第 9話 町

 人の姿の見えない町の、物言わぬ石材から奇妙な沈黙の気配が漂う。

 イリソスは松笠まつかさを連ねた紐を肩から幾重いくえにも巻き付け、それらが鈍く鳴るままに、品々を車に積み込んだ。欠けた酒甕クラテル、首から上のないペリケ、ヒビの入った水盤レベス丸鉢ディノス。それらを土で丁寧に固定し、彼は車輪を転がし始める。

 車の鳴る音に幼い男児が飛び出しかけ、それを老女が慌てて抱き留めた。子供は怪訝けげんそうに彼女を見上げる。


「近寄っちゃ、いけない。あれは魔女のしもべだよ」

「魔女?」

「山には魔法を使う悪い女がんでいて、男をとらえて奴隷どれいにするんだ。そして、食ってしまうんだよ」


 老女は恐ろしげな顔を作り、それにおびえて子供は泣き出した。


「そうだ。怖いからね。絶対に近付いちゃいけない。山にも、山から下りて来る男にも」


 車は石畳に弾みながら、彼らの前をただ過ぎて行く。

 間もなく夕焼けがたなびき、山を登る内、空は黄昏時の暗みを帯びた。沈みかけのアルクトゥロス大角星が明暗の狭間はざまに輝くのを見つめ、イリソスは岩陰に車をめる。

 彼は燃えさしから火をオリーブ橄欖の枝束に移す。黙々と手を動かしながら、耳は町で拾った声の幻を繰り返し聞いていた。


『どうして魔女をやっつけないの?』

『魔女は強くて町のもんじゃ、敵わないさ』

『じゃあ、あいつ!』


 子供は琥珀色の双眸そうぼうに涙を溜め、イリソスをにらんでいた。石を拾い投げようとする、その小さな手を老女は急いでつかんだ。


『魔女としもべはつながってるからね。下僕げぼくに手を出せば魔女が来る。だから、男が下りて来たら年寄りの女が望みのものを渡すんだ。お前は魔女に捕まるようなことをするんじゃないよ?』


 イリソスは焚火たきびに松笠を放り投げる。炎が揺れ、闇の中で踊った。彼はまた紐から松笠を取ると、火に投じる。火炎は彼に応えるように揺らめいた。


『……捕まるようなことって?』

『とにかく魔女に気付かれないことだ。いる、と知られちゃいけない。だから、あいつに近付いちゃいけない。お前を気に入ったら、あいつを食べて、お前を捕まえてしまうよ』


 べたものがぜ、火の粉と灰が舞う。次々と熱さから逃れるように弾け出る燃えかす余所よそに、イリソスは星の林の空を見上げた。



――僕を捕えて君は僕にしばられたのか。

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