6 嬉しくなるよ
空を見上げると、雲一つないことが確認できます。
今日は、とてもいい天気で、これなら洗濯物がよく乾きそうです。
やる気満々で袖をまくり、戦闘態勢に入りました。
両手で抱えてきたシーツを、四角い大きな桶に浸けます。
井戸から汲んできた水を流し入れて、手で押し洗いをしていきます。
ハーバートさんがくれた石鹸は、とても汚れがよく落ちるので、それを使って洗うと気持ちがいいです。
桶のゴム栓を抜くと、あっという間に不要になった水はなくなります。
今度はハンドルを回すと、シーツの余分な水を絞ってくれます。
同じ作業を何度か繰り返しました。
井戸のすぐ近くにこの洗濯場もあり、あまり力を使わずに全ての作業を終えることができるので、道具や設備などは全てハーバートさんの手作りだそうで、色んなことができて本当に尊敬します。
「わー、真っ白!」
シーツを広げて干すと、よく光を浴びて輝いて見えました。
これだけ真っ白になると、達成感もあり、自然と口元も綻びます。
風に揺れるシーツを、清々しい思いで眺めていると、
「エリは、何でも楽しそうにするのだな」
通りかかったハーバートさんに、声をかけられました。
土が入ったバケツを運んでいたようです。
「あ、いえ、ハーバートさんの石鹸が気持ちいいほどに汚れを落としてくれるので、それが楽しくて。こんな良い物を使わせてくださって、ありがとうございます!」
そんなことで?と私を見ますが、でも、優しく笑い返してくれました。
「お礼を言ってもらえるとは思わなかったよ。俺の方こそ、ありがとう」
「とんでもないです!私、家事もあまり得意ではなかったので、ハーバートさんの物を貸してもらうと、自分が色々できて、自信がもてます」
「エリはもっと、自信を持つべきだ」
「はい。もっと、もっと、自信がもてるように努力しますね!」
張り切って返事をしたのですが、何か言いたげな微妙な顔をされてしまいました。
気を取り直して、一段落したのならと、休憩の時間をとることになりました。
お茶を飲みながら、その時間を使って新聞の内容を教えてもらいます。
直近であった事件。政治。貴族のスキャンダル。
今まで縁のなかった、読むことのできなかった新聞には、色々なことが書かれていました。
「この内容が全て正しいというわけではないけど、今は何が起こっているのか知る指標にはなるよ」
その情報を鵜呑みにしてはならないとも、教えてもらいました。
分からない事を質問すれば、すぐに答えてもらうことができ、渇いた土に水が浸み込むように、色んな話を聞くことができました。
最近の一番の話題は、“梟”と呼ばれている魔法使いの集団の活動が目立つようになったということでしょうか。
梟は賢いとか夜に活動するとか、そんな感じのイメージがありますが、こちらの“梟”は禁じられた魔法を違法に使い、犯罪行為を行なっているようです。
それから、この世界には色んな場所に遺跡と呼ばれているものがあり、それらの発掘調査がどの程度進んだのかという話題も注目を集めているようでした。
怖い魔物の被害の報告も掲載されていて、いつ魔族の脅威に晒されるのかも心配なことではあります。
質問の区切りがついたところで、ハーバートさんはその話題を口にしました。
「エリは、ビルソン家からいくらほど給金を受け取っていたんだ?同じだけの額を出せるかは分からないが、君が不便のないようにはしたい」
返答に困りました。
どれだけが当たり前の金額なのでしょうか……自分のお金など持たせてもらったことがないので、全く分かりません。
何と答えたら正解なのか、
「ビルソン家から受け取っているので、お気遣いなく……」
ハーバートさんに、これ以上のご迷惑をおかけするわけにもいかず、そう答えるしかありません。
ほんの少しの後ろめたい思いで気持ちが沈んでいましたが、穏やかな生活が私を優しく包み込んでくれるのは変わりませんでした。
過ごしやすい気候で、天気の良い日が何日も続いているなぁと思っていたら、ハーバートさんから頼まれ事をされました。
「エリ。さくらんぼを収穫するから、手伝ってもらってもいいか?」
「はい!」
直接頼まれ事をされたのが嬉しくて、緩む顔を隠しながらついて行った場所は、家の裏手にある、たくさんの種類の野菜を少しずつ育てている畑を通り過ぎた、さらに奥でした。
そこには、三本のさくらんぼの木が植えてあって、赤い実がたくさんなっていました。
「私、魔法のこともほとんど知りませんが、こんな時は魔法で、ぱーっと一気に集めるのだと思っていました」
だからこそお役に立てて嬉しいのですが、率直な疑問を、カゴを抱えているハーバートさんに向けます。
「それができる子もいるけど、俺には無理だ」
「魔法にも、色々あるのですね」
「そうだな」
いつも通り、嫌な顔をせずに答えてくれました。
それにしても……
ツヤツヤと光る赤いさくらんぼは、とっても可愛い見た目で、とっても美味しそうです。
「ハーバートさんが育てたものですよね?」
「ああ。肥料の配合を工夫したから、今年は美味しくできた。そのカゴがいっぱいになったら、そこに腰掛けて食べていいよ。軸の部分が緑で太いものの方がより美味しいはずだ」
「わぁ!嬉しいです!ありがとうございます!」
現金な者と映ったかもしれませんが、早く食べてみたくて、張り切ってカゴにさくらんぼを入れていきました。
公爵家にいた頃の食事は、固いパンも、水のようなスープも、どうせ味が分からないし、餓死が免れるのならと、無感情にお腹の中にいれていました。
その、空腹を満たすためだけに、食べ物を口にしていた時と違い、今は、美味しいと思える物を食べることができる。
こんなに幸せなことはありません。
そんなに時間が経たないうちに、カゴはいっぱいになり、置かれた丸太に座っていただきました。
「ハーバートさん、これ、とっても美味しいです!」
見た目通りに、口の中に入れると瑞々しく甘い味が広がって、これがホッペが落ちるという感覚なのでしょうか。
「良かった。これで、農家の人に肥料を喜んでもらえる」
「さくらんぼは、売るために育てたわけではないのですね」
「肥料を提供するための、言わば実験用だな」
「それも、売るためのものじゃない、肥料なのですか?」
「町の農家の人が喜んでくれるのなら、俺は何よりもそれが嬉しいからな。それに、農家の人がおいしくできた作物をくれるから。それを楽しみにしているんだ」
町に住んでいる人は、たとえ他の仕事をしていたとしても、大なり小なり畑を抱えています。
ハーバートさんの肥料は、とても町の人達の役に立つのだと思います。
「足に塗ってもらったあのお薬もよく効きましたし、肥料まで作って、ハーバートさんのお仕事は、薬を作ることなのですね。このさくらんぼを育てた肥料なら、きっと村の人も喜ばれます!」
今日のハーバートさんを見て、薬師のようなものを想像していましたし、似たようなものだと、否定もされませんでした。
その日の夜。
部屋で、器に盛られたさくらんぼの絵を描いていました。
思い出を残すように絵を描いたのは、初めてのことです。
日記のかわりになるでしょうか。
絵の左下に、日付けを書き足しました。
日付けくらいなら、書けます。
ここにいる間に楽しい思い出が少しでも増えたら、私がこの先一人で生きていくことになったとしても、まだ頑張れそうな気がしました。
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