96章-2
真っ赤な髪を高く結い上げ、意志強く輝く空色の瞳。
記者を名乗る女がルルーフ邸の客間に腰掛けている。
フールルはぼんやりと彼女の名前を思い出そうとし、思い出せず早々に諦める。今まで自己紹介を受けた機会は星の数ほど。数多脳裏に過ぎる、いつか誰かに教えられたかも知れない名に自信は無く、そも名を教わったのかすらも夢現。フールルは早々に諦めた。
こういう時は正直に尋ねたほうが無難だろう。
「あなたは……カラ、だったかしら?」
「いいえ聖女様。リコ・リコリスと申します」
「ごめんなさいね、最近の事はちょっと目まぐるしくて、きちんと覚えられないの」
「お気になさらず聖女様。封印に身を捧げし永き時を思えば当然の事。貴女様はただ、ここに居て下さっているだけで世界を救っておられるのですから」
「本当にそうかしら? 何だか自信が無いわ」
「自信を持って下さい聖女様。世界は主のご加護の下、多様に満ちて発展多く、人々は自由に生きています。すべて貴女様のお陰です」
フールルに仕える男が鼻で笑い記者を嘲る。
「効率よく生命を殺し、効率よく自然を破壊し、幾ばくかの些末なる利便を得る。その程度の事をよくもまあ美麗に表現できたものだ」
リコ・リコリスはきっと眦をつり上げた。
「お黙りなさい魔王の残り香。薄汚い魔王の残滓。全く理解しがたい醜い精神性、見た目通りドブネズミの様な男だわ。勘違いしない事ね。あなたなんかが存在を許容されているのは、偏に聖女様の御慈悲によるもの。さっさと浄化されなさい」
「全くお変りの無い事だ。何が多様だ。フールル様を退屈させるな」
「お止めなさい。白の子」
「は。申し訳ありません」
突き刺す不可解な言の葉に、眉間に皺を寄せて疑念を表すリコ・リコリス。ゆったりとした常より、やや素早く制止を入れるフールル。白の子と呼ばれる男はフールルの声に即座に応じて口を閉ざすと、彼にとっての主に対し優美な所作で一礼した。
「彼が訳の分からない事を言ってごめんなさいね、リコリスさん。でも出来れば彼にひどい事を言わないで欲しいの。今は執事ぶった事をしているけれど、本来の彼は無碍に扱って良いような相手ではないのよ」
男は片眉を上げて遺憾を示すも、常にない多弁の主を遮らない。
リコ・リコリスは真摯に言葉を紡ぐフールルの声に耳を傾け、その結果としてフールルを案ずる。
「ならば尚のこと聖女様が危険なのでは」
「見くびるなよ人間、彼女の危険は私が全て排除する」
「いや、あなたが聖女様のお側にいる時点で危険でしょう」
「私は彼女の危険となり得ない」
「そうであって欲しいものだわ」
刺々しきやり取りに、彼らが相容れる事はなさそうだとフールルは判じた。きっと放置しておくと延々とこんなやり取りが繰り返されるのだろう。リコ・リコリスはともかく、流石に白の子と呼ばれる男の傾向くらいは分かるのだ。
折角訪ねて来てくれた外部の人間なのだから、こんな刺々しいやり取りをさせてしまうより、もっと有意義な時間を過ごしたい。
フールルは永久に退屈なのだ。こんな退屈で雰囲気の悪い応酬なんてさらりと流してしまうに限る。
恐らく確か、このリコ・リコリスという女性だったと思うのだが、先日フールルにとって珍しい物を持ってきたのではなかったか。
いつか何処かの時と景色を、小さき紙に閉じ込めるモノ。
そう、そうだ。
写真。
あれはきっと、楽しそう。
「ねえ、リコリスさん。しゃしん、を作る装置って持ってきていらっしゃるのかしら?」
「勿論持参しておりますよ。流石よくご存じで。最近の新聞というものはですね、この写真と記者の文章によって構成されているのです」
「凄いのね。しゃしんって、平民の方達も見る事が出来るのね」
「ええ! 全ての王国民に真実を、その絵姿を届ける事こそ我ら記者たる者の使命! 私は全人類で初めて、貴女様の尊き姿を世界中に知らしめる記者となりたいのです」
「ええ? 私の姿なんて知らない方が良いと思うわ。何だか外の方、色々誤解して過大評価されてると思うの。きっとガッカリさせてしまうわ」
「な――」
何を仰るのですか、と言おうとしたリコ・リコリスよりも素早く口を開くはこの部屋に侍る黒一点。
「私はそうは思いません! この私は貴女の外皮もとても愛らしいと思っておりますよ。瞬きする睫毛の毛先すらも可愛らしく、美しい新緑の眠たげな瞳は庇護欲を掻き立てられます。声は凜と涼やかで私の心に良く届く。私は貴女の器の全てを美と断じます。その様に私が認定したのだから、それは美の水準となるべきで――――」
一体何に火が付いたのか、物凄く早口で何やらとんでもない事を口走っている。要らない事を口走ってしまう前に、フールルはまたも慌てて言葉を止めさせる。
「そこまでよ、白の子」
「は。申し訳ありません。はしゃぎ過ぎました」
「一体どうしたの。ちょっと珍しいお喋りっぷりだったわ」
「貴女のお姿を、紙に永遠に閉じ込める。それは良い装置だと思いました。女、二枚だ。用意しろ」
「聖女様。こいつ思考が危ないですよ。危険人物は即排除するべきでは??」
「装置を接収しても構わんが」
「はッ。まさにネズミの発想だわ薄汚いわね。あなたなんかが使えるものですか。扱いきれずに壊してしまうのが関の山ね」
「あの。しゃしん、で私を写す? のは確定なのかしら」
「「確定です」」
こんな時ばっかり息ピッタリなのはどうかと思う。
フールル・ルルーフはガックリとうなだれた。
リコ・リコリスは翌日、写真を二枚持ってきてくれた。
フールルは写った自身にさして興味は無かったけれど、白の子と呼ばれる男は彼にとっての主に許可を得て一枚の所有権を得ると、懐へと大切そうにしまっていた。
リコ・リコリスは王国新聞社に写真と記事を持ち込んでみるのだと笑顔で王都へと発っていった。
されど。
ある時、永き眠りから目覚め、ふと思い出し、問うてみるも。
「フールル様の記事と写真? ああ、そんなものは無かったですよ」
男は興味なさげに言葉を続ける。
「そんなものが出回る事など、許される筈もありませんからね」
「聖女」は秘されるべきと考える者は多いですから。
また安全上の理由から、「聖女」の顔を知るものは少ない方が良いと考える者も居ただろう。
果たしてあの女、無事に天寿を全うできたのやら。
男は熱心に、フールルのとある瞬間を閉じ込めた紙を、見つめ続けた。
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