Ⅲ 魔女の甘言/月夜の決闘

「私が考えているのは、大和の平和です。オニにも、ヒトにも、多くの恩を私は受けてきました。その契約に沿わねばならないと、……頑張ってみただけですよ?」

「今更上辺を取り繕うな」

「今更情など見せないで頂けますか?」


 桜花は、見透かすような目で、銃口を向ける紫遠を眺める。


「……ずっと不思議に思っていたことがありました。なぜ、私は生かされているのだろうと」

「兄が妹を救って何がおかしい?」

「兄妹ですね。今となっては、立場が逆なら私もそう言うでしょう。兄さんも私も、やっていることは同じです。上辺をどうにか取り繕い続けているだけ。八方美人です。どれだけ自己顕示欲を見せるかの違いがあるだけ」

「いや、違う。お前は周囲の機嫌を取っているだけだろう?私は私の信念の為に動いている」

「なら、甘えは捨てなさい」


 見透かす様な目で、桜花は言い捨てた。それこそ、女帝のように。

 かと思えば次には年頃の少女の様に、どこかあどけなく甘い声で、妹は言う。


「不思議だったんです。言ったでしょう?なんで私は生かされているんだろうって。兄さんがクーデターを起こした時、家族は皆、殺したでしょう?けれど、私は生かされた。いえ、その時生き延びたのは、私が周囲に恵まれたからです。けれどその後、兄さんはいつでも、私を殺せた。私の生存が公になる前に、私を処分してしまえば、……それこそ今、こんなことにはなっていない。それがあらかじめわかっていたから、兄さんはまず初めに、後顧の憂いを断つために、他の皇族を全て殺した。けれど私は飼われた。なぜ?」

「お前にクーデターを起こすだけの熱意はないと知っていたからだ。運よく生き延びたなら、その段階では消すより生かした方が利用価値が高いと思った。事実、オニとヒトが手を取り合うようになったのはお前の功績だ」


 妹は、兄は、どこか他人事のように自分たちの事を語り……次の瞬間、桜花は今度は冷淡に、それこそ魔女のように囁く。


「クサカベスイレンを調べましたよ?びっくりしました。兄さん、私の事をほったらかして、よそで家族ごっこをしてたんですね」

「……私は他の皇族に疎まれていた。私とお前の母親は、事実毒殺された。私が距離を取るのが、お前の命を守る為に最善だと考えた」

「クサカベサユリと言うヒトは、私に似ていましたか?少なくとも年は近かったですね。それとも逆に、……私がクサカベサユリに似ていた?」

「何が言いたい?」

「クサカベスイレンは貴方のスペアの予定だった。クサカベサユリも、死なせる予定はなかった。けれど、貴方はあの頃、革命軍の手綱を握り切っていた訳ではなく、だから生かすはずの人材を死なせてしまった。それを悔いているのでしょう?私を生かす事で、罪悪感は安らぎましたか?」

「……サユリに嫉妬か?」

「面白い事を言いますね、兄さん。私、そんなに貴方の事好きじゃないですよ?」


 小悪魔のような笑みで、妹はそう兄を切って捨て、そしてまた表情が変わる。

 どこか冷淡に、微笑んでいるのに暗い表情で、お飾りのはずの皇女は嗤う。


「……悪だと言うなら徹するべきでしょう?独裁者なら甘えるべきではないでしょう?情を残してどうするのです?」

「その偉そうな口を叩くために、こんな状況を作ったと言うのか?」

「私はお飾りです。実権も、能力も、ありはしません。兄さんにはそのどちらもある、でしょう?だから兄さん、貴方にわかりやすい構図を上げました。全て兄さんが自分の意思で転がせる状況を差し上げたんです」

「お飾りを自称しているとは思えない台詞だな。まるで独裁者だ」

「貴方も、東乃守殊洛も、等しく大和の平和を願っている。けれど、竜を廃せばここに誰のモノでもない土地が生まれる事は事実。口でどう言った所で、貴方達はどうせ戦争をする。竜を殺す為と膨らんだ軍備で」

「……竜がいる間にクーデターを起こして、帝国への反抗勢力を竜の手で削がせていると?私に譲られた勝ちを掴めと?」

「やらずとも勝敗がわかる状況を差し上げたのです。貴方にも、東乃守殊洛にも。戦えば貴方が勝つ。それが誰の目にも自明なら、貴方には選択肢が生まれる。許すと言う選択肢が」

「……情を捨てろと言いながら、許せとも言うのか?お前はやはり、支離滅裂だ」

「いいえ、矛盾はしていない。悪なら悪と、王なら王と、徹するべきだと言っているんです。情を捨てるのと情を見せるのは別の話ですよ?ただ合理的に、ただ王として、平和を作る装置になるべきです。私がお人形でいるように」


 暗い目で囁く桜花を、紫遠は眺め続け……。


「桜花はここで死にます。貴方は妹を殺す。そう――今度は暗躍でなく、大衆に示しなさい。自分が唯一の王であると。その上で、大衆に寛大さを見せるのです。私を殺してその上で、私の死に泣いて見せなさい。竜の消えた大和の地で、最期に聞いた妹の願いに沿い、道化として、王として、装置として……確かに平和な世界を作りなさい」

「……お前の書いたシナリオの上で踊れと言うのか」

「連合への根回しは済んでいます。共和国のバックボーンに、連合はついている。貴方が共和国を許さねば、平和は遠のく。けれど貴方が共和国を、私の祈りを信仰すれば、……その祈りはきっと通じて、連合は折れるでしょう」


 平然と、桜花は言う。

 反旗を翻せば血縁者であれ殺す、絶対的な君臨者であると示せと。

 同時に、そうして自身で奪った意志を汲む、寛大な王でもあれと。


 根回しは済んでいる、紫遠が許せば平和は訪れる。逆に、許さねば結局、ヒトとオニとが争い合う世界に時計の針が戻る、とも、脅している。選択肢が紫遠にあると言いながら、その実、沿う他に平和はない。


「……その話。お前を殺さず、この瞬間から寛大であることも出来るな」

「それを甘いと言っているんです。それを捨てろと言っているんですよ?反乱自体は鎮圧し、首謀者に情けを与えず、その上で敗者に慈悲を。甘い王と寛大な王は違う。そのくらいわかるでしょう、兄さん?」

「…………」


 答えず、ただ銃口と共に睨んだ紫遠を前に、ふと……桜花は息を漏らす。

 それから、飾り気なく、吐息と共に囁いた。


「私は疲れました。もう、この舞台に立ってはいたくないんです。それとも、それは兄さんも同じですか?」


 そんな妹を、紫遠は銃口と共に睨み続け……やがて、どこか吐き捨てるように


「私の望みは……」


 *


 ――望みは、初めから一つだけだった。

 夜の東京、雪のちらつき始めた静かな街並みの最中、抜き放たれた白刃を手に、黒い鎧は彼方を見据える。


 見上げる城郭、夜を背にするその手前。

 小高い家屋の屋上で、チラリと――銃炎マズルフラッシュが瞬く。


「――――ッ、」


 カン――横薙ぎに切り払った一閃、それが飛来する弾丸を弾き切り裂き、次の瞬間。

 “夜汰鴉”は一切の迷いなく、正面から、夜の街を駆け出した。


 目指すは城郭、阻むは朱色の鎧。

 伏射姿勢の“羅漢”、その手に抱く銃口が、ミリ単位で調整され、その深淵がスルガコウヤへと向けられる――。


 跳ねる――大きく跳ね上がった“夜汰鴉”の足元で、飛来した弾丸が地面を抉り、けれど避けたモノも、あるいは撃ったモノも、その着弾など観てはいなかった。


 夜に跳ねる“夜汰鴉”――一射目の着弾の前に、その姿は“羅漢”の覗くスコープの最中に入り込み――。


 ――夜に、火花が散る。

 放たれた弾丸が、常人の動体視力では目視すらできないはずのそれが、白刃に切られ逸らされ、夜へ頭上へ飛び去って行く。


『――チッ、』


 舌打ちが聞こえた。オープンチャンネル、今敵対している相手の声――かつて部下だった男の声。

 その声を聞き、その苛立ちを聞き、その殺意をまた知り――。

 

 それでも、鋼也はもう、迷わない。


 望みは、初めから一つだった。けれど、そこに歩むまでの道のりで、随分と、随分と、遠回りをしてきた。


 戦場で生きて来た。戦場を離れられず、戦場に呪われ。


“――大和の為に”


 その部下の嘆きに呪われ。

 英雄、と言う偶像に呪われ。


 あるいは全て言い訳だったのだろう。

 やらなければならないことがあると言う、言い訳。

 皇女と言う立場への配慮、そんな言い訳。


 年だけ食った割に根は変わらず臆病なまま、――駿河鋼也は戦場が怖いのに、その地獄から離れる事もまた、同じだけ怖かったのだ。


 失う事に怯える脆い青年。

 彼の望みは、彼の願いは、結局は――人生の中で、どれが最も失うのが怖いモノか、そんな話になるのだろう。


 あるいは、彼の惚れた魔女は、その選択を鋼也に強いて来たのか――。


(…………惚れた弱みだ、)


 内心自嘲し、――“夜汰鴉”は跳ね上がる。


 “羅漢”との距離はもう目前――赤い鎧は伏射から身を起こし、腰打めで夜空、月を背に迫る“夜汰鴉”へトリガーを引く。


 射撃音と金属音。ほとんど同時にそれらが鳴り響く超至近の一幕を、“夜汰鴉”は一閃で制する。


 切られ弾かれ、飛び去る銃弾が彼方に――それを横目に見る気すらなく、白刃を手に、“夜汰鴉”は“羅漢”の目前へと着地した。

 

 ダン――着地と同時に振り下ろされた白刃が、その場を裂く。

 ヒトとオニのハーフ。鎧を纏いながら、同時に異能も扱う英雄。

 その迷いない一太刀に常識は通用しない。


 真上から振り下ろされた野太刀は、それこそ熱したバターを裂くように容易に、狙撃銃の銃身、あるいは“羅漢”の装甲を裂いた。

 ……が、


(…………浅い、)


 即座に、半人半鬼は太刀を構え直す――その構えた切っ先の向こうで、一瞬早く状況を判断していたのだろう、狙撃銃を捨て飛び退き、同時にその腰の太刀に手を伸ばす赤い鎧の姿があった。


(流石だな、)


 鋼也はそう、一鉄戦友を見る――。


 自分はどうもあらゆる意味で、常識の外にいるらしい。そんなを、鋼也は知っていた。


 が、それに一鉄はある程度とは言え、追随して来ている。


 ハーフの生まれではない。ただの、ヒトだ。ただのヒトでありながら、こうまで半人半鬼を足止めできているこの男もまた、いや、この男こそ真の化け物――。


 すらり、と“羅漢”は自身の野太刀を引き抜き、それを淀みない正眼に、切っ先を鋼也に向けた。

 

 ゆらりゆらりと雪が舞い落ちている……。


 太刀を構え向き合った2機の鎧。その間に、先ほどまでの銃声が嘘のような静寂が、雪と共に舞い降りる。

 けれど、その静寂もまた、一瞬の後に、途切れた。


 果たしてどちらが先に動いたのか。

 もはや常人の目では負いきれない、月夜の、雪夜の、その刹那の攻防。


 幕引きのその時、黒い鎧は白刃を真横に、残心の最中、舞台に立ち続けていた。

 その背後、――赤い鎧の手にある刃、振り下ろしたその太刀が真っ二つに裂け、折れた刀身が、月光に跳ね、雪の舞台に突き刺さる……。


「………………」

『………………』


 静寂。ただ、静寂だけが、その夜に落ちる――。


 やがて、“羅漢”は姿勢を正し、振り返ることなく、言った。


『……やはり、勝てませんか』

「勝つ気なら手はいくらでもあっただろ。腰の武装は飾りなのか?」

『先に銃を捨てておいて、良く言えますね』


 何所か苦笑でもしている風に、“羅漢”――一鉄は呟き、それから言葉を足す。


『桜花様はあの城の最上階にいるそうです。大尉を待っていらっしゃるかと』


 その声を背に、“夜汰鴉”は太刀を納め……。


「ああ。一鉄。……お前、俺を見逃してどうするんだ?」

『陛下の恩赦に期待しましょう。貴方に勝てなかっただけです、ある意味当然の結果です。もし、頂けないようであれば……、自分は貴方の部下です。今の貴方の真似をさせていただきます、大尉』


 その言葉に、鋼也はふと、笑みを零し……。


「やめておけ。……人に勧められる生き方じゃない、」


 それだけ返すと、もう振り返ることもなく、夜の最中、城郭へと駆けて行った。

 雪の最中を、夜の鴉が飛び去って行く――。

 

 その姿を眺め、見送り……やがて、一鉄もまた、その場に背を向け、歩み出した……。

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