104章 愚帝来訪






ルルーフ邸には執事を自称する男によって、フールルの無聊を潰すために永き時をかけて各地、各時代より集められた広大なる書庫がある。屋敷外にあったならばとうの昔に消失していたであろう太古の紙の書物も、維持魔法(キーピング)の影響下にあるお陰で入手した時の状態を保てている。恐らくは屋敷外の研究者ならば垂涎ものの魔法書、歴史書、その他資料がそこら中に収められている書庫だ。

何やら異空間に繋がっているのか、空間に何か手を加えているのか、この書庫は明らかに屋敷の面積を遥かに超える広大さだが、フールルがそこに口を出す事はない。退屈さえしのげれば良いので。

常ならば私室のふかふかとしたソファに寝そべったまま、読みたい書物を魔力にて手元に呼び寄せては読みふけるだけのフールルだったが、時には自らの足で書庫を訪ねる時もある。勿論、白の子と呼ばれる男も常に傍近くに控えている。


「なにゆえ、かの帝の記述を?」

「仕方ないでしょ。私が眠っている間に彼の玄孫の治世になっていたのだもの。せめて彼の足跡を知りたいと思ったの」

「……常にない事をなさる」


執事を自称する男は秀麗なる容貌を顰めさせた。

しかしフールルは一切頓着をしない。

いつでも立ち去る心地でいるから。どこから? 勿論この世から。


「流石に時の皇帝陛下が私の書庫にいらしたのだから印象深いわ」

「使いを寄越せば良いものを」

「でもお会いできて楽しかったわ。元は学者さんだったかしら? 物知りであちこちの風土に詳しくて、面白いお話たくさんお聞き出来て、話題も豊富で」

「あの口の達者な傲慢ちきめが」


白の子と呼ばれる男は兎に角、フールルが自分以外の他者を褒めるという行為が気にくわないのだ。狭量が服を着て歩いているらしい。


「そういう事を言わないの。研究の旅のお話、あんなに笑ったの久しぶりだったわ」

「あれは帝を称する道化でしょう」

「気さくな御方だったけれど、頭のいい方だなって思ったわ。かつての魔族の税法や統治方法まで貪欲に吸収して。貴方はそういうの、お嫌いかも知れないけれど」


二人きりで、見渡す限りの本棚を、ゆっくりゆっくりと歩む。

足音だって二つきり。

男はちょっと心を落ち着かせたが、それでもやっぱり不満なのか、口をへの字にしたまま、ふんと鼻をならした。


「それが知識欲にせよ、欲深なのが人の性なのでしょうね。そう言えばあの皇帝、書庫に日参したいあまりにルルーフ邸への道まで作らせましたからね」

「ええ? そうだったの? やけに頻繁に来ると思ったら」

「15年も連続して起きていらしたのは珍しくも喜ばしい事でしたが、そういう時に限って要らぬ虫が直ぐに湧く。

……ああ、フールル様。ほら、御座いました。こちらです」


書の海原を彷徨い歩き、そうしてやっと一冊の本を見つけ出す。

彼の主に差し出す為に、大して価値を感じぬ本だが丁重に持つ。

フールルは差し出された本のタイトルを訝しげに読み上げた。


「『愚帝ルーザニウス伝』。……愚帝?」

「はい。帝国民にも元老院にも貴族達にも、そして後を継いだ慈帝ハルモニウスにも愚帝との評価を受けたようですね。それの意向を受け、歴史は愚帝と評したのでしょう」

「信じられない。だってルーさん、あんなに税制について研究していたのに」


ルーさん。

ああ、そうだ。あいつはそう呼ばれていたのだ。

とてもとても親しげな呼び名に、執事を自称する男は片眉を上げた。

気に入らないが、フールルはただ、相手の申し入れに答えただけに過ぎないのだから気にする必要は無いのだ、気にくわないが。

記憶を削除するべきか? それとの認識の改竄を。

否、否。

今はただのフールルの執事だ、執事らしく主の疑問に答えよう。


「過去より今を見るべきでは?」

「今もちゃんと見ていた、と思うわ。重税に喘ぐ民を救いたいって」


麗しき瞳を伏せる姿はとても心惹かれるが、哀しげなのは宜しくない。フールルは愚帝に関して不必要に心を傾けすぎなのだ。誤った認識は正されるべきだ。フールルは死したる愚帝の善き面ばかりを注視しすぎて、負の面から目を背けている状態に見える。


「元老院と貴族達は正当な権利と思っていた徴税による収入を、愚帝の横暴により奪われたと感じたのでしょう。次代の慈帝ハルモニウスは即位するやいなや、前帝の敷いた税法を無効化し、慈帝と称された」

「それは慈悲深い行為なのかしら」

「父帝の民を憂う心を継いで、定期的な食料の配布と娯楽の提供を施し、民からも慈悲深い皇帝陛下と崇められたのだとか」

「学問所は? 過剰な税を取り立てた元老院と貴族から徴収した罰金で、平民の為の学問所を作るって言っていたけれど。それはきっと評価された筈でしょう?」


藁にも縋る勢いで、愚帝の功績を探そうとする。

治世の全て一切が、評価ならぬとされたが故の、愚帝だろうに。


「フールル様。平民にとって我が子も立派な労働力なのです。のんきに学校なんて行っていられる暇など無いのですよ」

「そんな……」

「平民の子に学問だなんて馬鹿の考える事。温室育ちで実情知らずの愚かな行為、と評されておりますね」

「あんなに色々と考えていらしたのに」

「結果を出せませんでしたからね」

「でもきっと、平民の子が勉強をするのって、長い目で見たら良い事だと思うのだけれど」

「そうかも知れませんね。ですが、それを望む平民の親は少なかった。望まれなければ、どんな善意も施しも、何もかも全て無意味なのです。結果が芽吹く事なく花咲く事なく愚行と評されるは必定かと」


悄然と、フールルの指が頁をめくる。

小柄な彼女の背中越しから文字を読むなど造作もない事。


「背は低く曲がっており、鼻は潰れ、容貌醜く肌浅黒く雀斑だらけ。吃音甚だしく性格は短気で良く従者を折檻していた、と」

「真逆じゃないの。嘘ばっかり書いてあるわ」

「事実など、評価の前には無意味では?」


フールルは最早口を開く気も失せていた。

執事を自称する男は腕を伸ばす。

抱き寄せはしない。執事なのだから。

ただ、華奢な彼女の背から腕を伸ばして小さな手が持つ書物のページをめくるだけ。

黒手袋が、頁をめくる。

男にとって特に見るべき価値を感じぬ愚帝の晩年。

痛ましげにひそめられるフールルの柳眉以上に気がかりなものはない。彼女の優しさと、愚帝の見せかけた虚栄を根拠とした敬意による盲目さは、晴らして差し上げなくてはならないだろう。


「権力の粋を極めた者が不老不死を望む事はままありますが、彼の場合はそれを求める時期がとても早い」


頁をめくる。


「愚帝ですよ。少なくとも、そう記される程度には」


ありもしない聖杯の探求。

龍の血、人魚の血。魔族の生き肝。

そんなモノを摂取しても人は彼女と共に生きられやしない。

無意味な事に膨大な人員は割かれ、多額の予算が浪費される。


「彼は晩年、若返りの秘宝を求めたとか」


揺らぐ新緑色の瞳に愚帝と説く言の葉は止まらない。


「永久を生きる、誰かと共に、生きる為に」

「…………ばかなことを」

「ええ。愚帝ですから」


どうやら分かって頂けたようだ。

白の子と呼ばれる男は満面の笑みを浮かべた。

ルーザニウスという皇帝は愚帝なのである。

それが伝わればもう、こんな本など見る価値も無い。


そうして本は、閉ざされた。







104章 愚帝来訪    終


       → 123章 どうして君は生きているのか?(2)



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フールル・ルルーフ只今魔王?を封印中 炬燵みかん @pessomofumofu

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