7 誰かが家にいるのもいいな

 


 ハーバートさんのところでお世話になって、ひと月が経ちました。


 ここでの生活には慣れたと思います。


「エリ。頼みたいことがあるのだが、ちょっといいかな?」


「はい、喜んで!」


 また、頼まれ事をされるのが嬉しくて張り切って返事をしたのですが、


「おつかい、ですか……」


 それを聞いて、気が張り詰めていました。


「ずっと経過を見ておかないといけないものを作っていて、今はこの家から離れられないんだ。頼めるかな?」


「はい」


 返事はしたものの、自分の顔が、声が、強張るのを感じていました。


「じゃあ、何個かあるから、今から言うものをメモしてもらっていいか?」


 メモ書きをしなければならないと言われ、今度はまた別の、新たな緊張が生まれます。


 そんな私に、ハーバートさんは安心させるように笑いかけます。


「何も字を書くことにこだわらなくていいんだよ。エリの得意な絵を描くことだって、立派なメモ書きだ」


 立派なメモ書きという言い方に少しだけ緊張が緩み、紙と鉛筆を持つと、ハーバートさんに頼まれたものを簡単な絵にして、あとは自分の頭でも覚えます。


 それらを復唱すると、“それで大丈夫だ”と頷かれていました。


「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい。急がないものだから、エリも自分の見たいものを見てくるといいよ。こんな時じゃないと町に行かないだろう?欲しい物があれば、そこから買っていいから」


 お財布を託されて、ハーバートさんに送り出されて、ここに来てはじめてのおつかいに出掛けます。


 町に行くのも、この町に到着した日以来でした。


 何となく一歩一歩が重たく感じるのは、あまりにいい思い出がないせいだと思います。


 家にいたころのおつかいは、嘲笑されることだけが目的のものでした。


 書きつけたものを渡されて、それを買ってこいと。


 その内容を尋ねても、ニヤニヤとした嫌な笑いを向けられるばかりで……


 ただイタズラに種類もお店もバラバラに書かれたものは、お店の人に何度も聞いて、いろんなところを回って、やっと買い揃えることができていました。


 でも、そうやって苦労して買って帰っても、遅いと物をばら撒かれて捨てられて……


 時間をかけすぎたからと、食事も捨てられて……


 それらは全て、使用人達から受けた仕打ちでした。


 嫌な思い出は今は忘れて、ハーバートさんのおつかいに集中します。


 大丈夫と自分に言い聞かせて、せっかく任せてくださったので、間違えないように買い物をします。


 お金はちゃんと数えることはできるのですが、より慎重にもなります。


 でも、何も不安に思うことはなかったのだと、すぐに知ることになりました。


 町に出ると、いろんな人から声をかけてもらいました。


 ハーバートさんが私の事を、町の人に話してくれていたようです。


 ハーバートさんの家で働くことになったと、紹介してくれていたようでした。


 だから、何一つ困ることもなくて、頼まれた物はすぐに買えたし、調味料で必要なものも買い足せたし、他の自分が見たい物も見る時間がありました。


 自分が見たい物を自由に見ることなど、これまでできなかったので、楽しい時間でした。


 王都に比べ、華やかなブティックや、色とりどりのスィーツが並んだお店があるわけではありません。


 町の商店は、端から端までほんの数分で歩いていける規模です。


 でも、小さな文具屋さんで、画材道具を見ることは至福の時間でした。


 水彩絵の具に油絵の具。


 今まで私には手に入れることができなかったので、いつか色々な色を揃えて、スケッチブックやキャンバスに思う存分に色を添えたいです。


 それを夢見ることも、何かをしたいと目標をもつことも、今までではあり得ないことでした。


 そろそろ帰らなければと、名残惜しくもお店を出たところでした。


 通りの向こう側で、私に手招きをしている女性がいました。


 御用事ですか?と、そちらに近付きます。


「ハーバートさんに、これを持って帰ってあげてくれないかしら」


 深皿に蜜蝋ラップがされたものを、布袋に入れて渡されました。


 中身は分かりませんが、いい匂いがしました。


「いつもお世話になってますって、伝えておいてね」


「はい、必ずお伝えします。ありがとうございます」


 その女性とはすぐに別れましたが、町でいただいたのはこれだけではありませんでした。


「ハーバートさんは、立派な方よね。いつも町の為に尽力してくださっているのよ。これ、渡しておいてね。今年も美味しくできましたってね」


 通りかかったお店の人が、お裾分けだとまた料理を分けてくれながら話してくれたことで、さらに畑でできたばかりの野菜も持たせてもらいました。


 結局、町を出るまで何人もの人に話しかけられて、色々持たされて、荷物が重くてヨロヨロしながら家に戻りましたが、その重さを苦痛に感じることはありませんでした。


 ハーバートさんが数年前にここに住み出してから、生活が楽になったし、治安も良くなったと教えてもらいました。


 楽しくおつかいができただけではなく、ハーバートさんが町の人に慕われていることがよくわかった一日でした。


 家に帰ると、いただいたお料理を、ハーバートさんに報告しながらテーブルに並べて、それから、町の人がハーバートさんにたくさんの感謝を口にしていたことも、報告しました。


 頂き物で使われている蜜蝋ラップも、ハーバートさんが広めたものです。


 それが何だか自分のことみたいに嬉しくて、一人でたくさん喋り続けていたのに、椅子に座ったハーバートさんは穏やかな顔で全て聞いてくれていました。


 こんな風に誰かに、自分が話したい事だけを聞いてもらうのもいつぶりでしょうか。


「今度、俺からもお礼を伝えておくよ。おつかい、ご苦労様」


「はい!」


 当たり前のように言ってもらえる労いの言葉も嬉しいです。


「何か、エリの気になるものはあった?」


「自由にお店が見られて、どれも目を引いて、楽しかったです。でも一番は、町の人達がハーバートさんを慕っていると分かって、嬉しかったです。……すみません、自分のことみたいに喋ってしまって」


 すっかり舞い上がっていたので、我に返るとその反動で、急に冷静になりました。


 一人ではしゃいでしまって、呆れられてもおかしくはありません。


 でも、やっぱり、ハーバートさんの言葉は優しいものでした。


「いや、エリがニコニコしながら何かをしている姿は、俺も見ていて楽しくなる。俺は、幼い頃からほとんど一人で過ごしてきたから、こんな風に家に誰かがいて楽しいと思うことがなかった」


「ハーバートさんの御家族は?」


「いない。俺には、ずっと家族がいなかったから」


「そうだったんですね……」


 初めて、ハーバートさんのことを教えてもらいました。


 今は、寂しそうな顔をされているようにも見えるし、いつもと変わらないと言えばそうかもしれませんが……


 ご家族がいないとは思いもしませんでした。


「今は、この町に住む人が家族のようなものだ」


 付け加えるように穏やかな口調で話すハーバートさんに、どこまで私が踏み込んでいいのか分からず、それ以上、何かを聞くことはできませんでした。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る