第8話 魔王の城(6) 翼の色が!
「なんだ、すごく手軽な術じゃないか。術とは呼べないくらいだ」
「だから、初歩の術だと最初に言った」
一通りやり方を教えて貰ったが、“幻術”はほぼ特殊能力のようなものだった。
魔力の流し方が独特でコツが必要なため、集中目的の補助呪文はあるが、その実、慣れれば姿かたちを詳細に念じるだけで術が発動出来ると知り、拍子抜けする。
幻術の発動時に大量の魔力、そして維持にも魔力を消費し続ける点が下位魔族には壁となるらしいが、それ以上の魔族にはさして問題にならないようだ。
「少しいじってやれば、もっと質の高い“幻術”が作れて応用も効きそうだ。さっき特殊な技術を使えば、角色も誤魔化せると言ってたよな?」
「そういうことだけはよく聞いているな。一部の者しか知らない極秘事項だ。お前にはまだ教えん。人間に化けるのなら、必要なかろう」
まあ、人間姿になれるなら、それで十分問題ない。
それにしても、なぜか魔王が"アトレーゼ行き"に協力的な気がする。
拘束されないなら、これ幸いだ。
「じゃあ、試しにやってみるから!」
「試さなくてもお前なら出来る。ゆえに、後から
不快気に手を振って、魔王が俺のやる気をくじく。なんだ? 人間嫌いか?
もしもーし? それでよく
(……こいつ、もし誘いを受けてても結局俺のこと殺してたんじゃないか? そんで、やっぱり魔族にされてたとか……)
この様子なら有り得る。勧誘時の魔術知識目的というのは、建前っぽかった。手頃な魂を見つけたから、転生実験したかっただけなんじゃ……。
疑惑が首をもたげ、探るように魔王を見ていると。
「で、もうひとつは飛行のための翼出しか」
ヤツはさっさと次に話を進めてしまった。
(“幻術”、あれで終わりかよ!?)
結構な条件を突き付けてきたクセに、おざなり講習だな、おい。
(ん? ……
「……翼……必要かな?」
「アトレーゼまでどうやって行くつもりだ。魔物も多いし、危険地帯も多い。歩いて行くとなるとどれほどかかることか。やはり飛ぶのが速かろう」
「…………」
飛ぶって、しっかり空だよな? 低空じゃそんなに意味ないだろうし。
多少魔物が出ても、徒歩で行きたい。心底そう思う。
そんな俺の逡巡には気づかず、魔王が説明を続ける。
「なにより普段の生活で飛べないと不審に思われるぞ」
あ、そこは別にいい。今後キプロティアで暮らすわけじゃないし。
「初めて翼を出す時は難しいが、その身体はすでに何度も経験しているから、特に問題ないはずだ。気を付けるのは意思と呼吸、あとは翼分の場所の確保くらいだな」
魔族の服は、
魔王に背中を見せて貰ったが、こんな部分からよく器用に出すなぁと感じる。
いくつかの要点を聞いた後、今度は“幻術”とは違い、実際に翼を出してみるよう指示された。
“身体が慣れている”と繰り返し言われたはずだ。
出したいと思っただけで何の抵抗もなく翼が背に広がり、今までの手足にもう一種、身体の一部が追加される初めての感覚を味わう。
動物がしっぽを動かすのって、こんな感じなんだろうか。
意思に従って自在に動く翼を見てみようと身体をねじって――言葉を失った。
(色が……真っ白なんですけど???)
俺の背に現れた翼の色は、純白と呼べるほど眩しい白だった。
そのうえ被膜部分には炎に似た形状の模様(?)が浮き出ており、こちらは金色に輝いている。綺麗ではある。巨大サイズで自分の背中にさえなければ。
(白地に金……。これは……目立つ……)
大抵暗色で目立たない色であるはずの翼が、よりにもよってなんでこんな、遠目にもはっきりわかる色なんだ?
確かに上位魔族の翼の色は明るめではあった。あったが、これは度を越している。
もし上空にあれば、間違いなく狙い撃ちされる。
そしてちょっと……、いいや、本音を言うと猛烈に恥ずかしい。
えええ、なんだこれ、派手過ぎだろう?
嫌だ、こんなの、ひとに見られたくない。
「エトール? どうかしたか?」
冷や汗を浮かべながらすっかり固まってしまった俺に、魔王が声を掛けてきた。
「なに……この色……?」
「色? ああ、翼のことか? 別に変なところはないぞ? いつも通りだが」
「保護色、ガン無視?」
「……アトレーゼ独特の表現なのか? お前の使う言葉は、先程から時々わからぬ」
「保護色無視も
アトレーゼの言い回しというより冒険者コトバだが、意味がわからないという魔王に対し、言い直す。
「王族として、目をひくことも肝要だからな。戦場にあっては敵に威を見せつけ、味方を鼓舞する。保護色では埋もれてしまおう」
「後衛専門としては、埋もれていたいんだけど……」
魔術師は大抵、パーティー内の後ろが定位置だ。
魔王も勇者パーティーの陣形でも思い起こしたか、「ああ」とひとつ頷くと、
「そういえば後衛にいたな。だが目立っていたぞ?」と信じられないことを言った。
「目立って? そんなはずない」
「方針決定は勇者だが、そのための運営と全補佐はお前が担っていただろう? 真っ先に潰さねばと思う働きを見せれば、それは目立つ」
(嘘だろ……)
それで一番に狙われたとか? 全く気付かなかったことを指摘され、今更ながら反省する。在り方を間違えていたらしい。初戦に戻って対策を練り直したい。
「それに、あのザートを足止めした魔術師となると、こちらもそれなりの目で見る」
「ザート……。あ! あの近衛団長か!」
足止めしたと言われて思い至る。俺が剣を失った原因は、途中で立ちはだかってきた魔王直近のやたら強い武将だった。近衛団の長だと、そいつは言っていた。名前が確かザート、なんとか。
「やっぱり、あいつまだいる、よな?」
「いるも何も。
「……はい?」
「剣だけでなく、武芸全般を任せてある。お前がさぼってしまうから、あまり成果はあがってないが」
あやつは王子に甘くていかん。などと魔王が口の中に呟いているが。
つまりザートとエトールとは師弟関係にある、ということ?
……何が悲しくて、2度と会いたくないと思った相手から剣教わらなきゃなんないんだよ。何も覚えてなかったとはいえ、現在の境遇を聞けば聞くほど、己が不憫すぎる。
「……俺、もうそろそろ泣いてもいいよな……」
「それは勝手にするといい。とりあえず、翼は難なく動かせるな?」
(自分が黒幕のくせして、こいつほんと
いくら勝者の権利だとしても、好き放題し過ぎだろ。そう悲嘆に暮れつつ、魔王からの確認に、背中の翼を折りたたみ、体に引き付けてみる。
そのスムーズさに目を瞠る。
「ずいぶん思い通りに動くなぁ。被膜は筋肉か? 伸縮してる」
(まるでコウモリみたいだな)
コウモリの被膜は、本来胴となるべき筋肉の一部が分化して翼に流れ込み、形成されている。そのためムササビやモモンガの滑空とは異なり、急な旋回や上昇など、空中で自由な動きが可能だ。
(この金色は……、魔力が透けて見えてるのか? それとも魔力に色素細胞が反射してるとか)
ビカビカの体色を持つ魚を連想しながら、翼膜を触り、不規則な金色の筋から魔力を感じ取って、そう分析する。
空を飛ぶものにあるまじき体重は、翼の魔力が自然に調節・変換を果たしているのだろうか。
「不思議な仕組みだな」
不明な点を一言にまとめると、それ以上の追及をやめた。考えても仕方ない。魔族はこれで飛んでいるのだから。大体こんな大きな翼が、普段背中に入っていること自体、解明できない領域だ。
「では問題なく飛べよう」
「え、それはちょっと……どうだろう」
(飛ぶとなると別の問題が浮上するんだけど)
自信無げな俺の言葉に、魔王が眉間に皺を刻む。
「なにか妨げがあるのか?」
「空は……高いだろう?」
魔王の眉間の皺が、ますます深まった。
いや、わかってるよ? 意味不明な答えだったって。
でも「高いところが怖い」とは言いたくない。
翼を仕舞い、ため息をもって答えると、話題を変えることにした。
「ところで余計なお世話だと思うけど、剣を持ったままの相手を部屋に入れるとか、やめといた方がいいと思う」
「余の前での帯剣を許しているのは王子だけだ」
「それにしたって、夜、王の部屋に剣持ち込むなんて怪しむべきじゃないか? 保安対策どうなってんの?」
「……ああ……」
「なぜそこで納得した顔を?」
「あまりにお前が剣の稽古をさぼるので、時々空いた時間に余が自ら見ていたからな。疑問を抱く者がいなかったようだ」
「部屋の中で?!」
酷い。調度品も敷物も高そうなのに、うっかり傷めたらどうするんだ!
さっき俺も部屋で剣振り回したけど。それにしても。
「なんでそんな、口うるさい親みたいな真似をしてるんだ?」
「口の利き方。先の条件をあっさり
「ふ――ん、大変なんだな?」
魔王も、
「無関係を装うな。お前自身の話だ。ちょうどいい。出るなら剣は忘れずに持っていけ。丸腰では行くな」
「…………」
「なんだ、その顔は」
「剣って持っててもあまり役に立たないよな? 相手の喉元に突き付けても、何の効果もなく終わるんじゃ、むしろ邪魔というか……」
ちなみに魔王の喉元の話だ。
効果がないどころか、俺が怪我した。
「剣が役に立たないわけがなかろう。自分の腕の未熟さを棚上げするな。だから日頃から鍛錬を怠るなと、あれほど繰り返し言い聞かせている。何度言ったら理解するんだ」
「……それは俺じゃない」
「全く同じ内容を、その口からついこの間も聞いた気がするがな」
ほう? エトールも俺と同意見か。
思わず疑問が口をついて出る。
「こいつも剣は苦手なのか?」
自分を指さしながら聞く。
稽古をさぼるって言ってたもんな。でも相手があのザートで課目が剣じゃ、逃げたくなる気持ちも分かるよ。エトール、お前の感性は正しい。
俺がエトールに共感してると、魔王が苦々しげな表情を作りながら答えた。
「……好んではないようだ。魔術にばかり傾倒していて、強制している武芸の稽古時と公式行事以外は部屋にこもっていることが多い。たまに出てくると思えば、魔道具の素材集めだの文献探しだの。あとは新魔術の実験だと言っている時ぐらいだな」
「へぇ。俺と気が合うかもしれないな」
「……お前、おかしなことを言っている自覚はあるか? さすがに不安になってきたのだが」
「失礼な。ちゃんとわかってる。”
エトールは必要時以外は引きこもっているらしい。腹が減らなくて省エネだな?
そんなことより。
「剣より、術用の杖が欲しいんだけど……」
「杖? 人間のようにか? 何に使うのだ。魔術に杖は必要なかろう」
土から創られ、永い年月の間に僅かばかりの魔力をやっと備えるに至った人間とは違い、魔力から生まれ出た魔族は、魔力の塊のような存在。
魔力の扱いが稚拙で、魔術に不慣れな人間なら、補助杖無しでは術の発動すら覚束ないことがあっても、魔族ならば子どもでも意のままに魔術を行使出来る。魔族にとって、杖など無用の長物。
そう魔王が語った。
「そういう考え方だから、エトールの部屋にも杖がなかったんだな? ”杖”はあると便利なんだよ。うっかり使い込み過ぎないように、魔力の出力制限装置もつけてあったし」
「相変わらず器用な仕掛けを……。だが、いまとなっては不要だろう? 魔力が枯渇することなど滅多にないはずだ」
「あ――、う――ん。逆の意味で欲しいな、と。出過ぎる。慣れてないから、咄嗟に大放出しそうで怖い。あといくつか術を組み込んで、簡単な
仕掛けを指折り挙げていく俺に、魔王が声を挟む。
「お前が言っているのは、”杖”という名の魔道具だな? 完全に人間の使う”杖”の域を超えている。人間の使う"杖"とは、魔力を練り上げるためのものだろう? 術の精度維持のための補助具だが、お前の話だとまるで求める役割が違っている。”杖”と
「じゃあなんて呼ぶんだよ。特別に機能満載にしてるだけで、形状は間違いなく”杖”なんだから、”杖”は”杖”だ。最初に”氷穴”がどうとか”聖剣”がどうとか言ってたけど、それって何? もしかして、そこへ行けば俺の”杖”残ってたりする?」
「本当に、聞いてないようで聞いている」
とは、俺の問いに対する魔王の所感らしい。
「”氷穴”は敵のめぼしい遺品を放り込んでいる洞窟だ。ここからは少し離れた場所になる。勇者が持っていたアトレーゼの従聖剣などは置いているが、お前の言う”杖”はわからんな」
「そっか。アトレーゼに帰る前に寄りたいけど、どう行けばいい?」
「従聖剣の霊力を辿ればわかるだろう。あとは直線で飛べばすぐだ」
「女神セレイラの霊力だな」
ひとつ頷くと、言うなり探る。
特定の魔力を、空間に落とす。水滴が波紋を作るように、落とした魔力は見えない円となって幾重にも広がり、この城を中心にキプロティアの大地を探っていく。
その円周上に、目当ての力を感じ取った。
神聖な気配を微かに震わせながら放っている何か。
距離的に、アトレーゼに到達するよりもずっと近くに在る。
これが”氷穴”にあるという従聖剣の霊力に違いない。
(見つけた!)
集中のため閉じていた目を開き、顔を上げて、魔王に向き直った。
「場所がわかったから、行く」
魔王が軽く頷いた。了承ってわけだ。
こんなにあっさり解放してもらえるとは、思ってなかった。
エトールが何番目の王子かは知らないが、まあ実験で人間を転生させるくらいだし、大した位置づけじゃないんだろう。俺にとっては有り難い。
そう思ったのに。
「なるべく早く戻れよ?」
「は? ずっと戻らないよ、何言ってんだ」
「アトレーゼへの未練を断ち切らせるために、出す許可だ。戻らぬつもりなら、城から出すわけにはいかぬ」
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