第16話 キリエ/ハハシア
グラニール大森林と呼ばれる土地がある。
1年中広葉樹林で生い茂るこの鬱蒼とした森は、丁度大陸の中心部、グラムドール山岳をぐるりと囲む様に広がる。
そこはまさしく天然資源の宝庫であり、良質な木材や獣などを求め多くの人々が日夜踏み込む。
森での活動に慣れた者からすれば宝の山を前にしたようなもの。
しかし、深入りしてはならないのが彼らの共通認識であり、鉄則だ。
欲をかき万が一奥へと潜って仕舞えば、そこは瞬く間に魔境の地と化す。
木々はそれまでに増して生い茂り、太陽を隠す。
そんなわけで方向も分からずただジメリとした湿気が覆う環境。
日によっては爪先も見えないほど深い霧で覆われる。
しかしそんなものは序の口。
真に恐ろしいのはそんな環境で跳梁跋扈する魔物どもの存在だ。
人を丸呑みする狼のワーグ。
縄張りに踏み入った者を狡猾に群れで狩り殺すケンタウロス。
上空から飛来し生物の嬲り殺しを楽しむハーピィ。
ただただ見上げるばかりに巨大でその進路にあるもの全て踏み潰していくベヒーモス。
有名どころを挙げればこんなところだが、人々にとって有難いことにこれらの存在が森の浅層、ひいては周囲の村々まで出て来ることは殆ど無い。
だが、森に踏み込んだ狩人の集団が消息を絶ったとか、グラニール大森林の所有権を主張した馬鹿な貴族が開拓村を作らせ3ヶ月後に無残な形で壊滅したとか、そういう話はままあるので、周辺の権力者にとっては厄介この上ない土地でしかなく、この森には不干渉を貫く点で扱いが一致していた。
大まかな解説はこんな所。
そして今から語るのはちょっとした噂話だ。
といっても信じる者はおらず、酒場ですら話題に上がらない、そんな話。
なんでもこのグラニール大森林深層の一角に豪奢な庭付きの屋敷が建てられているとか。
……なんとも馬鹿な話だ。
1日生き残ることすら難しいこの地で定住など馬鹿馬鹿しい。
まして豪奢な庭付きの屋敷。
まったく、誰がこんな噂を流したのやら。
◆◆◆◆
「なるほどね」
ここで語られている豪奢な屋敷の正体が、今まさしく俺がいるエトセラムの豪邸ってわけだ。
そんなことを思いつつ俺は体重を預けるベッドの上で寝返りを打ち、うつ伏せになった。
そして本のページをめくる。
これは『G.O.R.E』世界の噂話から民間伝承に至るまで大量に風聞を集め本だ。
なかなか分厚いため仰向けで読むのに向かない。
だから寝転がって読むならこうして枕に乗せページをめくる形になる。
というか、あれだ。
今俺が寝転がるこのベッド、めちゃくちゃ寝心地がいい。
もしかして中世ヨーロッパ系ファンタジーって世界観を無視して中にスプリングでも入っているのだろうか。
なんならリアルでの俺のベッドより余程良いぐらいだ。
なんか天蓋も付いて豪華だし。
そんな寝具に見合った形で部屋も広々とし、余裕を持った間取りで椅子、机、棚など基本的な家具が揃っている。
「……」
なんとも狐につままれた気分だ。
エトセラムが根城のことを豪邸と呼んでいたが、それが文字通りの意味だったとは。
森に分け入るって聞いた時は「正気かよ!」と思ったが、意外にもちょっと歩いただけで屋敷の前に出た。
この奇妙な移動も個人的には魔術の産物ではないかと疑っている。
それと、この屋敷の存在も。
まあ、そんな話はどうでもいい。
今この時、屋敷に着いたその日から現実時間で3日が経過している。
ゲーム内時間では9日だ。
その間にあった様々なことをまずは語っていこうと思う。
◆◆◆◆
「あれ? ここだよなぁ」
横で腕を組み佇むエトセラムに話しかける。
彼女は腕を組みスンとした表情で扉を見つめていた。
「んー? ちょっとどいて」
そう言って脇に避けた俺の代わりに扉の前に立ち、
「おーい、キリエ! 入るよ!」
大きめの声でそう言って扉を開いた。
鍵はかかっていなかった様だ。
その先にあったものは……
「えぇ……」
思わずそうやって口から漏れてしまうほどのゴミの山。
「なにこれ……」
そう聞いてエトセラムの方を向くと、彼女は頭が痛い問題を抱えた様に、眉間にしわを寄せていた。
それを見てこいつもこんな顔するんだなぁなどと俺は呑気に思う。
いつも余裕のある表情をしているのに。
もっと冷血動物みたいな奴かと。
そして改めて俺は部屋の中を覗き込んだ。
中はカーテンが締め切られ、暗い。
うず高く積まれたゴミはいくつもの頂を形成して山脈の如くに見えた。
その具体的な内容だが、目にする範囲ではよくわからない布切れやよく分からない異形の生物を模した銅像、時折覗く硬貨に加え、書物が見受けられる。
このように多種多様なものが集まりさながら混沌を形成していた。
「その……」
「なんだい?」
未だ眉間にしわを寄せるエトセラム。
「本当にいるのか? そのキリエって奴」
「んー……その筈だけど、もしかしたらこの山の中にいるかも知れないね」
「……ちなみにそいつは何者?」
「魔術師だよ。優秀なね。特定分野においては私を超えるぐらいさ」
「はぁ」
そこから意を決したエトセラムの指示でゴミ山を片付け、発掘作業をするに至ったのは必然と言えた。
とは言え、今日はクサカベとアルチョムが2人ともゲームに入ってきていないので俺と、例の生気の無い目をした御者2人(いや、よく見たら別人?)の3人で手を動かし、エトセラムは現場監督の立場に甘んじた。
あいつの細腕じゃ作業なんてまともにできないだろう。
「ってかさぁ、そのキリエって奴窒息して死んでんじゃねえの?」
「それは無いね。少なくともこれまでは無かった。あ、次そこの山取り除いて」
さながら土砂崩れをどかす様だった。
ほんの少ししくじれば、それだけで総崩れになるデリケートな作業。
これを仕切るエトセラムにはそうした才能や知識があるのだろう。
「いや、それは無いよ」
その旨を話したら即座に否定された。
こういうのはちょっとしたパズルの一環だからできるということらしい。
こんな調子で作業が1時間程続き
「ん?」
爪先に何か柔らかいものが当たった。
周りのゴミを退けてそれをどうにか引っ張り出してみると、黒い布に覆われた物体。
大きさとしてはちょうど子供ぐらいの……
それがモゾリと身動きを取る。
「うぉっ!」
なんだこれは!
思わず近くのゴミ山に投げつける。
「あてっ!」
それが声を発した。
まさか……あの物体が?
そう思っていると、エトセラムがそれに向け歩み寄り、一言。
「やあ、キリエ。おはよう」
そう言ったらその黒い布で覆われた物体が開き、中から殻を割るように人が出てきて
「ああ、リーダァ。おはようございます」
そう言った。舌ったらずな女の声で。
だが、何より驚いたのはその姿だ。
(子供⁈)
このゲームのプレイヤーキャラは年齢の下限が16歳だったはずだ。だから、少女を通り越し、童女と言うべきその姿は一体?
いや、それはおいておこう。
さらに、あまりにも目立つ特徴として、右の眉毛あたりからツノが生えていた。
それは根元から数センチ先でUターンする様に捻じ曲がり、右目に届くすれすれまで伸びる。
まるで目に刺さろうかという形状だ。
と、それらを見て驚く俺を傍にエトセラムはそのキリエとかいう童女に説教をしていた。
その内容は主に
「またこんなに散らかして……」
とか
「戻ってくるまでに片付けて……」
とか、概ねこの部屋の惨状に関すること。
後は、ゲームに入ったまま寝落ちするなとかそんなとこ。
その様がこんなハードコアなゲームで繰り広げられているという事実がどこか間延びして見えた。
で、その後俺もキリエって童女と話したのだが、どこか早口でまくしたてるような話し方をしていた。
「ほーう、お前が『ヴィルマの殺人鬼』ね」
「……だったら何だよ」
「いや、案外普通だなぁって思ってさ」
「あ?」
「いや、もっとナイフペロペロ舐めるとか、胃の中で毒物調合するとかそういう奴だと思ってたからさー」
と、まあこんな調子だ。
正直こいつと話すのは疲れる。
相手の意向を無視してペラペラ喋る奴は苦手なんだ。
◆◆◆◆
『G.O.R.E』において、プレイヤーキャラクターの容姿は、ほとんどがランダムで決定される。
そもそもプレイヤーが弄れる項目は大きく分け3つあり、それぞれ『身体能力値』、『人種』、『年齢』と呼ばれる。
『身体能力値』はそのキャラクターの身体能力の大まかな所を決める項目。
『人種』は文字通りキャラクターの人種を決め、『年齢』は文字通りキャラクターの年齢を決める項目。これは身体能力への補正やゲーム開始時の所持金に関わる。
で、これら3つの項目を踏まえてプレイヤーキャラクターの容姿が出力される。
この容姿の出力がランダムだ。
候補となる5パターンが提示され、そこから選ぶことになる。
そしてごく稀ではあるが、この候補において、ある種希少性の高い容姿が提示されることもある。
それは例えば顔に神秘的な痣があったり、オッドアイだったり、アルビノの様に全身が白く透き通る様だったり。
あるいは見た目が極端に幼かったり。
そういう訳でキリエのあの童女の様な姿も出力に出力を重ねた結果手に入れたものだということ。
全く、死んだらパーなのによくやる。
ちなみにツノについては知らない。
それについては今後調べるつもり。
そして、この屋敷で出会った人物は、プレイヤーに限るとキリエの他にもう1人居た。
◆◆◆◆
「でっか……」
俺の身長を優に超え、3mにまで届こうかという本棚。
それが所狭しとと並べられ、
空間を圧迫する。
部屋の隅に置かれた脚立はそれが必要であることを暗に示していた。
「個人でこれだけ持ってるのかよ」
広さは目測になるが、縦50×横30×高さ15の直方体をイメージして欲しい。
俺は趣味を聞かれてひとまず読書と答えるぐらいに本は読むが、部屋の隅に文庫本を積んであるだけで、ここまで持っていない。
読んだら売っぱらうし。
それはそれとして、ここはエトセラムの屋敷の一番西に当たる書庫。
少し歩いて周りを見てみると本がジャンルごとに分けられ整理され、直射日光が入り込まない位置に窓は配置しつつも必要最低限の明かりは取り入れる作りとなっていた。
肌の感覚から読み取るに気温と湿度も本の保存に適した設定となっているだろう。
(金かかってんなぁ)
あの女の財力が窺い知れた。
そうして興味のありそうな本を探し歩き回っていた中
(ん?)
1つ棚を挟んだ向こうに人影が見えた。
両側から本を取れる作りとなっているため、隙間から向こうが見えたのだ。
アルチョムではない。
そもそも男じゃないな。
それは線の細い女性のシルエットだった。
だが、クサカベは今日ゲームに入ってきていない上、エトセラムはさっき一階のエントランスにいるのを見た。
キリエも体格的に論外。
(誰だ?)
そう思っていると、その人影がちょうど本棚の角で曲がり、俺が突っ立っている通路に踏み込んだ。
そして目に映ったのは……
「メイドだ……」
黒のワンピースに白いフリルのついたエプロンと黒髪ロングの頭に着けたホワイトブリム。
ここ数十年のサブカルチャー的装飾過多な代物ではなく、その対局のシンプルデザイン。
それがよく似合っていた。
そしてすれ違いざま彼女は綺麗な会釈をして通り過ぎ、書庫から出て行く。
これは後から聞いた話だが、彼女はハハシアという名前らしい。
プレイヤーでありながら、書類仕事や会計といった事務を担当し、エトセラム一味を縁の下から支えているのだとか。
そんなことをして何が楽しいのかは甚だ疑問だが。
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