エピローグ 月明かりの雪道/始まりのように終わりの言葉を
“東京”を、後にする。
脱出経路を案内し終えたメイドは、最後に、こう声を投げてきた。
『桜花様。いえ……桜。お幸せに、』
その言葉に、桜は頷き、俺も頭を下げ……そして、その場から歩み去っていく。
途中で、FPAを見た。一鉄の部隊。あるいは皇帝の親衛隊。
レーダーには映っているだろうし、当然、俺に気付いているんだろう。だが、誰しもが、気付かないふり。
行く先は、決まっているらしい。東京から少し離れた場所に、移動手段を用意しているとか。
そこまで、俺は桜を抱えて歩み……なんだか酷く、懐かしいような気がした。
*
木々が白化粧を帯びる森林、山中………そこを、俺はお姫様を抱えて歩んでいた。
FPAのラジエーターは半永久だ。連日連夜歩いたとしても、動力は大して問題にはならない。
問題になるのは、行き先の方――移動手段、あるいはその移動手段で向かう先。そこまで、桜は用意しているらしいが、その先は一切考えていないそうだ。
『……その後は、一緒にゆっくり考えたかった』
そう言われては、従う他にない。後の事はもう、後で考えれば良いだろう。
次に今、問題になるのは――気候と装備だ。
雪景色は見るだけで凍えそうで、事実、抱えているお姫様の吐く息は白いし、勢いのままそれこそお姫様抱っこで運んできたから、十分な耐寒装備の訳もない。
凍死、なんて笑えない結末だ。仲間を戦場に置いて、女を取って、その結末が凍えて死にました、なんて。笑えない。
白銀の、林の最中。そこに足跡を残しながら……俺は言った。
「桜。……寒くないか?」
その俺の問いに、俺に――“夜汰鴉”に抱えられたまま、桜はふと、白い息と共に笑みを零し、からかうような視線を俺に向けてくる。
「……やっと喋った。もしかして、照れてた?」
「…………」
「……問題なさそうだな、」
ぶっきらぼうに呟いた俺に、桜はまた笑みを零し、「やっぱり照れてる」とか、そう呟いて来る。
………………とにかく、まあ、元気そうだ。そもそも、これはほとんど桜が仕組んだようなモノだから、いうなれば……俺にさらわれるつもりで、防寒までしっかり準備してあるのかもしれない。少なくとも、薄着ではない。
白銀の世界の最中、俺はお姫様を抱えて歩んで行く……と、だ。
ふいに、桜がまた笑みを零して、それから、言った。
「あの……私、自分で歩きます」
……なんだか酷く、懐かしいような気がしていたのは、どうも桜も同じだったらしい。
昔、昔……初めて会った直後、こういう状況で、こんなやり取りをした記憶がある。
楽し気に、懐かしそうに、そんな事を言ってきた桜を見て……俺はぶっきらぼうに応えた。
「必要ありません」
「ですが……」
「この方が早いので」
「……はい。すいません……」
白い息を吐き、縮こまり俯き……そうやってくすくす、笑みを零しながら、お姫様はまた声を上げた。
「あの……」
そう、何か言いかけた桜を、なんだと俺は眺め……眺めた俺を、まっすぐ、桜は見ていた。
そして、桜は何も言わず、……俺も特に口を挟まず。
やがて、少し不満そうに、桜は言ってくる。
「……もしかして、覚えてない?」
「そういう訳じゃない。ただ、もう随分前だろ。俺はお前程頭が良い訳じゃない。一言一句完璧に覚えてる訳じゃ、」
「覚えてないんだ」
どこか拗ねたように――けれどそれもまた楽しそうに、桜はそう唇を尖らせている。
そんな桜を眺めて……やがて、俺は言った。
「殿下」
「……あ。怒った?」
今更このくらいで怒るわけないだろう。俺は正直もう、竜より桜の方が怖い。色々と覚悟の上で、色々とわかった上で、攫いに来た。
そう、喉元まででかかった……そうだな。惚気だ。惚気を飲み込み、俺は言った。
「殿下のお名前は?」
その俺の問いに、桜はまた笑みを零し、それからまた、からかうように……。
「……私の名前を、知らないんですか?」
そんな風に問いかけてくる。それを、抱えて、眺めて、……歩みを止めないまま。
「ああ。知らないな」
「え?……私の名前まで忘れちゃったの?やっぱり私より戦争の方が大事?」
「…………桜花はさっき死んだだろう?だから、また、お前は今名前がない」
「鋼也が名付けて?」
「桜」
「……安直でありきたり」
「確かにな。だが、俺は思い入れがある。心の底から惚れた女の名前だ」
そう言った俺を、桜は少し驚いたように眺め……それから、また、今度は照れを隠すように小さく、笑った。
「……気恥ずかしい事言えるようになったの?」
「俺は俺で、覚悟を決めて攫いに来た」
「そっか」
「……ああ」
「…………良かったの?」
「何がだ?」
「仲間より。……戦争より、私で」
「ああ」
「……そっか、」
呟き、桜はまた、気が抜けたように、大きく息を吐いて……それから、視線を俺に向けて、言う。
「苗字は?」
「苗字?」
「私の苗字。……決めて?」
「……藤宮だろ?」
そう答えた俺を、桜はどこか不満げに見上げてくる。
そんな藤宮桜を抱えたまま、俺は雪道を歩み続け……やがて、言う。
「スルガコウヤも、さっき死んだ。そのまま、駿河鋼也って名乗り続ける訳にも行かないだろ。俺にも偽名が必要だ。……なんて名乗るのが良いと思う?」
「…………私に言わせるの?」
「………………」
「……やっぱり照れてる?」
「………………良い年して、何を……」
「良い年って程じゃないよ?私まだ25です」
そう……もはやいっそ小悪魔のように、桜は笑っている。
そうか……そうだな。まだ25だ。25の時点で大和の勢力のほとんど全部を掌の上で転がした相手に、こうやって口でどうにか挑んだところで、俺に勝ち目がある訳もない、か。
「……わかった。俺の名前だな。藤宮って名乗って良いか?藤宮鋼也」
「私の名前は?」
「藤宮桜」
「……なんか、言わせたみたいでヤダ」
「勘弁してくれ、桜……」
そう白旗を上げた俺を前に、桜はまた笑って……。
歩んで行く。二人で。白い雪道を…………。
「鋼也。……これから、どうしようか?」
「先の先まで読んで計画建ててるんじゃないのか?」
「何にも考えてない。……ここまでで必死だったから、」
「まず安全なところまで行って……そこでゆっくりしてからだな。そうだ。……料理のレパートリーが増えたぞ」
「本当?」
「こういう時に嘘つける程器用じゃない」
「じゃあ、後で食べさせて?」
「ああ、」
「ご飯食べて、ゆっくりして……その後は?」
「どう生計を立てるか、か?何かしら仕事を探して……いや、金はあるか。けど、駿河鋼也じゃなくなったなら、金も……」
「そう言うのは大丈夫。アイリスさん達に頼んであるし」
「…………完全に影の権力者だな」
「影の権力者はもう死にました。ここには女が1人いるだけ。ねえ、鋼也。安全な所に行って、ゆっくりして……それから?それからって言うか……ね?」
「……言わせるのは嫌なんじゃないのか?」
「言わせないと多分一生言わないでしょう?」
「………………」
「甲斐性無し」
「………………」
黙り込んだ俺を、桜は意味ありげに……同時にからかうような笑みを零しながら、ずっと見上げてくる。
その視線を前に……やがて俺は観念したように、口を開いた。
「け、」
と、言いかけたが……そこで、桜が声を上げる。
「あ、待って鋼也」
「…………なんだ」
「顔見たい。……直接」
そんな風に、桜は言っていた。そのまなざしを前に、俺は立ち止まり……やがて、その場に、桜を下ろす。
雪景色の中。一面真っ白い、そんな月夜の最中。
そこに立った桜の前に、俺は跪いて――鎧を開いた。
冷たい風が頬に当たる。気温より尚、その風は冷たい気がする。
そんな事を思いながら、俺は、期待するように――そっちも少し頬が赤い気がする桜を見て……跪いたまま、口を開いた。
何を言ったか、か?……わかるだろう?勘弁してくれ。
墓場に行くんだよ。人生の墓場、らしい所に。俺は地獄に慣れてるから、そこは多分夢見心地だろう墓場に。
「…………はい、」
そう、安堵したように微笑む女を道連れに。
……死ぬまで、あるいは死んでからも、ずっと一緒に。
羅刹蓮華に蒼炎の御旗―サイドストーリー― 蔵沢・リビングデッド・秋 @o-tam
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