第4話 魔王の城(2) 魔王に挑む
魔王は、探すに至らなかった。
出会った魔族に
そのうえ帯剣したまま入室を許すって、どうなってる?
警戒の概念はどこへいったんだ?
ソードベルトが見つからなかった剣は、左手に
「見咎めてください」と言わんばかりだけど、隠し持った短剣の目くらましになれば上々だと思っていた。
なのに。
衛兵にも小姓にも、一言も触れられないなんて、逆に何かの罠か?
(!! “魔術封じ”だ)
魔王がいるという部屋の扉上に、意匠に見せかけた魔術式があった。
うっわ……。 これ、事前準備なしじゃ、無理だな。
即席では破れない強固な式が、隙なく複雑に組まれている。
あんまりだ。この部屋の中じゃ、魔術は使えないということになる。
魔術なしだと、俺は殆ど……いや、まるで役に立たないんだが。
部屋前で待機していた小姓を通じ、すでに入室許可を取り付けてしまった。
いま急に引き返したら、不自然だよな?
怪しまれないような当たり障りのない会話をして自然に退出し、出直す? 魔王相手に? 出来るか!! 話題なんて、恨み言しかねぇよ。
大体、魔王は、この子どもが
魔術を軸に練った計画は、"魔術封じ"のせいで穴だらけになった。使えないので没。はぁん、それで"会ってやろう"ってことか?
出来る限り魔王に近づいて、剣を用いるしかない。俺、魔術師なのに。
"魔王殺害の成功率"が更に落ちた現状に気を重くしつつ、俺は扉をくぐった。
◇
薄暗い室内に、書類を眺めるヤツの姿があった。
すぐ脇にバルコニーに通じる大きな窓があり、いくつもの燭台が揺れる炎を掲げ、揃って夜の暗さに
柔らかな灯りに照らされた魔王は、圧倒される程、美しい造形をしていた。
相変わらずさに、憎むべき相手なのに思わず見入ってしまう。この世の全ての”美”を集めて具現化すると、こうなるのかもしんない。
整った顔かたちに白い肌。秀でた額、長い睫毛。深い知性を湛えた金の瞳。引き締まった口元は、男の俺が見ても、凛々しい。
灯火が落とした陰影が、それらに一層深みを与えていた。
魔王のくせに神々しささえ感じるとか、なんかもう次元が違い過ぎて、逆にわけがわからん。こういう生き物、と認識するしかない。
蝋燭の灯りで金の髪が月のように冴えている。頭部を取り巻く
んで。角の
濃密に練られた魔力を全身に
殺された時のことを思い出し、その場から踏み出せずにいる足に
自室ということで、休息が目的な部屋なのか、作業してる机自体はそう大きくない。
あとは長椅子やら、螺鈿細工の低い机やら、そのひとつひとつが選りすぐりの最高傑作ばかり……。
無駄に広い。そのうえ続き間がある。そっちは寝室だろうか?
部屋に入った俺に気づいた魔王が、ちらりと片眉をあげてこちらを見て、また書面に目を落とした。
「何の用だ? 昼に体調を崩したと聞いたが、大丈夫なのか?」
下を見ながら、意外にも気遣うようなことを聞いてくる。
(その体調不良は、おまえのせいだ! 現在進行形で頭痛と胃痛の真っただ中だよ!)
吐き気もある。ムカムカする。まったく大丈夫ではない。
魔王の問いには答えずに、静かに剣を引き抜きながら、執務机を挟む短い距離まで近づいた。
はじめて魔王が顔を上げて俺を見つめた。平坦な声で尋ねてくる。
「どうした、玉座でも欲しくなったか?」
「玉座など不要。ゼラント王のご命令のもと、アトレーゼの魔術師として、おまえの命を求める」
「……エトール?」
「誰だ、それは」
他の魔族にも”
「よくも俺を、殺すだけでは飽き足らず、魔族の子どもの中になどに入れてくれたな」
冷静に言ったつもりの言葉は、かすかに震えていた。
魔王が書類を机に置いて、身を起こすのを目で追う。
「非力な子どもに封じ込めて、思い通りに使うつもりだったのか? この身体の
「待て。エトール、一体何を言っている?」
魔王が
「白々しい! アトレーゼとの国境で、自分の元に下れと誘ってきた。断った途端、殺しやがって! あの後何があった? 勇者たちはどうなったんだ?」
「……お前は、いつの、なんの話をしているんだ」
「答えろよ!」
「国境で挑んできた勇者など、とっくの昔に死んでいる」
ザッと全身の血が足元に落ちる。
反射的に、剣先をヤツの喉に当てた。
なぜか魔王は動く気配がない。こんなにあっさりと命を晒すなんて。
このまま
俺の興奮とは裏腹に、感情をのぞかせない声で魔王が確認してきた。
「つまり、
「今も何も、俺が他の何者だったことなんて、一度もない!」
「! ……お前……」
急に魔王が身を乗り出し、真剣な目で腰を浮かしかけたので、慌てて剣先に力を籠め、ヤツを椅子に押し戻す。早く刺さなくては。でも、言いたいことが、ぶちまけたいことがまだ残っていた。
「殺したなら、殺したままにしとけよ。なんでいたずらに
不覚にも、目の端に水が
それに、さっきから心臓の音がやけにうるさい。まるで耳のすぐそばに引っ越してきたかのようだ。
その耳が同時に、魔王の静かな言葉を伝えてくる。
「アトレーゼのこと、いつ思い出した? そうか、先日、”氷穴”に行ったと言っていたな。その時、聖剣の霊力にでも
「そっちこそ何言ってるんだ! まるで今まで俺がおまえに従ってたみたいな言い方……!」
「まずは落ち着け。お前はいくつか思い違いをしているようだ。説明してやるから、話を聞け」
「ふざけるな!!」
これ以上ヤツに時間を与えたら、なぜか言いくるめられそうな気がして、本能的に剣を押し通そうと力を込めた途端。
バチィッ! と
鋭い痛みに剣を取り落とし、数歩後ろによろめく。
床に落ちた剣から、蒼白い光がピリリと小さく宙に
魔術を使われたとすぐに理解する。
肩まで走った痛みは一時的なものだったが、柄を握っていた右の
魔王の方は薄い障壁でも作ったか、首に電撃の跡はない。
「っ……、部屋の中では魔術が発動しないはずじゃ……」
「この
魔王が手に光る指輪を見せながら、残念そうな視線を寄こしてきた。
なんだその口ぶり、なんで俺がエトールとやらの記憶を持ってるんだ。
「陛下、殿下、何かございましたか」
「何もない。そのまま控えていろ」
音を聞きつけたらしい外からの声に、魔王が短く答える。
聞き捨てならない単語が混ざっていた。
"殿下"というのは、言うまでもなく王の子どもに対する敬称。
この部屋には魔王と俺のふたりしかいない。その意味するところは。
「殿……下……? この身体は、おまえの息子か?」
「そうだ」
――俺がいるのは、魔王の息子の中!?
ヤツの口から決定的な肯定の言葉を聞いた途端、頭が真っ白になった。
鏡を見た時、"似てる"と思ったことが勘違いではなかった。
沸き上がった抵抗感に、心が埋めつくされる。
この心臓を脈打たせているのは、魔王の血。
後先は考えてなかった。
判断も何もなく、反射的に隠していた短剣を引き抜くと、切っ先を自分の心臓に向けた。
――殺してやる!
身体の持ち主に対する配慮を完全に吹き飛ばし、明確な殺意を自分自身に向けて放つ。
単に魔族にされただけでなく、魔王の子のうちにいるという事実は、理性の限界を超えた。
勢いづけて、短剣を突き立てようと引いた瞬間、それまで
(いつ動いた?!)
机で隔たってたはず!
こんなことは前にもあった。空間を
その魔王に、短剣を握った手を
これが大人の身体との筋力差か。
そう思った直後、痛烈に蹴り飛ばされた。
全身丸ごと部屋の壁に激突し、盛大な音が響く。
強く打ち付けた背中に一瞬息が止まり、身体が力なく床に崩れる。
「衛兵!」
魔王の鋭い声とほぼ同時に、6人の兵たちが勢いよく部屋へ飛び込んで来た。
「そやつを縛り上げておけ」
「え、しかし」
魔王が指さす俺を見て、急に兵たちが戸惑う。
即座に命令に従わずに、聞き間違いかと確認するように、再び魔王を振り仰いでいる。
「あろうことか、余の目の前で自害しようとした。何も出来ぬよう、拘束しろ。舌も噛ませるな。そのままこの部屋の隅にでも転がしておけ。愚か者が頭を冷やすまで、目の届く場所に置いておく」
魔王が重ねた言葉のうち、”自害”と聞いた兵たちがギョッとしたように青ざめたのがわかった。彼らを動かす十分な理由となったようだ。
「お許し下さい、殿下」
申し訳なさそうに断りながらも、手早く後ろ手に縛りあげていく。
俺はというと、蹴りと壁に激突した衝撃で体がまだ動かず、抵抗すらできない。
子どもの身だと
何てざまだ! 今日はこんなのばっかりだ!
「痛くはございませんか? もう少し緩めておきましょうか」
「余計な気遣いなどせずに、きつく戒めておけ」
苛立つ魔王の声に、頑強な兵たちが身を
「この部屋の中でのこと、決して他の者にもらすな。また、許可するまで誰であろうと通すな」
底冷えするような押し殺した迫力で、緘口令を敷くことも忘れずに言い添えると、ヤツは用を終えた兵たちを退出させた。
「余に剣を向けたことは今回に限り、不問にしてやる。だが、自死しようとしたことは許せぬ。しばらくそこで反省しておれ」
俺の頭上にそう言い捨てた魔王は、踵を返すと執務机に戻り、憤慨した空気を隠そうともせずぞんざいに椅子に腰かけた。
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