終章

 ————数週間後の夕刻、拓飛タクヒ凰華オウカは以前通り掛かった西瓜スイカ畑に再び通り掛かった。

 

 懐かしさを覚えた二人は、馬を停めて畑を見やった。数ヶ月前、ここでセイと共にのどの渇きを潤したものだ。

 

 季節は秋口に差し掛かっており、畑の中は収穫されなかった出来の悪い西瓜がいくつか残っているのみで、農夫の姿も見えない。

 

 先を急ごうと手綱を握り直した時、視界のすみで蠢くモノがあった。

 

 まさか、腐りかけて蝿がたかっているような西瓜を盗む者がいるのかと、拓飛はそちらへ顔を向けた。

 

 視界の先には痩せ細った男が背を向けて西瓜を食している姿があった。

 

 しかし、男は西瓜にかぶりつく事が出来ないのか、顔を上に向けて西瓜の果汁しるをゴクゴクと喉に流し込んでいる。

 

 その様子をいぶかしげに拓飛が見ていると、気配を察知した様子で男が振り返った。

 

 その顔を認めた拓飛と凰華は驚愕の表情を浮かべた。

 

 男の顔には深い刀疵が走っており、外れたままの顎がグラグラと小刻みに揺れていたのである。

 

 男も二人の姿に気付き、眼を見開いて腰を抜かしてしまった。

 

 拓飛は無言で焔星エンセイから降りると、男に歩み寄った。

 

「————拓飛、駄目よ! その人はあなたの————」

 

 凰華が叫ぶと、拓飛は振り返り、ゆっくりと首を振った。

 

 その眼には言葉に尽くせない感情が込められていた。凰華はうなずいて、伸ばし掛けた手を戻した。

 

「ああ、あ…………!」

 

 拓飛が眼の前までやって来ると、男は怯えたように声を上げた。

 

(こいつのせいで、お袋は…………‼︎)

 

 脳裏に母の事が浮かぶと、不意にドス黒い感情が心を満たし、拓飛は右腕を振り上げた。

 

「————ひぃッ!」

 

 男は情けない声を上げて、懇願するような眼を拓飛に向けた。

 

 筋骨隆々だった肉体は痩せ細り、眼が窪んで、自信満々だった表情は面影もない。たった一月ひとつきたらずで二十は歳を取ってしまったかのようである。

 

 その哀れな様子を眼に収めた拓飛は、血が滲むほどに強く唇を噛み締めると、振り上げた手を懐に差し入れた。

 

 拓飛は有り金すべてを男の足元に放った。


 男は当初、用心している様子だったが、しばらくするとカネを乱暴に掴み取って逃げるように去って行った。

 

 拓飛が胸を押さえて呼吸を荒くしていると、その手を優しく握りしめてくれるものがあった。

 

「偉かったわね、拓飛……」

「…………ああ」


 拓飛は消え入るような声で返事をして、凰華の手を握り返す。

 

 凰華は愛する男のぬくもりを感じながら、心の中で母と二人の父に感謝した。

 

 この誇り高い男と共白髪になるまで、残りの人生を共に過ごす事が出来るのだ。これほど素晴らしい事が他にあるだろうか?

 

「————行きましょう。陽が暮れてしまうわ」

「ああ」


 二人は再びくつわを並べて街道を南下して行った。

 

                           (全書完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】暴虎馮河伝 〜続編あり〜 知己 @tmk24

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画