枯れダンジョンの巡礼花

小余綾香

第 1話 かえり

 むき出しの赤茶をさらす台地は巨大な火竜が二頭、うずくまるさまを思わせる。各所に刻まれた奇怪な切り込みが、それを危険な手負い、と告げるようだった。 

 夏至の閃光に焼かれ、立ち昇る陽炎かげろうが近付く者を誰彼だれかれかまわず威嚇いかくする。

 炯眼けいがんの女神の守護国、と呼ばれるここで、赤い竜達は神意を得て伏すのかもしれない。


 イリソスは、六十年の独占使用権を得た、このラウレイオンの地にそんな畏怖さえ覚えていた。

 恐れと汗にまみれた体は小さな手押し車を支え、焼ける大地を踏みしめる。竜と竜の狭間に入り込む錯覚を覚えながら、彼は渓谷へと進んで行った。


 イリソスは小柄な男だった。農夫程の屈強さはなく、後頭部へずれ落ちた麦わら帽子ペタソスが妙に似合わない。

 それが人力のみを頼み、車と共に乾き切った斜面を行けば何度となく滑り落ちそうになる。岩々に車輪を留め置き、彼は必死の形相ぎょうそうで暴走を防いでいた。車一杯にまるボロきれが貴重な全財産かのように。


 やがてがれがちな石畳を見出し、イリソスは車を一押しすると車輪に手近な石と陶片を噛ませる。そして、折れるように膝をついた。

 それでも彼は車を抱えたままだった。


「もう大丈夫だよ、クロエ」


 枯れた声に応じ、布が盛り上がって崩れる。栗色の髪がボロをまとわり付かせながら垂れ、傷痕きずあとの残るせた手がそれを重たげにき上げた。クロエは蒼白な顔をしながら瞳だけはペリドット橄欖石のように明るい。


「無理をさせて、ごめんなさい」


 彼女は水袋を両手で差し出した。

 イリソスは疲れ切った顔に笑みを浮かべた後、袋口に取りついて中身をあおる。口角からしたたるワイン水割り葡萄酒が彼のあごを、首を伝い、わずかながら熱を冷ました。夢中で閉じていたまぶたが上がると、灰青色の目に穏やかな青みが増す。それを見届け、クロエは視線を転じた。

 山をえぐり作られた幾重いくえかの段状地の先、石造りの廃屋の傍らに、坑口は今も闇をたたえ開いている。

 それはかつてダンジョン魔窟の入り口として彼女が十年くぐり続けた、生死の境でもあった。


「新年の女神の祭は村で祝おう。ここで暮らすのは無理だよ」


 イリソスはそっと声をかける。


「魔法を使ってはいけないよ。体にさわる。今なら僕が君をかついでも山を下りられるから。さくが来て年が変わる前に……行こう?」


 数瞬の沈黙の後、クロエはゆっくり彼へと向き直った。


「ここはどうなるの?」

「もうここはただの鉱山跡だ。魔も枯れたし、銀も枯れた。ずっとこのままだよ」

「そのただの鉱山に魔がみ付き、あのダンジョンを生んだはずよ」

「その時はその時。若さと力を持て余した奴らが腕を試す場所は必要だ」


 イリソスは後ろめたさを覚え、遠い目をしながらも言いつのる。


「そういう場所だから君とも出会った」

「そうね。私達の青春」


 するとクロエの声は思いの外、明るく返った。それはかすかに歌うような響きを帯びる。

 しかし、


「だから、私、ここをまた魔窟にしたくはないの」


 再び声音は切に迫り、それから、


「ね、『窓口さん』」


 彼女があらん限りの力で十八の頃の、茶目っ気たっぷりな笑みをたたえるのがイリソスには判った。



――君は嘘つきだ。

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