第12話 長

「おい、あの女、もう六日目らしいな」


 イリソスが粘土板の文字をパピルスに清書していると、物売りの一人が天秤台に近付いて来た。不躾ぶしつけな影に顔を上げず、彼はあしインク洋墨を付け直す。


「何のことだ?」


 素っ気ない返事に男は笑った。


「白々しい。タルゲリアに決まってるだろ。最奥に行く連中でも五日出て来なきゃ危ないんだろ?」

「七日で出て来た例もある」

「何例あんだよ! 水も油も三日分しか持たないし、十日で死んだ扱いじゃないか」


 そう言うと、男は店番達の方を向きやり、


「ああ、もったいないことした。まけてやった分、まだ返してもらってないぜ」


 大袈裟おおげさな口調で卑猥ひわいな身振りをしてから、せせら笑うようにイリソスを横目でとらえる。その視線を感じながら単語を書き上げると、イリソスはパピルスから顔をらさず再び葦を洋墨メランつぼけた。


「お前、荷を置いて山を下りろ。別の者を寄こさなければ出入りは禁止と主人に伝えろよ」


 淡白に告げるイリソスに男は一瞬、動きを止めた後、激昂げっこうして両手で天秤台を叩く。


「なっ!? ふざけるな!」

「ここは値引きも吹っかけもなし、そういう決まりだ。知らない訳ないだろ」

「だったら、今まで見逃してた、お前は何なんだ! 同罪だろうが!」

「気付かなかったよ。莫迦ばかなこと、知ってるだろ。これからは気をつける」


 咄嗟とっさに男は腕を振り上げ、衛兵が駆け寄って制止した。そのまま、前室まで押し出され、男は聞き取れない捨て台詞と共に去って行く。

 程なく、広場からいつにない騒々しさが漂って来た。鉱山奴隷達と誰かが叫び合っている。ダンジョンの出入りを記す粘土板を届けに来た奴隷はイリソスにたずねた。


深手ふかでを負った帰還者が柳の煎じ薬痛み止めを探しています。銀を持っているので支払いは大丈夫です」

「売って良い。薬の補充を忘れるな」


 粘土板に目をやらず、努めて平坦にイリソスは答えた。薬を必要としているのがクロエだろうことは記録を見るまでもなく察しがつく。死体に慣れた鉱山奴隷は日々、大勢出る男の怪我人に騒ぎはしない。

 イリソスは粘土板を引き寄せ、新しいパピルスを手に取った。インクへ葦先を往復させ、記録を書き写す。そして、パーティ部隊の長として「クロエ」と書かれた粘土板に行き当たった。名の脇には「女一人、男六体」の文字がある。入った時は「男八体」と記したことをイリソスは覚えていた。

 これがラウレイオンの日常。数としてだけでも消えた記録が残るならば、まだしも幸運であることをイリソスもわかっていた。クロエはそういう世界に生きている。



――おもむかずとも呼ばれる冥府めいふをばかり見つめた君。

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