第2話 花畑の午後(2)

 遥か昔、冥界のくろつちが突如として海を割ってあらわれ、大陸のひとつとして地上に並んだ。

 通常の土地より魔力濃度の高いこの大陸は、いつの頃からか魔族や強力な魔物が住み始め、もしも人間が歩こうものならほんの数歩と行かずそれら死の象徴と遭遇する。 

 このことから簡単に命を落とす恐ろしい土地として、人々からは【絶命大陸】と呼ばれ、忌避される存在であった。


 しかし、【絶命大陸】から産出される鉱石類が、通常のものより多く魔力を含んでいると知れると、人間側では自分たちの持つ少ない魔力を補うための良質素材として、これらを求めるための挑戦を始めた。


 はじめは渡航して採掘し引き上げるといった繰り返しだったが、やがて大陸への大規模な移住が決行される。

 当然、先住していた魔族との争いが勃発した。

 人間にとって不利なはずの戦いは、女神セレイラをはじめとした神族の加担により、戦況が変わる。神族の加護の下、魔族の力を削ぐことに成功した人間は、大陸の一端に土地を割いて人間の国家を誕生されるまでに至った。


 結果、【絶命大陸】は現在、中央を含む東側の広大な大地を当代魔王の治めるキプロティア、西端を齧り取るようなかたちで人の治める3つの国と分割され、人間と魔族、敵対しながら日々を重ねていた。





 通常、魔族領キプロティアの奥深くから出てくることのない魔王が僅かな供回りで、国境付近の"マーデンの森"まで来ているという極秘情報を得た【絶命大陸】三か国の一雄、アトレーゼ王国では、魔王討伐のため勇者アルワードと、彼を中心に構成された冒険者チームを派遣した。

 歴代の中でも最強と謳われた勇者に、アトレーゼの国王ゼラントは期待をかけ、必ず魔王を討取ってくるようにと、国宝である従聖剣を貸し与える。

 王都全域を守護する主聖剣の兄弟剣にあたり、その昔、女神セレイラの神託により得られた素材から打ち出された、特別な二振りのうちの一本。

 その従聖剣が持つ強い霊力の助けもあって、勇者一行は魔族に対抗、相次ぐ激戦の末、魔王と直接まみえるまでに至った。


 23歳になったばかりの俺、セレム・ソイレイも、勇者を補佐する魔術師として参戦し、何とか生き延びたまま、魔王との直接対決の場に居合わせていた。





 金色の双眸をなぜか喜色に染めながら、魔王が言葉を紡ぐ。よく通る、力ある声。

 その上、神がかったような端麗な容姿は、若い外見に反し、王の立場に相応しい堂々とした風格を備え、佇むだけでその場を圧倒する。常に放たれている魔力は凄まじい圧を伴い、身体を押し潰してくるかのように迫り来て、臆さずに立っている方が難しい。


 その魔王が今、視界に見据え、話しかけている相手は、目の前で対峙しているはずの勇者ではなかった。それよりもはるか後方の。


「今まで何人もの勇者共を迎え撃ってきたが、お前ほど魔術を熟知し、多彩に操るものは見たことがない。我らが闇魔術にも精通している徹底ぶり。無効化は元より、即座に術式を組み替えて新しい効果を生み出す応用力には目を瞠るものがある。術の解釈が実に独創的で、我ら魔族にも欲しい能力だ。実に気に入った。我がもとに下る気はないか? 破格の待遇で迎えてやるぞ。なんなら国を与えてやってもいい」


 なんで?

 なんで俺はいま、魔王に勧誘されてるわけ?

 俺達を率いている勇者アルを差し置いて、援護役の魔術師に声かけてくるなんて、おかしいだろ。しかもなんか最後、すごいこと言った。


 ふっ、と目の前の空間が揺らぐと、至近距離から再び魔王の声が降り注いだ。


「何より。お前の魂が持つ、並々ならぬ【魔力耐性】は非常に魅力的だ」


(!! いきなり後衛の顔前まで来んなよ!)


 魔族を統率する最強の魔王が、限りなく近い位置に立っている。息を肌に感じるとか、魔術師が対応出来る距離じゃない。

 威圧感がハンパなくて、恐慌のあまり逃げたくなる。

 いや、魔王を滅ぼしに来たんだった。逃げてちゃダメだろ。


 連戦で、接近戦用の剣はすでに失っている。

 現在、手中にあるのは魔術用の杖だけ。しかし長年丹精込めて改変を重ねた愛用品で、何より心強い味方だ。


 杖を握りしめる手に力が入る。

 仲間を巻き込むこの位置では、最上位の魔術は使えない。

 そっと杖と連携して、あらかじめ組み込んでおいた上位呪文を準備する。

 詠唱無しで魔術発動出来る身だが、杖の力を借りることによって効果の倍掛けを狙っていた。


「どうだ? 余ならお前の能力を存分に発揮できる力も与えてやることが出来る。

 使いたい術に、魔力が足りぬのだろう? 魔力残量を気にしなければ、もっと思い通りに戦えると、心の中で常に渇望しているはずだ。

 アトレーゼなどに与してないで、余のもとに来い。有り余る魔力を授けてやる」


 だからなんでそんなに熱心に口説いてくるんだよ。

 確かに魔力があれば、試してみたい開発術だって、いくつもある。

 術の複数同時発動だって、もっと数を増やすことが出来る。

 でも。

 

「俺は人間だ。魔王になんて、下るわけがない!」


(これで距離を取りたい!!)


 不意打ちのつもりで無詠唱魔法を放つ。渾身の力を載せたはずの攻撃魔法を、しかし魔王は難なくいなした。


(――片手で弾くとか、魔法障壁か? 種別は……!)


 弾かれた術がまだ生きていることを横目でてとると、再攻撃に転用するため、咄嗟とっさに軌道上の中空に反射陣を敷く。今度は魔王の魔法障壁を破れるよう、陣を介す際、たった今読み取った種別に合わせて障壁の融解効果を加味する。


 魔王の背面からもう一撃を――。


「人間なのが問題なのか? ……では強引に引き抜くとしよう。お前を殺して」


(は? 殺して? どうやって引き抜くって……)


 思考が突然中断された。

 かわりに、すさまじい熱さが胸を焼く。


 見ると、半歩踏み出した魔王の手刀が深々と突き刺さり、俺の胸に穴をあけていた。


「……あ……」


 まるで反応出来なかった。

 実力差がありすぎる。ここまで来ていながら、なんてあっけない……。

 いや、まだだ。何とか、すぐに治癒を……。


「む?」

 魔王の脇を、反射させた先の攻撃魔法が射貫いぬく。魔王が動いたことで狙いを逸れた軌跡は、ヤツの髪と頬を少し焼き切っただけで潰えてしまった。


「セレム!」


 勇者アルワードの呼び声が耳をうつ。答えようにも呼気こきは声を結ばず、体がそのまま崩れ落ちる。

 治癒……無理だ……。心臓ないと10秒で意識は……飛ぶ……。


 目の前を染めたのは、血の赤か、閉ざされた視界の黒か。

 意識を消失する寸前、郷里で待つ養父母の姿が浮かび、そして。

 すべてが闇に沈んだ。





 そうだ。

 あれが、さいごの記憶だった。

 確かにあの時魔王に殺されたのに。

 いま生きてるはずがないのに。


 魔王に潰されたはずの心臓が、力強く脈打っている。

 いや、人間おれの身体は、やはりあの時失ったんだ。


 だってこの身体は魔族で、おそらく子どもで。


 でも、一体なぜ?


(まさか魔族の身体の中に、閉じ込められた?)


 そんな術の存在は聞いたこともない。


 ないけど、俺だって教本にはない術をいろいろ作ってる。

 相手は魔力を操ることにけた、魔族のおさだ。ながい時を生きた"魔王"だ。どんな離れ業的な術を持ってたとしても、おかしくない。


(非力な子どもなら従えることも容易、そういう意図なのか?)


 そう、確か魔王が欲しがったのは、俺の持つ魔術の知識だったはず。

 抵抗しそうな大人の身体は、むしろ邪魔だろう。

 魔族であれば、必然的に魔王の配下になる。

 逃げたところで、人間の国には戻れない。

 そう考えると、この異変の辻褄つじつまが合う。


 思い至った途端、足の力が抜けて、両膝から崩れ落ちた。

 小刻みに身体が震える。

 自分の身体を両腕で抱き締めるようにして、なんとか震えを止めようとしたが、何の効果もなかった。それどころか、血の気が引くのを感じる。きっと、顔面蒼白だ。


(なんてことを……。なんてことをしてくれたんだ、魔王!!)


 口の中にいものがこみあげてきた。


 片手で口元を抑え、もう片方の手を地面について、倒れないよう震える身体を支えるのがやっと。


 その時、突然、「きゃあ」という短い悲鳴が耳朶じだをうった。


(さっきの魔族女? もう戻ってきたのか?)

 

 声に目をやると、やはり先ほどの侍女。こっちを見て叫んだらしく、両手で自分の口を押えている。

 

(悲鳴を上げるような要素なんてあったか?)


 無様ぶざまいつくばっている俺以外、周りに何もないはずだ。


 彼女の傍に、少女の姿はない。どこかに預けた?

 でも、かわりに。大勢連れてきやがった!

 彼女の背後には複数人。中には魔族兵も混ざってる。つか、兵の方が、多い?!


 呆けている時間が長すぎた? 案外すぐ近くにいた?

 ただひとつ言えることは、間違いなく逃げ損ねた。


 まずい。なのに、情けないことにいまだ身体が言うことを聞かない。

 だって、ショックが大きすぎるだろ。

 よりにもよって、俺が魔族。国を挙げての討伐対象、魔族!


 認めがたい事実に動くことが出来ないうちに、侍女が連れてきた魔族たちに取り囲まれた。

 口々に声を掛けられる。

 けど、焦燥が激し過ぎたのか、言葉が耳を素通りするだけで、意味を解する気力も、反応する力も沸いてこない。


 しっかりしろ、俺! プロの冒険者だろ! 敵に囲まれて、ほうけてる場合か!!


 自分を叱咤した途端、ふいに「飛べますか」という問いが耳に入った。


(飛べるわけない!)


 昨日まで正真正銘、人間だったんだ。当然飛び方だって知らないうえに、魔族の身の内に収納されているという、翼の出し方すらわからない。

 そんな魔族みたいな真似は出来ないし、あと、高いところは得意じゃない。


 反射的に首を振ると、魔族同士が素早く視線を交わし合って頷き、「失礼します」という短い断りの後、集まっていた魔族の中でもリーダー格っぽい兵士に、横抱きされた。


(ええ??)


 思わず目が丸くなる。

 23年間生きてきて、この年で、男に横抱きにされることがあるとは思ってなかった。

 いや、今は子どもの身体だから軽いかもだけど、物理的な問題より精神的な衝撃の方が先に立った。しかし。次に訪れた衝撃は、その比じゃなかった。


 視界を影が覆う。魔族たちが一斉に翼を出し広げていた。


(ちょっ、待て。待て待て待て。まさか飛ぶのか? 飛んで移動するつもりなのか?)


 予想は的中した。抱きかかえられたまま、空に舞い上がる。

 足元直ぐに地面がない。


うっそだろぉぉぉぉ)


 ――こうして。おそらく魔族の子ども姿をした俺は、うらめしいほど色とりどりに咲き乱れる花畑を眼下に、容易く拉致らちられてしまったのだった。

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