96章-4
少年は二文字の短い名前を名乗った。
××・リコリス。
あの記者と名乗った女性、リコ・リコリスの子孫だろうか。
燃えるような赤い髪の形質は失われたらしく、やや赤みがかった茶としか言いようのない凡庸な色合いになっている。瞳も鋭い理知は感じさせぬ穏やかな茶。赤い髪に空色の瞳をした色鮮やかで印象的な容貌のリコ・リコリスの子孫とは思えぬ、どちらかというと淡い色合いをした平凡なる顔立ちをしている少年だ。
或いは偶然、ただ同じリコリス姓なだけなのかも知れない。
聞けば少年はやはりルルーフ村の生まれで、ここに来るのに親の許可は取っていないらしい。日が暮れないうちに帰る様にと告げると子供扱いされたと拗ねていた。
容姿はごく普通。
特に才気煥発といった事もなく、磁力の様な魅力を持っているわけでもない。
××・リコリスはどこにでも居る、ごく普通の少年だった。
「絵、ってどういう事?」
「僕のお家には昔から聖女様の絵があるんだ、です。だから僕、聖女様の事ずっと知ってて。僕のお嫁さんになって欲しいって思ったんだ、です」
「半端な敬語はやめろ。気になってかなわん」
「はんぱなけいご?」
「です、は要らん」
「良いの? 分かった」
「それで、絵? には私が描かれていたのね?」
「そうだよ。すっごく本物みたいな絵なんだ。小っちゃいけれど、僕のお家の家宝なんだよ!」
「それは……、こういうもの?」
フールルは口元に手を当て暫し考え、それから魔力を震わせかつて撮られ、供された「写真」を呼び寄せる。瞬間を切り取り、紙に焼き付ける技術。あれはいつの事だったか、懐かしい。
××少年は瞳を真ん丸にして高い声で叫ぶ。
「僕のお家にある絵と一緒だ!」
「そう。君はどうやらリコ・リコリスの子孫のようね」
「リコリス! 僕と一緒の名前。この絵を描いたの、僕のご先祖様?」
「多分ね。彼女はこの技術を写真、って教えてくれたわ。似たようなもの、お家にもあるでしょ?」
「しゃしん、って知らないよ僕。これと同じ絵がね、僕が小さな頃にうちの蔵から出てきたんだって。魔法でやぶれないようにフーインしてたって」
「ほう。まだそんなモノを使える人間が残っていたとは」
「学校の先生が300年前の魔法だって言ってた」
「……あれからそんなに経ったのね」
「それでこれは何だろうって村中で考えたって。帝都から偉い人も来て、でもこれが何か分からなかったんだよ」
聖女様はこれが何か知ってたんだね。凄いや。
きらきらと瞳を輝かせる××にフールルは目を伏せる。
「帝都……。そう。王国は滅びたのね」
「そして写真なる技術も失伝した。本当に、忘れっぽい生き物だな」
「王都が帝都になったの、貴方が知らないのはおかしくない?」
白の子は人間となって転生を繰り返しながらフールルに仕えているのだ。情報を集めようと思えば彼には直ぐに分かる事の筈だが。
「雑音を耳に入れる意義を感じません」
「退屈しのぎに外界の事を教えてくれても良いのに」
「流石にそこまで残酷な仕打ちは致しませんよ」
執事を名乗る男はさらりと軽く言葉を返す。
彼はフールルが外界に興味を持つ事を好まない。
フールルが外に出る事、すなわち彼の封印解除を意味するので。
そうなり得る可能性の全てを排除したがるのだ。
相変わらず彼は、本体をフールルに封印されているこの現状を維持したがっているようだ。全く以て理解できない。
子供らしい気後れの無さを発揮したのか、主従のやり取りなど気にならない様子で、××少年は純粋無垢な笑みを浮かべフールルを見上げて言葉を重ねる。
「しゃしん、分かった? じゃあ僕のお嫁さんになってくれる?」
「ええ……?」
「何を言ってるんだお前はふざけてるのか」
「ふざけてないよう。リコリスの男はアイサイカなんだよ! 僕は聖女様が大好きなんだ。とってもきれい。笑ってくれるのとてもすき」
だからずっと一緒にいたいんだ。だから僕のお嫁さんになって?
にこにこと首を傾げる××は稚くも可愛らしかった。
胸をえぐる純粋さだ。
とても、とても、無邪気で綺麗で真っ直ぐとした好意だった。
これはいわゆる恋愛感情なのだろうか。
フールルには分からない。
されど、冷たく排除すべきではない事くらいは分かっている。
今はフールルより小さき少年の、目の高さに合わせてかがむ。自身の緑と少年の茶の瞳を合わせるようにしてフールルは優しく微笑んだ。
ほわりと未だ丸い頬に赤が広がっていく。
「××。あなたの気持ちはとっても嬉しいわ。有り難う。でも私はあなたと同じ時間で生きていけないのよ」
「うん。僕、ご本で読んだから知ってるよ。聖女様、すっごく長生きなんでしょ?」
「そうよ。あなたは直ぐに大人になって、きっと素敵な女性と出会って結婚するの」
「しないもん。僕。聖女様のこと、ずっと好きだよ。だって僕、リコリスの男だもん」
執事を名乗る男はあちゃあという顔をして、「説得下手すぎですよ」と言いたげな目をしている。ならば一体どう言えば良かったというのか。年下は好みではない? 年上の恋人がいる? 執事が恋人と言うべきですって? 私は嘘は言いません。
何となく視線で会話する主従を余所に、××少年の意思は石のように固まってしまったようだ。
「いいよ、僕。ずっと聖女様、すきだから。
信じてくれたら僕と結婚してくれる?」
それに何と応えたのか、フールルはしかし、思い出せない。
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