第 2話 緑

「ねえ、窓口さん、今日のレート交換比率はどれくらい?」


 その日もクロエは管理棟の主室へ入るや、天秤台てんびんだい頬杖ほおづえをついた。

 深碧しんぺき肩衣かたぎぬからあらわな腰の曲線にキトン麻服の薄柳色が添い、汗ばむ肌に張りついてまだらに変色している。奥で商人達がざわつくのを余所よそに彼女は小さく舌をのぞかせた。

 舌の上には銀が二粒。

 いたずらっぽく笑う顔はほつれた巻き毛に縁取られ、ペリドット橄欖石の瞳がつやをたたえてイリソスを見上げる。自分が魅力的と知る、その振る舞いにイリソスは素っ気なく顔をそむけた。


「昨日も今日も明日も同じ。ラウレイオンの優遇比率で不満なら換える機会はないね。大体、田舎で簡単にが動くと思うのがどうかしてる」

「田舎だって野菜も魚も値は変わるわよ」


 クロエはおどけた不満顔を作り、起き上がる。


「銀が簡単に動いたら、その値だってつけられないじゃないか。それに、野菜や魚の値が変わっても、ここじゃ、食事は配給だ。筋は通ってるだろ」


 不愛想に徹するイリソスに苦笑しながらクロエは銀一粒を指先でつまみ、もう一粒を再び口にふくんだ。衣のでぬぐわれたそれは天秤皿に乗せられる。


「今日は冷やかしじゃないのか……だったら、一度に換えれば良いだろ」


 彼女が顔を出し始めて数か月。実際に換金するのは初めてだった。釣り合った天秤と銀の音色を確認し、イリソスは青銅貨を数えて渡す。


「銀は腐らないから価値が上がるのを待つわ」

「……取引1回ごとに手数料取るぞ」

「それって『田舎』らしくない制度じゃない?」


 奥へと進み始めていた彼女がカプネ排煙口から差し込む光の条の中、振り返った。

 甘やかに彼をにらんだ緑の輝きはすぐ様、隠れ、代わりに商人達へと向けられる。配給より高級品を売る出入りの者達が笑いを浮かべ、迎えるのがイリソスには見えた。


「干し肉と干しイチジクひと袋、チーズ乾酪で……いくら?」

「青銅四枚でいいよ、お嬢さん」


 ここであってはならない商談めいた響きを彼は無視した。

 クロエが前室の方へ手招くと、出入りをふさぐ衛兵達がイリソスを見る。彼はそこで待つ顔を確かめ、うなずいた。筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの男が入るのを許され、慣れた足取りで荷を受け取りに隣室へと進む。それを見届ける彼女に、


かねを貯めたいなら山を下りた方が稼げるだろうに」


 イリソスは思わず、ため息と共にき出していた。

 彼女は衣服を染める贅沢ぜいたくができる人間だ。それがラウレイオンで魔に挑むのは酔狂すいきょうで、銀を売り惜しむのも仕事にいそしむしかない者をもてあそんでいるのかもしれない……そんな風に彼は思っていた。

 するとクロエが再び視線を彼に注ぐ。それが意外な程、静かでイリソスは決まり悪げに言葉を継いだ。


「美人の花売り娘は歓迎される」

「私は腕が良いから、こっちの方が稼げるの」

「港町に行けば割の良い仕事があるだろう」

「私がいなくなって良いの? 寂しいでしょ?」


 一際、蠱惑こわく的に微笑むと、彼女は踊るように身をひるがえし、日没の中へと歩み出す。軍靴のびょうが石床を打つ音の余韻がイリソスの耳に響いた。



――君の願いも、祈りにも似た戦いも、僕は知らなかった。

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