96章-3






浅い眠りを繰り返し、中々深く眠りにつけない時期があった。

その時期ばかりはフールルの執事を自称する男は自死をせず、離れず、フールルの傍に控えていた。

起きている時もどこか夢うつつで、眠気が晴れず、なのに眠ろうとしても眠れない。後から考えてみても特に何らかの原因があるわけでも無さそうで、ただ単にそういう時期だったのだろう。

フールルは紅茶も飲まずにソファにもたれてウトウトするばかり。

フールルの執事を自称する男は特に心配する素振りも見せず、それどころかどこか機嫌が良さそうだ。


「フールル様が夜眠らないのはよい事です。まだまだ十分ご一緒できる証ですから」

「私は眠りたいの。眠れないけれどね」

「よい事です」

「ひどい執事さんね、全く」


しかし男の上機嫌もそこまでだった。

りん、と鈴の音が鳴り、同時にフールルの屋敷を覆う守護障壁からさざ波の様に来訪者の気配が伝わる。

フールルの白い手が空を滑り、虚空に生じた水鏡により正門に立つ来訪者の姿が映る。

子供だ。特にくたびれた様子もなく旅装というわけでもない。辺りに保護者も見られない。恐らくは近隣の子供、ならば麓のルルーフ村の子供なのだろう。

時々あるのだ。肝試し感覚でルルーフ邸を訪れる子供の群れが。此度は一人ぼっちであるのが奇妙ではある。

自称執事はにべもなく言い放った。


「居留守しましょう」

「居留守しません。『どうぞいらっしゃい。鍵なんて掛っていないわ』」


映像の中の子供が突然聞こえてきた声に驚いていた。

フールルにとって屋敷の内部は勿論の事、その近辺に居る存在に声を届ける事など造作もない。知れば誰でも出来るちょっとした術だというのに、時代は人に技術の忘却を強いているらしい。

子供は礼儀正しく失礼します、だなんて言いながら、自然と開いていく扉に誘われるまま、フールルの元へと歩んでくる。子供は少しおっかなびっくりと、されど引き返そうとする気配を微塵も見せずに進んでいた。フールルの作る水鏡に見られている事に気付きもしない子供は、いよいよフールルの部屋の前の扉に立ち、胸に手を当てて何度も何度も深呼吸をしている。

余りに長大な待ち時間と、この時ばかりは感じてしまった。

眠る100年は瞬き一つなれど、直ぐ開かれるはずの扉が開かず、いつ開くのかと待ち構え続ける時は長く感じる。

そうして待つのに飽き始めた頃、ようやっと扉が開かれた。

そしてこちらが何かを言う前に子供の高い声が響き渡る。


「絵の聖女様! 初めまして、僕と結婚して下さい!」





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