13 出ていってくれ
数日の間、不安な思いで過ごしていると、ハーバートさんの帰宅予定通りの時刻に、ガチャっと扉が開けられました。
帰って来たのだと、それが嬉しくて、
「ハーバートさん。おかえりなさい」
急いでドアの所まで駆け寄って、ハーバートさんの姿が見えて安堵したのに、そのハーバートさんから不審な目を向けられて鼓動が痛いくらいに跳ね上がっていました。
「君は誰だ」
ハーバートさんの発したその言葉を理解するのに、少しの間が空きました。
「えっ?」
ハーバートさんから今までにない厳しい視線を向けられて、問われたことに戸惑いました。
ハーバートさんは、冗談を言う方ではありません。
そしてこの状況で、冗談を言う必要など全く無いのです。
「ハーバートさん、私は」
「鍵がかかっていたはずなのに、どうやって入ったんだ?プライベートな空間に勝手に入られては不快だ。何かの依頼なら話は聞くが、今後はこんなことはやめてもらいたい」
ハーバートさんは私の横を通り抜けて、テーブルの所まで移動すると、そこに持っていた荷物を置きました。
不機嫌そうな空気をまとい、視線を合わせようとはしてくれません。
「ハーバートさん、私のことがわからなくなってしまったのですか?」
ハーバートさんの明らかな異変に、不安と焦りが大きくなって、舌をもつれさせながらもなんとか説明をしようとしました。
「ハーバートさん、私はビルソン公爵家の」
「ビルソン公爵家?帰ってくれ。あの話は断ったはずだ」
そこで、さらにハーバートさんの言葉がキツイものへと変わりました。
「違います、ハーバートさん」
「そちらの話は聞く気はない。すぐに出て行ってくれ」
ハーバートさんの有無を言わさない厳しい言葉に、それ以上何かを言うことはできずに家から出るしかありませんでした。
どうすればいいのか、何が起きてしまったのか。
胸の前で握りしめた手は小刻みに震えていました。
ドクンドクンと、心臓の音が警鐘を鳴らしています。
ハーバートさんの身に何かが起きたことは確実で、その影響で私のことをすっかり忘れてしまっているようです。
私の次の行動は、いつまでもハーバートさんの家の前をウロウロとするわけにはいかず、とりあえず足を町の方へと向かわせるしかなかったのです。
私自身も混乱しながら慣れ親しんだ道を歩いていくと、
「デレクさん」
荷物を運んでいるデレクさんを見かけて、声をかけました。
デレクさんなら、ハーバートさんの様子を見てくれるはずです。
「何かあったのか?」
デレクさんは、私の顔を見るなりすぐに足を止めてくれました。
「ハーバートさんが戻ってきてから様子がおかしくて、私のことを忘れてしまった様子なのです」
「ハーバートが、エリのことを?」
それを聞いたデレクさんは、驚いた顔をされました。
「それはあり得ないだろ」
「私は家から出て行くように言われてしまって、代わりにデレクさんがハーバートさんの様子を見てもらうことはできませんか?」
「わかった。今からすぐに行くから、エリは俺の家で待っていろ」
「ありがとうございます。でも私は、ハーバートさんの知り合いの魔法使いさんの家を尋ねたいと思います」
魔法使いであるハーバートさんに何かが起きているのなら、すぐにでも同じ魔法使いである方に相談した方が良いと思いました。
「わかった。気を付けて行けよ」
「はい」
デレクさんは何も言わずに旅費となるお金を貸してくれました。
それを大切に持って、目的地の住所が記された大切なメモも一緒にポケットにしまいます。
向かう場所は決まっていたので、何かを迷う時間すら惜しい時でした。
どんなに不安でも、泣いている場合でもないです。
ハーバートさんに起きたであろう異変をどうにかしないと。
初めて辻馬車に乗って、そのスピードにすらも、早く早くと気は急き、降りた場所から走って、走って、走って、人に尋ねながら、体力のない自分を叱咤して、そこを目指しました。
王都の中心部を過ぎて街並みがガラリと変わると、目的地が近いことがわかりました。
ここら辺のはずですが……
また、王都に戻ってくる日が訪れようとは思いもしませんでした。
アタナシアさんは領地ではなく、今は王都で過ごされているようで、この辺りは重厚な門が並んでいますが、一軒一軒の間隔がとても広い、どこも広大な敷地を持つ屋敷のようでした。
貴族のタウンハウスが立ち並ぶ区画です。
「何か、お困りですか?」
目的地であるはずの屋敷の前で、約束も無く訪れたことをまずは門番に説明しなければと考えていると、そんな私に声をかけてくれたのは、同じ歳くらいに見える女性でした。
目を惹く真っ赤な髪に、ターコイズのような瞳が映えます。
キリッとした見た目の、綺麗な人でした。
シンプルなデザインの装いなのに、それが余計に華やかな見た目を際立たせて上品な印象を受けます。
後ろには、従者らしき黒髪に黒い瞳の大柄な男性が、たくさんの荷物を持って控えていました。
と言うことは、この方はそれなりの身分の方のようです。
「あの、アタナシアさんと言う女性を探しているのですが……ご存知でしょうか?」
「あ、アタナシアさんのお客さん?じゃあ、ここだよ。中に、どうぞ」
この方がアタナシアさんではなかったのですね。
でも、親切な対応で中に案内してもらい、そこですぐに紹介されたのが、宝石みたいな印象を受ける黒い髪に赤い瞳のアタナシアさんでした。
中に招き入れてくれた方と並ぶと、お二人とも目を惹く美女なので、気後れしてしまいます。
私の突然の訪問に嫌な顔一つされずに、アタナシアさんに客間に案内されると、そこにはもう一人お客様が見えていたようでした。
その方は、驚くことに第一王子殿下のイライアス様でした。
何故ここにという疑問はあります。
私とアタナシアさんと、王子殿下。
何故かその三人でソファーに座っていました。
「突然の訪問をお許しください」
最初に私が話を切り出しました。
「君は、ビルソン公爵家のエリザベス嬢だね」
イライアス様は、幼い頃に一度会っただけの私のことを覚えてくださっていたようです。
「はい。エリザベス・ビルソンです。ご無沙汰しております」
「私とは初めましてだよね?私のところに直接訪ねてくるって、誰かに何かあったの?」
「ハーバートさんを、ご存知でしょうか?」
「はい。友達だよ。なにかあったの?」
友達だと仰るその言葉に、力を貸してもらえるかもしれないと安堵しました。
「ハーバートさんが、依頼に、出かけて、帰ってきた時には、私のことを忘れてしまっていて……」
それを言葉にすると、目の端に涙が滲んだのを自覚した途端に、ポタリポタリとこぼれ落ちていました。
ハーバートさんから他人を見るような視線を向けられたことが思い出されて、私にとってはそれが酷く辛いものでした。
今はそんなことで泣いている場合じゃないのに……
「私は、事情があって、しばらくハーバートさんの家でお世話になっていました。ハーバートさんに何が起きたのかがわからなくて……」
「泣かないで。心配するよね。それは当然のことで、大丈夫だよ、私が力になるから。もう少し、お話を聞かせてくれる?」
アタナシアさんの優しい言葉に励まされ、何とか気持ちを落ち着かせて言葉を続けました。
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