第 3話 不凋花

「でも、僕はここより君が大切なんだ」


 廃墟はいきょの中、イリソスは訴えるとクロエから目を逸らし、車を再び押し始めた。

 スライム鉱滓の乾き、こびりついたままの選鉱場。屋根の失われた煉瓦れんが壁。

 それらを迂回うかいし、車輪を押し上げ、彼は管理棟へと近付いて行く。かつての居住区には宿やど向きの建物も残っているだろうが、そこへは更に階段を昇り降りしなければならない。弱ったクロエをすぐに休ませ、訪れる夜を過ごせるのは、かつての職場しかなかった。


「知ってるわ」


 クロエはひどく揺れる車の中に身をうずめ、力なく微笑みながら続ける。


「ここを綺麗きれいにして安心して一緒に暮らしましょう?」

「じゃあ、明日から掃除だ。大丈夫、一人でも今年中には……」

「イリソス、それではダメなの」


 言葉の真意に気付かないふりをしたイリソスに、しかし、彼女は流されてはくれなかった。


「鉱山のとむらわれなかった魂が、生者の怨嗟えんさと呼応してダンジョン魔窟を生んだ。わかるの、毎日いた場所だもの。私達はたたりをしずめはしたけれど、ここの亡者もうじゃなぐさめられない限り魔境にかえる日が来るわ」


 クロエは、車のふちに寄らなければ姿勢を保てないとは思えない程、強い視線を彼に向け、迷いなく言い切る。


「だから、私はここにしぼまない花を咲かせたい。さまよう魂さえいこ不凋花アスポデロスの野が欲しいの」

「……君がここの権利を買ったのは、それが理由?」


 坑口の闇の前で車をめ、イリソスはたずねる風ではなく、つぶやいた。



 ダンジョンの魔の枯れる頃、ラウレイオンは既に銅の採掘量も減り、スライムを集めた方が金属を取り出す効率は良い程となっていた。元々、作物の育ち難い地の、長い年月、精錬せいれんの毒にまみれた山へ投資する者は今やいない。

 一方、銀は供給源が枯れ、高騰こうとうした。少し前から銅貨が銀貨に代わり使われている。

 そうなって初めてイリソスは彼女がこれを待っていたことに気が付いた。


『イリソス、私を二度と見なければ、あなたは幸せな生を得られる。私に寄られる隙を見せてはダメよ』


 魔窟ではなくなったラウレイオンへ捧げた祭と、ささやかな騒動後、そう告げて一度は彼から去ったクロエ。その声の小さな抑揚よくようさえ忘れないイリソスの元に彼女が再び現れたのは、そのような時だ。

 瞳と傷痕きずあとの変わらないせた姿を一目見て、彼はクロエの手を取った。

 そのイリソスに彼女はラウレイオンの独占使用権を買って欲しい、と打ち明けたのだ。銀は自分が出す、とけ合いながら。市民権のない彼女には、財があっても入札にゅうさつできないことをイリソスは理解していた。



「買ったのは、あなたよ。ここをどうするかを決めるのはイリソス、あなた」


 ペリドット橄欖石双眸そうぼうは静かな静かな闇を含んで尚、澄んでいる。


――君はずるい。

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