第2話 裏路地で起きた奇妙な出来事

「目が覚めたかな?」


 透き通る様な女の声で目覚めた。

 頭が痛い。


(いや、幻痛だ。)


 幻痛ファントムペイン

 VRゲームにおいて、プレイヤーはいわばもう1つの体を手に入れる。

 それを脳で操作するが、結局は実体を持たないので痛みを覚えてもそれはただの錯覚だ。ゲームという媒体で痛みを感じることはまず無い。


 そして俺は簡素な椅子に座らされていた。


 見据えた先には1人の女。

 椅子に腰掛け優美な作りの机に肘を突き俺と向き合っている。


「先に自己紹介をしておこうか。エトセラム、魔術師だ」


 冷え冷えとした圧を纏う女だった。

 それは怖気が走るほどの美しさからだ。

 黄色味の抜けたプラチナブロンドの髪、漂白した様に白く滑らかで彫像じみた肌、透き通る瞳。


 極めて大きく開かれた金色こんじきの瞳孔。


「俺は……ガラージだ。ガラージ・ヒースマン」


「そうか、ガラージ君。よろしく」


 そういや誰だ?この女。

 戸惑う俺をよそにエトセラムと名乗る女は言葉を紡いだ。


「それともこう呼んだ方がいいのかな?

『ヴィルマの殺人鬼』君」


「……!」


 そうだ。

 俺は確か衛兵を4人ばかり斬り殺して、で、気味悪い黒猫を見た後、襲われたのだ。

 顔に無数の傷跡が刻み込まれた凶悪な男に。


◆◆◆◆


「何を見ていたんだ?」


「は?」


 それは黒猫が去るのを見届けた後の出来事。

 背後から、まるで知り合いにでもかける様な声がした。どこにでもいる中年男性のそれ。


 振り返るとそこには見知らぬ男。


「誰……」


 瞬間感じたのは殺気。

 慄いたのはその顔が異様だったからだ。


「いっ!」


 距離を取る。

 認めたくないが、それは恐れから。

 男は単に見た目だけで恐怖を体現していた。

 右の唇の端から耳まで真っ直ぐに裂け別たれた傷跡。

 それはリング状のピアスで縫い止めている。

 だが、その傷跡を始めとして顔中が傷跡で覆われていた。


 差し詰め傷だらけの顔スカーフェイス


 人の面とは思えない。


(なんだこいつ?)


 思わず後ずさる。


「あー、そう驚くな。てか右腕大丈夫か?」


右腕?


「ほら」


 男は俺を指差した。正確には右腕を。

 前方を警戒しつつ、その指し示す先へ徐々に視線を向けた。

 肩、二の腕、肘、そして……


 無かった。右肘から先が。

 こんこんと湧き出す血が、ただ機械的に噴き出していた。

 冷や汗が……


「ふー……」


 ここまで来て1つため息を吐く。

 気を落ち着けるためだ。

 体中から嫌な汗が吹き出すが、こうなったら焦るどころの話じゃない。

 一周回って全てを受け入れる開き直り。

 自分が受け入れられる度量を上回る事態だが、ひとまず落ち着くのが俺の常だ。

 でなけりゃ死んでいる。


(殺るか)


 殺す。シンプルな思考。

 ちなみに切り離された腕は当たり前の様に目前の男が左手でつまんでぶら下げていた。

 それをプラプラと見せびらかし、適当に地面へ放られた。

 ドチャッと水分を含む音。


「さぁて、無くなっちまったなぁ。どうする? まだ殺るか?」


 趣味の悪いジョークだ。なめやがって。

 言うまでもないが左手でダガーは抜いてある。右腕の出血を思えばとっとと決着を付ける必要性。


「ンフッ」


 楽しげに笑った。

 俺の殺気を感じての反応か?

 敵は油断。油断している。


 まずは観察。

 奴は右手にファルシオンを携える。

 大型マチェットの如く叩き斬る刃物だ。

 血が纏わり付き、びたびた垂れている。


 防具は動きを見るにそこそこ重装。

 鎖帷子の上に補強した革鎧程度のものと見た。


 ならば狙うのは人体の可動部に限られる。

 鎧の構造上そこがやわい。


(関節、股……いや、首か)


 反撃の隙を与えず仕留めるなら選択の余地は無い。

 脳を殺人用に切り替えていく。

 さながら本能を研ぎ澄ませるように。


 それから斬り掛かったのはすぐのこと。


 敵は依然として両腕をダランと下げ気味の悪い笑みと、その双眸で見つめていた。


◆◆◆◆


「思い出したかな?」


「ああ」


 別に忘れたわけじゃない。

 状況が様変わりして混乱しただけだ。

 だが、この女はあの凶悪な面の男とどんな関係か?

 まさか無関係ではあるまい。

 そう思った時だ。


 まるで影が形を持つように、部屋の隅からヌオッと何かが進み出た。


 改めて見ると、でかい。

 身長は俺より頭1つ2つは上。

 横幅も大したもので筋骨隆々を地で行く体格だ。


「ああ、やっぱり」


 ここで俺は呟いた。

 やはり、あの男とこの女はグルだったのだ。

 現れたのはやはり凶悪な面をした男。

 間違いなく俺の右腕を奪った相手。


 俺はそんな2人を睨みつけた。

 だが、そんな視線はどこ吹く風と男は口を開く。


「いやあ、元気そうで何より。それで先に名乗っておくが俺の名はアルチョムだ。

よろしくな」


「……」


 無視する。

 一度戦った相手と仲良くできるほど俺は出来た人間じゃない。


(いや)


 結局あれは戦いと呼べる代物じゃ無かった。

 即座に逃走劇へ変貌し、俺は右腕どころか左手まで失う羽目に陥ったのだから。


◆◆◆◆


(これは、無理だ!)


 ダガーを振り上げる寸前でその予感が迸る。

 男が間近にいる状況でだ。

 俺は左手のダガーで斬り掛かると見せかけ右手を前に、流血を敵の顔面にひっかけるつもりだった。


 意図は血の目潰しだ。


 だが、それすらも躱される予感。

 自慢じゃないが、俺は直感を何より信じてる。


 だから決断を下すのにそう時間はかからず、動作を中断した俺は必死の思いで男の横に転がり込んだ。


「おおっ!」


 奴の関心の声。

 だが、聞き流して未だ死体の転がる裏路地へと駆け込んだ。

 さっき衛兵を斬り殺した裏路地だ。

 未だ地面にへばり付く血を踏みならして奥へ進むと俺は宙を舞う。


 端的に言うと壁を蹴り飛ばしてその反動で上へ飛んだのだ。


 そして屋根の縁へ手を伸ばしたその瞬間。

 狙い澄ましたような何か飛んで......


 ズチュッと嫌な水音を立て左手首から先が弾けた。


「つっ!」


 何が起きたか理解する間も無く俺は掴み損ねて地面へ落下。


 寝そべるように頭が下へ引かれて後頭部を打ち付け、そこで意識を失ったのだ。


◆◆◆◆


 で、この瞬間を今になって整理すると、左手が弾けたのは突如飛来した矢によるものだった。

 ただ把握が追い付かなかっただけだ。

 俺はその瞬間を鮮明に捉えていた。


 黒羽の矢が刺さった瞬間を。

 衝撃で手が爆ぜた瞬間を。


 だが可能なのか?

 たかだか矢の一本で人体をあそこまで破壊することは。

 だが事実起こった。


(撃ったのはこの男か?)


 目の前の2人のうち、アルチョムと名乗った方を見る。

 いや、この男はあの時飛び道具を持っていなかった。


 ならもう1人、この場にいない仲間が居たと見るべきか。

 夜の闇の中、左手を正確に射抜く射手が。


 そう思いつつ、おもむろに左手を見ると


「は?」


 爆ぜたはずの左手が傷1つ無い様で生えていた。


(これは?)


 幻覚では無い。

 触ってみるときちんと感触が伝わる。


(ん?)


 ここで気付いたが、右腕も丸々生え揃っていた。今左手を触ったのは俺の右手だから。

 つまり今の俺は五体満足だ。


 ここで説明を求めて前の2人を見ると奴らは談笑していた。


(おい……)


 なんだこの感覚は。

 説明が無いまま取り残され、色んなものから放置された疎外感。


 ここで補足だが、このゲームで負傷は簡単に治るものじゃ無い。

 適切な治療を施せば20〜60分程度で再生するが、重症以上だと治療が不可能。

 死ぬのを待つしか無いハードコア設計。

 加えて後遺症が残ることもある。


 四肢の欠損など間違いなく重症だ。

 下手すりゃ致命傷と言っていいかもしれない。

 傷を放置すれば失血で死ぬし。


「ああ、そう驚かないでくれ。君には五体満足でいてもらわないと困るから治療を施しただけさ」


 どこか尊大で、芝居掛かった女(確かエトセラム)は言った。

 その動作が妙に板に付く。


「どうやって?」


 実を言うと、普通治らない傷を治す手段はゲーム内に存在する。

 『聖光教会』と呼ばれる宗教に掛け合い『治癒の奇跡』を乞うのだ。

 そうすればたちまちどんな傷、例えば四肢の欠損、内蔵の負傷までも治してしまうのだとか。

 だが、それも噂に聞く限り都合の良いものでは無い。


 これまでさしたる傷を負わなかったため、

 確かめたことはないが。


 で、エトセラムの回答と言えば


「内緒」


 どこか悪戯を楽しむそぶりで彼女は言ってのけた。

 明かすつもりは無いってか。


 クソくらえ。


「こいつ、こういうとこあるから気をつけろよ」


 その横のアルチョムと名乗った男が注意を促す。だが正面2人の印象は俺の中で最悪だ。


 そう思いつつこっそりダガーの位置を探ると、取り付けられたまま腰の後ろに備わっていた。

 俺がダガーの有無を確認した意図は言うまでも無いが、なぜ奪わなかったのかが気になった。

 捕まえた相手からは抵抗力をまず奪うべきだろう。トチ狂って自殺でもされたら損でしかない。


「……」


 ここまで来てようやく相手の目的に意識が向く。

 この2人、正確にはそれ以上だろうが、この2人の目的に。


「で、結局何の用なんだ?」


 だから俺はこう言った。

 それを聞いた女はふふっと笑うと


「いやぁ、話が早くて助かるよ」


 俺が今ここで暴れないのは純然たる好奇心からだ。

 場合によっては......まあ、できるだけの事はする。

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