第3話 魔王の城(1) 自室と姿見鏡

(高い、高い、高い! 落ちる、落ちる、落ちるっっ)


 足が地についてないっ。どころか、遥か彼方に地上とか、これ以上の恐怖はない。

 魔族兵の腕の中じゃ、つかむところもないっっ。


 とっくに平常心を振り切って、心の中で絶叫しながら、握りしめた手でとりあえず自分の服を、胸のあたりをギュッと掴んでる。


 なんの支えにもなんないけど!

 俺にいま出来る抵抗は、せめて下を見ないようにすることだけだ!!

 震えてなんかない。断じて、震えてなんかないぞ。


 かたくなに目を閉じてる俺に、なぜか気づかわしな声がかかる。


「お苦しいのですか? 今少し御辛抱ください。もうじき、に着きます」


 !? 苦しいとか、何言ってんだ、こいつ。

 飛んでるのが怖いんだ、早く降ろせ!!


 そう思うものの、出てくるのはヤバイ汗ばかり。欠片かけらの声も出る余地なく。


 ん?


 いま、王城、とか言わなかったか?


 王城。王の城。魔族の王といえば、「魔王」。つまり、魔王のところに向かって飛んでいる、と、そういう話になる。

 おそらく、魔王は俺を魔族に変えた張本人。

 アトレーゼ国境付近で対峙して、ヤツに殺された後の記憶は飛んでいる。

 今は自分の城に帰っているのか?

 どのくらい時間が経ってるんだ? 

 魔王が健在だというのなら、勇者アルワードたちはどうなった?


 そんな場所に行こうとしてたのか! くそっ、腹括はらくくらなきゃ。


 それにしても、なんで魔族が敬語なんか使ってきてるんだ?

 やたら気遣いながら抱えてるようだし。なんだ? 何がある?


「城が見えてきた」との言葉を受けて、意を決して、目を開く。

 そして見た、魔族の、城。


(……は……?)


 でかい。アトレーゼの城とか、比べ物にならない。これはもう、街レベル。

 そのうえ堅牢そうだ。


 遠目からも圧倒的な迫力を伝えてくるその城は、「どうやって作った?」と思えるような高い絶壁の上に、そびえ立っていた。

 壮大で重厚。長い歴史を経た侵しがたい威容がある。なのに、機能性と優美さも兼ね備えている。


 攻め入ろうとしたら、千や万じゃ効かないな……。


 もし正面突破なら、どれほどの犠牲が出ることか。見ただけで挑むことを諦めたくなる手強さに、眩暈めまいがした。


(これ、中に入ったが最後、逃げられないんじゃないか……?)


 絶望に凍り付きそうになる。


 違う。逆に絶好の機会だと考えよう。あの守りの堅そうな城には多分魔王がいる。

 そこに入れてくれるというんだ。

 ゼラント王から賜った打倒魔王の使命を果たす。そして自分自身の仇を討つ。

 殺された上に魔族にされた、この暴挙を看過できるか?! 頑張れ自分!! たとえ"ひとり"でも!


(――ひとりか……)


 己を鼓舞こぶするはずが、逆に「ひとり」という事実に打ちのめされそうになる。


 一度完敗してる相手に、ひとり。冷静にみて、厳し過ぎる。

 どう考えたって無理。……だと思うな、諦めるな。

 ひとり好都合。仲間を巻き込まずに大魔法が撃てる。


 俺が何とか気持ちを立て直そうと奮闘している間に、城との距離が詰まる。魔族たちは躊躇ためらうことなく中庭へと降り立った。


(……着いてしまった……)


 着地は有り難いけど、全く喜べない。複雑な心情だった。





 魔王からどんな命令が出ているのか、城に到着してからも、魔族たちから気味の悪いくらい丁寧に扱われた。


 そのうえ具合が悪いという触れ込みで連れ込まれたせいで、ひとしきり騒ぎもあった。

 複数に駆け寄られて、取り囲まれた。

 身構えかけたが、敵意どころか逆に案じられまくってて、混乱する。


 一体どういう立ち位置なんだ。


 実験動物への対応じゃなさそうだ。子どもの中に、人間の俺が入れらてること、魔族たちは知らないのか。

 もし知ってたら、もっとこう蔑視べっしだとか、態度にそう出るはずだ。


 しかし右を見ても、左を見ても、当たり前だが魔族しかいない。とりあえず危害を加えられる気配がなかったので、されるがままに様子見を決め込んだ。


 あてがわれているらしい広い部屋に連れられると、さっそく侍医とやらが呼ばれ、診察の後、その医者と"小姓頭"と呼ばれた青年が、俺から少し離れた場所で「体調を崩したのは心因性のもので、健康上は問題がない」とかって、話してる。

 内容、丸聞こえ。隠す気もないんだろう。


 その小姓頭。「絶対武官だろ」と言いたくなるくらい物腰に隙がなく、かなり腕がたつように思える。

 見かけはすんごい思慮深そうで、穏やかな雰囲気放っているのに、足運びや姿勢は完全に軍人のそれ。間違いなく、強い。なんで内勤? 内勤でこんなレベルなん? 魔王の城、魔窟かよ。

 そのうえ一度見たら忘れられないような黒髪の美形。当然、角色は上位。


 そいつが顔に見合った美声イケボでもって、医者に問う。


「ご幼少時のような、魔力過多による発熱や発作ほっさではないと?」


「はい。お熱はございませんし、魔力も安定しておいでです。”魔力急成長期”にはまだ少し早いと思われますし、その他お身体に問題はございませんでした。

 お心の方に、何か堪えがたい衝撃を、突然受けられたものと推察いたします。

 多感なお年頃だけに、どのようなことがきっかけになったのかはわからないのですが、原因が判明しない限り、治療術は施しようがありません。

 お気持ちが落ち着くお薬をご用意させていただくくらいしか、出来ないのです」


 侍医の言葉に、小姓頭とやらが弱ったような顔をして、こっちを見た。

 つい、びくりと肩が跳ね上がる。


 俺の反応に、少しだけ目を見開いた小姓頭ヤツは、ゆっくりとこっちに歩み寄ると、柔らかな声で語りかけてきた。まるで、驚かさないように気を付けてるみたいに。


「お悩みに気づけなかったのは、私共の不徳といたしますところ。ですがどうか、何があったのかお教えいただけませんか?」


 えっ、何これ、思いっきり子ども扱いされてんの? 俺。

 じゃなきゃ、まるでひざまずいてるような姿勢だ。


 腰かけてる俺に対し、わざわざ片膝をついて、下から見上げるように聞いてくる。

 声音から、切に心配している心情が伝わってきた。

 魔族でもこんなに温かく誠実な眼差しをするのか。まるで人間みたいだ。


 何故か向こうも困ってる空気を漂わせてるけど、こっちだって到底話せそうにない。「俺は魔族じゃなくて、人間だ」なんて宣言して、急に飛び掛かられたりしたら、嫌だ。

 バレてないのなら、”沈黙は金”として無言を通す。


 ぐっ……そんな眉尻下げた目で、見て来たって……っ。


 いかん、こいつの顔、とても見てられない。

 なぜだか、すごいほだされそうになる。なんでだよ! イケメン効果かよ! 男の俺にまで及ぶなんて、一体どんな効力なんだ!


 たまりかねて、目をらす。何を聞かれても、絶対口は開かなかった。

 かなり粘られたせいか、段々 (無視なんて、なんか申し訳ないな) などと阿保な気持ちが沸き上がる。

 ええい、俺のお人好しめ! 相手は魔族だっつーの。


 ……変だ。出会ったら即戦闘だった魔族に対して、なんでこんな感情を抱く? まるで親しい相手を前にしているかのような……。”魅了”を使われた気配はなかったよな? 


 ようやく問い掛けを諦めてくれた時には、心底ほっとした。

 そのうえ、ゆっくり休めるようにと俺ひとり残して部屋から出て行ってくれたのは、助かった。魔族に囲まれて、ずっと気を張り詰めているのは、かなりキツかったから。



 ほ――っ。


 ひとりになって、大きく息を吐きだすと、いくらか冷静さが戻った。途端に、確認したいことが山のように出てくる。


 まず第一。俺のうつわとして使った魔族。どういう子どもなんだ。


 市井しせいなのか、それとも、それなりの位階にある魔族なのか。

 角や翼を見れば、ある程度それが分かる。

 強力な魔族ほど、美しい角を持ち、翼の色もありふれた黒や茶、紺ではなくなる。

 そして、秘めている魔力が大きい。

 魔力量は、何をするにあたっても大切だ。特に


 部屋を見回すと、あっさりと壁に姿見鏡すがたみかがみを見つけた。


(これのぞくの……勇気いるな……)


 魔族にされたというのは、まだあくまで推測だ。

 たとえ魔族が攻撃してこなくとも、角っぽい何かが頭にあったとしても、本当は人間のままかもしれない。いや、そうであって欲しい。


 そんな一縷いちるの望みを砕かれたくなかった。


 けど、見ないわけにもいかない。


 ここは敵の本拠地。事態はいつ急変するかわからない。時間は有限。


 ためらいと葛藤かっとうの後、俺は鏡の前に立ち、息が詰まるほど驚いた。





(――魔王!!)




 俺を殺した魔王!! 

 そいつが、今この場に、俺の前に立っている!!


 一瞬、そう錯覚した。


 跳ね上がった心臓が落ち着くまで、数拍。


 違う。魔王じゃない。鏡の中にいるのは、子ども。

 魔王は、間違いなく大人だった。


 見間違えるなんて、頭の中に、魔王のことがありすぎだろ。


 ほ、と息をつき、改めて見直したものの、今度は別の意味で絶句した。


(は……? いや、え、なんで? どうなってんの)


 鏡の中から俺を見返していた少年は、有り得ないレベルの美形だった。


 子どもだったのは予想通り。まだ13、14くらいの背格好。

 一目見て高い身分にあると分かる品の良い立ち姿。上質な絹服は、繊細な装飾が細部にまで施されている。高価たかそう。

 しかし驚くのは、その容姿。華のある顔立ちは完璧に整い、短めの髪まで、まるで緻密に計算された金細工のように顔に沿い、少年の美貌を際立たせている。

 髪からのぞく一対の双角は、黒い宝石みたいに美しい。角色は、先端が少しだけ紫になっていて、黒地に金砂のような煌めきが散らばっている。まるで星ごと夜空を閉じ込めたみたいに、深く艶やか。目を惹く。こんな角を持つ魔族は見たことない。そう思った。


 どこか魔王を思わせる切れ長の瞳は、金色の虹彩。


 ……角に、金の瞳。

 間違いなく、魔族だった。


 非常に遺憾いかん。残念過ぎる。魔族説は仮定から確定へ、希望は絶望へと変わった。


(くそぉぉぉぉっ)


 うつむいた拍子に、ふと、月のように色淡い金の髪が、目に留まる。「お兄さま」と呼んできた、魔族の少女を思い出した。


 似てるよな?


 この子どもに、似てた気がする。一緒にいたし、兄妹か、それに準ずる血縁関係者だろう。


(あのは、その”お兄さま”の心が俺に塗り替えられたことを知らないんだろうな)


 純粋に懐いていた様子を思い出し、不意に思った。


(……もしかして、ものすごく残酷な話なんじゃないか?)


 少年らしいすらりとした肢体を眺めながら、元々居たはずの”彼”はどうなったんだと考える。

 均整がとれていてしなやかな身体はちょうど成長期で、これからが伸び盛りだ。

 魔族とはいえ、前途ある少年の未来を奪ってしまったかもしれない。


 諸悪の根源は当然魔王だ。でも身体を乗っ取ってしまったことになる俺も、その片棒を担いだことになるのだろうか。


 飛来した考えに、心が暗く沈む。



 それにしても。さっきからずっと感じてる、角から発せられてる魔力が、尋常じゃない。

 

 本来、体内に内包されている魔力だが、き出しである角からは、その秘めた魔力の片鱗が容赦なく撒き散らされているらしい。

 思えば、魔族の身体となってから、接する魔族から多かれ少なかれ魔力を感じ取っていた。無意識に感知してた。人間の時は、見た目や気配で、強そう、弱そう、くらいに察するしかなかった魔族の位階が、


 魔族たちの態度がやけに丁重だったはずだ。


 この子どもは高位らしいすぐれた姿すがたかたちだけでなく、紛れもなく絶大な魔力を持っている。


 もっとも魔力に限ったことだけで、知識や経験、機転や訓練などで強さなどいくらでも変わってくるから、実力の有る無しはまた別の話だが、基礎能力が高いという点は間違いない。


(なんでこんな上位種に俺を入れたんだ? 使役するなら、もっと普通か底辺の魔族でこと足りるだろうに)


 そしてその方が扱いやすいはずなのに。


 魔王の意図がさっぱりわからない。

 わからないが、魔力は十分持っていそうだ。

 では魔術は? ちゃんと発動するのか?


 第二の課題だ。

 敵陣真っただ中で、己の戦闘力が把握出来てないほど心細いことはない。

 試しに、術を使ってみることにした。



 選んだのは、手のひらの中に、小石程度の氷を作る術。


 喉がかわいた時によく用いてたから使い慣れてるし、火や熱系の魔術は万一失敗した時に自分や部屋を焼いてしまうが、小さな氷なら害はないだろう。


 念のため、鏡前から部屋の中央付近の何もない場所へ移動した後、初級氷魔法の呪文を小声で唱えた。


――“仄暗ほのぐら氷界ひょうかいの女王 時止めるなんじ息吹以いぶきもて 我が手の中に凍てつく涙をき落とさん”


 この身体で初めて発動させる魔術。

 無詠唱よりも言葉を使った方が、確実に術が行使できる。

 聞き馴染みのない少年の声が耳に届くが、のびやかで明朗。悪い声ではない。


 身体のうちよりほんの少し魔力を引き出して、手の上に……。


「――はあ?!」


 氷を作り出す途中で、慌てて術を打ち切った。

 と同時に、引いた足の上に、一抱えもある大きな氷塊が落ちる。

 直撃してたら、きっと怪我してた。じゃなくて!


 小石か? これが。


 想定したより遥かに大きな氷の塊を前に、開いた口が塞がらない。

 身長の半分以上あるじゃないか。


 おかしいと思った瞬間、直ぐに術を切った。時間にして、またたき一つ。

 なのに、術の形成が早かった。


 失敗した? こんな単純な術を?

 違う、引き出した魔力量が思った以上に多かったんだ。

 いやでも、今までの感覚としては、このくらいでちょうど……。


 急に悟った。

 人間時の感覚で魔力を使ったが、それが間違いだったと。

 魔族の”ほんのちょっと”が、人間の”ほんのちょっと”に相当していなかった。

 そこにズレが生じた。つまり。

 もっともっと抑えて、少しだけ引き出さないと、小石大の氷が出来ない、ということ。

 なんてこった。なまじ魔術を使い慣れていただけに、調節が難しそうだ。


 そして、この氷をどうしてくれよう。

 溶けたら絶対床を水浸しにする、そんな大きさの氷が目の前に居座っている。

 床には何だか高級そうな敷物が敷いてあった。濡らすのは気がとがめる。

 邪魔にならない場所に、捨てるしかない。


 部屋を見回して、バルコニーへ続く大きな窓を見つけた。

 抱きつくと冷たい氷をかかえながら、せっせと引きずって、運び出す。


 ズリッ、ズリッと床をってるのが気になる。


(敷物、傷まないかな?)


 傍目はためから見たら、間違いなく間抜けな姿だ。


 何やってんだろうな? 俺。

 他人ひとんちの、しかも敵の城の床を気にしてる場合じゃないだろうに。

 が、しかし、"敷物を大切にしないと叱られる"(!)という想いが、どうしても胸からぬぐえない。なんのトラウマだ、これ。身に覚えないのに。


 大窓を開け、氷をバルコニーへと押し出す。

 氷塊を投げ捨てても困らないか下を確認しようとして、激しく後悔した。


(嘘だろ――!!)


 即座にしゃがみ込む。


 すっかり忘れてた! 見るんじゃなかった!

 この城、断崖絶壁に建ってたじゃん。


 完璧に外界と断絶してる。チラと見た下は、峻険しゅんけんな岩ばかりで、地表が見えない。遥か下の方に森林はあるけど。地面は何処? こんな場所に家建てるとか、アホかぁぁぁ。


 無理。バルコニーの手すりに氷を持ち上げて、下のぞき込んで捨てるなんて芸当、俺には不可能だ。


 ホント誰だよ、こんなところにうち造ろうなんて思ったヤツは!!

 俺がもし建てる時は、絶対地面についた平屋にする。

 ここ、大丈夫だよな?

 急に崩れたりしないよな?

 魔族は飛べるから平気かもしれないけどさ、俺は飛べないよ?

 落ちたら、また死ぬことになる。しかも落下中、恐怖しながら。

 もしこんなところから突き落とされたりしたら、きっとそいつのこと死んでからも恨む。


 あわてて、氷をバルコニーに残し、身体の方は部屋の中へと引っ込めた。

 怖いからね。少しでも頑丈そうな方に居たいよね。


 結局、窓を開け放した状態で離れた位置から熱系の魔術を用い、氷の塊を少しずつ蒸発させていく。微量な力加減になるよう注意深く、細かく何度も術を掛け直した。

 無駄に時間がかかったが、その分この身体の魔力の使い方にも慣れてきたので良しとしよう。

 無詠唱魔術が使えるかどうかもちゃんと確認しておいた。さすが魔族だけあって、人間時よりスムーズかつ時短で発現した点に驚く。


 使用した魔術が弱い術だったせいもあるが、魔力量が減った気は全くしなかった。

 感覚が鈍っているのか、些少過ぎて把握できないのか、消費割合を測るという意味では、徒労に終わった気がする。割合が分からないので、魔力総量も割り出せなかった。ただ、魔力残量は感じ取れた。ほぼフルに残っている。何か起こっても、ある程度までは術で対応出来る。

 元々、勇者と共に魔族に挑めるだけの力は持っていた。その辺の三下程度になら負けはない。

 そう思えて、はじめて少しだけ安心出来た。

 魔王の城に出てくるのが下っ端だけではないという点は、精神衛生上、気づかない方向でいきたい。

 さっき会った、強そうな小姓頭のことも忘れとこう。


 ……魔王がいるなら、あの近衛長もいるかも知んないけど……。


 14年前酷い目に遭わせてくれた強敵のことを思い出し、ぶるっと頭をひとつ振って、遭遇しないよう願った。

 




 作業を終えると、肌に感じる外気が冷えてきたと気づく。


 外はだんだんと暗くなり始めていた。は早々に岩山の影に隠れ、はるか上空はすでに夜の様相を呈して、澄んだ紺色を背に、気の早い星が一つ二つ瞬く。たおやかな残光が残る下界は、橙黄色に染まっている。

 見晴らしいいなぁ。

 高ささえ気にしなければ、景色は壮絶に美しい。


 なんのかんので、花畑で気が付いてから、半日近く経っていた。


――くきゅぅぅぅぅっ


 育ち盛りの身体が、切なげに空腹を訴えてくる。そういえば昼も食べてない。

 魔族でも普通にお腹空くんだなぁ、などと妙な感心をしつつ、困ってしまった。

 食べ物なんて、どこにもない。


 そう思うと、余計に空腹が身に染みた。

 大人の身体なら、まだ耐えられたかもしれない。

 記憶にある限り、この年頃の時は、とにかくよく食べた。内容より量重視で、食べても食べても満腹が程遠かった気がする。その身体で食事抜き。マジかぁ……。


 悲嘆に暮れかけた時、扉の向こうから、「食事を持ってきた」という声がした。


 魔族からのほどこし。けれど今の腹事情に拒否出来る余裕はない。

 いざという時のためにも、きちんと食べておかねば。


 そう、思った。




 そして、その1時間後。

 俺の士気はドン底にまで落ち切っていた。


 夕食が、原因で。


 結論から言うと、待望の夕食は、ただの一口も食べることが出来ずに終わった。


 大打撃だ。肉体的にも精神的にも打ちのめされた。

 人って、食べることで気持ちを安定させるのに。それが叶わなかった俺は、一気に疲弊して、全ての活力を奪われた気がする。


 食器を下げに来た魔族女が、まったく減ってないぜんを見て悲しそうな目を向けてきたが、こっちだって泣きたい。


 別に魔族の食生活が、人間と大きく乖離かいりしてたとか、そういうことじゃない。

 ちゃんと普通のご飯で、そのうえ体調に配慮されていることが見て取れる夕食だった。

 添えられているお菓子が美味しそうで、すごく興味を覚えた。

 それなのに。


 運ばれてきた夕食を前にカトラリーに手を伸ばした時、こちらを見ている魔族の少年がスプーンに映った。

 目が合った途端、その金色の目が非難してきているように感じて。急に鋭い痛みが、胃に差し込んだ。


 湯気が立ちのぼる美味しそうな食事をよそに、激痛ともいうべき胃の痛みに悶絶する。

 そんなしてるうちに、頭痛まで加わった。

 鳴り響く頭と、内側から攻めてくるとめどない腹痛。

 とてもじゃないが、何かを食べるような状態じゃなくなって、体をくの字に曲げて耐え忍ぶのがやっとだった。


 山場さえ乗り切ったものの、今だってまだ頭痛と胃痛が残っている。

 ストレスだ。強い負荷が、精神こころにかかり過ぎた。


 つまり、治癒の術が効かない。

 原因を取り除かない限り、すぐに痛みの第二波が来る。出来ることと言えば、なんとか心をなだめて、痛みが落ち着くのを待つだけ。


 夕食が来る前までは、胃は痛くなかったんだ。そう、多少吐き気が続いてただけで……。


 ――全然ダメじゃんか!! 吐き気って、その時点でもうダメじゃんか!!


 魔王が、人間を魔族に入れるなんて無茶しやがったから。はなから無理がありすぎだ。無理しかないんだ。


(――こんなこと、もうさっさと終わらせよう)


 もともと俺の命はあの時終わってる。


 使命に挑まず逃げ出したところで、こんな魔族姿では、故郷くににも帰れない。

 それなら、魔王を倒すか、倒されるかして、さっさと魔族人生(魔生?)に終止符を打ってやる。

 確率としては倒される方が高いけど、首尾よくヤツを倒せたところで、城から逃げおおせるはずがない。どう転んでも、詰む。

 巻き添えにされた少年魔族には気の毒だが、どうせ飯だって食べられないんだ。

 気持ちに対する抑圧の大きいこの身体で、今後生きていける気がしない。


 他人の、しかも意に染まない魔族の身体で、生命を踏ん張る気にはなれなかった。



 気勢きせいのままに部屋を見回して、武器を探す。

 おそらく少年が使っていただろう剣と、机の引き出しに短剣を見つける。

 杖はなかった。考えてみたら、魔族が術の行使に杖を使うのは見たことがないから、ヤツらの中では一般的なことではないのだろう。


 この少年は剣を使えるのだろうか?


 こういうものは体が覚える部分が多いから、経験がないといくら俺に知識があっても厳しい。持ってるくらいだから、まったくの未経験者ではないだろうけど……。

 かくいう俺自身は、魔術が主体だったので、剣技の方は今一つ冴えなかった。魔力節約のためと接近戦になった時の備え程度の位置づけでは、そう上達するはずもなく、街のゴロツキ相手には負けないが、上級ハイランクの騎士や戦士に出て来られると、魔術抜きならすぐにお手上げ、というレベルだった。

 術を使えば対抗出来るよ? だって、魔術師だし。


 試しに少し振ってみる。

 俺より断然真面目に取り組んでいるみたいだ。

 軸のブレはなく、手足の伸びと腰の安定も申し分ない。

 緩急強弱の力加減といい、突きや戻しの速さといい、一朝一夕では身につかない部分がきちんと出来ていて、魔族の流派はわからないが、正規の剣を習っていると感じる。形が理に適っていてきれいだ。


 でも、まあ。


 剣を持って、魔王に会えるはずはないよな。

 大抵、検閲かなんかあるだろ。だからこれは持っておくだけということで……。


 短剣を忍ばせ、魔術を主体に、対魔王戦の流れをいくつか組み立てる。

 最後に少しだけあがこう。文句ぐらいは言ってやりたい。

 もう、それでいい。


 自暴自棄じぼうじきな気持ちで取り組んで、成功するほど甘くない試みだということは、百も承知の上で、城のどこかにいる魔王を探すことにした。

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