第1話 殺人鬼

 全て嘘のようだった。


 血にまみれた手も、足元に転がる死体も。

 それが全て自分の引き起こしたことで、その手に伝わる感覚はあまりに生々しかった。


 だが所詮全ては虚構の話で、でも、この興奮だけは本物だ。


「お前、何だ……」


 言葉にならないようなか細い声が聞こえる。


(そうか、もう1人残っていたか……)


 そう思いヌラリと振り向く。

 見据える先に1人の男。


 短槍を握り、鎖帷子くさりかたびらを着てヘルムはバイザーを降ろし、腰に短剣を吊るす。

 その格好は、西洋的で、これがただのゲームだと否応無く突きつけて少し笑う。


 男の顔はうかがえないが、スリットから覗く瞳にありありと恐怖の色が浮かんで見えた。


 だから上手く言えないが、サディスティックな欲望が鎌首をもたげてくる。


◆◆◆◆


 時刻は深夜、満月に照らされた真夜中の裏路地で、それは繰り広げられた。

 戦闘と呼ぶには一方的な殺戮。


(一瞬、一瞬だ)


 男は、状況の把握に数秒を要した。

 3人の仲間と夜警を行なっていた彼は、木造の家屋が並ぶ旧市街を歩き回り、ある標的を探していた。


 その名も『ヴィルマの殺人鬼』。


 ここ、『商業都市ヴィルマ』を目下騒がせている殺人鬼だ。

 奴が殺した数は、見つかっているだけでも18人。実際はそれ以上と目される。


 真夜中に現る漆黒のシルエット。血錆の混じったダガーを振りかざし、目に付いた者から切り捨てる通り魔的犯罪者。


 そのシンボリックな存在感から今、この街で奴を知らぬ者はいない。一部でカルト的な人気もあるほどだ。


(本物か……?)


 先ほど起きたことを思えば、目の前にいる影はその本人に他ならない。


 その手際も想像以上で、怪しげなシルエットだけ見せ、裏路地へ誘い込み上空から奇襲。

 瞬きをした次の瞬間に男を1人残して全員斬り殺されていた。


(くそッ、どうする?)


 即座に逃げ出さないのは、2つの理由から。


 1つは、立ち位置が悪いこと。

 この裏路地は真っ直ぐの一本道で、奥へ行くと行き止まり。

 ここに入り込んだ彼は唯一の出口を殺人鬼に塞がれている。


 そしてもう1つは、彼の矜持きょうじによるものだ。

 この男は、街の衛兵で、先ほど斬り殺された仲間たちもそうだった。それ故、街を守るのは仕事であり、義務だ。

 そして、どの道逃げられる可能性が低いなら、一矢報いねば死んだ仲間に申し訳が立たない。


 だから、さして迷わず覚悟を決めた。

 男は眉間に皺を寄せる。


(敵は防具を身につけてない。身のこなし重視か……だが、それが仇になったな)


 比べてこちらは鎖帷子くさりかたびらを着込んでいる。

 斬撃に高い防御力を発揮する代わり、細かい鉄輪を編んだ形状ゆえ隙間が多く刺突に弱い。

 その特性を活かし、殺人鬼から刺突を誘う。

 その上でカウンター。


 即興の作戦としちゃ上々。


(刺し違えてでも殺す)


 死に物狂いになった人間が1番怖いというやつだ。


(やってやる!)


 その顔にもはや恐怖は跡形もない。


 殺人鬼が一歩踏み出したのはそれを見て取ったようにすぐだった。


 1歩踏み出し更に2歩目。まだまだ遠い。彼我の距離は10m弱。


(来い)


 そして続く3歩目が異質だった。


 突如、殺人鬼の姿勢が著しく降下する。


(何⁈)


 獅子の如く、這うが如き疾駆しっく

 しかし、両手は地面につかない。これは急激な加速によるものだ。極端な前傾姿勢を伴う直線機動。


( っ、だが!)


 だからこそ、軌道を見切るのは容易い。

 あれだけ加速が乗れば、蛇行は不可能。


(これが避けられるか?)


 ほくそ笑んだ彼は短槍を振りかぶり、投げた。

 空気を穿つその槍は、敵の胴体へ向け飛び、その肩口にいざ突き刺さろうというその瞬間、唐突にその軌道がブレた。


(何⁉︎)


 直前で打ち払われた。

 驚異的な反射神経。

 その間にも距離を詰め、最早奴の間合いに入ったその瞬間、抜剣。右手で短剣を振り抜く。

 スローに引き伸ばされた時の中、水平に振るった一撃。

 だが、その下を悠々とくぐり抜けた殺人鬼はダガーを振りかざし――


「がっ……」


 直前で体を跳ね上げ、加速の勢いのまま凶刃が心臓を貫く。

 正確無比な一撃。

 だが、男はこれを待っていた。


「っぐおぉぉぉっ!」


 空いている左手で殺人鬼の腕を掴んだ。

 刺さったダガーを握るその腕を。そもそもこれが目的だったのだ。

 刺突はその特性上、攻撃後の隙が大きい上、相手を止めるストッピングパワーに欠ける。

 それに、刺された瞬間人は絶命するのでない。

 息絶えるまでに数秒のラグ。


 だから、こうして敵を捕まえた上今際の一撃を加えることも可能。


(殺すっ!)


 そして短剣を握った右手を振り上げ……

 振り上げ……?


(?)


 右肘から先が無い。そして、遅れて痛みが伝わる。鮮やかに斬られた切断面から鮮血が吹き出していた。


 彼は理解しかねたが、先程短剣を空振った瞬間、わずかな交錯の隙に腕を切り飛ばされていた。


 だが結局、男は敗因を理解できぬまま息絶えた。


◆◆◆◆


 面白い。


 俺の感情はその一点に占め尽くされていた。

 刃が標的に突き立ち、引き抜くあの瞬間。あれが度し難い興奮を呼び起こす。


などと言えばいかれポンチの戯言みたく聞こえるが、現実のストレスをゲームにぶつけて楽しんでいるだけだ。

 そう言うと少しは健全だろう。


 この行いで誰かが迷惑していることは考えずとも分かっていたが、彼らとて面倒を味わうリスクを負って、このゲームに手を出している。

 そう考えると良心の呵責はあまりない。


 そんなことを頭に浮かべつつ血を存分に浴びたダガーを二、三度振って血を飛ばし、少しその剣身を見る。

 今しがた血を吸った汚ねえソレは、かなりガタがきていた。

 そんな得物を鞘に収めつつ、そろそろ交換時期だと頭に入れる。

 元よりそこらのチンピラから分捕った物で、愛着は無い。壊れるまで使い潰すつもりだ。


 そして、もしかしたら地面に転がる4つの死体が代わりを持っているかと期待し、荷物を漁ったがそれらしきものは無かった。


 ただ、懐は寒いので金品を期待して、しばらく続ける。


 それにしても。

 この街の衛兵はあんなに弱くて大丈夫なのだろうか。手を動かしつつそんなことを思うが周囲に人影は無いため、その余裕はある。


 多数を一度に相手取るのはめんどくさいので、狭い場所を選んで奇襲を仕掛けちゃいるが、その必要も薄れ始めた。


 反撃を恐れてちまちまやっていたあの頃が懐かしい。といってもそれは高々2週間前の話。

 そもそも、この『G.O.R.E』というゲームに手を出したのは3週間前だ。


 そして、こんな物騒な事を始めようと思ったきっかけは些細な事だった。


 それはゲームを始めた初日のことで、あまりにリアルで空気感すら肌で感じる世界を、その時は純粋に楽しんでいた。


 そんな中、ふと思ったのだ


(大通りを逸れてみよう)


と。


 そして近くの裏路地に入ると、途端に強面こわもて無頼漢ぶらいかんに囲まれた。


 その数は3人。


 何でも彼らは初心者狩りにハマっているらしく、街中をキョロキョロ眺めつつ散策する俺は少し前からその標的だったらしい。


 で、そいつらは問答無用にダガーで切りかかってきた。


 逃げ道を数で塞ぎつつリーチが短く取り回しの良いダガーで斬りかかる慣れた手つきは惚れ惚れするものがあったが、その場はたまたま持っていたチンケなナイフで乗り切った。

 詳細は省くがあまり強くなかったので首を掻っ切って皆殺しにした。

 最後の1人なんかビビり散らかして、ちょっと面白かったのを覚えている。


 で、こう思ったのだ。


(これ、楽しいな)


と。


 証拠にその晩はよく眠れた。


 だからやろうと思ったのだ。殺人を。


 きっかけはそんなもので、それから1週間をみっちりと地理の把握に努めた。

 何事にも準備は必要だ。

 それから初めての殺人はたまたま夜中に見つけた男で、殺して、で、そんな事を何度か繰り返して今に至る。


 これだけ書き連ねると行き当たりばったりもいい所だが、いつかは限界が来るだろうと思っている。

 それはちょっとした油断からくるか、自分の実力が頭打ちになるか。その辺りは予想がつかないが、それまではせいぜい楽しもうなどと思っていた。


 そして一通り遺品を漁り終えた俺は、その収穫の乏しさに落胆しつつも、諦め立ち上がる。

 そうして裏路地を抜け、大通りに出ると、そこは月光に照らされ視界が少し通っていた。


 ここはヴィルマの街の東端に近く、普段の人通りも少ない。ここまで夜警を送り込んでくる、この街の必死さが伺えた。

 それに多少同情はするが、基本的にどうでもいい。


 そして周囲に目を配りつつ道の真ん中まで進み出たその瞬間。


 ゾッと、背筋に冷たいものが走る。


 それは何か得体の知れないものが側を通り過ぎたような、言うなれば危機を本能的に察知するような感覚だ。


 とっさに周囲を見回しても一切人影はなく、物音もしない。

 風もなく、何か紛れているわけでも無い。


 なら気のせいか?


 そう考えるには、気配があまりに強かった。


 では念のためと上方に目を向けると、月をバックに屋根に居座る小さな影を見つける。


(何だ?)


 それはうずくまる一匹の黒猫だった。


 満月に照らされた毛並みは艶やかで、手入れが行き届いていたが、首輪は無い。


「野良猫か?」


 ラインの細い体が立ち上がり、ふとこちらを見つめる。


 ジッと向けられた金色の瞳孔。


 それは夜の闇に気味悪く輝き、俺は何か得体の知れない不安を覚えた。

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