19 家に帰ろう
「それとね」
私はイライアス様の言葉に納得したところだったのですが、さらに言葉を続けながら、これまで殿下がアタナシアさんに向けていたような優しげな微笑みを、私にも向けました。
「幼い頃から多少なりとも君の事を知っていたのに、君の現状を知ろうともしなかったお詫びだよ」
「そんな……それは殿下には何の責任もありません」
「うん。でも、あの時、伯爵家を訪れた君が言ったよね。自分のことばかりでって。それは私にも言えることなんだ。アルバートの憂を少しでも考えてあげるべきだった」
「まぁまぁ。結果として、エリザベスさんには良き出会いとなって、一つの困難が克服されつつあるということで。ね?」
「はい」
アタナシアさんの言葉に、心からの笑顔で頷くことができます。
ハーバートさんと出会えて良かったと、心から思えます。
でもと、新たに生じた引っ掛かりをイライアス様に尋ねました。
「殿下は……アルバートさんとお知り合いなのですよね」
それは、ハーバートさんのことで頭がいっぱいいっぱいで、ここまでそこに意識を向けることができなかったことです。
「彼は有能なのに、可哀想なことに私の側近でね。まぁ、お互い複雑な立場だからちょうどいいと言えばそうかな」
「イライアス様、今は自虐はいりませんから」
「私はアタナシアに同情してもらいたいんだ」
「帰ってからいくらでもしてさしあげますから、今は控えてください」
なんだか、アタナシアさんとイライアス様の会話を聞いていたら肩の力が抜けます。
だから、自分の思いを吐き出すことができました。
「私は……謝罪することもできないままだったので……」
私のせいで婚約破棄をさせてしまって、お相手にとって一番大切な時期だったのに、迷惑をかけることになってしまって。
「彼は私達よりも年上なのだし、もう十分な大人だ。だから心配しなくていいよ。自分のことは自分でできるから」
確かに私に心配されるなど無用なことではあるとは思うのですが、それでも心残りではありました。
「ふふっ。今頃、どこかで可愛い女の子を口説いている最中かもしれないね」
「そ、そうなのでしょうか?」
もう、随分前に一度会っただけでしたが、そんな軽薄な方には思えませんでした。
「人生とは、苦しいと思った道の先に幸せが待っているものなのかもしれないね。これからは、君自身の幸せを考えてみてもいいんじゃないかな」
「はい」
「ハーバートさん、そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ」
アタナシアさんの言葉に振り向くと、ハーバートさんの複雑そうな思いが見え隠れする、そんな表情をされていました。
「ハーバートさん?」
「ああ、いや、俺のことは気にしなくていい」
ハーバートさんはほんの少しだけ顔をそらしたので、それ以上を尋ねることはできませんでした。
「じゃあ、我々は王都に戻って必要なことを済ませてくるよ」
「はい。本当に、ありがとうございました」
アタナシアさんと、イライアス様にたくさんの感謝を伝えて、蟲が飛び立つのを見送りました。
それから、ハーバートさんと一緒に家の中に戻ると、散らかった所や壊された所を元通りにしました。
結局、今後のことは具体的には決まらないままで、今まで通りの、何一つ変わらない日常が戻ってきました。
アタナシアさん達が王都に戻った翌日に、エリザベス・ビルソンの死体が見つかり、公爵家に訃報がもたらされていたとしても、私の日常が何一つ変わることはありませんでした。
充実した、満たされた毎日は、過ぎていくのはあっという間です。
今日もまた、荷物を抱え直しながら、晩ご飯は何がいいか考えます。
また、たくさんのお土産をいただいて、ヨロヨロしながら歩いていました。
「エリ」
名前を呼ばれたかと思えば、急に荷物が軽くなりました。
顔をあげると、ハーバートさんがいくつか持ってくれていたようです。
「ハーバートさん。どうされたのですか?」
畑の方で、作物達の成長具合を確かめているはずでした。
「いや、用事が思ったよりも早く終わったから……」
「迎えに来てくれたのですか?」
「ああ」
私を優しげな眼差しで見つめてくれています。
「すぐそこなのに、ありがとうございます」
その心遣いが嬉しくなりました。
「いや、俺が迎えに来たかったから。家に帰ろうか。今日は俺が夕食を作る」
「嬉しいです!新鮮なほうれん草をいただいたので、ハーバートさんのキッシュが食べたいです」
「分かった」
ハーバートさんは、ここでお世話になり始めた頃と変わらずに優しいです。
でも、一緒に並んで歩いてくれることが、当たり前のようにいつまでも続くと、思っていたわけではありません。
「ハーバートさん。変わらず、家にいさせてくれて、ありがとうございます。今がとても幸せです。こんな日がずっと続いたらいいなぁって、そんな風に思えるのもハーバートさんのおかげです」
「エリが望む場所にいればいい。それがあの家なら嬉しいし、それは俺の願いでもあるし、君は、もっともっと幸せになれる」
「ハーバートさんの言葉なら、何だか、現実になりそうです」
「俺が現実にするし、君の笑顔は守るよ。安心してくれ」
「はい!」
あれ、今のは………?
自然に紡がれていたハーバートさんの言葉の意味を考えようとして、
「エリ」
途中で名前を呼ばれたので、そこで考えるのは一度やめて、少し先を歩くハーバートさんの広い背中を、小走りで追いかけていました。
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