かずとも呼ばれる冥府をばかり見つめた君。

――この地をどれ程、慈しんでも人の子の手からはこぼれ落ちる。

――君は大事なことは伝えない。

――僕の体から脂は尽き、この手からもラウレイオンはこぼれそうだ。

――君は嘘つきで嘘つきで、ずるくて残酷で。

――天空の底はこれ程に美しい。



 散り行く己の体を感じながら、イリソスは平らかだった。その意識にふと、かつてラウレイオンの多くを語った古参奴隷の姿が浮かぶ。今の自分の魂に肉が備わっているならば、彼に似た笑顔だろうことを彼は信じて疑わなかった。

 クロノスにさらされた肉体は風に絶えずちりと崩れる。そして、それらは大気に含まれ山へ海へと飛ばされて行った。



――今、悟る、君の満たした呪いの名、それはカイロス一期一会

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