今日も今日とてラジエーターの上

柊圭介

🐾

 今日も今日とて窓から外の通りを見ている。額をぴったりとくっつけた窓は雨の水滴の乾いた跡が沢山こびりついて曇っている。窓枠には埃が溜まっている。ちっとは拭いたらどうなんだと思うが、ここの主人はなまぐさで掃除をするのが大嫌いだ。だからこの家の窓は全部汚れている。


 俺が今座っているのは台所の窓辺に設置されたラジエーターの上だ。なんでも温水を巡らせて部屋を暖める装置だってんだが、これが最高に気持ちいい。上に乗るとほんわかとちょうどいい熱気がこの白い鉄のかたまりから立ち昇ってくる。あったかいことこの上ない。この季節にはラジエーターの上はベストポジションだ。だから一旦ここへ上ってしまうと如何とも離れがたく、つい座り込んで窓の外を眺めてしまう。


 さっきまで靄がかかっていた空も青みが差してきた。まあこんなものを見なくても今日がいい天気になるってことは俺には起きた瞬間から分かるんだけどね。自分の毛のコンディションで感じるんだ。そういやここの主人も自分の毛のコンディションで天気が分かるらしいけどな。雨の日はそりゃあ可哀そうなほどに爆発してら。うねった毛ってのは気の毒だな。俺みたいに短くまっすぐで季節によって生え変わりゃあ楽なもんを、人間の毛ってのはそう便利にはいかないらしい。

 ただ毛の色だけはなぜか主人とお揃いだ。俺は白とグレー。主人も同じ色だ。ただし後頭部には生えていない。奴はそういう自分の見てくれが気に入らないらしく、昔は栗色でフサフサだったのにと誰かにぼやいているのを聞いたことがある。人間の毛の生え変わりってのは残酷なものらしいな。まあ俺にとってはどうでもいい話だ。


 おっ、またハトがこっちを見てやがる。目の前の街燈のてっぺんにとまって間抜け面で俺を観察している。この窓が開けばお前など一発で仕留めてやるところだが、このへんに住んでるハトは何を食ってるか分からないから腹を下すかも知れない。

 と思ったらいきなりこっちに向かって飛んできた。おい、危ないぞ! 

 と思ったら窓にぶつかりそうなところで急上昇してどっか行きやがった。ああ心臓に悪いな。ハトってのはやたらめったらに飛ぶから恐ろしいや。あいつらは道でぼんやりしてるところをよく子どもに追い回されてるからストレスが溜まってんだろう。だからって何も俺を脅すことはない。いずれにせよ俺はこの窓の内側から出ることはねえんだから。


 そう言えば最近じゃ人間様も滅多に外に出ちゃいけねえってことになってるそうだ。主人がこのところ仕事にも出ず一日中パソコンの前に座ってんのはそういうことだ。はっきり言って煩わしい。主人がいない間はこの家のあるじの如く闊歩できるんだが、俺がウロチョロすると主人は機嫌が悪くなる。こうやって台所のラジエーターの上にいるのもあの男と一緒にいると居心地が悪いからだ。つまらねえ。しかし家賃を払ってるのはあの男だからちっとは遠慮してやらないとな。俺も一応自分の立場ってのはわきまえてるつもりだ。


 通りにはぞろぞろと人が歩いている。みな悉く布切れで鼻と口を覆っている。奇妙な光景だ。主人も買い物に出る時は同じものをつけている。なんの流行りだろう。人間の考える事ってのはつくづく分かんねえ。俺なんかあんなものを口に巻かれたら爪でギザギザにしてやるけどな。


 それにしても主人はいつまで寝てるつもりだ? あの男は朝寝坊すぎる。放っておくとずっと眠ってる。こっちは腹が減って仕方ないんだけどな。でも下手にベッドに潜り込むと跳ね退けられるか逆にぎゅうぎゅうに締めつけられるかのどっちかだから、触らない方がいい。どうせ寝室のドアは閉まっている。一度腹が減りすぎてドアの前に立ってガリガリやったら、ペンキがどうのこうのと言ってしたたかに叱られた。俺もムカついたからフーッと言ってやったらお尻をぺちんとされた。正当な抗議を暴力で返すとはひどい。

 俺はこれでもプライドがあるから媚は売りたくねえ。撫でられた時のような声を出して食いもんをせびるくらいなら腹を空かせたままの方がいい。だからラジエーターの暖かみでとりあえず空腹をごまかすことにする。


 あ、いつものワン公が通る。犬はいいよな、毎日散歩させてもらえるんだから。だけど気の毒なのはあいつが毎日女主人とお揃いの洋服を着せられてるってことだ。今日も揃いの赤のダウンを着ている。あいつ恥ずかしいだろうな。いったい犬にダウンは必要なのか。まあ俺は犬じゃないから知る範疇じゃねえけど。

 ただこの二人に限って言えば、飼い主が好みを押しつけているとも限らねえ。どういうことかっていうと、あの女主人は自分の毛を飼い犬の色に合わせているからだ。

 ワン公は毛の色がきっちり白と黒に分かれている稀有なデザインだが、女主人も自分の毛を逆立て、左右で白と黒にきっちり染め分けている。だから毛の色から格好までおんなじなんだ。人間が犬に合わせるってのは初めて見たよ。同化したいのか、それともこれも愛情ってやつなんだろうか。人間の考えることはやっぱり分からねえや。

 

 言ってる間にパン屋の前には行列ができ始めた。中途半端な間隔を空けて並んでる。これも最近の流行りだ。店から出てくる奴らはバゲットとかいう細長いパンを有り難そうにわきに抱えている。ここの主人もどうせ後で買いに行くんだろう。俺は食いつけねえ。いっぺん白いふわふわのところを食わされそうになったが、匂いを嗅いだだけで遠慮こうむった。主人は毎日これにバターだのチーズだのを塗りたくって食っている。それでいてコレステロール値がどうの、医者に注意されたのとぼやいている。矛盾だ。

 そもそもこの男の食事はいつもバゲットとハムとチーズだ。毎日同じものばかり食っている。よく飽きないもんだ。だから俺にも毎日同じものを食わせるんだろう。

 俺の食事は乾いてカリカリした団子だ。魚の味がするそうだが、俺は本物の魚を食ったことがないのでそれが魚味なのか分からない。これを食うと口の中が渇いて困る。主人は知りやしない。だいたい自分で味見もしないでひとにやるってのは無責任だよな。それで俺がカリカリやってると満足そうな顔して「うまいか」とか言ってくるんだ。よかったらひとつやるよ。そこそこ美味いぜ。

 

 ピンピロピロピロポポロポポン

 ポポロッポッポッポッポッ


 ビクッ!

 突然聞こえてきた音に体じゅうの毛が逆立った。主人のスマホだ。驚かせやがって。このふざけたメロディは着信音だな。俺は知ってんだ。起きてこねえと思ったら台所に放置かよ。アラームが鳴らねえわけだ。


 ピンピロピロピロポポロポポン

 ポポロッポッポッポッポー


 耳障りな電子音が鳴り続ける。電話だよー。出ろよー。って俺が呼んでもしようがねえな。止むまで耐えるしかない。ピッ。ああ、やっと静かになった。

 スマホの画面がふわっと明るくなっている。待ち受け画像は俺のどアップだ。恥ずかしいんだよ、これ。やめてくんねえかな。もっと他にいい写真あるだろ、風景とかさ。なんで俺の顔なんだよ。


 主人は俺のことを邪険にするわりには時々憑りつかれたようにスマホで俺の写真を撮り始める。食ってるとパシャ。寝転がってるとパシャ。あくびをしてもパシャ。非常にうっとうしい。ひとのプライバシーを一切無視してスマホを向けてくる。しかも「動くなよ」とか勝手な注文をする。こないだなど俺が静かに瞑想に耽っているところまで撮ろうとするので腹が立ってスマホを奪おうとしたら、「コラッ」と叩かれた。人間はつくづく暴力的で自己中心的だ。


 第一俺はそんなにフォトジェニックじゃないんだ。そんなことぐらい自分で分かってる。主人はよくパソコンで俺の同胞が映った動画を観てる。そんで頬を緩ませて、可愛い~、とかひとりで呟いてる。いい歳の男が気持ち悪いぜ。でも確かにそういう動画の連中は可愛いんだよな。俺も認めてやるよ。だからちょっとジェラシーを感じちゃうわけよ。そりゃ俺にだって気持ちってのがあるもん。

 だから、そういう時はつい足元にすり寄ってグリグリしちゃうんだよ。そしたら主人は俺のことを優しく抱き上げ、俺にパソコンの画面を見せて、こう言うんだ。


「お前もこれぐらい可愛かったらいいのにな」


 引っ掻くぞ。

 人間ってのは全く勝手なものだ。


 お、今度はつがいの人間が通る。男の方は自分のミニチュアを箱車に入れて押している。赤ん坊ってのは人間でも可愛いもんだ。しかしこれは俺の胸がちょっぴり痛くなる光景でもある。

 俺はさっきから自分のことを俺俺と言っているが、便宜上のことだ。実際は完全なオスじゃねえ。俺にはガキを作ることができねえ。これも人間の都合ってやつだ。俺も素敵なメスと知り合ってガキの五、六匹も拵えてみたかったよ。自分と同じ毛の色をしたミニチュア。可愛いだろうな。そんで散歩なんかしてる時に別の家族と会ってよ、「妻と子どもです」なんて自慢気に紹介してみてえよ。でも俺にはそれができねえ。だからミニチュアを箱車に入れたつがいの人間を見ると、羨ましいような切ないような気分になるんだよな。


 おっといけねえ、感傷は俺には似合わねえ。

 そういやここの主人もまるっきり女っ気がねえな。まああのツラじゃ望むべくもないだろうけど。見てる限りじゃ一生独身を決め込むつもりだろうな。淋しくねえのかな。

 あ、そうか。だから俺を飼ってるんだ。今分かったぜ。そうか、そんな健気な理由なら俺もちっとは優しくしてやんねえとな。男所帯ってのがいささかむさ苦しいけど、あいつの孤独を埋めるべくここに居るんならそれなりに俺も……


 うわっ! 体が浮く! 首の裏を掴むな! 

 主人と思い切り目が合った。まだ起き抜けの寝ぼけヅラだ。おい、床に降ろすなよ。俺はまだラジエーターの上にいたいんだ。抗議のフーッをやるぞ。

 おっ、皿だ。飯をくれるのか? やっと俺はカリカリにありつけるのか。そうだよ、腹減ってたんだよ。よく分かってんじゃねえか。あんたはコーヒーか。エスプレッソってやつだな。よくそんな真っ黒な毒みてえなもんを飲むよな。ミルク入れるんならついでに俺のボウルにも頼むよ。だから食ってる最中に頭をなでなですんなよ。気が散るんだよ。

 そうそう、さっき着信があったぜ。何? 待ち受けを変える? いいアイデアじゃねえか。俺も自分のどアップにはうんざりしてんだ。と思ったらまたこっちにスマホ向けんのかよ。分かったよ。孤独な男のために今日だけはいいお顔してやるよ。あんたには俺しかいねえもんな。

 じゃあいくぜ。俺のキメ顔をちゃんと撮れよ。

 ハイ、チーズ。


 にゃあ。


        🐾🐾🐾




 

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今日も今日とてラジエーターの上 柊圭介 @labelleforet

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