第4話 魔王の城(2) 魔王に挑む

 魔王は、探すに至らなかった。


 出会った魔族に一か八かいちかばちか「魔王に会わせろ」と言ってみたら、一度引き継がれた結果、「現在、自室で執務中」とかって、すんなり部屋に案内されてしまう。


 そのうえ帯剣したまま入室を許すって、どうなってる? 

 警戒の概念はどこへいったんだ?


 ソードベルトが見つからなかった剣は、左手にたずさえてる。

「見咎めてください」と言わんばかりだけど、隠し持った短剣の目くらましになれば上々だと思っていた。

 なのに。

 衛兵にも小姓にも、一言も触れられないなんて、逆に何かの罠か?


(!! “魔術封じ”だ)


 魔王がいるという部屋の扉上に、意匠に見せかけた魔術式があった。


 うっわ……。 これ、事前準備なしじゃ、無理だな。


 即席では破れない強固な式が、隙なく複雑に組まれている。

 あんまりだ。この部屋の中じゃ、魔術は使えないということになる。


 魔術なしだと、俺は殆ど……いや、まるで役に立たないんだが。


 部屋前で待機していた小姓を通じ、すでに入室許可を取り付けてしまった。

 いま急に引き返したら、不自然だよな?


 怪しまれないような当たり障りのない会話をして自然に退出し、出直す? 魔王相手に? 出来るか!! 話題なんて、恨み言しかねぇよ。

 大体、魔王は、この子どもがセレムだってこと、承知済だ。もうあとには引けない。


 魔術を軸に練った計画は、"魔術封じ"のせいで穴だらけになった。使えないので没。はぁん、それで"会ってやろう"ってことか?


 出来る限り魔王に近づいて、剣を用いるしかない。俺、魔術師なのに。


 "魔王殺害の成功率"が更に落ちた現状に気を重くしつつ、俺は扉をくぐった。




 薄暗い室内に、書類を眺めるヤツの姿があった。

 すぐ脇にバルコニーに通じる大きな窓があり、いくつもの燭台が揺れる炎を掲げ、揃って夜の暗さにあらがってる。


 柔らかな灯りに照らされた魔王は、圧倒される程、美しい造形をしていた。

 相変わらずさに、憎むべき相手なのに思わず見入ってしまう。この世の全ての”美”を集めて具現化すると、こうなるのかもしんない。

 整った顔かたちに白い肌。秀でた額、長い睫毛。深い知性を湛えた金の瞳。引き締まった口元は、男の俺が見ても、凛々しい。

 灯火が落とした陰影が、それらに一層深みを与えていた。


 魔王のくせに神々しささえ感じるとか、なんかもう次元が違い過ぎて、逆にわけがわからん。こういう生き物、と認識するしかない。

 蝋燭の灯りで金の髪が月のように冴えている。頭部を取り巻く黄金きん色の角の輝きは荘厳で、それ自体が王冠に見える。

 んで。角の魔力圧・・・がハンパない。

 濃密に練られた魔力を全身にまといつつ座す姿は、どう見ても強そうで……ほんと嫌になる。


 殺された時のことを思い出し、その場から踏み出せずにいる足に発破はっぱをかける。


 自室ということで、休息が目的な部屋なのか、作業してる机自体はそう大きくない。

 あとは長椅子やら、螺鈿細工の低い机やら、そのひとつひとつが選りすぐりの最高傑作ばかり……。

 無駄に広い。そのうえ続き間がある。そっちは寝室だろうか?


 部屋に入った俺に気づいた魔王が、ちらりと片眉をあげてこちらを見て、また書面に目を落とした。


「何の用だ? 昼に体調を崩したと聞いたが、大丈夫なのか?」


 下を見ながら、意外にも気遣うようなことを聞いてくる。

(その体調不良は、おまえのせいだ! 現在進行形で頭痛と胃痛の真っただ中だよ!)

 吐き気もある。ムカムカする。まったく大丈夫ではない。


 魔王の問いには答えずに、静かに剣を引き抜きながら、執務机を挟む短い距離まで近づいた。

 はじめて魔王が顔を上げて俺を見つめた。平坦な声で尋ねてくる。


「どうした、玉座でも欲しくなったか?」


「玉座など不要。ゼラント王のご命令のもと、アトレーゼの魔術師として、おまえの命を求める」


「……エトール?」


「誰だ、それは」


 他の魔族にも”付け”で何度かそう呼びかけられていた。おそらく、この身体の持ち主の名前だろうが、俺には知らない名だ。


「よくも俺を、殺すだけでは飽き足らず、魔族の子どもの中になどに入れてくれたな」


 冷静に言ったつもりの言葉は、かすかに震えていた。

 魔王が書類を机に置いて、身を起こすのを目で追う。


「非力な子どもに封じ込めて、思い通りに使うつもりだったのか? この身体のはどうなったんだ。まさか俺を入れるために、魔族とはいえ、罪のない子どもの魂を抜き去ったとか言わないだろうな?」


「待て。エトール、一体何を言っている?」


 魔王が怪訝けげんそうに眉をひそめた。腹立たしい。分かっているくせに!


「白々しい! アトレーゼとの国境で、自分の元に下れと誘ってきた。断った途端、殺しやがって! あの後何があった? 勇者たちはどうなったんだ?」


「……お前は、いつの、なんの話をしているんだ」


「答えろよ!」


「国境で挑んできた勇者など、とっくの昔に死んでいる」


 ザッと全身の血が足元に落ちる。

 反射的に、剣先をヤツの喉に当てた。

 なぜか魔王は動く気配がない。こんなにあっさりと命を晒すなんて。

 このまま一思ひとおもいに突き刺せば、殺せる。


 俺の興奮とは裏腹に、感情をのぞかせない声で魔王が確認してきた。


「つまり、、あの時のアトレーゼの魔術師というわけだな?」


「今も何も、俺が他の何者だったことなんて、一度もない!」


「! ……お前……」


 急に魔王が身を乗り出し、真剣な目で腰を浮かしかけたので、慌てて剣先に力を籠め、ヤツを椅子に押し戻す。早く刺さなくては。でも、言いたいことが、ぶちまけたいことがまだ残っていた。


「殺したなら、殺したままにしとけよ。なんでいたずらにもてあそぶ? こんなことされて、魔族にされたからって従うわけないだろ?!」


 不覚にも、目の端に水がにじむのを感じる。

 それに、さっきから心臓の音がやけにうるさい。まるで耳のすぐそばに引っ越してきたかのようだ。

 その耳が同時に、魔王の静かな言葉を伝えてくる。


「アトレーゼのこと、いつ思い出した? そうか、先日、”氷穴”に行ったと言っていたな。その時、聖剣の霊力にでもてられたか。……あんなところに行くからだ。好奇心でおもむくような場所じゃない。お前には禁じておくべきだった」


「そっちこそ何言ってるんだ! まるで今まで俺がおまえに従ってたみたいな言い方……!」


「まずは落ち着け。お前はいくつか思い違いをしているようだ。説明してやるから、話を聞け」


「ふざけるな!!」


 これ以上ヤツに時間を与えたら、なぜか言いくるめられそうな気がして、本能的に剣を押し通そうと力を込めた途端。


 バチィッ! とぜるような大きな音がして、激しい雷光が剣を走った。

 鋭い痛みに剣を取り落とし、数歩後ろによろめく。

 床に落ちた剣から、蒼白い光がピリリと小さく宙にった。


 魔術を使われたとすぐに理解する。

 肩まで走った痛みは一時的なものだったが、柄を握っていた右のてのひらは生々しい火傷を負っていた。

 魔王の方は薄い障壁でも作ったか、首に電撃の跡はない。


「っ……、部屋の中では魔術が発動しないはずじゃ……」


「こので、部屋の"魔術封じ"は無効化できる。それをお前が知らないはずがない。……エトールとしての記憶を失ったか……」


 魔王が手に光る指輪を見せながら、残念そうな視線を寄こしてきた。

 なんだその口ぶり、なんで俺がエトールとやらの記憶を持ってるんだ。


「陛下、殿下、何かございましたか」

「何もない。そのまま控えていろ」


 音を聞きつけたらしい外からの声に、魔王が短く答える。

 聞き捨てならない単語が混ざっていた。

 "殿下"というのは、言うまでもなく王の子どもに対する敬称。

 この部屋には魔王と俺のふたりしかいない。その意味するところは。


「殿……下……? この身体は、おまえの息子か?」

「そうだ」


――俺がいるのは、魔王の息子の中!?


 ヤツの口から決定的な肯定の言葉を聞いた途端、頭が真っ白になった。

 鏡を見た時、"似てる"と思ったことが勘違いではなかった。

 沸き上がった抵抗感に、心が埋めつくされる。

 この心臓を脈打たせているのは、魔王の血。


 後先は考えてなかった。

 判断も何もなく、反射的に隠していた短剣を引き抜くと、切っ先を自分の心臓に向けた。


――殺してやる!


 身体の持ち主に対する配慮を完全に吹き飛ばし、明確な殺意を自分自身に向けて放つ。

 単に魔族にされただけでなく、魔王の子のうちにいるという事実は、理性の限界を超えた。


 勢いづけて、短剣を突き立てようと引いた瞬間、それまでしていたはずの魔王が、目の前にいた。


(いつ動いた?!)


 机で隔たってたはず!

 こんなことは前にもあった。空間をばれた?


 その魔王に、短剣を握った手をつかごと抑え込まれ、ぴくりとも動かせない。

 これが大人の身体との筋力差か。


 そう思った直後、痛烈に蹴り飛ばされた。


 全身丸ごと部屋の壁に激突し、盛大な音が響く。

 強く打ち付けた背中に一瞬息が止まり、身体が力なく床に崩れる。


「衛兵!」


 魔王の鋭い声とほぼ同時に、6人の兵たちが勢いよく部屋へ飛び込んで来た。


「そやつを縛り上げておけ」


「え、しかし」

 魔王が指さす俺を見て、急に兵たちが戸惑う。

 即座に命令に従わずに、聞き間違いかと確認するように、再び魔王を振り仰いでいる。


「あろうことか、余の目の前で自害しようとした。何も出来ぬよう、拘束しろ。舌も噛ませるな。そのままこの部屋の隅にでも転がしておけ。愚か者が頭を冷やすまで、目の届く場所に置いておく」


 魔王が重ねた言葉のうち、”自害”と聞いた兵たちがギョッとしたように青ざめたのがわかった。彼らを動かす十分な理由となったようだ。


「お許し下さい、殿下」


 申し訳なさそうに断りながらも、手早く後ろ手に縛りあげていく。

 俺はというと、蹴りと壁に激突した衝撃で体がまだ動かず、抵抗すらできない。

 子どもの身だともろすぎる。

 何てざまだ! 今日はこんなのばっかりだ!


「痛くはございませんか? もう少し緩めておきましょうか」


「余計な気遣いなどせずに、きつく戒めておけ」


 苛立つ魔王の声に、頑強な兵たちが身をすくめる。


「この部屋の中でのこと、決して他の者にもらすな。また、許可するまで誰であろうと通すな」


 底冷えするような押し殺した迫力で、緘口令を敷くことも忘れずに言い添えると、ヤツは用を終えた兵たちを退出させた。


「余に剣を向けたことは今回に限り、不問にしてやる。だが、自死しようとしたことは許せぬ。しばらくそこで反省しておれ」


 俺の頭上にそう言い捨てた魔王は、踵を返すと執務机に戻り、憤慨した空気を隠そうともせずぞんざいに椅子に腰かけた。

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