38話裏 内緒話/灯篭を挟んで
夕日が沈んでいき、城壁から溶けかけの雪と、長い長い影が落ちてくる――。
未だ兵士達が忙しく駆け回っている北部拠点の中を、鋼也を背に、扇奈は先だって歩んで行き、やがて足を止めた。
「着いたね」
そう、扇奈に促された先は、城壁内の隅にぽつんと建った和風の小屋。
「ここは?」
「同盟軍時代に建てられた休息所、だってさ。ただのお座敷だね。オニに配慮してこういう場所を作らせたのか、オニの方に欲しいって言った奴がいたのかは知らないけど……今は内緒話するための場所」
確かに、兵士達からは離れた、人気のない場所ではあるし……よく見れば周囲に、知ったオニ――扇奈の部下の姿があった。人払いをさせているらしい。
「……そこまで神経質になる話なのか」
「まあね。いや……」
何か、歯切れの悪そうな様子で扇奈は何かを言い掛け……けれど言い切らず、先だってその小屋の中へと踏み込んでいく。
特に何も言わず、鋼也はその後に続いた。
小屋の中は、ほとんど一軒家――ただしスペースの問題だろう、かなり手狭なそれに近いモノだった。
玄関があり、奥にキッチンが見え、それからその向かいにふすま――今でもあるのだろう。間取りはそれだけ。
「便利さには勝てないってか。結局洋風の台所って奴だ。あんたは居間の方行ってな」
「……料理でもするのか?」
「それも悪くないかもねェ」
「……出来るのか?」
「あたしはこれでかなり器用なんだよ。まあ、食わせてやる気はないけどね。……せっかく貰ったんだ。祝杯と行こう。……まあ回し飲みでも良いけど?」
さっき受け取っていた酒瓶を手に、からかうように扇奈は言う。
それを前に鋼也は肩を竦め、何も言わずに居間のふすまに手を伸ばした。
そんな鋼也を眺めて、扇奈はどこか楽し気に笑みをこぼし、キッチンに消える。
畳の敷かれたただの6畳間。廊下側は襖、庭――外側は夕陽を透かすオレンジの障子戸。
明かり代わりだろう、扇奈の部下が用意したのか、灯篭が一つ、部屋の中心に置かれている。
やがて、そんな灯篭を向かい合って、二人は胡坐をかいて座り込んだ。
鋼也の前に、小ぶりな朱色の盃が一つ。扇奈はそこへ、瓶から酒を注ぎ込み、それを終えると、酒瓶を鋼也へと差し出してくる。
それを受け取り、鋼也は身を乗り出し、扇奈の目の前に置かれたもう一つ、そちらも同じ朱色の盃へと、酒を注ぎながら……言った。
「それで?内緒話ってのは」
「方便。……あんたと呑みたかった」
そう言った扇奈を鋼也は眺め……酒瓶を横に置き、言う。
「酒はついでじゃなかったのか?さっきそんな風に言ってたろ」
「ついでだよ。ついでに、あんたと呑みたくなった。二人で吞むなんてそんななかったろ?」
「お前は人気者だしな」
「……どうかね、」
そんな呟きを漏らし、扇奈は盃を持ち上げる。
「……一杯だけだ。付き合ったら身体がもたない」
そう返して、鋼也もまた盃を持ち上げた。
「今日の勝利に」
「ああ。……今日の勝利に」
口々に呟き、二人は盃を傾ける。
障子から透ける明かりは、いつの間にやら夕陽から月明りに、夜が始まっているらしい。
灯篭と薄く白い月明り、そんな光に照らされながら、オニの女は息を漏らし、静かに盃を置いた。
そんな扇奈を眺め……鋼也は呟く。
「……何かあったのか?」
「なんで?」
「らしくないだろ。……何となく」
「んなこと言える程あんたはあたしの事知ってんのか?」
「長い付き合いだろ?」
「そうだったかねェ……。長生きなもんで。近頃は全部一瞬さ」
「老け込むような年でもないんだろ?…………最初は、お前は随分年上な気がしてた。けど最近は、そうでもない気がする」
「あんたはヒトであたしはオニだ。……あんたも見たら、あたしも老け込んだ気もしてくるさ。もう一人のクソガキの方とかもね」
呟き、扇奈はまた、盃を傾ける。それで、盃は空になっただろう。鋼也は酒瓶に手を伸ばし、……そんな鋼也を前に、扇奈は盃を差し出してくる。
袖から細い手首が覗き、その先にある朱色の盃に、透明な液体が満ちていく……。
それを眺めながら、鋼也は言った。
「水連か」
「あの子は随分変わったよね。ああも落ち着いちまうなんて」
「俺よりしっかりしてるな。……育ちの差か」
「どう思った?」
「何がだ?」
問いに問いを返し、鋼也は瓶を置く。
扇奈は、そんな鋼也を静かに眺め、言った。
「あのクソガキは、あんたより先に死ぬと思うか?あんたが庇ってやらなきゃなんないガキか?」
「……どうだろうな」
「はぐらかすのはなしだ」
「なら、要件を先に言ったらどうだ」
「……あたしとは呑みたくないって?」
「そうは言ってない。……あんたと口喧嘩する気はない。俺が勝てる訳ないだろ?」
「あっさり白旗かい?」
「探り合いに俺は向いてない。……それがわかる位には年を取った」
言って、鋼也は盃に手を伸ばし、だが呑まず、そこに映る眼帯の男の顔を眺め……。
「……あいつが死ぬような状況なら、俺が居ても変わらないだろう」
「エルフの異能がそんなに強いか?」
「本人の動きだ。異能云々言い出す前から、アイツはほとんどトカゲの攻撃を食らってなかった。少なくとも俺が見ていた範囲ではな」
「へぇ……」
「そこに異能が上乗せされて行動の選択肢が増えた。無理やり突っ込もうって言う蛮勇もなくなった。アイツは……そうだな」
呟き、鋼也は盃を傾ける。
朱色の盃を空にし……鋼也は視線を扇奈に向け、言う。
「……またお節介か?」
「なんの話だい?」
「この戦争に、お前の部隊に、俺はもう必要不可欠じゃない。俺は別の場所に行くべき。……そういう話がしたいんじゃないのか?」
「……したい訳じゃないさ。ただ、……あたしは結局姐さんなんだよ」
呟き、扇奈は酒瓶に手を伸ばし、それを鋼也に差し出してくる。
一瞬躊躇し、鋼也は盃を差し出した。
それに、酔いの宝薬を注ぎながら、扇奈は言う。
「桜の事言えた義理じゃない。姐さん、って言う処世術だね。そう振舞っているだけ。素面で動くにはあたしは随分臆病なんだ」
酒瓶を置き、扇奈は続ける。
「その役にそった生き方しか出来ない。目の届く範囲で、愛想振りまいてるだけ」
「不愛想な俺より随分マシだろ」
「けどあんたは、なんだかんだ正直だ」
「俺はその方が楽だったってだけの話だ。嘘が上手くなかった」
「ウソなんて、うまくない方が良いよ。ああ、その方が生きやすいだろ」
呟き、扇奈は盃を持ち上げ……盃を軽く揺らし、僅かに波立たせて、そこに揺れるオニの女を、やがて一息に呑み下した。
それから、盃を置き、顔から揺れたほろ酔いを消して、指揮官として、あるいはそれこそ姐さんとして、言う。
「……東京。もっと言うと桜が、帝国軍に包囲されてる」
「……ああ、」
「驚かないのかい?」
「俺も元々真っ当な尉官だ。桜とも、皇帝陛下とも面識がある。戦力の分布は知ってる。殊洛の部隊が――今この北部拠点にいる部隊がどこから来たかも、知ってる。大和紫遠がクーデターにどう対処するかも、知ってる」
「……知っててここで呑んでるのかい?」
「大和紫遠は包囲してもすぐには動かない。東京にどの程度兵が残ってるか、北部と南部の兵がどう動くか、見極めてからだろう。包囲と言ったら聞こえは良いが、この拠点と東京の間に戦力を投げてるんだ。東京にそれなりの戦力が残ってたら、挟撃に遭う。その可能性を考えて、包囲に裂いた部隊はそう多くないだろ。本隊が動くのはまだ先だ」
「本隊が動いてないなら、なおさら今すぐ動くべきじゃないのかい?」
「さっさと俺を追い出したいか?」
「……どうなんだろうね。女心がわからないか?」
「俺にわかると思うか?」
「……わかって欲しいとは思ってるよ。多分、あたしもね」
呟き、胡坐に頬杖を突き、扇奈は鋼也を眺める。
そこで、だ。
ふと――部屋の明かりが消えた。灯篭の中身が随分細くなっていたのだろう。
障子から月明りが透けるだけの薄暗がりの中、扇奈は何かを言い掛け……けれど動いた唇は、何も吐かずに閉じられた。
そして代わりとばかりに、扇奈はすぐさま呟く。
「気の利いた灯篭だね。……もうお開きにしようか」
「探せば代わり位あるだろ」
「……まだあたしと呑んでたい、か?」
「機会がある内にな」
「縁起の悪い言いようだね」
「……女心なんて、俺には一生わからないだろう。けど、お前とは長い付き合いだ」
「あたしの事はわかるって?」
「少なくとも、“姐さん”が言おうとしてる方はな。背中を押そうとしなくて良い。俺はもう決めた」
言って、鋼也は立ち上がり、それから続ける。
「蝋を探してくる。……ついでに、酒の宛も、何か作れないか見てみる」
そして、鋼也は薄明かりの座敷を後にしていく。
頬杖を突き、扇奈はそれを眺め……襖が閉じてから一人、
「……悪い男になったもんだね。それに比べて、か」
呟いて、盃を傾けた……。
→ 39話 軍議/陣容把握
https://kakuyomu.jp/works/16816452218552526783/episodes/16816452221079563101
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